第37話:少女の力
「勝った、っすか……?」
足元から声がした。カザネが苦痛に顔を歪めながらも、にっと笑顔をつくっていた。
「カザネ! 体、大丈夫!?」
「これくらい、なんてことねえです。ゆーにゃん、けが、ない?」
「……ないよ……カザネたちが守ってくれたから、このセカイも」
ゆきなは言いながら辺りを見渡した。
影の無残な残骸が辺りを埋め尽くしていた。
みんなで勉強した校舎は血に濡れ、壁は切り刻まれていた。
灰になった体育館。テスト期間中、みんなで弁当を食べた中庭は、芝生が燃やされ、木々が折れ、荒れ果てていた。
戦の爪あとは、胸がじくりとなるほど凄惨だった。
「大丈夫だよ、ゆきな。これから後始末がはじまる、見ててごらん」
カレブに肩をつかまれ、もう一度辺りに視線を巡らせた。
『これより、事後処理を行います。保護モード解除により視界に影響を及ぼす可能性が考えられますので注意してください』
再び放送が響いた。
すると、ゆきなの周りにある空間に電気が走り、歪んだ。
戦がはじまる前もそうだった、空間に白い光の波紋が広がる。それに触れられた空間は、あろうことか、戦が始まる前のもとの姿に戻っていった。
血に濡れ破損した校舎はもとの白い壁に戻り、影たちの返り血は消え、影の屍も、シャボン玉が弾けて消えるかのように、細かいポリゴン状に砕けて雲散霧消した。荒れ果てた中庭も美しい姿を取り戻した。
「どうなってるの!?」
「言ったでしょ。破損の影響を受けないように、今まで保護モードで街をコーティングしていたんだ。分かりやすく言うなら、ラップの上にぶちまけた汚物をくるんで捨てたようなものだよ」
「カレブ、その例え庶民的すぎじゃない?」
ベルシュが苦笑している。
「たしかに、私がこのセカイに来た時も、戦の後だったのに、どこも綺麗だったもんね」
しかし。目の前にある体育館は、灰のままだった。
それだけじゃない、中庭も所々、黒い焼け跡が残っている。
「灰になったものは戻らねえです。こんなに酷い戦いだったら、他の場所でも影響が出てますよ、たぶん」
カザネが言いながら、起き上がろうとした。
「起きちゃだめだよカザネ!」
白いシャツは真っ赤に染まっている。
「救護班を呼ぶよ。ほら、姉さんたちも来たことだし」
カレブが何かを見据えて告げた。暗闇の中、その視線の先に何があるのか分からない。
しかし朝日が差し、両手をふって走ってくるシャロンと海飛の姿が見えた。
二人とも無事だったらしい。満面の笑みを咲かせている。
ゆきなはゆっくりと、カレブにカザネ、ベルシュと視線を交わらせた。三人も笑っていた。ああ、やっと終わったのだ……ゆきなは空を見上げた。
分厚い雲は消え、透き通った青空が広がっていた。
その後、サラマルとカザネは救護班によって病院に搬送された。
二人とも命に別状はないらしく、サラマルもそのうち目を覚ますだろうとのことだった。他にも、重症患者は多数。しかし幸運にも、マルス学園内においては、死亡者は確認されなかった。
「きっと、ゆきなという勝利の女神がいたからよっ」
シャロンがうっとりしたように声を漏らした。
「――ね、ゆきな。本当によくがんばったわ!」
「姉さん、やめてあげてよ。ゆきなが困ってる。」
「あらカレブ、まだ病院に行ってなかったの? あなたも脳の検査をしてもらわないといけないじゃない。ゆきなのことは私に任せて行きなさいよ」
「オレは大丈夫だよ。それよりゆきなをあなたに任せる方が心配だ」
右隣のシャロン、左隣のカレブ、
ゆきなはウェルザーブに囲まれながら苦笑いを浮かべていた。
ここは、昨日集まって作戦をたてた、マルス学園の会議室だ。
重症患者は病院に運ばれ、軽い怪我をした者は救護班によってここで手当てをされている。また、前方では炊き出しが行われていて、暖かい食事がくばられていた。
「……わ、私、ご飯もらってくるね!」
ゆきなは逃げるように炊き出しのもとへ急いだ。
「おお、SSJのゆきなさんか、おつかれさま!」
「君も無事だったか、よかったよかった!」
道中、すれ違う人々から声をかけられた。みんな傷だらけだったが、嬉しそうに笑って酒を酌み交わしている人たちもいた。昨日の張りつめた空気とは全然違っていた。
ここにいる者たちは、一緒に敵を撃退した戦友も同然なのだ。
ゆきなはそっと微笑んで、列に並んだ。すると、前を並んでいた大人たちに順番を譲られた。今回はお言葉に甘えることにした。
「あったかい配給じゃよ。コーンスープに野菜スープ、固形物のパンもあるぞい」
大きな鍋を前に、桃色のエプロンをした背の低い老人が笑った。黒いつぶらな瞳に、妙にういたブロンドの髪が特徴的だった。
「雪原ゆきなちゃん、ちゃんと話すことができて嬉しいのう……」
「あなたは、たしか……」
「ああ。今日は君にお礼を言いたくて来たんじゃ。君たちは、よく頑張ってくれたのう」
おじいさん……マルス学園・理事長の黒い瞳はきらきらしていた。
「――ありがとうのう、本当に」
「わ、私は、何もできていません……イレギュラーなのに、みんなに守られてばかりで」
「そんなことはない。君が皆に助けられたのなら、皆は君に救われたんじゃよ」
そう言って笑った老人の後ろから、ひどく慌てた様子の教師たちが現れた。
「エルビック様! こんなとこでなにしているんですか!」
「そうですよっ、あなたは理事長なんですよ!?こんな所は他の人間に任せて、速く自分のお仕事に戻られてください!」
呆気にとられるゆきなに手をふりながら、おじいさんは教師たちに連れ去られていった。ゆきなはその姿に、深く頭を下げた。
正規の配給員から食べ物を受け取り、ゆきなは皆のもとへ戻った。
「ゆきな、どこにいたんだ!」
戻るやいなや、ギルが現れた。ギルは頭に包帯を巻いているが、それ以外に目立った怪我はなさそうだった。
「ご飯を取りに行ってて」
「怪我はしてないか!? お前も精神破壊を受けたんだろ、大丈夫なのか!?」
「だ、大丈夫だよっ、カレブくんが助けてくれたし。それより」
ゆきなはギルの猫のような瞳をのぞきこみながら、その額に手を触れた。ギルの顔がぼんっと真っ赤になった。
「なっ、なんだ!?」
「ギル、疲れてそうだったから、大丈夫かなって」
「だ、だだだだ大丈夫だ! 動悸はやばいが」
ギルはゆきなに触れられた額を押さえ後ずさり、自分の心臓をつかむように服を握りながら狼狽えている。
「――なんというかゆきな、お前。初めて会った時より明るくなってないか?」
「え……?」
ゆきなは考え込むよう顎に手を添える。
「――うーん、確かに。初めは何が何だかよく分からなくて不安だった。人と話すことも得意じゃなかったし」
ゆきなはそこで言葉を切って、にこりと笑う。
「けど、ギルやみんなと出会えて、毎日がすごく楽しくなったの。今まではね、誰かに嫌われたらどうしようって不安になることが多かったんだ。けどここに来て」
マルス学園で、
SSJのみんなに出会って
「悩むことなんて忘れちゃったみたい。だってみんながいるSSJは、もう一つの、私の帰る場所なんだからっ」
ゆきなはそう言って、照れくさそうに笑った。
「そうだな」
ギルは瞳を閉じて、口元を緩める。
「――ここはお前の、もう一つのセカイなんだ、ゆきな」
微笑み合う二人の間に、ベルシュが入って来た。
「ゆきな見っけた。ギルと見つめ合ってどったの?」
「み、見つめ合ってなどおらんっ!」
再び真っ赤になるギルを見て、ベルシュはクスリと笑う。
「素直じゃないギルはここに置いといてさ、一足早く抜け出さない?ゆきな。多分もうばれないよ?」
悪戯っぽく笑うベルシュの後ろに、ぬっとカレブが現れる。
「ベルシュ、ゆきなをどこに連れていくつもりだい? まだ最後の集会が終わってないよ」
「もー、いーじゃん。カレブ病院行けよ~」
集会では、敵の侵攻を防げたことが短く伝えられ、最後は労いの言葉で締めくくられた。
深夜十二時をまわるころ、ゆきなたちは寮に帰宅した。とは言っても、サラマルもカザネも入院することになり、カレブはまだ仕事があると学園に残った。帰って来たのはゆきなとギル、カザネとベルシュの四人だった。ゆきなは部屋に戻ったとたん、気絶するように眠った。
次の日。ゆきなはいつもより早く目が覚めた。談話室に降りたが、まだ誰もいない。寮自体が静かだった。生徒たちが帰ってくるのは昼過ぎくらいとのことだった。
ゆきなは寮の外に出た。
警報が解除される一時間後まで、どこの店も営業は中止。朝の陽に照らされても、街はまだ眠ったままだった。昨日までの戦いなんて嘘だったみたいに空は青く澄み渡り、風は心地よくゆきなの髪を遊ばせた。少し歩いて、街を見渡せる高台にきた。
「なにをしているの?」
後ろから声をかけられ、どきりとした。そこには、Yシャツ姿のカレブが立っていた。
こんな朝の日差しの中、カレブを見るのは久しぶりだった。
「カレブくん、いつ帰って来たの?」
「さっきだよ。寝つきが悪くてね。君が外に行くのが見えたから来たんだよ」
「ありがとう」
ゆきなは笑って、まだ眠る街を見渡した。カレブが隣に並んだ。
「――ねえカレブくん。影って、害意って……なに?」
ゆきなたちが今まで戦っていたもの。
アレらは一体、なんだったのだろうか。
今は跡形もなく、それでも、ゆきなたちの心には大きな爪痕を残していった。カレブはゆきなに視線を合わせると口を開いた。
「害意。それは、異質物質、世界を壊す者。その名は幾多も知れない。奴らは数多ある世界を壊して人を食い、この世に破滅をもたらすものだ。その理由は分からない。ただ時折、昨日の様にセカイに現れては大地を灰に変える。中心世界の科学をもってしても、解明できない生命体……つまりは、異質な物質。そして、おそらくは本能のままに世界を壊す黒い影……つまりは、世界を壊す者。中には、人の精神を破壊する個体のように、影よりもたちが悪いバケモノ……チェイサーと呼称される怪物もいる。
オレたちは総じて奴らを、害意と呼んでいる。
害なす意思。
語源はそこからきているよ」
害なす意志。
ふとゆきなの脳裏に、ゆきなとカザネを襲ったサラマルの姿がよぎった。
その時サラマルの体は、黒い何かに覆われていた気がする。
「……害意は人間のいるセカイならどこでも沸くんだ。人間のいる所に必ず影は差し、いずれセカイは滅んでいく」
「私のいたセカイにも、いつか影は現れるのかな」
ゆきなはじっとカレブを見る。
「そうだね。だからその前に、オレたちが奴らを根絶するんだ。今回は防衛に成功したけど、影との戦いはまだ続く。これから先はどうなるか分からない」
カレブが低い声で囁いた。
「私たちは、これからも戦い続けなくちゃいけないんだね」
ゆきなはぎゅっと拳を握りしめた。
今回は追い返せたにせよ、また必ず、奴らは攻めてくるのだ。
「……私、戦うよ。まだイレギュラーとしての力は目覚めてないけど……いつか必ず。私がいたセカイのためにも、このセカイを守るためにも。みんなと一緒に、戦うからね」
ゆきなは力強い声で言って、眼下に広がる街を見渡した。
「君がそれを望むなら、オレも最後まで君を守るよ」
「……っ」
ゆきなはカレブを二度見した。時折、カレブは恥ずかしいセリフをさらりと言ってしまう。
「……どうしたの?」
カレブは小首を傾げている。
「なんでもない! そうだ、私、サラマルとカザネのお見舞いに行ってくる!」
「まだ交通機関も復旧してないと思うけど」
「大丈夫。走っていたら、たどり着けるよっ!」
にっと笑うゆきな。
カレブはぽかんとしたあと、クスッと笑う。
「まったく……SSJに染まっちゃったね」
走り去るゆきなの姿を見つめながら、囁くようにカレブは告げた。
「ほんとにな」
背後から聞こえた声にカレブは振り返ると、そこには、寮から歩いてくるベルシュの姿があった。まだ桃色のパジャマ姿である。
「ねえカレブ、オレ分かったことあるんだけどさ~」
「分かったこと?」
ベルシュは穏やかな表情で頷いた。
「害意はきっと、全滅させられないと思う」
「君はどうしてそう思うんだい」
表情を崩すことなく、カレブは尋ねた。
「人間のいる限り、影は差すんだよ。オレたちのいた日本にも、もうそれはどこにでもいるんだ……昨日戦った怪物ではないけどな。影という良くないものは、常に潜んでいるんだよ。誰の心の中にでも」
「それが、害意の正体とでもいうのかい?」
カレブは落ち着いた声で問いかける。
「そんな簡単なものじゃないさ。けど、関連はあるかもな。オレの推測だけど。奴らは人の心に敏感らしいんだよね。研究所の八月一日も言ってたよ」
ベルシュはカレブを真剣な眼差しで見上げる。
「……カレブはさ、ゆきなのイレギュラーとしての力、どう思う?」
「まだ開花してはいないよね。そのうち学園でも、イレギュラーの能力を目覚めさせるトレーニングを始めるらしい」
「そーゆー意味じゃなくてさあ」
ジト目になるベルシュに、カレブは小さく息をついた。
「……ゆきなの力。それはきっと、誰にでも出来ること、だよね」
カレブの言葉に、ベルシュは大きく頷いた。
「そうさ。願うこと……それが、ゆきなの力の一つなんじゃないかな? イレギュラーとしての、能力の断片」
誰かを想うこと、誰かの幸せを願うこと。
「純度百パーセントの、強い真っ直ぐな気持ち。願い。それは時に予想外の奇跡を起こす。ほら、消えかけたオレはゆきなに助けられたんだよ?」
ベルシュはおどけるように自分を指差し、瞳を細める。
「だから本気な話。願いはれっきとした力なのさ。その思いの強さで、何かが変わる。良い方向にも、悪い方向にもな」
「その奇跡があれば、あるいは害意の根絶も夢じゃない、と?」
カレブが静かな声で尋ねかける。
「そうだな……きっとそうなんだよ。けして簡単なことじゃないけど」
「……とにかく、ゆきなのイレギュラーの力がちゃんと覚醒するまで、オレたちで守って行こう」
素っ気なく言ったカレブに、ベルシュはニコリと笑う。
「うん、そうだね」




