第25話:迫りくる影
マルス学園、理事長室にて。
理事長のもとには、一通の手紙が届けられていた。
『エルビック・シアン・レーガルト殿
三日後の五月十七日に、貴校へ視察に参ることを通達する。
シュワルツ・ドルツ』
蜂蜜にでもつけられたようなオレンジ色の便箋に、そう記されていた。
「またそのような通達書が届いたのですか」
背広を着こなした男が溜息を漏らした。その赤色に近い茶髪は、今日もオールバックに固められ、彼の鋭利さを称さんとする細長い眼鏡の向こうには、夕日のような色の瞳が細められている。
その視線の先には、高さ二メートルはあろう巨大な窓に向かって背を向ける、小さな背中があった。
「今回で五通目じゃのう。World Secure から文が届くのは」
小さな体から、しゃがれた声がした。
背広の男は怪訝そうに、その小さな老人を見据えた。
「厳密に言いますと、シュワルツ・ドルツは文部省の人間です。裏でWorld Secure幹部との繋がりがあることに、確固たる証拠がある男。つまりWSは、国家の手を借りて我々マルス学園に介入しようとしている。そして、保護したイレギュラーの情報を引き出し、彼らを手元におく機会を探ろうとしているのですよ」
「そうじゃのう。国に門を開けよと命じられれば、そうせざるをえん。それがどんな理由であっても」
小さな老人は、ゆっくりと背広の男を振り返った。妙にふさふさとしているブロンドの髪の向こうから、つぶらな黒い瞳がきらりとした。
「――しかしのう、琥珀君。まだその時ではないんじゃよ。我が子供たちにはもう誰一人として、無用な苦しみを味あわせるわけにはいかんのじゃ」
琥珀という名の背広の男は、背筋を伸ばして告げた。
「それでは今回も、お断りの返事を送ればよろしいのですね」
老人はにこりと笑って頷いた。
「学園都市全域の警備を強化しておくれ。ねずみさん一匹通してはいかんぞ。それと念のために、シャロンちゃんのお母様にも話を伝えておいておくれ。ウェルザーブさん家の力が必要になるやもしれん」
「母君だけではなく、シャロン・ウェルザーブ率いる生徒会と、SSJにも報告をしておきましょう」
「SSJの子らには内緒にしてやって欲しいのう。あの子らは、ただでさえ度重なる戦いで疲弊しておるのに、可哀想じゃろう」
「外部だけではなく内部の啓発も高めなければ意味がないということは、あなたが一番知っているでしょう」
「それでも、まだ知らなくて良い話じゃ。ベルシュくんのこともあるじゃろ、まだ傷は癒えとらんじゃろうに。今度こそ、大人が守ってやらんと」
「無用な心配はかけたくないと、貴方は本当につめが甘いですね」
重厚そうな両開きの扉の向こうから、聞こえてきた会話。
理事長室を前に、通路でたたずむカレブ・ウェルザーブは、扉をノックしようとした手をとめた。
***
「あーっ!もうだめだ、僕は……あああ!」
カザネがサラマルの肩をゆっさゆっさ揺らしながら泣いていた。
学力試験の結果が返ってきたのである。
言うまでもないが、カザネは徹夜補習が決定した。
「ああもうやめろっ!結果は目に見えていたろ、現実を受け入れろっ!」
サラマルはカザネを弾くようにとばして窓枠に腰をかけた。サラマルは(国語70点、数学100点、化学85点、生物80点、英語75点、歴史70点)である。
全て100点満点換算。クラス平均の補足をするなら(国語55点、数学60点、化学50点、生物65点、英語72点、歴史68点)である。
「カザネ……今回は、やまをはって勉強しなかったお前が悪い」
とギル(国語50点、数学65点、化学45点、生物75点、英語78点、歴史77点)が辛辣に告げた。
「カザネ。徹夜補習応援してるからね!」
と、応援してみるゆきなは(国語80点、数学67点、化学62点、生物73点、英語92点、歴史80点)である。
平均点を上回れたなんて大健闘だ。
「そうそう、それ以上言ってやるなよ」
と、ベルシュ(国語75点、数学80点、化学87点、生物83点、英語80点、歴史45点)はニヤニヤ笑っていた。
「――だってさ、カザネってばすげーじゃん! 赤が四つもあるんだからさ!」
ベルシュの手には、カザネの答案がひらひらと握られている。
「あーやめてべるっちょ! 赤恥さらさないで!」
叫ぶカザネ(国語40点、数学18点、化学20点、生物50点、英語23点、歴史35点)一同はもう笑ってやるしかなかった。
そんな放課後の教室の扉が開いた。カレブが教室に戻ってきたのだ。
「カレブなにしてたんだよ」と、サラマル。
「用事だよ」
カレブは素っ気なく告げると視線を黒板にそらせた。
「よし、それじゃあカレブ。数学の点数教えろ!」
サラマル(数学満点)が答案を突き出して言い放った。
「はい? どうしてそんなこと君に教えなくちゃいけないの」
カレブは自分の席に戻りながら帰り支度をはじめる。
「……おいまさかカレブ、言えないってことはお前、お前にしては珍しい点数でもとったのか!?」
と、ギルが声をあげる。
「え、れぶっちも赤点!?」
「それはないでしょ」全員に突っ込まれるカザネ。
「……カレブくん?」
ゆきなは、もしやと思ってじっとカレブを見た。
カレブは小さく溜息をはいて、自分の机の上に六枚の紙を広げておいた。
一同は言葉を失った。全答案100点。
「これで良いかい?」
全問正解正真正銘、絶対無敵のハイスペックヴァンパイアは、帰り支度を再開した。
「分かってたことだけどさー、こうして見せつけられると面白くねえ」
サラマルは唇を尖らせてカレブの化学の答案をにらんでいた。
「ちょっと待って、それじゃ補習は僕だけっすか!?」
と、カザネが三角座りになった。
「……そこのバカは一体いくつ赤点をとったの」
面倒くさそうにカレブが尋ねる。
ゆきなも少年たちも、こればっかりは何も言えずにカザネをみおろした。
「……四つです」
カザネが素直に答えた。
「……なるほど。ベルシュ、今こいつに一番きく嫌がらせってなんだと思う?」
「カザネの名前のあとに、全教科の点数を入れること。もちろん地の文にもな」
「それ採用ね」
「ちょっと待ってお前ら、一体何を」
と、カザネ(国語40点、数学18点、化学20点、生物50点、英語23点、歴史35点)が顔をあげた。
「――え、それどういう意味なんすか!?」
「それより補習はいつやるんだ?」と、ギル。
「来週からスタートだとよー」サラマルが答える。
こうして、カザネ(国語40点、数学18点、化学20点、生物50点、英語23点、歴史35点)の徹夜補習は決定してしまったのだった。
ちらりとカレブを見る。
カレブは鞄をつかんだままじっと、ゆきなたちを見つめていた。一体何を考えているのかは分からないが、なんとなく、楽しい話ではないということだけは分かった。
「カレブくん、どうしたの?」
「なんでも、ないよ。それより、ゆきな。今回のテストはよくがんばったね」
麗しい微笑にゆきなは照れくさくて笑う。
「それでも、数学とかあんまりよくなかったんだ。せっかくカレブくんやさらたんに教えてもらったのに」
「ううん。この際点数なんてどうでも良いよ、ゆきなはよくがんばっていたんだからね」
「そーだぜ! なんせ難しいここのテスト、全部平均点以上とったんだもんな!さっすがひめだぜっ!」
「いや、そこまで言われるほどのことでも……!」
ギルとベルシュを見ると、ニ人も「よくがんばったよ」と笑った。ゆきなは嬉しくて、みんなにお礼を言った。
こうして日々は穏やかに流れていった。
とくに変わったことはなく、続く平穏な学園生活。
カザネはしばらく元気がなかったが、次の日からはいつも通りに復活したし、サラマルとギルは相変わらず喧嘩をしながら楽しそうで、ベルシュは神出鬼没の自由人だった。
しかしカレブは生徒会の仕事が忙しいとかで、ここ数日寮に戻ってくることがなかった。
テスト結果が公開されてから三日後。
ゆきなたちは、久しぶりに何もない放課後を、学園のSSJ専用室でまったり過ごしていた。ギターを手に何かを演奏しているカザネ。ギルはソファーで居眠りしていて、サラマルとゆきなは二人でオセロをしていた。
すると、部屋の扉がノックもなしに勢いよく開け放たれた。
シャロンが立っていた。その後ろには、生徒会メンバーのニ人を従えている。
一人は、燃えるような赤髪を肩まで伸ばし、炎を反射したような赤い瞳をした少年だ。マルス学園の黒い制服を緩く着崩し、カザネ以上にじゃらじゃらと装飾品を身につけている。ガラの悪そうなヤンキーだ。
対してその隣にいるのは、ヤンキーとは正反対の優等生といった雰囲気の少年だ。ベルシュをWSの研究施設から助け出す時に、車を回してくれた先輩である。細身ですらりとしているあたりはカレブと似ているが、日だまりのような明るい髪に色素の薄い優しげな瞳は、カレブのように影を孕んでいない。好青年にも見えた。
「……お久しぶりです」ゆきなはぺこりと頭を下げる。
赤髪の方と目があうと「……に見てんだよああんッ」と言いたげに顔をしかめられた。
ゆきなはビクリとする一方で、どこか見覚えのある顔つきに首をひねらす。
「……ゆきなは、雅と話すのは初めてだったかしらね。紹介するわね。こっちの不良っぽいのが琥珀雅。二年の学年主任、琥珀風雅先生の弟よ」
琥珀先生。
ゆきなの脳裏には、背広を着て眼鏡をかけた、頭の良さそうなオールバックの教師が浮かんでいた。雅はそれの弟であるらしい。百八十度タイプが違っていた。
「おい雅。ここはSSJだ。生徒会室は向こうだぜ、そんなことまで忘れたのか?」
せせら笑いながらサラマルは雅を見上げる。雅は勇ましい眉をよせ、どすんと床を踏みならした。
「んだとチビぃ……やんのかゴラァ」
地響きのような声である。
「うっせーぞ、エセヤンキー」
「こんなチビがエースだとかSSJもこの先心配だなァ」
「ンだとコラ、表出ろ」
額をこすりあわせていがみあう二人は、なんだか尋常じゃない雰囲気を醸していた。
「……大丈夫よ、ゆきな。縄張り争いする猫の挨拶とでも思ってちょうだい。雅の馬鹿は放っといて、こっちのヘラヘラしているのが、矢崎海飛」
「久しぶりだね、雪原さん」
海飛がにこりとして、胸に輝く金色のバッチを差した。シャロンと雅の胸にも輝くそれは、生徒会の一員であることを示している。
「あの時はありがとうございます、矢崎先輩」ゆきなは頭をさげた。
「礼には及ばないよ。また何かあったら、いつでも僕たちを頼ってね」
今いるメンバーの中では、一番常識人に見える。
「かいちょーに、みやびんにかいさん。今日はそろいもそろってどうしたっすか?」
サラマルと雅の間をさきながら、カザネが声をあげる。シャロンは、普段からは想像もつかないほど暗い顔をしていた。
「今日は重要な知らせがあってきたの」
そこで言葉をきると、はっきりとした口調で告げた。
「――二日後の土曜日。害意が、このセカイに攻めてくるわ」




