第34話:崩壊
「さっそくでわりーが、西の村を焼いている影の撃退任務に挑む。おれが指揮する。騎士団の一人にお前を推薦するつもりだ。やってくれるな、風音」
「仰せのままに」
それから二年の月日が過ぎた。
若き王と騎士は軍を率いて、戦に邁進した。それでも戦火はおさまらなかった。
瑳良守は足早に王城を歩いていた。明日も最前線に赴かなければならなかった。
「王よ、隣国が灰の海に沈みました。我が国も半分以上がすすに変わっています」
隣を歩く甲冑の兵士が告げた。
「それなら、残された国で同盟を結ぶ」
少年王は低い声で告げた。
「畏れながら。その国々の中には我が国と敵対する国家があるのです。その国が影におとされるのを見届けてから、他国と同盟の話をすすめた方が良いかと存じ上げます」
「そんなことを言っている暇はない。おれたちが争ってるのは影だ、人間じゃない。今こそ手をとりあうべきだろ」
「それでも、摂政殿も元老院も、その陛下のご意思には賛同なさらないと思われます」
瑳良守は立ち止まった。凄むように兵士を睨む。
「ここで人間が協力しあわねえと、影にくいつくされる。どうしてそれが分からない」
「……失礼いたしました」
兵士は頭をさげるとそそくさと走り去って行った。瑳良守は「あのクソやろーども」と毒づきながら、そこにあった柱を蹴りあげた。
「……おーじ、さらまる王子!」
渡り廊下の向こうにある中庭から、鈴の鳴るような楽しげな声が降ってきた。
木の枝の上から、ひょいと誰かが地面に降り立つ。
「……あー、風音か。てめそんなとこでなにしてんだよ?」
「護衛っすよー、護衛。だってほら、王子ってばすーぐにいなくなっちまうし! これなら二十四時間、王子を監視できちゃいますもんねー!」
風音は軽い調子で声をはりあげ、身振り手振り大きくしてサラマルの前に躍り出た。
二年前とは正反対の明るい雰囲気。見違えるほど、綺麗に刈り込まれた茶髪。軍服はラフに着崩し、耳には赤いピアスが刺さっていた。
「お前って、なんか、軽そうになったよな?」
瑳良守がぼやく。
「え、フットワーク?お尻が?」
にっと笑う風音。
「ちげーよ頭ん中だよバーカ」
そう呟いて歩き始める瑳良守。
風音はそっと安堵の息をもらし、再び笑顔を張り付かせて声をあげる。
「王子っ、ひっさしぶりに瑳良守らしい話し方してますね!ほら、最近ずっと眉間にシワ作って、おっさんみたいな喋り方してたでしょ!」
「てめー……処刑してやろうか?」
瑳良守は腰につがえた短剣を抜く素振りを見せ、途中でやめて、小さく笑った。
この頃にはもう、瑳良守が笑うことは滅多になかった。
風音は、めったに笑わなくなった瑳良守のかわりに、性格を変えたのだ。風音は久しぶりの主の笑顔に、ほっと息をつきながら、その一歩後ろを歩く。もちろん、主の周りにある全てのものに、全神経を研ぎ澄ませている。
いつなん時、主君の命を狙う者が現れるか分からないからだ。
「ねえ見て、お久しぶりに、王様と向咲様がお二人で歩いてるわよ!」
庭で洗濯を干していた侍女たちだ。瑳良守は、何か考え事に夢中になっていて気づいていない。これも最近ではよくあることになっていた。
風音はわざと、大きく腕をふりながら「よーっ、今日もかっわいーっすね!メイドさん!」と、能天気な声をはりあげた。
ここまですると、さすがに瑳良守も使用人の存在に気づく。
「……おっと、いつもありがとな、みんな!」
「きゃー!」嬉しそうに高い声をあげる侍女たち。
今日も瑳良守の面子は守れたようだ。
「風音、これから使者をだす」
瑳良守は笑顔を消して、はっきりと告げた。
「それって、同盟の?」
「ああ。同じ人間で争ってる暇はないことを、話し合う必要があるだろう。国境で会談を開く」
「まさか、王子も出席なさるんですか」
「信頼を得るためならこれくらいすべきだろう。お前もついてこい」
「……承知いたしました」
数日後、会談は開かれ、各国の協議のもと、同盟の条約がかわされた。
「良いんですか王子、元老院に黙って話を進めて」風音はうかがう様に主を見る。
「もう強行突破しかない、あいつら石頭だからな」
そう笑って、瑳良守は帰路につくため馬にまたがろうとした。その瞬間、林の向こうから小さな女の子が駆け寄ってきた。
ボロボロの服をまとった子供だった。
風音が素早く制止しようとしたが、瑳良守は片手をあげて「かまわない」と告げた。女の子は瑳良守の足元に跪くと、言った。
「私のお母さん、返して……!」
何度も何度も繰り返していた。しだいに立ち上がって、何度も何度も少年王の体にすがりつき、たたいた。
瑳良守は黙ってされるがままでいた。
風音はその光景を見ることができなかった。昔の自分と重なった。少女の気持ちは痛いくらいに分かる。
しかし今では、それがやり場のない怒りを理不尽にふるっているだけだということも理解している。それでも、どうしてやることもできなくて、歯がゆくて。
女の子のそんな気持ちを……いや、大切な者を失った民たちの怒りと悲しみを全て、一心に背負うと決めていた若い少年王を、見ていられないのも事実だった。
「ごめんな、おれがみんなを守るから」
瑳良守は取り憑かれたように戦に赴き戦った。
どれだけ酷い怪我をしても、自分のことは全て後回しにした。
数カ月後、同盟国に裏切られた。
影の救援要請を跳ね返され、多くの国土が灰と化した。
『だから言ったんです!』
元老院は酒をあおりながら文句をたれた。同盟を結ぼうが結ぶまいが、結果は変わらないのは明白だったのに。
「……おれのせいだ、すまない」
また新しい村が食い尽くされた。
『どうして守ってくれないの!? 新しい王を信じていたのに!』
母親の療養先が消し飛んだ。
「おれの、せいだっ……」
その時にはもう、瑳良守は壊れていたのかもしれない。
「王子、顔色悪いっすよ……瑳良守。一人で抱えんなよ」
見兼ねた風音が囁きかけた。
「おれはいつも通りだっての、へんな風音だなっ……ああ、お前はいつも変だったけ!」
瑳良守はにこりと、誰に対しても笑顔を浮かべ続けていた。
触れば剥がれていきそうな、もろい笑顔だった。
そして、運命の日がやってきた。
ついに影は王都に侵攻した。民を真っ先に、安全な王城に避難させる。残りの兵士と騎士をかき集め、少年王は先陣を切る。 戦いは飲まず食わずの三夜にわたった。
皆、疲弊していた。
王都は火の海にかわった。
あちこちで民の泣き叫ぶ声が響いた。
血の匂いはむせかえるようだった。
肉の切り裂かれる音がした。
民はほとんど殺された。
無我夢中で戦った。
狂気にふれた兵士が、仲間同士で斬りあった。
風音は無我夢中で人を守りながら影を切った。逃げ遅れた元老院が一人いた。彼を助けようと手を伸ばした。すがりつく元老院は「お前が代わりに死んでくれ!」風音を影の前に放り出した。
そこで、瑳良守の中にあったナニかが、ぷつりときれた。
少年王は、未だかつて誰も聞いたことがない凄まじい叫びをあげ、咳き込んで血を吐き出し、ぐらりと首をかたむけた。
その顔はにやりと奇妙にゆがめられ、その瞳には狂気の眼光がゆらいでいた。
「瑳良守!?」
風音の声も届かない。
瑳良守は、目に映るもの全てを切った。
まるで獅子……いや、狂った狼のようだった。
少年王は、火の海の中、影も人間も殺しつくした。
力尽きてひざをついた。
風音は地面に転がっていた。元老院に囮にされた時、足をくじいていた。
そんな風音の後ろに、新たな影が現れた。
否。影というよりも、白く光る人間のようだった。その手には、刃が握られていた。
風音はもうろうとする意識の中、火の海を背にした白い人が、自分に向かって刃を振り下ろすのを見た。その瞬間、瑳良守が覆いかぶさってくるのが分かった。胸には少年王の重みと、彼を貫いた刃の先を感じた。それは深く、騎士の胸をえぐっていった。
全てが真っ白に染まった。
死んだかと思った。
しかし目を開くとそこは、見たこともない変わった景色が広がっていた。
火の海も、人や鉄が焦げた匂いも消えていた。静寂が広がっていた。薄暗くて、鉄の塊がたくさん置かれた場所だった。その中央には、白衣をまとった人が立っていた。
「ようこそ、中心世界へ。貴様らはWSにより選ばれ、このセカイに救われたのだ」
隣には、血だらけで意識を失っている瑳良守がいた。風音は右手に握った銀白色の細剣を手放し、胸に揺れるペンダントを握りしめた。それはとても冷たかった――




