第2話:はじめまして、異世界生活
「……まあ、色々と不安だろうがそう身構えることは無い。俺やカザネも、もとはこのセカイの人間じゃない。こことは別のセカイから来た異世界人だからな」
と、ギーリアスが告げた。
「そ、そうなんですか?もしかしたら二人もイレギュラーなんですか?」
「いやいや、僕らはイレギュラーみたいなスゲエ人間じゃねえっす。害意って怪物に、自分たちの住んでたセカイが滅ぼされて……そいで、ここに逃げて来たんですよ」
カザネは軽い調子で説明した。
明るい声色。しかしその表情は、前髪の影で伺うことができなかった。
自らの世界を、故郷を滅ぼされた少年が今、二人も目の前に立っている。
ギーリアスを見上げる。ギーリアスの表情は氷の様に冷たかった。
二人の故郷は失われてしまったのだ。
「あの……」
謝ろうとしたゆきな。しかし言葉は喉でつっかえた。どう声をかけるべきか分からなかった。胸の中に広がる気持ちは上手く言葉に変換されずにいた。
「まずはゆきな、お前を部屋に案内する」
ギーリアスが何事も無かったかのように言った。カザネも元気よく拳を振り上げていた。だからゆきなはこれ以上、話を掘り下げることをやめた。少なくとも二人の前で話して良いことだとは思えなかったから。
屋上の扉をくぐって校舎の中に踏み込む。薄暗い階段をおりながら、ギーリアス……愛称ギルがゆきなの方を振り向いた。
「ゆきなの部屋は、お前がこちらのセカイに来ることが分かってから、学園が用意したらしい」
「学園が?」
「ゆーにゃんはこの学園の寮に住むみたいっすよ!僕たちと同じっ」
弾んだ声でカザネが付け足した。
「けど、何で私がこのセカイの学校に通わなきゃいけないんですか?」
「ここが一番安全だからだろう……まあ、数時間前に戦場となったんだがな」
戦場。
聞き間違えではなく、確かにギルはそう言った。
「それにゆーにゃんは、僕らと同い年みたいだしっ!勉強はしなくちゃいけねえんっすよ!」
「……そう言うカザネは、今日の宿題やったのか?」
突然ギルがハッとしたようにカザネを見据えた。
「え、今日は休みじゃねえんすか?」
カザネはきょとんと小首を傾げている。
「バカ。避難命令はもう解除されただろうが。午後からの授業はあるに決まっている」
「……う、うそ、まじですか」
「お前、徹夜補習決定だな」
「そんなっ! 頼むギル、宿題、見せて下さいっ!」
「またか。たまには自分の力で片付けてみろ」
「そんなっ、お願いギル、僕補習だけは勘弁なんっす~!」
両手を合わせて懇願するカザネ。なんともリアクションが大きい少年だった。
「向咲くん、ほんと元気だね……」
「カザネで良いですよ、むしろそう呼んで!」
「………え」
引き攣った笑顔を浮かべるゆきなだった。
ギルとカザネは、正反対な容姿と性格に見えながらも、とても仲が良さそうだった。ニ人の他愛なさすぎる話を聞きながら学園内を散策する。
マルス学園。
学校とは思えないほど豪華な内装だった。
教育施設というよりは、美術館と称した方がふさわしい。長い長い廊下は大理石でツルツルに磨きあげられている。天井は吸い込まれるように高く、壁には重厚な額縁が何枚も飾られている。
ギルたちは、数時間前にここで戦いが起こったと言っていた。
しかし、辺りに破損した物も見当たら無ければ、血の痕一つすら確認できなかった。やはりここは、どこからどう見ても、戦場とかけ離れた美術館でしかなかった。
「まだ誰も来てねえですね~」
呑気な声でカザネが笑った。
「まだ十時半すぎだからな。避難命令も解除されたばかりだし、誰もきておらんだろ……そう言えばサラマルはどうした?」
「一緒に体育館で仮眠とってたんすけど、知らない間にいなくなってて……」
カザネとギルの間に挟まれて歩く。顔立ちが整った二人の間にいるのは何だかいたたまれない。そう思いながらゆきなは二人と共に学園の外へ繰り出した。そして息を呑んだ。
異世界の街中は、ヨーロッパの景観と酷似していた。
建物はイタリアの街のように芸術的に統一され、歩道はお洒落なレンガ張り。黒いガス灯。街を行きかう人々の髪はカラフルで、日本じゃお目にかかれない光景だった。
「ごめんギルっ、僕これから行くとこあんの思い出したから、ゆーにゃんを寮まで連れてってくんねえっすか!?」
両手をパンと合わせるカザネ。
「かまわないが」
「ありがと! そんじゃゆーにゃん。夜また会いましょ!」
そう言い残して、カザネは大慌てでどこかへ走り去って行った。一体、いきなりどうしたというのだろう。
ギルと二人で歩くこと約十分。
思わず「貴族の館かよっ!」とツッコミを入れたくなりそうな建物の前にたどり着いた。
「ここが……?」
「そうだ、マルス学園寮。俺は少し管理人室へ寄ってくから、入口のところで待っておいてくれ」
ギルにそう言われて、ゆきなは大きな両開きの扉の前へと向かった。
どうしても建物の中が気になって、扉を押し開けてみる。ギィッとうなりながら扉が開く。目の前には広々としたエントランスが待ち構えていた。床には紅いふかふかの絨毯、二階は吹き抜けになっている。奥にあるのは螺旋階段だ。
「どこかのホテルみたい」
そう呟きながら足を踏み入れる。
静寂に包まれている。他にも生徒が暮らしているはずなのに、人の気配どころか足音一つ聞こえなかった。さっきギルは「避難命令が解除されたばかり」だと言っていた。ここの生徒たちも、まだどこかの避難場所にでもいるのだろうか。
辺りをじっくりと観察していると、空気がふわりと動いた。
何かが隣を横切ったのだ。
ゆきなはドキリとして硬直する。視線を四方へ走らせる。
「こっちだよ」
背後から楽しげな声がした。ゆきなは後ろを振り向いた。
吹き抜けの二階の手すり上に、一人の少年がしゃがみこんでいた。
思わず目を見張った。
その少年は、これまた変わった風貌をしていた。
大正時代の制服を思わす漆黒のマントを翻し、黒いツバ付き帽を目深にまで被っている。何より目を惹くのが、首と手にジャラジャラと巻き付いた鎖だった。
「え……ちょっと、手すりの上にいちゃ危ないよ!?」
思わず声を張り上げるゆきな。
「へーきさっ」
少年は愛くるしい笑顔を浮かべて立ち上がった。
大正チックな装いとは正反対の、子犬のような可愛らしい雰囲気を放っている。しかし少年の紫水晶色の瞳は、どこか妖しい光を孕んでいる。
「ね、アンタは死にたい?それとも生きたい?」
まるで値踏みされているかのような眼差しで、そう問いかけられた。
いきなりおかしな質問をされて狼狽える。しかしゆきなは、はっきりと答えた。
「生きたい、です」
「そっ? 良い返事だな」
少年はニコリと笑った。
一見あどけない笑顔だが、どこか達観したような大人びた雰囲気を漂わせている。
「オレはベルシュさ。ここの学生だけど、寮長サンでもあるよ。今日は新入生、つまりはアンタの品定め……じゃなくて、確認をしにきたんだけど――」
ベルシュと言う名の少年は、首元の鎖を揺らして小首を傾げる。
「うん。アンタは大歓迎だよっ、はい!」
と言って、何かを投げてよこした。ゆきなはそれをつかみ取った。キャンディだった。
「はーいっ、ナイスキャッチ! それはオレからのお祝いっ」
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして~」
へにゃりと笑ったベルシュが突然、ピタリと動きを止めた。
「べ、ルシュくん?」
ゆきなは不安げに声をかける。ベルシュは瞳を鋭く細め「しっ」と人差し指を口元にあてた。これまでの、のんびりとした雰囲気が一転して冷淡な眼差しに変わる。
「はぁ……こんな時にまでやんなくても良いじゃんかよな、まったく」
低い声で呟いたベルシュは、自らの首を拘束する長い鎖の端を見据えた。
鎖はじゃらりと音をたて、不自然に揺れ、独りでに浮かび上がった。
「それじゃーなっ、ゆきな!」
くるりと一回転した少年は、手すりの上から飛び降りた。
「あぶないっ!」
思わず叫んだゆきなだったが、瞬きをしたほんの一瞬で、少年の姿は消えていた。
「……あれ、どこに。っていうか、何で私の名前を知っていたんだろ」
ゆきな。
ベルシュは消える直前、確かに少女の名前を呼んだ。それに柔らかなあの声は、どこかで聞いたことがあるような気がした。
「ゆきな、こんな所にいたのか」
すぐ後ろにギルが立っていた。
「ギルくん、勝手に入っちゃってごめんなさい」
「かまわん。それにギルで良いぞ」
「うん、ギル。今、紫色のベルシュって子がいたんだけど……」
そう言いながら、もらったキャンディをギルに見せた。
「お前、ベルシュに会ったのか!?」
ギルは切羽詰まったような声を上げ、辺りを見渡し始めた。
「もういなくなっちゃった」
「そうか……ベルシュに会うなんて、お前はラッキーだぞ。あいつ、元気そうにしていたか?」
「元気そうというか……消えちゃった」
「神出鬼没だからな。もう半年以上、俺たちもゆっくり話すらできていない。本当のところ、何をさせられているのかも分からないんだ」
ギルはうつむきがちに言葉を吐き出した。陰鬱そうな横顔。そんな雰囲気を掻き消さんとするように、少年は明るい声をだした。
「ひとまず、早く部屋を見に行くぞ!」
階段まで走って行ったギルに、おいでおいでと手招きされる。なんやかんや言っていたが、案内をしてくれるギルは楽しそうだった。
「七階のフロアは俺たちの貸し切りだ。ほら、見てみろ」
「うわぁ、ひろーい!!」
最上階に向かう扉を開くと、視界が一気に開けた。
六角形の天窓からは、さんさんと柔らかい日差しが注がれている。
陽光に淡く照らされるようにフローリングが広がっていて、天窓から右にそれたスペースには、リビングルームを思わすソファーやテレビが設備されていた。
その向かい側にはダイニングキッチンがある。
「ここがお部屋なの……?」
「いや、ここは七階の談話室だ。部屋は別にある」
ギルはそう言うと、壁を指さした。四方の壁に二つずつ梯子が伸びていて、その梯子は奥まったスペースへと伸びている。その小さな踊り場の向こうには、更に扉があった。
「あの部屋がプライベートルームだ」
七階には、八つのプライベートルームが存在するらしい。壁にそって並ぶ扉、その奥に潜んでいる部屋。七階の構造は少し、アリの巣のようで面白かった。
「ゆきなの部屋は、右手の壁の手前、そこにあるハシゴをのぼった部屋だ」
「分かった。ギルも七階に住んでいるの?」
「おう。分からないことは遠慮なく聞け」
「それじゃ、この七階には他に誰が住んでいるの?」
「お前を除いたら、あと五人が住んでいるな。カザネも一緒だ」
そう説明するギルに導かれ、ゆきなは自分の部屋に向かった。
プライベートルームは談話室より小さな部屋だったが、一人で住むには広すぎるくらいだった。あらかたの家具は既にそろえられている。端にはふかふかのベッドがあって、反対側には勉強机が備えられていた。 更に、ベッドの上には黒いブレザーと、赤いプリーツスカートがきちんとたたまれてある。
「この服……」
「明日からお前も学校だからな。勉強道具も、その机の下にあるようだ」
「誰が用意してくれたの?」
「業者が三日前に用意しにきた。学校の偉い人の指示だろうな」と、説明するギルは扉の向こうからこちらの様子を伺っている。
「……入らないの?」
「だっ、だめだ! 女の部屋に、入るわけにはいかんだろ!?」
と、ギルは真っ赤になって頭をブンブンふっている。
「それにっ、俺はこれから学校だしな……もう、行かなくてはならん!」
「そうなんだ……私はどうすれば良いかな?」
「……今日のところは休んでおくと良い。ゆきなの初登校は明日だからな。ここでくつろいでおけ」
ギルはぽりぽりと頬をかきながら、笑ってみせた。
「うん、ありがとう……」
「風呂は六階にある大浴場を使うと良い。朝飯と晩飯は一階の食堂で食える。もし今小腹が空いているなら、談話室にある冷蔵庫の中を探してみろ。適当になんか食って良いぞ」
「分かった、ギル」
「他に分からないことがあれば何でも聞け……それじゃ、今日はゆっくり休むんだぞ」
ギルはそう言って唇を緩めると、パタンと扉を閉めた。
思った以上に、とても親切な少年だった。威圧的な態度とは正反対、人は見かけによらないなとしみじみ感じるゆきなであった。
ブレザーを取り上げて、ぎゅっと抱きしめる。
白く発光する人型に出会って、胸にナイフを突き立てられてから一体、どのくらいの時間がたったのだろう。
今までの出来事はまるで夢のように流れていってまだ現実味がない。ふわふわとした不思議な感覚だった。
それでも、家族に会えないことだけは確かだった。
マルス学園、貴族の邸宅のような寮。
外の景色はどこもかしこも外国のような、中心世界。
イレギュラー、世界の命運をかけた切り札。
「これからどうなっちゃうんだろ……」
ゆきなはベットに横になった。
知らない場所に独りきり。
頬に一筋の涙がつたった。そうするといつの間にか、深い深い眠りの底へと落ちて行った。
***
「ただいま、ギル!」
マルス学園寮、七階の談話室にカザネが現れた。片手をあげてキョロキョロし、ソファーの上で横たわっていたギルに問いかける。
「ゆーにゃんは?みんなで飯行きましょうよ!そういえば、レブっちは?さらたんもいないっすね、まだ帰って来てねえんすか?」
「質問は……」
ギルがクッションをつかんで
「一回にしろッ!」
「ゲフッ!」
カザネの顔面に投げつけた。現在夜の七時をまわっていた。
「ゆきなは寝室だ。カレブもサラマルもシゴトだ。今日は俺たち三人だけだ。夕飯行くならゆきなを誘ってこい」
一息で答えたギルは、思い出したように付け足す。
「というかカザネ、リュカ先生の徹夜補修はどうなったんだ」
「……んふ?」
カザネがひきつりまくった笑顔(もはや変顔)でギルを見つめた。
「さぼったのか……」
「さーて、ゆーにゃん呼びに行きましょう!ゆーにゃーんっ」
「話を流すな。そしてカザネ、ゆきなの部屋はそっちじゃない。こっちだ」
「おお、そっすか。ゆーにゃーん? あれ、鍵が空いている。しつれいしまー……」
「ば、バカッ! 勝手に女の部屋をのぞくなッ!」
「……ギル静かに。ゆーにゃん寝てるっす」
「何だと!? 寝る時は鍵をかけなきゃいかんだろっ!」
「しーずーかーにっ……ゆーにゃんの寝顔可愛いっす」
「……」
「ギルも見たいんでしょ?」
「……っ。は、はやく扉しめてやれ!」
「へいへーいっ」
カザネは後ろ手で扉を閉めた。ギルは小さく息を吐き出した後、ゆきなの部屋を見つめる。
「ゆきな、疲れたんだろうな。明日から学校だし、今日はゆっくり寝かせてやるのが良いか……そういえばカザネ、その大荷物は何なんだ?」
「ん、これっすか?」
カザネはさげていたスーパーの袋を持ち上げて笑った。
「ちょっとしたサプライズですよ。ギルも手伝って、ゆーにゃんが寝てるうちにっ」