第27話:罪滅ぼし
その夜、一同は早めに寮に戻った。
寮はとても静かだった。一足早く、他の生徒たちは地下シェルターに避難をしたのだ。誰もいない寮はガランとしていて、寒々しくて、だだっ広くあり続けた。
数時間前までの、陽だまりのような場所とは変わり果てていた。
「厨房のシェフたちが、なんか豪華な料理を用意していってくれたみたいだぞ」
談話室に、ワゴンを運んできたギルが告げた。
「へへ、最後の晩餐ってか?」
「……サラマル、好意を縁起でもないように言うな」
「それなら前祝いってことに、しとこうぜ」
いつも通り調子よく笑うサラマルだが、ソファーに腰をかけながら、時折ぼんやりと視線を空中に漂わせていた。その漆黒の瞳は、どこか遠くを眺めているようで、何も見てはいない。
ただ瞳に物を映しているだけで、サラマルの心はどこか遠くにあるようだった。とても話しかけにくい雰囲気だった。そんなサラマルを見かねたカザネが、ギルと視線を交わらせた後に口を開いた。
「さらたん、無茶は、しないでくださいっす」
カザネはうかがう様にサラマルを見つめる。
「無茶ってなんだよ」
サラマルは低い声で問いかける。
「命を投げださないでくださいってことっす」
カザネは、はっきりと答えた。
サラマルは「あ~あ」と溜息のようなものを声に出し、ぎろりとカザネを睨みつけた。その瞳は鬱屈したように曇っている。
「屠るべき敵を前に、そんなぬるいこと言ってられっかよ。これは害意を滅ぼして、皆の仇をとるチャンスなんだ……余計な手出ししたら、てめーでも許さねえからな、カザネ」
「……さらたん。なあ、ギル……お前もなんか言ってくださいよ」
「俺も、害意を全滅されることに異論はない。それができずして、俺がここにいる意味はないからな」
ギルは若草色の瞳を凄ませると、もう寝ると言って自室に向かいはじめた。
カザネは諦めたようにどかりとソファーに腰を沈め、その胸に揺れる十字架のようなチョーカーに触れた。
ここにいないカレブは、戦にそなえて害意対策本部に向かっている。
ゆきなはうつむいた。
こんなのではいけないと思った。これから命をかけた戦いがはじまるというのに、こんなに、すれ違ったままではいけないと思った。
サラマルが偽りの笑顔の間に時折見せる、辛そうな顔。それを見る苦しそうなカザネ。使命にとり憑かれでもしているかのようなギル。
みんなの過去に一体何があったのかは分からない。
害意に故郷を奪われた彼ら。だったら彼らの家族は、大切な人はどうなった?
それを思うと、息をするのも苦しくなった。
とても、残酷な運命に翻弄されたのだろう。
それでも、この時間を、過去のために蔑ろにするのは、だめだ。
ゆきなは勢い良く立ち上がった。
一同は驚いたようにゆきなを見る。
ゆきなは声をふりしぼった。
「私はみんなと出会えて、良かったよ。ここがもうひとつの帰る場所なんだって言ってくれて嬉しかった。私は本当に、ここが私の場所なんだって思ってる。だから、誰も欠けちゃだめ。みんなは、私の大切な友達だよ。ぜったい、ぜったい、生きて帰ってきて欲しい。じゃないと、私……」
「ゆーにゃん……」
「ゆきな……」
カザネもギルも、夢から覚めでもしたかのように、目を丸くして、呆然としていた。
「お前にそんなことを言われると、帰って来るしかないだろう」
かすれた声で、ギルが呟き、笑った。
「――無事、戻って来ることを約束しよう。お前にそんな顔はして欲しくないからな」
「うん、僕も帰って来る。ゆーにゃんの言う通り、僕も、みんなが死ぬのは嫌です。僕はゆーにゃんを守るし、お前らのことだって、ぜったい助ける。この出会いは悲しいもんにしちゃいけねえんっす。だから、みんなで帰って来ましょう」
カザネは皆を見渡した。
その後四人は、テーブルを囲んでグラスを持った。中にはオレンジジュースが注がれている。テーブルの上には、もうニつのグラスが置かれている。カレブとベルシュのぶんだ。
「……ここに、この談話室に、もう一度戻ってこようね」
カランと、ガラスがぶつかり合う音が響いた。
軽い夕食をとったあと、ゆきなは六階にある風呂に入った。談話室に戻ってきた頃には、みんな各自の部屋に戻った様子だった。
ゆきなは薄暗い談話室を歩いた。自分の部屋へ行こうとしたその時、視界の端で何かが動いた。
その何かに押されるようにして、ソファーの上に横たわる。
「えっ!?」
誰かが、ゆきなの上に覆いかぶさるようにしていた。
ゆきなをソファーの上に倒した人物だ。
「……ひめ」
「……さら、たん?」
サラマルは前髪の向こうからのぞく瞳を細め、苦しげに唇を引きむすんでいた。
「どうしたの?」
「わるい……ひめ、おれは、分からなくなったんだ。今までは分かってるつもりだった、だけど最近はなんだか、分からなくなったんですよ」
低く、感情を押し殺すような声。
「分からない……って?」
「自分の、なすべきことが」
サラマルは吐き出すように言葉を紡ぐ。
「――おれは、ほんとは、影に殺された一族の仇をうちたいわけじゃない。おれは罪滅ぼしを、しなくちゃいけねえんだ」
「罪滅ぼし……?」
繰り返すと、サラマルは深く頷く。
「おれはここにいちゃ、いけない。だから、敵を全部倒して、自分も死ねたら良いと思っている……害意を倒して死ぬのがおれの役目だ。なんて、カッコイイ台詞言いながら、自分の罪を償うことしか、自分のことしか考えちゃいねえ。おれは、そんな男なんですよ……その上さ。おれの中にいるもう一人のおれは、戦に出ることを、怖がってやがる」
サラマルは目を見開いて、瞳を揺らしていた。
「ひでえよな……別に自信がないわけじゃねえ、おれは戦える。それなのに、こうしてひめたちと会えなくなることを考えたら、どうしても足がすくんじまうんだ。怖いんだよ」
みんなと笑っていたあの時間が壊れてしまうのは。と、少年はかすれた声で言う。
「ひでえよほんと。おれは、幸せになっちゃ、いけねえのに……」
一息に吐き出したサラマルは、唇を噛みしめて肩を震わせていた。
サラマルに、昔なにがあったのかは、分からない。それでも、ゆきなはサラマルの背に腕をまわして、なにも言わずに抱きしめた。
その後頭部を優しく撫でて、自分の肩に少年の額を押し当てるようにする。サラマルは息をとめると、そのまま強張った体をゆきなに預けた。
「……良かった」
ゆきなはそっと囁いた。
サラマルが、生きたいと思えるほどみんなを大切に思っていて、良かった、と。
窓の外は月明かりもない暗闇空。
談話室には声にもならない叫びをあげ、血も涙もでない傷跡を濡らすサラマルと、それを優しく抱きしめるゆきながいた。
扉の隙間からその光景を見つめるカザネは、銀白色のチョーカーをぎゅっと握りしめた。
談話室からサラマルの震える声を聞いたギルは、ベッドの上で拳を握りしめ、そのまま頭上に突き上げた。
戦いが、はじまろうとしていた。




