第28話:決戦前夜
次の日の朝。
まだ夜かと間違えるほど暗く泣き出しそうな曇り空だった。ゆきなは八時に目が覚め、なんとなく制服に着替えて談話室におりた。
サラマルもギルもカザネも、身支度を整えてそこにいた。サラマルは短剣を念入りに磨き、ギルは資料のようなものを読み、カザネは地図を広げてそれを見おろしていた。
昨日までキラキラ輝いていた談話室は、曇天空に侵食されて、色を失い、灰色に染まってしまったかのようだった。
ただその中で、テーブルの上の一箇所だけが、一際鮮やかに見えた。色とりどりの花と、何通もの手紙が重ねられていたのだ。その中央には一枚の寄せ書き。
『がんばれSSJ!』
色紙に記されたその言葉で、これがマルス学園の生徒たちからの贈り物なのだと悟った。
ゆきなは色紙や手紙を前に、じっと佇んだ。みんなは今頃、地下にあるという避難シェルターに移動したはずだ。それでも、害意の侵攻を止めない限り、シェルターもけして安全とは言えないのだ。
「私、がんばるからね」
決意を言葉にした。
それからゆきなたちは簡単な昼食をすませ、学園に向かった。襲来は明日と聞いているがあらかじめ、学園都市の防衛に残った教師や生徒会員と作戦会議をたてておく必要があった。
美術館のような美しい学園は、今やどんよりと重苦しい空気が沈殿していた。
約束の場所、会議室へと向かった。
広々とした部屋は体育館くらいの広さがあり、一番向こうの壁には巨大なスクリーンがあった。ズラリと並べられた椅子には、たくさんの人々が座っていた。マルス学園以外の学校の教師もいるようだ。がやがやとした話し声は、SSJの登場によってぴたりとやんだ。
「……これで全員そろったみたいだね」
扉のそばに現れたカレブは、涼しい顔をしていた。ゆきなたちはカレブに促され、スクリーンから近い席に座った。
間もなくして、部屋中の照明がおとされ、スクリーンに映像が映しだされた。
昨日シャロンに見せられた地図である。
「……これより、明日侵攻してくる害意の、攻防会議をはじめます」
スクリーンの下には、オールバックをかためた、眼鏡と鋭利な瞳が印象的な背広の男が立っていた。
「マルス学園、異質物質対策課、琥珀風雅が進行をさせていただきます。まずはじめに、World Secure ニホン支部研究所副署長・八月一日如月様から、今回の侵攻に関する説明をしていただきます」
World Secure ……ゆきなは息を呑んだ。
数多の世界を監視するこの中心セカイにおける最高機関。世界を守るために謎の生命体と戦い、人々を守っている大きな組織。なにより、ゆきなたちをこのセカイに召喚したのがこの機関だ。
その一方、目的のためにはやり方をいとわず、人を人とも思わない非道な集団。
それも研究所ということは、ベルシュの実験に携わっていた人間に違いないだろう。
ゆきなは拳を握りしめた。
「……警戒しなくても大丈夫だよ、ゆきな。今回は他の学校の人間もいるんだ。君に手出しはできないよ」
後ろに立っていたカレブに肩をそっとつかまれる。
ゆきなは頷いて、スクリーンを見つめた。スクリーンの中央に向かってつかつかと、
ハイヒールをならしながら白衣の女が歩いてきた。
年齢の分からない美しい女性だった。黒縁のメガネをかけ、色素の薄い髪を結い上げている。翻る白衣からは、白い太ももが見えた。
「はじめましての者もいるだろう、諸君。私は八月一日如月……ほづみきさらだ。皆も知っての通り、明日は我々人類が大きな躍進をとげる一日となる」
八月一日の瞳がまっすぐ、ぎりっとゆきなを射抜いた。ゆきなは息を止める。女はにやりと、口の端をつりあげた。
「それにあたって諸君には、害意どもの予測出現区域と、数、攻撃スキルを知っておいてもらいたい」
研究員の話は続いた。
ゆきなの前の席には、マルス学園生徒会が座っていた。足をくむシャロンと、きっちりと背筋をのばす海飛、その隣の雅は爆睡していて、さらにその隣には知らない上級生一人と下級生二人が座っていた。
害意についてよく分からないゆきなにとって、研究員の話はやはりよく分からないことが多かった。その後は、各学校の教師たちの配置や、作戦についてが説明された。最後に各部隊の代表が舞台にのぼり、勝利の誓いと称した宣誓を行った。
マルス学園からは、教師陣の代表が選ばれた。
体育のまだ若い教師だった。
マルス学園の教師が集う席に目を凝らす。総勢三十人だ。中には見知った顔もあった。
会議が終わった頃には夕方が過ぎていた。今日は学園に泊まって一夜を明かし、明日の戦闘に備えるのだという。
「……ひめ、さっき伝えられた作戦、分かったか?」
席を立つやいなや、サラマルがゆきなの元へやってきた。少し疲れた顔をしていた。
「えーと、ちゃんと聞いていたんだけど、よく分からないことが多くて」
「だよな、けど仕方ねえことだから気にすんな。ひめはこのセカイに来て間もないんだからさ。理解できてねえとこは教えるから、もう一度確認しよう」
「サラマル、ありがとう……もう大丈夫なの?」
小声で尋ねかけると、サラマルは微笑を浮かべて「おう」と頷いてみせた。その笑顔はやはり、見ていて胸が痛くなるものだった。
「……説明の前に、場所をうつそう。いつものSSJの控え室に」
低いカレブの声に、ゆきなは辺りを見渡した。
他校の教師たちの視線がちらちらと注がれていたのだ。
敵に故郷を滅ぼされた異世界人と、この戦を終わらす切り札とされる「イレギュラー」の少女の姿に、どうしても無関心を装うことはできないのだろう。
「よし、明日はぜったい勝つっすよ! さあ、作戦のおさらいっす、いそげ!」
と、妙に明るい声を出したカザネに背中を押され、一同は会議室を後にする。
SSJ専用室にかけこみ、扉を閉めた。
その瞬間、ゴロゴロと低い音が鳴り響き、周囲の空気を轟かせた。
「わっ!?」
驚いたゆきなは体を傾かせ、後ろにいたギルに支えおこされる。
「大丈夫、雷だ」
窓から見える空は一層暗く曇っていた。
「……嫌な天気だな」
「さて、作戦の確認をはじめるよ――」
カレブが淡々と告げる。
「――ゆきな、そこに座って楽にして。今サラマルが茶を汲んでくるから、そのうちにはじめておこう」
「おいおい待て待てカレブ。なんでおれが茶くみ役なんだよ自分でしやがれ!」
「ゆきなのいたセカイでは理解しがたい内容を、リストアップして分かりやすくまとめたつもりなんだけど、君それ全部説明できるかい?」
と、タブレット端末のようなものを掲げて瞳を細めるカレブに、サラマルは悪態をつきながら流し台へ向かった。
「さらたん僕はコーヒーね! ミルクと砂糖多めが良いっす!」
カザネが手を挙げて注文。
「だから自分でしろって……砂糖は角砂糖で良いかー?」
ゆきなはいつものソファーに腰をかけた。今日は、じっとりと冷たい。
「……ゆきな、これを見てくれるかい?この機械は、きっとゆきなのセカイには無かったと思うんだけど」
向かい側に腰をかけたカレブが説明をはじめた。そういえば前に何度か、ゆきなのいたセカイについて尋ねられたことがあった。今思えばそれは、こういう時に備えてのためだったのだろう。
カレブがタブレットに示したのは、地面にサイクルを描くようにして置かれた、棒状の鉄のようなものだった。フラフープに似ている。
「これは、俗に言うシールドだよ。この円の中にいれば、異質物質……害意が手を出してくることはない。シールドは今頃、教師たちが設置しに行ってるはずだ。このマルス学園にも各所設置する予定だよ。あとでマップを渡すね」
「シールド、こういうのがあるなら、ちょっと安心だね」
「いや、これはあとで言おうと思っていたんだけど、シールドに入るのは極力やめた方が良い。一時しのぎのものだし、亜種であるチェイサーに有効かは分からないからね。なんらかの方法でシールドが破損されるのはよくあることだから、万が一のお守り程度に考えて欲しい」
「そう、なんだ……」
「しょんぼりするな、ゆきな。お前は俺たちがちゃんと守るからな」
ギルが任せとけと言いたげに頷いて告げた。
「……説明を再開するよ、次はこれなんだけど」
カレブの説明を受け終わった頃には、夕食の時間を迎えていた。
「ゆーにゃん、さっきの説明で理解できました?」
「うん、いちおうは」
「すげえです! 僕なんか作戦どれか抜けてそうなのにっ」
サラマルに聞かれたらまずい台詞を小さく言いながら、カザネは笑った。
「けど、実感湧かないな」ゆきなは誰にともなしに呟いた。
現在、サラマルとギルは夕食の弁当を受け取りに部屋を後にしている。カレブも、生徒会との打ち合わせに席をあけていた。
ゆきなはソファーに腰を沈めながら、斜め前の椅子に、背もたれに向かってまたがるように座るカザネを見た。
今日もあいかわらず制服を着崩し、耳にはピアスが光っている。その日によって種類を変えているようだが、今日は初めて会った日と同じ、ルビーのように赤いものだった。
そして、胸には十字架のような銀白色の剣と、短い紐で吊るされた、鈴の形のペンダントがさげられていた。これはいつもと同じものだ。
「ゆーにゃん、どうしました?」
カザネがマグカップを手にしながらぼんやりと尋ねかけてくる。
「なんでもないよ」
「なあ、ゆーにゃん――」
カザネはマグカップを机に置いた。
「――実感ないのは僕も同じなんっすよ、ただ、戦に対する実感とかじゃなくて、ゆーにゃんが来てくれてからの日常ってやつが、こんなふうになっちまったってことに対するもので」
カザネの言い回しはいまいちよく分からないものだったが、ゆきなは頷く。
「それは、私も同じだよ。はやく三日前の日常に戻らなくちゃね」
「だからって、ゆーにゃんは無理とかしなくて良いんすよ」
囁くような声だった。
「――なにかあったら真っ先に逃げて、怖いと思ったらいつだってそう言って、くれぐれも一人になっちゃだめです」
「……逃げるだなんて。もしみんなが大変な目にあっていたら、みんなを置いて行くだなんてできないよ!」
つい声を荒げた瞬間、カザネががたりと椅子を立った。その瞳は、悲しげに細められ、なにかを懇願するような色を浮かべていた。
「……それなら、その時は、僕がゆーにゃん連れて逃げるから。ゆーにゃんに、もしものことがある前に、僕が連れ出すから」
「かざ、ね?」
そのままソファーに近づいてきたカザネは腰をおり、うなだれるように額を、ゆきなの首元に押し当ててきた。茶髪から漂ってきたシャンプーの香りと、首元に広がる少年の重みにどきりとする。
「ゆーにゃんも、ぜったいに、死なせないから」
カザネが顔をあげた時、胸で剣のチョーカーだけが揺れた。
ゆきなははっとして、自分の胸元をみおろす。
そこには、鈴のペンダントが輝いていた。
「それ、大切なもんなんっす。お守りだから、ゆーにゃんが持っててください」
ゆきなはペンダントを握りしめた。それは仄かな温かみを孕んでいた。
「でも」
「いいから」と、カザネは背中を向けた。ゆきなは「預かっておくね」と囁いた。
サラマルたちが戻って来てからの夕飯後。
ゆきなはシャロンに連れられて、マルス学園の一室で仮眠をとった。
「ゆきな、大丈夫よ。何度も説明したけれど、あなたは敵の出現予想域から少し離れたフィールドで待機してもらうだけだから。それ以上のことは何もしなくて良いの」
シャロンはそう囁いて瞳を細めた。しかしその表情は、やはりカレブとは全く似ていない。悲しげで優しい微笑だった。
「何もしないでちょうだい。苦しいと思うけど、お願いだから。あなたに万が一がおこってはいけないの」
ゆきなは瞳をつむった。
夜が更けたというのに、あまり眠れなかった。




