第15話:禁忌の領域
「危ねえひめっ!」
何が起こったか思考が追いつかない。まず初めに動いたのはサラマルだった。何かの異変を察知したサラマルは、後方へ俊敏に退き、ゆきなを抱えて横へ飛び退いた。
ゆきなは見た。たった今自分が立っていた場所に、深々と「斧」が突き刺さっているのを。
「……誰だ」
ギルが細長い棒をかまえて前方を睨みつける。棒を包んでいた黒い布が、はらりと外れた。布の向こうから現れたのは、日本刀のようなものだった。
『アッハハハ~!やめてよっ、そんな物騒なもん向けんの』
『じゃないとオレたち、興奮しちゃうじゃなーいっ?』
前方に姿を現した二人が言った。
黒いフードつきコートを纏っている、顔はフードの影になっていて分からない。同じ背格好で見分けもつかない。斧を投げてきたのは、このどちらかだろう。
サラマルが短剣を引き抜くと、カザネが自らの首に垂らした銀白色のチョーカーを握った。
『んーっ、殺る気まんまんなのぉ? そんなに興奮されちゃうと~』
『まっすますあんたらを赤色に染めたくなっちゃうよぉ~!』
感情のたかが外れてしまったかのような高い声。性別の判断もつかない。
「……お前らは何者だ。そしてベルシュはどこだ」
ギルが低い声で問いかける。
『ボクたちは、オモチャ遊びがだぁーいすきな子供だよぉ』
『そしてイレギュラーくんはぁ、あーそーこーっ』
そう言いながら退く二人の後ろから……巨大な黒い影が現れた。地響きを鳴らしながらゆきなたちに近づいてくるそれは――
「チェイサー!?」
三メートルはあろう巨体をひきずる怪物だった。しかもその胸部には……上半身だけを晒した姿で、紫水晶色の少年が埋め込まれていた。ベルシュは気を失っている様子で、ぐったりとうなだれている。
「これ、どういう事だよ」
震える声で、サラマルが問いかける。
『この、イレギュラーくん入りチェイサーを、害意たちに喰わせるんだよ』
『そうすれば、この長い戦いも終わるかもしれなぁい』
『五パーセントの確率でだけどね』
二人は代わる代わる説明した。
「人間を食わせるだって?てめえら、どうしてこんな馬鹿な真似を!?」
『やーだなぁ、オレたち悪くないよー』
『決めたのはトップたちだもーん。オレらはトップの命令に従ってるだけー』
『あんたらだって、いい加減にこの戦い終わらせたいんでしょー?』
「だからって、こんなやり方、間違ってる!」
ゆきなも声を荒らげた。
『あれれー? あんたは二人目のイレギュラー?』
『まだ力も覚醒していない、非力な非力なイレギュラー?』
フードが同時にゆきなを指差し嘲るように笑った。
力が覚醒していない。それは、ゆきなのイレギュラーとしての能力がまだ目覚めていないということだろう。
ゆきなは唇を噛みしめた。自分の力がもし、目覚めさせることができたなら。ベルシュを助けられると言うことなのだろうか。自分の力がちゃんと目覚めていたら、ベルシュが死ぬことは無いのだろうか。
「ゆーにゃん、あいつらの言葉は聞かなくて良い」カザネはフードを睨みつけている。
「カザネ」
『さーて。あんたらイレギュラーくん助けに来たんでしょ?』
『そんなあんたらに朗報やるよー……トップからの伝言だけどぉ』
『このチェイサーを倒したら、イレギュラーくんをお咎め無しで解放してやるってさー』
「それは……本当か?」
ギルが唸るように尋ねる。
『嘘は言わないよー。たーだしー』
『タイムリミットは明後日……じゃなくて明日かぁ。もう日付変わったもんね』
『明日になったら、イレギュラーくんは完全にチェイサーくんに呑み込まれる』
『イレギュラーくんを取り返したいなら早くしなきゃねぇ。それに』
『チェイサーくんは害意よりも手強いよぉ。その上』
『この個体にはイレギュラーくんを埋め込んでいる』
『この意味、馬鹿なあんたらでも分かるよねぇ?』
『要するにこのチェイサーくんは、切るだけじゃ倒せないんだよー』
『あははっ、ま、せいぜい頑張りなよー?』
『あんたらのことは、オレらが殺してやりたいしー』
二人はそれだけ言い残すと、じゃーねっと言って踵を返した。
「ゆきなは下がっていろ」
ギルがゆきなを背後に追いやる。
「すぐに蹴り、つけますよ」
カザネはそれだけ言うと、掴んでいたクロスのチョーカーを右手で引っ張った。チョーカーは、青白い電気を飛ばしながら一本の、銀白色の長剣へと姿を変えた。それを両手でかまえるカザネの瞳は……今まで見たこともない、いや、今までの姿からは想像できないほどに鋭く、冷たい眼光を放っていた。それだけじゃない、荒れ狂う波が静まり返るように、カザネをとりまく空気が静かに凍り付いた。
一言で表すなら、とても怖かった。いつものカザネじゃなかった。
「……カザネ、ベルシュに傷はつけんなよ」
短剣をぐるりまわして構えをとったサラマルが声をかける。
「分かっていますよ、王子」
カザネは低い声で答える。
「はぁ……調子狂うぞ、カザネの本気モードを見ると」
日本刀に似た刃物をかまえるギルが嘆息する。
戦いの火蓋を切ったのは、チェイサーの悲鳴じみた叫び声。では無く、サラマルが放った短剣が、チェイサーの足を弾いたことだ。その隙を突いて地面を蹴るギルが、チェイサーとの間合いを一気につめ、腹部に刃を叩きつける……が。
「うわっ、硬いぞっ!」
傷一つつかない腹部。
チェイサーは吠えながら、鋭い爪をギルに振るい落とす。
すんでの所で攻撃を交わしきったギルは体制を立て直すためチェイサーと距離をとる。
チェイサーの二つの赤い光が煮え立つように光る。
サラマルは片手で短剣を器用にまわし、空中を舞いチェイサーの頭部に降り立った。
その瞬間にカザネが後方にまわり、長剣の切先を怪物の首筋に突き立てる。しかしチェイサーは首ひと振りで、サラマルとカザネを振り落とした。ヒビ一つ入らない装甲。
「みんな……!」
ゆきなは声をあげ、胸の中で何度も叫ぶ。
(どうか目覚めて。ベルシュと皆を助ける力……)
しかしゆきなの身に変化は感じられない。
ゆきなは奥歯を噛み締めた。自分が情けなかった。自分がみんなの為に今できることは何だ?
真っ白になる頭を振って思考を引き戻し、考えをめぐらす。
――切っただけじゃ倒せないんだよ
フードの二人が言っていた言葉を思い出した。これは一体どういう意味だ?ベルシュを取り込んだチェイサーは、切っただけじゃ倒せない。
あのチェイサーは、イレギュラーを取り込んでいるから鋼鉄のように硬いのだろうか?
かけめぐる思考が、作為が錯綜し混乱する。
何が正しいか。答えは一体どれなのか分からない。
だったら、直感のままに進むしかないだろう。
ゆきなは息を吸い込んで、声をあげた。
「ベルシュ……ベルシュ、起きてよ、戻ってきてよ!」
「ひめ!? ……ッ!」
よそ見をしたサラマルが、壁に叩きつけられた。
サラマルの額から一筋の血液が、滝のように流れ出る。サラマルに向き直った怪物の背後をとって剣を振り上げるカザネは完璧に、チェイサーの死角をとっていた。
しかしチェイサーは、今までの動きからは予測できない素早い身のこなしで体を翻し、カザネを地面に頭から叩きつけた。同様にギルも、壁に吹き飛ばされた。
「み、みんなっ!」
チェイサーが、ゆきなを見つめ、近づいてくる。
そして巨大な手を振りあげ、ゆきなの頭上に落とそうとしたその瞬間。
「ゆきな、危ない!」
「か、カレブくん」
駆けつけてきたカレブがすんでのところでゆきなを抱えチェイサーの攻撃を交わした。
「ケガは無いかい?」
「うん、私は大丈夫……だけどっ、サラマルたちがっ……!」
「あいつらは大丈夫だ。簡単には死なない。だから……キミは、キミの信じたことをすれば良い」
カレブは肩で息をしながら、金色の瞳を細めていた。
ゆきなは溢れる涙をこらえながら、頷く。
「……そうだゆーにゃん、続けて。僕らも、やりますから」
「さ、はやく……ひめ!」
サラマルたちが立ち上がり、武器をかまえなおす。
カレブはゆきなの手を強く握った。
「ベルシュに声が、ちゃんと届くところに行こう……続けて」
「ありがとう……ベルシュ、お願い。一緒に、帰ろ? 一緒に、来て、生きて良いんだよ生きてよ」




