第26話:雨
マルス学園生徒会室から、カレブが姿を現した。
普段はきちりと結ばれた藍色のネクタイは緩められ、シャツも第二ボタンまで開いている。三日前、WSからニホンの全地域にあてて、時波に害意が感知された。そして近日中に、害意が攻めてくる可能性があるということが公表されていた。
気象予報に例えて分かりやすく言うならば、注意報だ。注意報はよくあることで、ほとんどの人間が気にとめることはない。WSも、詳しい解析を進めるまでは確実なことが分からない。
カレブは嫌な気がしていた。もし、本当に害意が来るのなら、少しでも早く正確な情報を予測し、準備を整え、戦略をねらなくてはいけない。そういうわけでカレブはここ三日間、新しく生徒会に設置されたコンピューター五台をフル稼働させ、時波を探索・演算し、変わったことがないかと調べていた。
「まさか、予感があたるなんてね」
確実に害意は攻めてくる。
解析結果はすぐに、WS本部とシャロンに送った。今頃シャロンは生徒会員を連れて、ゆきなたちに結果を告げに言っていることだろう。
もうすぐ戦争がおこるのだと。
あと数時間後には、WSから世界中に、ニ日後の害意襲来に対する公表が行われることになるだろう。カレブは息を深く吐き出して、学園の校舎を出た。
空は鉛色に重たい雲をたれ下げていた。まだ昼間だというのに、夜の様に視界は暗い。
カレブが対峙する先には、一人の少年が立っていた。
黒いつば付き帽をかぶり、黒い制服の上から漆黒のマントをはためかせている。
「……久しぶりの戦いになるね、カレブ」
「今から行くのかい、ベルシュ」
「……今回の害意は、管領邸がある地域にも出現するんでしょ。そうとなれば、オレはそっちへ派遣されるから」
「きっとそこは最前線になる」
「戦が始まれば、イレギュラーは戦場に出向く義務がある。これはオレたちが中心世界で生活を保障される最低条件。ただし、最前線にはオレが行く。その代わりにゆきなを学園都市から外には出さない……秘密でWSと交わした約束、カレブも同席してたでしょ?」
「そうだけど。ゆきなたちに挨拶はしてきたの。ゆきなは、こんな別れを望まないよ、きっと」
「それでも、こんなことを教えちゃったら、ゆきなは悲しむでしょ。自分を責めるでしょ。ゆきなのことは悲しませたくない」
ベルシュは暗い瞳で、唇を固く結んだ。
「――それに、脳筋共もまた何をしでかすか分かんない。今は目前の戦いに、生き延びることに集中させてあげないと」
「……この地域も、戦火は広がりそうだからね」
カレブは静かな表情で返した。
「そーいやカレブ、隠してることない?三日前のテスト返却日、いつもと様子が違ったからさ。害意関連のこと以外で、なんかあったんでしょ」
ベルシュは「言いたくないなら良いんだけどね」と付け足した。
「……とくに、君に言いにくいことだったんだけど。どうせもう察しているんでしょ」
「うん。WSが、この学園に介入しようとしてる。大方想像はつくさ。いろんなやつが攻めてくるよね。ほんとに、ぐいぐいと」
ベルシュはどこか冷めた口調で言った。
「オレはもう君を止める気はないよ。何か言い残したことはないかい」
「勝手にフラグたてないでよ。けど……そうだな。ゆきなに、またゲームで遊ぼうって伝えといて。あと、オレの不在の理由がばれないようにして。サラマルなんて勘が良いからさ、簡単な嘘はきっと見抜いちゃうし」
「そうだね。そうなると、君が帰ってきて、記憶がとぶまで殴ってやれば良い」
カレブはゆっくりと吐き出すように、言葉を紡いだ。
「ほんっとーにカレブは照れ屋さんだな。素直に帰ってきなよって言ってくんないの?」
「君にも向咲の馬鹿がうつったのかい?」
「はいはいごめんごめん」
ベルシュは肩を竦めると、湿った風にマントを翻し、マルス学園をあとにした。
カレブは灰色と黒の世界に消えていくベルシュの姿を見つめながら、ネクタイをほどいて空を見上げた。
「雨がくる」
***
「今回の害意は、前回までのものとは比べものにならないほど、広い範囲で出没する予定よ」
シャロンはそう言って、机一面に広げた地図に赤い丸をつけた。
「――マルス学園を含む、セントラルタウンから、学園都市外のウェストルダン地区、イースティ地区の第三区域にかけて、奴らが出現する可能性がある。時刻は十七時十四分から明け方の五時二十分の間。総勢七万体以上が現れると予測されるわ」
七万。
SSJの少年たちは繰り返した。
大規模な地域が戦場となるばかりか、敵の数は予想を上回っていた。
ゆきなはぼんやりとしながら、椅子に座っている。これから戦争がはじまるだなんて、本当に現実味がなかった。まるで夢の中にでもいるかのようだった。
「……ゆーにゃん大丈夫? 席、はずします?」
尋ねかけてくるカザネは、らしくないほど真剣な顔つきをしていた。
ゆきなは首を横にふる。一同の視線が集まっていることを感じて、なんとか言葉を絞り出した。
「いつも、こんなに唐突なの? その、敵が現れるのは」
「そうだ。しかし今回は異様だ。いつもはもっと、早くに予測できるはずなんだ。それなのに、あと二日しか猶予がない」
ギルは猫のような瞳を細めてサラマルを見た。サラマルは一つ頷くと、一同を見渡して、告げた。
「害意の他に、亜種が混ざっている可能性がたけえな」
亜種。
「――まあ、レアボスみたいなものさ。おれらはそれを、チェイサーって呼んでる」
チェイサー。ベルシュとの実験に用いられていた、怪物。
「どうしてそんなのが」
「理由は分からねえ」と首をふられた。
ゆきなは呆然としながら、シャロンが説明する防衛拠点や陣営の話を聞いていた。
SSJは、マルス学園を中心に防衛し、敵を討つ役割となっている。
「警察もWSも、他地域の防衛にまわされて、学園都市に割かれる人員は少なくなるわ。今回は教師とあなたたちが、この地域の勝敗をきする要となる」
「そりゃ願ってもねえチャンスだな」
サラマルは静かに言うと、窓の外を見上げた。不気味なほどに暗い雲が、空を覆い尽くしている。
「ここで重要なんが、雪原ゆきな。そこにいるガキのことだ」
雅にあごで指し示され、ゆきなはびくりとした。
「――こいつは、まだ能力が目覚めていない役立たずだとしても、いちおうはイレギュラーだ。とりあえず名目上は、戦に参加しなくちゃなんねえことになってる」
「何故ゆきなを。力が使えないゆきなは普通の女子なんだ。無理に戦場へ連れていかなくても!」
「それが、イレギュラーがこのセカイに存在できる理由なんだよ。ランデルトくん」
海飛が悲しげに告げる。
「――きみの気持ちは分かるけどね、雪原さんの立場を考えた場合、これだけは譲れないことなんだ。なにも最前線に行く必要はない。学園都市の安全圏にいてさえくれれば良いんだ」
「しかし……」
「私は大丈夫だよ、ギル。私もみんなと一緒にいたいから」
ゆきなははっきりと告げると、雅を見据えながら付け足した。
「――確かに私は役立たずですが、みんなが怪我をしたら手当をするし、できることはなんでもします。琥珀先輩」
雅はチッと舌打ちすると、瞳を閉じた。
確かに戦争がどういうものかは分からない。
それでも、仲間が傷つく辛さは知っている。
だからゆきなは、この先何が待ち受けているとしても、みんなを支えたいと思っていた。
すると再び部屋の扉が開いた。そこにはカレブが立っていた。
「WSから正式な発表がされた。やはり、二日後奴らはせめてくる。亜種を連れてね」
「明日の昼から、一般人の避難がはじまるわ。私たちは学園で先生たちとミーティングよ」
シャロンが告げると、一同は頷いた。
「そういえばベルシュを見かけないが、あいつはどこに行ったんだ?」
ギルが辺りを見渡した。
ゆきなたちは朝からベルシュの姿を見ていなかった。
「ベルシュは別行動だよ。他の先生たちと一緒に、他地区へ配属されるからね」
カレブが淡々とした調子で告げた。
「他地区……?」
不審そうに顔を曇らせるギルたち。
「まあ、あいつなら大丈夫だろうよ」
サラマルが言い放った。
「――あいつが決意して進む未来なら、もう止める必要はねえだろ」
「さらたん、それって……」
カレブもサラマルも、何かを知っている……何かに気づいているような雰囲気だった。ゆきなは不安になった。これから一体どうなってしまうのだろうと。




