第3話:マルス学園
次の日の朝を迎えた。
真新しい制服を纏ったゆきなは現在、暗闇の中に佇んでいた。
「マスコミ、他国の密偵、あとWS役員の侵入はっ!?」
「確認されておらんぞい」
「それじゃ早く開会なさいっ!」
近くの方で、シャロンとしゃがれた老人の声が聞こえてくる。
ゆきなは直立したまま前方を見つめる。いよいよか、そう覚悟を決めた瞬間。バチンと大きな音が爆ぜ、視界がまばゆい光に包まれた。
スポットライトの明かりを一心に受けるゆきな。
体育館の照明という照明が一斉に点灯したのだ。ゆきなの立つ舞台の下からは、われんばかりの歓声が轟いている。ゆきなを見上げる全校生徒の拍手喝采。興奮した生徒たちの声が聞こえてくる。
「あれが二人目のイレギュラーか!」
「女の子だ!」
「イレギュラーが見つかったってことは、今度こそこの戦いも終わるのか!?」
ゆきなは逃げ出したい衝動を抑えながら、唇を固く結んだ。何百、何千の視線が痛い。仕方ないだろう。ゆきなは日本の女子高生だったのだ。小さなころから真面目で引っ込み思案だった。友達は普通にいるけれど、けして多いわけでもない。目立たない少女だったのだ。そんな自分がこんなに注目される日が来るとは、夢にも思わなかったのだ。
「えー……この子こそが、我が校の新入生であり、WSに選ばれたイレギュラーじゃ」
舞台袖から、しゃがれた声の老人が姿を現した。とても背の低いおじいさんだ。黒いタキシード姿。妙に浮いたブロンドの髪とつぶらな瞳が印象的だった。
マルス学園の理事長らしい。
「――この子には、しばらく我が校に滞在してもらうつもりじゃ。それにあたって生徒諸君には分別ある行動をとるように心掛けて欲しい……そうじゃな、たとえば」
「理事長、長話はひかえろー!」
生徒達からブーイングが巻き起こった。
「え……わし壇上に上がるの楽しみにしていたんじゃが」
「理事長、あとは私、生徒会が進行させて頂きますのでとっとと引っ込んで下さい」
笑顔のシャロンが理事長を隅に追いやると、生徒たちは再び歓声をあげた。
理事長よりも生徒会の方が、生徒たちからの支持を受けているらしい。理事長は寂しそうに隅からこちらを見つめているし、先生たちは何事もなかったかのように涼しい顔をしていた。
あっという間に、全校生徒への『ゆきなお披露目会』も終了し、午前九時三十分。ゆきなは自分が所属する新しいクラスに移動することになった。
「……よろしくお願いします」
教卓の前で挨拶をする。
顔を上げると、クラスメイトたちがキラキラした瞳でこちらを見つめていた。
「うっひょ! うちのクラス、イレギュラーゲットだぜ!」
「かっわいーっ! 好きな食べ物はーっ?」
男子生徒たちが口々に嬉しそうな声を上げている。
この学園の生徒たちは、全体的にテンションが高いらしい。
ゆきなは笑顔でやんわりと受け流しながら、担任の支持した席についた。
窓際から二列目の席だ。
「ゆーにゃんおつかれっ! いきなり大変だったでしょ?」
後ろの席のチャラい少年が身を乗り出してきた。
「こ、向咲くん……」
「なにその虫を見るような目っ! 下の名前で呼んでっつったじゃないっすか!」
カザネは唇を尖らせていた。
「ゆきなちゃん、あんまり向咲に近づかない方が良いよー、バカがうつるから」
クラスメイトの女子生徒たちが、茶化すように笑っている。
「なんすかみんなしてっ! 僕、今回は赤点、まぬがれたんですよっ!? なっ、ギル!」
「……三十点でギリギリな」
ゆきなの前の席についている少年がふり返った。
今朝聞かされていたことだが、ギルとカザネも同じクラスなのだ。
「赤点じゃないことに変わりねえですっ!」
ドヤ顔で笑うカザネに言葉を無くしていると
「……ねえ、それ以上口を開かないでくれるかい?SSJの恥だよ」
酷く冷めた声がした。ゆきなの右斜め前に着席している少年からだ。
ゆきなは思わず目を見張る。
一見、少女と見紛うほどの美少年がそこにいた。
まるで彼を取り巻く空気が、他と違う。人の視線を引き付けて離さないような、金色の瞳。亜麻色の髪に、透き通るようなきめの細かい肌。彼がいる空間だけ、他の世界とは隔絶され、豪華な額縁に収められているかのような特別な印象だった。
「カレブ君の言う通りよ!なんでカザネなんかがSSJなのか分っかんないよねーっ?」
周りの女の子たちが声をあげた。うっとりとカレブに釘付けになっている様子だった。
「ねーカレブくん、何の本読んでるのっ?」
女の子が尋ねる。
「古代遺跡に潜む謎って言う本だよ」
カレブという名の少年は、見る者をとろけさせるような眩い笑顔で答えている。
「難しそう……これ異国語だよね!」
「今度良かったら教えてあげるよ。だからほら、早く前向かないと授業はじまるよ」
優しげな微笑で促すカレブだったが
女の子が前に向き直ったほんの一瞬、カレブの表情に、背筋が冷たくなるような影がさしたのを、ゆきなは見逃さなかった。
「……っ」
驚いてカレブを見つめていると……その少年が、チラリとこちらを向いた。目と目が合う。金色の鋭利な瞳。人を捉えて離さない眼光。目が逸らせない。どうしよう。
「ゆーにゃん次は国語ですよっ! ほらほら、教科書だしてっ!」
「う、うん。そうだね!」
後ろのカザネに救われた。
間もなくして授業がはじまった。ゆきなの登場で興奮さめやらない生徒たちはずっとソワソワしていた。
授業を受けて確信したことは六つある。
教科書に書かれている文字、ならびにこの地域で使われている言葉は、ゆきなが今までいたセカイの「日本語」と同じであり、生活するにあたり何の不便もないこと。
数学の考え方は同じであること。
理科もほぼ同じだが、よく分からない分野が多いこと(こちらの科学は分野によって、かなり進歩しているようだ)。
外国語は英語の他に、ドイツ語も選考できること(ゆきなはもちろん英語)。
世界情勢や歴史には大きな違いがあること。そのせいか、世界地図を広げてみれば、国境や国名にもちらほらと違いがあった。
ちなみに、マルス学園のある国は、日本とよく似た国の形をしていた。
その名も「二ホン」。ただ、二ホンの地理や地域名は、ゆきなの故郷である「日本」とは色々と異なっていた。
「そういえば、どうしてサラマルたちも普通に日本語が通じるんだろう。カザネやギルも、もともと日本語を話していたのかな?」
それに……
「さっきから聞く『SSJ』って何なんだろう……このセカイは本当に、害意って奴らに滅ぼされかけているんだよね?」
しかしどこを見ても、物騒なことは影すら見当たらない。普通の授業と、普通の学園生活があるだけだった。
「なんで悠長に学校なんて」
まだまだ分からないことだらけだ。休憩時間にでも、ギルに教えてもらおう。なによりも早く家に帰れるように、自分が一体何をすべきなのかも。
そう決心して、ゆきなはふと斜め前の席を見つめた。
カレブと言う名の少年は、国語の教科書の裏に、先程から読んでいる本を挟んでいる。前から見れば、完璧なカモフラージュだった。
三限の授業も終わりかけた頃。ゆきなはまどろみながら窓の外を眺めていた。今日も快晴。開いたガラス窓の向こうから、柔らかい風が吹き込んでくる。真っ白なカーテンは大きくなびいて心地良い。快適な気候だった。
突然、女子生徒が高い声をあげた。何かを発見したような声。道端にいじらしく咲く花を見つけた時のような嬉しそうな色。連鎖反応のようにクラスメイトがざわめき始める。その視線は、ゆきなの左斜め前にある窓に注がれている。はためく白いカーテンの向こうにうっすらと、人影が見えた。
それは窓枠から飛び降りると、軽やかに床へと着地する。漆黒の黒髪をなびかせた、白いブラウス姿の少年だった。
他の皆と変わっているのが、腰に巻いた太いベルト。そこから二本の短剣がつがえられている。RPGのキャラクターに混ざっていても違和感が無い装いだった。
「……ん」
少年の漆黒の瞳がゆきなの瞳をとらえた。見つめ合う刹那。まるで時間が止まってしまったかのようだった。
「宵宮寺じゃん!」
少年を認識した男子生徒が声を上げた。
「サラマルくん。また窓から登校して来たの?」
続いて女子生徒が尋ねかける。
窓から登校って……ここは三階なのだが、聞き間違いだろうか?
「急ぎの用事でさ、わりいわりい」
ひらひらと手を振ったサラマルは、ニッと笑いながらゆきなに近付いて来た。
「お前が雪原ゆきな?」
覗き込んでくる瞳は凛としていた。
「そ、そうですけど……」
「予想以上に可愛くて驚いたっ……おっと失礼。おれは宵宮寺瑳良守と申します」
サラマルはうやうやしく片膝をおると、ゆきなの手をとった。
「悪いけど、おれと一緒に来てくれますか?」
片目をつむって首を傾げる。
「……え」
「こら宵宮寺君っ、まだ授業中よっ!」
黒板の前の女性教師が仁王立ちで注意する。
「……すみません先生、ちょっと急用だから、今回だけは大目に見てくれ!」
キラースマイルで両手を合わせるサラマル。
「……こ、今回だけですよ!」
真っ赤になる先生。
「先生が職務怠慢だ!」
生徒たちからたちまち非難の嵐が巻き起こる。
「た、怠慢はしていませんヨ!」
「嘘つけ!先生が二十五歳と言いながら実はアラフォーだっていうことも知ってるんだからな!?」
「な、なんですってえ!?君たち、その情報はどこから仕入れたの!」
先生と生徒たちの言い争いが勃発する中、すましたようにサラマルは笑っていた。
「毎度毎度、騒がしい奴らだなあ。さあて行くぜ、ゆきなちゃん」
素早く立ち上がるサラマルに手を取られ、体がふわりと浮き上がった。
「……へ?」
サラマルの整った顔がすぐそこにある。つまりゆきなは、少年に抱きかかえられていた。俗に言う、お姫様だっこというやつだった。
「え、えっ!?」
「落ち着いて下さいよ、お姫様」
茶目っ気たっぷりにウインクされる。
「さ、さらたんっ!?」
カザネが腰を浮かせてこちらを見つめていた。その焦点はサラマルに向けられている。さらたんとは、サラマルのことなのだろう。
「おおカザネ。そうだ忘れてたっ。SSJメンバーに告ぐ。おれの後を追ってこい!」
サラマルはそう言い残すと、踵を返して窓枠に足をかけた。
もう一度言う。ここは三階だ。
「さ、サラマルくん何をする気かな?」
「もちろん……外へっ!」
サラマルが窓枠から、校庭に向かって飛び降りた。
とんでもない自殺行為にゆきなは叫んでサラマルにしがみつく。
耳元で風がうなる。腹の底がふわりと押し上げられるような感覚に悲鳴が漏れる。
「大丈夫だぜ、怖がりなお姫様だな」
サラマルは楽しげに言いながらゆきなを抱え、校庭の木々の枝を軽々と飛び移っている。
人間とは思えない運動神経の持ち主だった。
「ど、どうなってるの! これからどこへ行くの!?」
「生徒会室。今すぐ連れてこいって連絡があってだな!」
「そ、そうなの!?」
それにしたって強引で無茶苦茶すぎる。何せ今は授業中だ。
「ああ。シャロンのやつぁ気まぐれだからな。大方ひめに会いたくなったんだろ――」
ひめとは、ゆきなのことを指しているのだろうか。
「あの、私の名前は」
「うん? ゆきなだろ、知ってるぜ。けどお姫様みたいに可愛いんだから『ひめ』ってぴったりじゃねえか。カザネのつけたあだ名より良い感じだろっ」
ニカッと笑うサラマル。
あだ名のセンスはさておき、好意を持ってくれるのは嬉しかったゆきなだが
「ちょっと恥ずかしいです……」
「――さあ、生徒会室に到着だ、ひめ!」
人の話は聞かないサラマルだった。