第35話:瑳良守
ゆきなは瞳を開いた。
頭が重い。自分が数時間気を失っていたことを知った。
頭上に広がる暗い空は、赤い光を不気味に反射している。隣には、心配そうに顔を覗き込んでくるカザネがいた。
「か、ざね?」
「ゆーにゃん、目え覚ましたっすか!?」
「カレブくんはっ?」
視線を校舎の壁にむけた。カレブは頭を抑えながら、壁にもたれかかって座っていた。
「……ゆきな。気分、は?」
金色の瞳は苦し気に細められていた。
「大丈夫、だけど。カレブくん、どうしたの?」
「精神破壊、で、過去を、見すぎただけだよ。君が、無事なら、良かった」
意識を失う前、ゆきなはカレブに何かを吹きかけられた。
「あれって、催眠スプレーだよね?」
「万が一に備えて、携帯しているんだ。眠っている間なら、精神破壊は効かないんじゃないかと思って……役に立ったみたい、だね」
そう言ってカレブは、血の気のない笑顔を浮かべた。
「れぶっち。ゆーにゃん起きたから、お前はもう休んで良いんすよ」
カザネが低い声で告げた。
カレブは意識を手放すことなく、眠ったゆきなを守り続けていたらしい。
「カレブくん、ありがとう……」
カレブはにこりと笑って、下をみおろした。
そこには、目を見開いたまま動かないサラマルが横たわっていた。
「さら、まる……?」
「サラマルは、オレ以上に、深く、くらったらしい」
「うそ……サラマル、サラマル?」
何度呼んでもサラマルは微動だにしない。
「ずっとこの調子なんすよ」
カザネは、銀白色の細剣によりかかりながら、サラマルを眺めていた。
「こいつ、昔っから、全部のことを一人でしょいこんで、みんなのために、もう死んだ奴らのために死のうとしていたんすよ。そんな馬鹿野郎の最期は、やっぱりこうなっちまうもんなんすかね。僕はまた、こいつを守れなかったんすか」
「カザネ……?」
魂の抜けたようなカザネに手を伸ばそうとした瞬間、ぎらりと何かが光った。
短剣の刃だった。
「ゆーにゃん!」
カザネに庇われ助かった。
ゆきなたちの目の前には、短剣をかまえ、ぐらりと立ち上がった、サラマルがいた。
***
――おれの父は屈強な男だった。理想の王であり、目指すべきおれの目標だった。
思い出すは、太陽に向かう大きな背中。
「良いか瑳良守。国は民が支えるものだ。一人一人が国を支える柱なんだ」
おれの父の言葉だ。
「――自分だけなら良いだろうと手を抜けば、それがその国のカタチとなる。民が国をつくるのだ。王は、そんな民たちを支える土台であることを忘れるな」
その教えは子供の頃から、おれの中の指針となった。
おれは王であり、人々の笑顔を守るために生きてきた。教養、立ち居振る舞い、全てにおいて、やれることはやってきた。子供の頃から、王子としての責務を果たしてきた。
民の期待、敬愛の眼差し、他国の羨望。
これら全てをまとい、剣をとって敵を穿つ。
それでも影をとめられなかった。
民の絶望、軽蔑の眼差し、他国の嘲笑。
これら全てにまどわされ、剣にすがって敵を凌ぐ。
はじめから全部重荷だった、本当は、子供の頃から、みんなの期待の眼差しが、痛くて辛くてたまらなかった。
影に大切なものを奪われていく。全てはおれの責任だ。あの時こうしていれば良かった、ああしていれば良かった、後悔は後を絶たない。本当はどうすれば良かった。
おれがみんなを不幸にしている、
おれの選択が全てを狂わせている、
おれが弱いから、みんなの盾になれないから、もっと強くならなければならない。もっと最前線で影と戦わなければならない。民全員の命はおれにかかっている。そして、誰にも心配はかけられない。
偽りの笑顔を繕った。
おれが笑っていれば、誰も不安にならないから。
大切なものが一つ奪われ、ニつ奪われ。
責められることは、腕や足を引きちぎられるような苦痛を伴い、歪なシワを伸ばすように笑顔をつくった。
それでも、結局は、誰も救えなかった。
気づいた時には、おれの手のひらは返り血に濡れていた。守ってきたはずの者たちの血。踏み越え積み重ねてきたものは、影との戦歴なんかじゃない。民の屍だった。
おれは、殺してしまった。
死んでも償えないから、贖うしかなかったのに。
結局、繰り返すんだ。
おれの誤ちが人を殺す。
おれの存在が人を壊す。違う、なんだっけ、おれが人を殺すのは……いや、そうだ、国を守るんだった。そうだ、国、人々を守るには、どうすれば良いんだっけ、人を守るには、敵を倒さなきゃいけないんだ。敵って何だっけ、敵、そうだ。それは黒い意志、あさましい魂、醜い心を持った者。つまり、それは、ああ……こんなにぐちゃぐちゃだと分かんねえやもう、何も分かんねえ。だってほらもう、おれもぐちゃぐちゃだし、こんな王じゃなにもできねえし、そういえば全部真っ黒になっちまってる。
黒は別の色には染まらない。
だったら全部、赤色に戻そう――
***
「サラマル、正気に戻れっす!」
カザネは銀白色の剣で、サラマルの短剣を受け止めた。
鉛のような重さだった。その上、いつもの倍は速い。
サラマルの瞳に光はなく、ただ、狂気じみた笑顔を浮かべているだけだった。
いくら呼びかけても返事がない、ただ乾いた笑みを漏らすだけ。サラマルは、狂った獣かなにかのように、軌道の読めない動きでカザネに猛攻を繰り出した。
「向咲、そいつは、君を、殺すつもりだ……!」
カレブの言う通りだった、一瞬でも気を抜けば、サラマルの刃はカザネの急所を抉るだろう。
カザネは繰り出される短剣をかわしながら、サラマルに語りかけた。
「サラマル! 勝手に一人でしょいこんで、勝手に一人で突っ走って、今度は一人で爆発っすか! お前はよくやったんっすよ、今までもずっと……! ちゃんと見てましたよ、僕は、オレは、お前が王だったから、ついてってやろうって思ったんだ!」
サラマルはぴたりと動きをとめると、地面を踏みしめ短剣を振りかぶった。
カザネは間一髪で剣をはじく。サラマルの体が地面におちる。その拍子に、少年の足がグキリと嫌な音をたてた。それでもサラマルはにやりと笑い、再び地面を蹴った。
「サラマルもうやめろ、やめてくださいっす!」
カザネはかすれた声で叫んだ。サラマルはぐらりと体を揺らして、一本の短剣を両手でつかんだ。
「……ったら、血に染め、無に、無にカエセ。黒ヲ、赤色、ニ、黒ヲ、赤、赤、血」
サラマルが独り言のように呟きはじめる。
しだいに少年の体は、
霧のような黒いものに、包まれ始めた。
「なんだ、あれは」
カレブが目を見開く。
サラマルの体はみるみるうちに、黒いもやに包まれていく。
「あの姿は、まるで――」
「サラマル!」
サラマルは短剣の軌道をカザネから、ゆきなに向けた。
金縛りにでもあったように、ゆきなはその場で硬直した。
サラマルの短剣は、ゆきなの前に両腕を広げたカザネの胸を、貫いた。
その血が、ゆきなの頬に飛び散った。
「か、ざね……?」
「こいつは、まきこんじゃ、だめっすよ。罪が、あるなら、僕が、半分背負って……」
カザネは赤黒いものを吐き出して、そのまま地面に倒れた。お構いなしにサラマルは、血に濡れた刃を、倒れたカザネに向けた。
「……サラマル、だめ!」
ゆきなは叫びながらカザネの前に飛び出した。
「だめだ、ゆきな!」
カレブの声が遠く聞こえる。サラマルの刃が振り下ろされるまであと数センチ。
その時、ゆきなの胸にゆれた鈴の形の、カザネからもらったペンダントが、まばゆい光を放った。
「……っ!?」
サラマルを取り囲んでいた黒いモヤが、白い光に消し飛ぶ。
「サラマル、戻ってきて!」
ゆきなはサラマルの体を抱きしめた。
きつく抱きしめて、何度も願った――




