第1話:中心世界
――だ……じょうぶさ、お前は……んでなんか無い
やっと、やっと……ができるな
さあ目を開けて……――
声が聞こえた。遠くから聞こえる優しげな声に、少女は重たい瞼をこじ開けた。
青空が広がっていた。雲一つ無い快晴。
「あれ、たしか私……」
先ほどの光景が脳裏に蘇る。
白く光る人型と、胸に突き立てられたナイフ。
「……っ!」
少女は自分の胸を見下ろした。が、ナイフも無ければ傷一つ無い。
「あれは、夢? もしくはここって……死後の世界?」
血の気が引いていくのを感じながら辺りを見渡した。ここはどこかの建物の、屋上のようだった。
「死後の世界?……そんなわけないだろうが。はやくどけ」
少女は自分の下から、不機嫌そうな声を聞いた。
不審に思って視線をおろすと……仰向けに倒れる自分の下に、うつ伏せで倒れる見知らぬ少年がいた。
「……っ!? ごめんなさい!」
慌てて降りる。
「……別にかまわない。怪我はないか?」
少年は立ち上がりながら「一応聞いておくが」と言った感じで尋ねてきた。
少女は息を呑んで少年を見上げた。
彼はとても精悍な顔つきをしていた。髪は気性の荒さでも反映しているかのような癖っ毛で、威圧的な雰囲気が倍増していた。何よりも特徴的なのが、その猫のような瞳。若草色でまるで宝石のように綺麗だった。身にまとっているのは黒いブレザー。藍色のネクタイをしている。どこかの学校の制服だろうが、見覚えがない。
「怪我は……無いみたい、ですけど」
少女は自分の胸に手をやりながらぎこちなく答える。
「そうか、それは何よりだ」
少年は素っ気なく答える。
「――どんな経緯があったのかは知らんが、今みたいに空から降ってくるのはやめた方が良い」
「空から、何が降ってきたんですか?」
「お前だよ」と、人差し指を差される。
「たった今降ってきただろ? 空から」
少女は半信半疑で空を見上げた。
自分が空から降ってきた?
そんなこと、ありえるわけがない。飛行石なんて持ってないぞと、少年を見上げてドキリとする。猫のような瞳は鋭く、威圧的に少女を睨みつけていた。かなり怪しまれているようだ。
「お前はどこの学校の人間だ? その制服、マルス学園の生徒じゃないだろ。戦でまぎれこんでしまったのか? いずれにせよ、今なら見逃してやる。さっさとここから去れ」
少年はフイと顔を背けると、どこかに向かって歩き出した。
少女は困惑状態で少年の背中を見つめる。何が何だか皆目不明。ここはどうやら天国じゃないみたいだが、それならばさっきの光る不審者とナイフは何だったんだ。夢だと言うなら此処はどこだ。自分が空から降ってきたとは、どういう意味なのだ。少女の脳はパニック状態にショート寸前。頭を抱えるようにしてしゃがみこむ。
「……お、おい、大丈夫か?」
少年が足早に戻ってきた。
口調は冷たいが、その眼差しはどこか気遣わしげだった。
「ここは一体、なんなんですか?」
少女はすがりつくように顔をあげる。
すると、少年の向こう側から聞き覚えのない高い声がした。
「……ここは中心世界よ」
二人は声のした方角を見上げる。
屋上には、長い髪を風になびかせて仁王立つ、一人の少女の姿があった。
絶世の美女だった。
彼女も少年と同様、黒いブレザーを身にまとっている。何より印象強かったのが、少女の口元から覗いた牙だった。
「……そんな所で何をしている、シャロン」
少年が屋上にいる少女に問いかけた。どうやら二人は顔見知りらしい。
「あら、ギーリアス・ランデルト。 あなたがその子を保護してくれたのね、よくやったわ!」
シャロンと呼ばれた少女は、気の強そうな瞳をこちらに向けて続ける。
「私はシャロン・ウェルザーブ。このマルス学園の生徒会長よ。血統はヴァンパイア、純血よ……と、これはどうでも良い情報だわね」
シャロンはひょいと屋根から飛び降りると、風をきって近づいてきた。
「さて、あなたの名前は何かしら?」
「えと、私の名前は雪原ゆきなです」
勢いに流され少女は名乗った。
「まあ、可愛らしい名前ねっ!」
「おいシャロン落ち着け、勢いがスゴイぞ」
少年が呆れたように言う。
「あら、あなたも自分の口から自己紹介なさいよ」
シャロンに促された少年は、仕方なくといった感じでこちらを向いた。
「俺はギーリアス・ランデルト。マルス学園二年、SSJの一人だ。よろしくな」
ギーリアスがゆきなに向き直って自己紹介をした。あまりにも真っ直ぐな視線だったために、ゆきなは少し動揺する。
「は、はじめまして。マルス学園……というのは、学校の名前なんですか?」
今まで生きてきた中で一度も聞いたことが無い学校名だった。
「ああそうだ。中高一貫の、私立の学校だ」
頷いたギーリアス。この建物は、マルス学園という学校の屋上らしい。ゆきなは思い切って二つ目の質問をする。
「それじゃ、変なことをお聞きしますが……ここは、日本ですよね?」
ギーリアスとシャロンは一瞬、目を丸くした。
しかし驚きたいのはゆきなの方であった。目の前にいる二人は日本人離れしすぎた容姿をしていたからだ。不思議な瞳の色に、彫りの深い顔。名前だって横文字だ。その上シャロンの方は自称ヴァンパイア。ここが本当に日本なのか分からなくなって当然だと強く訴えたかった。
「ああ……ごめんなさいね、何が何やら分からないわよね」
シャロンは申し訳なさそうにして咳払いした。
「詳しい事情は後で説明するけれど、あなたには今、これだけは理解しておいて欲しいの……」
「は、はい」
シャロンの真剣な瞳に気圧されて頷くゆきな。
「この世界はね、あなたの生まれそだったセカイじゃないの。ようするにここは……異世界なのよ」
異世界。
ここは、ゆきなが今立っているこの世界は、ゆきなが生まれた世界とは異なるセカイ。異世界なのだと告げられた。
「あなたが召喚されたこのセカイはね、そんじょそこらの異世界とは訳が違うのよ」
シャロン曰く、この世には何億もの異なるセカイが存在している。
一本の大樹を想像して欲しい。あらゆる方向にあらゆる角度で伸びる枝。その一本一本にセカイが存在しているのだとイメージして欲しい。それらの中心に位置する根幹、幹の部分にあたるのがこのセカイ。ゆきなが今いるこのセカイなのだという。
だからここは「中心世界」と呼ばれているらしい。
「この中心世界には、この世に存在する全てのセカイ……つまりは異世界たちを、管理・監視する技術があり、義務があるの。そしてその役割を担っているのが、この中心世界に点在してある『World Secure』と呼ばれる機関よ」
「な、なるほど……とりあえず、ここが異世界だと言うことは納得したとして」
信じられない突拍子も無い話だったが、ゆきなには何よりも先に確認しなければならないことがあった。
「どうして私、こんな所に来ちゃったんでしょうか……どうやったら、家に帰れるんですか?」
「それは……」
シャロンは顔を曇らせた。
「おいシャロン!ゆきなが異世界から来た人間だと言うことは……!」
静かに成り行きを観察していたギーリアスが、我慢しきれんと言いたげに声をあげた。その若草色の瞳は揺れている。
「ええ、そうよ。あなたが察した通りよランデルト。ゆきなは『イレギュラー』よ」
イレギュラーとは、なんだ? ゆきなは首を傾げる。
「World Secureに見初められ、この世界に連れてこられた救世主であり、切り札よ」
「……イレギュラー。お前が」
ギーリアスが熱い眼差しを向けてくる。ゆきなは狼狽えながら視線をそらせる。
「あの……イレギュラーって、なんですか?」
やはり理解できなくて、ゆきなはおずおずと尋ねた。シャロンはもう一度こちらに向き直った。
「すぐには解らないでしょうね。細かいことは追ってじっくり説明するつもりだから、今日は簡単に説明するわね――」
ゆきなは「世界の管理機関・World Secure(略称・WS)」に選ばれ、この中心世界に強制的に召喚された。ゆきながこのセカイにやってくる前の、最後に見た不審な人間……白く発光し、ナイフを振るったあの人型は、WSが開発したプログラム。
「次元転送装置」であった。
つまりは異世界にいる人間を、このセカイに召喚するためのシステムであるらしい。
ゆきなの胸にナイフを突き立ててきたのは、次元移動において必要な手順であるそうだ。刺された胸に傷が残っていないことは、次元移動が完全に成功したという証らしい。もし失敗していたならどうなっていたのかは……考えないでおくことにした。
それでは何故、ゆきながこの中心のセカイに招かれたのか。
「……私がこのセカイに召喚された理由は、私がその、『害意』って怪物に対抗しうる力があるからなんですね?」
「ええ、その通りよ」
シャロンは嬉しそうに声を上げる。
「――あなたはイレギュラー。セカイを食い尽くそうとする、害意への切り札なの」
害意……。
影、世界を壊す者など、その呼び名は幾多も知れない。
正体不明の異質な物質であるという。
定期的に中心セカイに干渉して来ては、WSやシャロンたちと剣を交えているらしい。
「奴らの目的は全異世界に破滅をもたらすこと。いずれこのセカイは奴らに殲滅され、そしてゆきな、あなたのいたセカイも奴らに滅ぼされてしまうでしょう。それを防ぐためにあなたが召喚されたの」
「私が、そのバケモノたちから、全異世界を守るってことですか?」
「そうよ、分かりやすく言えばあなたは、守り神ってところかしらね!」
シャロンがにっこりと笑った。
「……だけど私、そんな、セカイを守る力なんて何も持っていません。何もできないんです。イレギュラーなんて呼ばれるような、そんなスゴイ人じゃないんです」
「それはあなたが決めることじゃないわ」
シャロンの鋭い瞳がゆきなを射抜く。
「――確かに今のあなたは何もできないただの人。だって力が覚醒していないのだもの。けれど、あなたの中に眠るチカラが目覚めれば、とんでもない奇跡を起こせるはずよ」
静かなシャロンの声には確信を孕んでいる。嘘なんかじゃない、これは本当の話なんと信じざるを得ない程の威厳と説得力があった。
「なら、私は何をすれば良いんですか……いつ家に帰れるんですか……?」
ゆきなは押し殺した声で問いかけた。
シャロンの話が本当なのだとしたら、自分は果たして、家に帰れるのだろうか、と。
「今はまだ、何もしなくて良いわ。このセカイでの暮らしに慣れなさい」
シャロンは言い辛そうに続ける。
「――当分家には帰れないの。大丈夫、あなたが元いたセカイに帰る時は、あなたの消えた時間に戻れるように調整出来るから、家族にも心配かけないし」
シャロンの声が、どこか遠くから聞こえるようだった。今までの話、全てを信じた訳じゃない、というか信じられる訳が無い。しかし、信じざるを得ないこともある。ゆきなは訳が分からなくて怖かった。家に帰りたい。家族の顔を見たい。視界が左右に揺れた。夢みたいだった。黙ってうつむくしかなかった。
「……シャロン、今日の所はもういいだろ」
気遣わしげなギーリアスの声がした。
「……そうね。とりあえず私は校長に話をつけてくるわ。WSのクソジジイ共にゆきなを取られないように、学園都市全域に警備網を張らせなくっちゃ!」
「おう、任せたぞ」
「ランデルトは先日打ち合わせた通り、ゆきなを部屋に連れて行ってあげて」
「了解……て、俺が!?」
「当たり前じゃない。先生も生徒会員も、数時間前の戦いで疲労困憊なのよ?」
「それは俺も同じなんだが」
「つべこべ言わずやりなさい」
「理不尽だぞ」
ガタンッ!!
ギーリアスが声を荒げた瞬間、屋上の扉が思いきり開け放たれた。
「はあーよく寝たっ、大復活~……おっ、生徒会長、こんにちは!」
能天気な声で屋上に踊り出て来たのは……少年だった。
その身なりから、彼もここの生徒なのだと判断できる。黒い制服。ただし派手に着崩していた。シャツ全開で、その向こうからは赤いTシャツが見えている。ズボンも腰パンでベルトゆるゆる。髪は明るい茶色だった。
首からは鈴の形をしたペンダントと、十字架のようなチョーカーが流れている。耳にはルビーのピアス。どこからどう見てもチャラそうだった。
「あっれー?そこにいるのは、ギルじゃないっすか! 生きてたんすね!? 良かった良かった! さっきの戦いで死んでないか、すっげー心配してたんっすよ!」
少年はギーリアスを見るやいなや人懐っこい笑顔を浮かべた。
「カザネ。戦明けだというのにお前は何故、朝からそんなに煩いんだ。ついて行けんぞ」
カザネと呼ばれた少年と、ギーリアスのテンションには天と地ほどの差があるように思えた。
「へへっ、僕今まで寝てたから。って……あれ、その可愛い子だれっすか!? 見かけない顔じゃないですか!」
ゆきなはカザネにロックオンされた。後ずさると、カザネは瞳をキラキラとさせながらにじり寄ってくる。レモン色の瞳……容姿はチャラいが、人の良さそうな顔つきをしている。
「この子は例の……イレギュラーよ」
シャロンがカザネの首根っこをつかみながら一言説明した。
「え、まじでっ!? まじでそれ言ってんですか!? 今回のイレギュラーは女の子かよっ!? しかもこんなに可愛い子っ!」
テンションが異常に高いカザネであった。
「……えーと」
ゆきな絶句。
両手でガッツポーズをとっていたカザネは、はにかんでゆきなに向かい合った。
「ごめん、自己紹介が遅れましたね! 僕の名前は向咲風音っ! これでもSSJやってまーっす!」
ピースサインでウインク。外国人俳優のような容姿に反して、この少年に至っては日本人に親しみやすい名前だった。
「え、と……雪原ゆきなです」
「ゆきなって名前なんすね、ふむふむ……んじゃあ、ゆーにゃんなっ!」
「へ?」
「ゆーにゃん、あだ名ですよっ。可愛いでしょ~?」
ニコリとするカザネ。
「おいカザネ。初対面の女子にあだ名つけるな」ギーリアスが溜め息まじりに言う。
「え、良いじゃないですかギル、ゆーにゃんも喜んでるしっ」
「いや……喜んでないです」
「え、いやなのっ!?」
前のめりになるカザネ。
「嫌では、ないですけど」
反応に困るのだ。
「……向咲、少し黙りなさい。ゆきなが困っているでしょう? 口、縫いつけるわよ」
シャロンがピシャリと言い放つと、カザネはピクっとしてお口ミッフィーちゃん。
「ランデルトと向咲は、ゆきなに今後の生活について色々教えてあげなさい」
「そうっすね!ゆーにゃん、これからマルス学園に通うんでしょ?」
「その通りよ。これからの生活に備えて、色々用意してあげないと……」
「……ちょ、ちょっと待ってください!」
シャロンとカザネの間に割って入るゆきな。
「――今、なんて言ったんですか?」
「あなたはこれから、このマルス学園に通うのよ」
これから、この学校に通うだって? 目が点になるゆきな。
シャロンはひらひらと手を振って校舎の中に消えていった。
呆然とするゆきなはギーリアスとカザネの前に取り残されてしまった。
いよいよ学園生活スタートです。次からはラブコメ要素多めとなります。続きは明日更新します。