第13話:お前の記憶を道しるべに
「そんな」
「嘘じゃないよ。オレちゃんと日本人っ……あ、髪と目の色は、こっちの世界に来てからおかしく変わっちゃってさ~」
「どうして。ベルシュは、中心世界に?」
問わずとも、予想はついた。それでも聞かずにはいられなかった。
「ゆきなと同じ理由。オレが一人目のイレギュラーだからさ」
『一人目のイレギュラーの処分が決まったのよ』
脳裏にシャロンの声がよぎる。
「そ、んな……」
「その表情、一人目のイレギュラーがどうなるのか、もう聞かされてるな……うんその通り、オレは処分される。厳密にいえば、三日後の夜。実験の最終フェーズとしてね」
「どうして……? イレギュラーは切り札なんでしょ!? どうして、処分されちゃうの?」
「確かにイレギュラーは全世界の切り札、救世主さ。そもそも、手厚く歓迎されこそすれども、実験の被検体にするなんて言語道断、もってのほかなんだ。それなのにどうして、オレがずっと監禁されて実験体になっていたのか……そして、どうしてオレが殺されることになるのか、理由は一つさ……」
ベルシュはそこで話を切ると、とても静かな微笑を浮かべて、告げた。
「オレが『デキソコナイのイレギュラー』だから」
「できそこない?」
「うん。今までオレがWSの実験施設に拘束され、実験体になっていたのも、デキソコナイのオレには、それしか使い道が無かったからさ。実験の最終段階を迎えるにあたり、非力なオレがセカイの為に出来ることは……オレ自身を犠牲に捧げること、それだけ。だからオレは明後日、死ぬ」
独り言のようにベルシュは言った。しかし怖いくらい、落ち着いた面持ちだった。
死を目前にした人間とは思えないほど、穏やかな微笑を浮かべていた。
「どうして、黙ってたの……処分のこと、サラマルたちは今日知らされてたよ。けど、詳しい話は何も知らないみたいだった……実験のことはちゃんと話してたの?仲良かったんでしょ?」
「実験」
ベルシュは音もなく立ち上がると、右腕を前方に伸ばした。風一つ吹いていないにも関わらず、それに巻きつけられた鎖が、首や足に巻きつけられた鎖が、奇妙に揺らぐ。
周囲の空気が生きているかのようにざわめき、そして凍りついた。呼吸すらできない、息をすれば何か良からぬことが起きてしまうのではないか……そんな錯覚に陥ってしまうような、気味の悪い寒気が走る。
「ね、姿見せてやってよ……」
ベルシュが、鎖が伸びる向こうの空間に囁きかけた。その途切れた鎖の端で、青白い電気がバシバシと弾るのが見えた。
すると、その鎖の先端から、発光する純白の鎖が現れ、電気が飛んでいる空間まで伸びた。
そして、何かの姿がうっすらと現れ、それはしだいに濃く深い輪郭を刻んでいった。
純白の鎖に繋がれるものは……巨大な怪物だった。
茶色いウロコに覆われたような胴は得体の知れない粘液に覆われている。馬のような頭部には無い。目にあたる所には空洞が二つあり、その奥には真っ赤な光が揺らいでいた。そしてその手には、一メートルはあろう鋭い爪が片手に三本、弧を描いていた。
ゆきなは息を呑んで後ずさった。嫌な汗が額ににじむ。
「こいつはチェイサー。害意の一種さ。影の亜朱、変異体みたいなものだと思ってよ」
「どうして、そんなものが」
「WSが捕獲したんだ。そしてこいつも実験体となった。WSはオレとこいつを鎖で繋いで、色々な実験をしてきたのさ。ゆきなが昼間見たっていうのも、その実験だよ」
ゆきなは、何かから追われているようなベルシュの姿を思い出した。初めてこのセカイで顔を合わせた時も、昼間に姿を見かけた時も、ベルシュは何かから逃げていた。
「こいつ、今はまだ実体化してないから……分かりやすく言えば、眠ってる状態だから、近づいても平気だよ。オレにとっては、風船を連れて歩いてるカンジ。だけど実験が始まると、一溜りもない」
ベルシュは笑いながらチェイサーに近づくと、その開いた口からのぞく牙に、自らの腕を近づけて、
刺した。
傷口からしたたる血。
しかしそのぱっくり開いた傷は、数十秒で跡形もなく消え去った。
「……!?」
「な?ケガしても、オレはすぐに治るんだよね。だからそんな心配そうな顔しないでよ」
「だって、それでもベルシュ。こんな奴と毎日。毎日、鎖で繋がれた状態で、追いかけ回されてるんでしょ……?」
脇腹から鮮血を噴き出していたベルシュ。あれは紛れもなく、チェイサーに傷つけられていた光景。
「オレが今まで、他のみんなにこの実験の内容を言えなかった理由、分かってくれるだろ。お前と同じ顔すると思ったからさ。あいつらなら、WSにたてついちゃうだろうし」
困ったやつらだよな~と苦笑するベルシュ。
「ベルシュは、それで良いの?」
言いたいことはたくさんあった。たくさんありすぎて、ぐちゃぐちゃにもつれ合い。
吐き出せた言葉は、それだった。
「うん、そうだな。だいぶ前から決まってたことだし、心の準備はできてるさ……それに、やっとゆきなに会えたんだし。お前とこうして喋るの、ずっと夢見てたんだ、オレ。こうして」
ベルシュの手が、ゆきなの髪を撫で、頬に添えられる。
「――こうして触れ合えただけで、満足さ。もう心残りは無いかな」
ベルシュの瞳は見ているだけで切なくなるほどの、温かさを孕んでいるようで
その優しげな瞳は、初対面の人間に向けられるものとは、到底思えないものだった。
「ねえ、ベルシュ。私と会ったこと、あるの……?」
ベルシュは微笑を浮かべたまま頷いた。
「ゆきなは覚えてないと思うけど、神戸で一度会ったことがある。それからさ、ずっと待ってたんだ。だから、ゆきながこっちの世界に召喚されることも、誰よりも早く気づいてたつもり」
初めてこのセカイに来た時に聞いた、遠くからの優しげな声が蘇る。
「――な、ゆきな。オレが今こうして立ってられるのは、ゆきなが居てくれたからなんだ。直接言葉をかわせなくても、お前の存在はオレの支えだった」
まっすぐな紫水晶色の視線。
嘘なんかじゃない、心からの言葉が、感情が、痛いほどに伝わってくる。
悪戯してはあどけなく笑う少年とは思えないほど、
大人びた真剣な表情をしていた。
ベルシュの手が再び伸びてきて、ゆきなの後頭部を押さえた。それと同時に、目の前にいる少年の体がこちらに傾いて……ゆきなは額に、柔らかいものが押し当てられたのを感じた。
「ありがとう、ゆきな。あいつらのこと、よろしくな」
ベルシュはゆきなの額から唇を離すと、そう告げた。
「そろそろ『最後の実験』が始まっちゃうから。もう行かないと。今日はゆきなとデートできて、楽しかったよ」
それじゃ、ばいばいっ!
まるで、また明日とでも言うように、ベルシュは笑った。
ゆきなが反応する間も無く、純白の鎖に繋がれたチェイサーが、けたたましいうなり声をあげた。怪物が目覚めてしまったのだ。
地響きの如き声は空気を震わし、木の葉を散らせる。
空高く飛躍したベルシュ。チェイサーはその後を追って地面を蹴ったのだった。
***
――オレは、イレギュラーの出来損ないだ。
オレがあっちの世界にいた時の記憶はもう、ほとんど残っていない。自分の本当の名前や家族のことすらも思い出せない。記憶がほとんど無くなってしまったからだ。
それなのに、住んでいた地名を覚えているのは、そこが、あの子と出会った場所だったから。
あの子は、オレがまだ小学生の頃に出会った女の子だ。
その出会いはきっと、運命だった。
偶然だと言い切るやつには、偶然と見せかけた必然だって言い返してやれる。根拠の無い確信と言う……どんな理屈を並び立てるよりもれっきとした、証がある。
奇妙な白い人間にナイフで刺されて、異世界……中心世界に転送されたのはそれから何年もたった後のことだ。
イレギュラーのデキソコナイ。
オレはWSと言う機関の命じるがままに行動せざるを得なかった。
オレが存在する意味はそれしか残されていなかったからだ。
痛くて気が狂いそうな実験もあった。いっそ死んだ方が楽になるんじゃないかって実験もあった。たぶん死ぬより辛い実験もあった。
それでも理性を保てていられたのは、ご褒美があったから。
時折、もといたセカイへ帰ることが出来たんだ。
ほんの数分だけだったけど。
帰れるとは言え、もといたセカイへ戻れるのはオレの「意識」だけ。
だから誰かと話したり、干渉することは一切としてできなかった。
それでも、見つめることだけはできた。
普通なら家族や友達に会いに行くんだろう。
だけど生憎、オレにそれらの記憶は残ってない。
ただ一つ残されていたのが「あの子」の記憶。
だから、どこか寂しくて懐かしいあのセカイに帰る時はいつだって「あの子」の姿を思い浮かべた。
―――そう。オレは
お前の記憶を道しるべに、
お前という光に向かって生きてたんだ、ゆきな―――
「……キエル、マエニ、クワセロ、クワセロ!」
オレを追いかけてくるチェイサーの声。
これは最後の実験だ。
オレがチェイサーと追いかけっこすることで、一体どんな研究結果が得られてきたのかは知らないけど、そんなの今はどうでも良い。
これでようやく終われるから。
「ここ数か月一緒にいたけどさっ、オレお前のこと全然分かんなかったよチェイサー! 最後は全力で来なよっ」
オレは滝のように汗を流しながら笑った。実際オレの体は限界で、今にも倒れそうなんだ。煽って、煽って挑発してたら、膝が軋む音がして、オレは無様に倒れ込んだ。獣のようにのしかかってくるチェイサーが容赦なく、オレの腹に尖った爪を突き立てる。
内蔵がえぐられる激痛。
「うあっ……あ……はは……心臓は、狙わないの?こんじょーなし」
ボタボタ、ねっとりした鮮血がしたたるのを押さえながら立ち上がる。
全部ただの強がりさ。
オレがゆきなに惹かれた理由。
それは、友達に囲まれて虐められていても、涙を堪えて立っていたから。
「……チェイサー? こっこまーでおーいでっ」
そんなお前が独りで泣いていたことも知ってる。
そんなお前が笑う笑顔はすっごく、可愛かったよ。お前がお前でいるために、気高い意思をもった凛々しい光。
「ツギハ、ニガサナイ、クワセロ。エグル、シンゾウ、ズタズタニ、ガサナイニガサナイニガサナイニガサナイ」
「……ぐああっ……あっ……い……っ」
お前の名前を知った時はさ、すっごい嬉しかった。一人で何度も呼んでみた。全部届かなかったけど。いつか話せたら良いなって、いつか触れ合える日が来るのかなって。
「コレガサイゴ、ダカラ、オマエヲクッテ、オワリニスル。イタイトコ、ドコ?
イタイトコ、ココ?
ソレトモ、コレ?
ゼンブグチャグチャニシヨウ」
「うああああああッッッ!」
どんなに体中をめちゃくちゃにされても、何度も立ち上がって来れたのは、お前と言う光を目指して歩いて行こうと思えたから。
敵に立ち向かう小さな背中を知っていたから。
ずっと見てたゆきなの笑顔、まだ危ういロウソクの灯。言葉にできないような温かいキモチをくれた
「ゆ……き……」
視界は真っ暗だった。さすがに、好き放題させすぎた。いくら治癒が速くても、痛みが減る訳じゃない。大切な臓器を色々とされてしまったようで、オレの意識は朦朧としていた。ほんと最後まで情けなかったな、オレ。サラマルたちに見せらんないな。
『赤い塊が転がってるなーと思ったら、イレギュラーくんじゃん』
『最後だからってはっちゃけすぎちったー?』
あれ、この声、誰だっけ。
二人いる。
オレを見下ろして、笑ってる。
『あ~あっ、挽肉にでもなるつもりなの、イレギュラーくん』
『こいつは人柱なんだからさー。やりすぎちゃダメだったんだよー?チェイサーくん』
『イレギュラーくんはトップのもとへ持ってくけどー』
『チェイサーくんはもうイラナイってトップが言ってたからぁ』
『『あんた、廃棄処分な』』
ぐちゃりと嫌な音がして、オレの意識はそこで途絶えた――
***
「ゆきな、こんな所で何をしている!?」
ギル、そしてカレブとサラマル、カザネが駆け寄って来た。
対策本部から帰って来たのだ。
「ゆーにゃん、誰かに何かされたんすか!?」
「……」
答えないゆきな、その頬につたうものを見て、少年たちは息を呑む。
「……てめえら、女の子の涙じろじろ見んじゃねえよ」サラマルがゆきなと他の少年たちの間に割って入った。
「――ひめ、タオルあるぜ」
「サラマル」
俯いたまま、ゆきなは声を絞り出した。
「なんだ?」
「……どうやったら、ベルシュを助けられるの」
「……」
サラマルは何も答えない。
「助けたい、私も……」
「……」
「助けるッ!」
ゆきなは顔を上げ、叫ぶように声を張り上げた。
「ゆきな……」
ギルは呟き、じっとサラマルを見た。
「ひめ――」
サラマルは唇を結んで、ゆきなを見据える。あの内気な少女からは想像もつかないほど、強い眼差しをしていた。
「――ベルシュの奪還には危険が伴う。WSを相手にするんだ。その覚悟が、本当に、ゆきなにはあんのか?」
サラマルの見定めるような視線に、ゆきなは正面からまっすぐ向かい合って、大きく頷いた。
サラマルはニヤリと笑い、カザネたちと視線を交わらせた。みんなは静かに頷いた。
「よし。女の子に助けられるなんて、あいつもひ弱だな。無事戻って来たら、みんなでからかってやろうぜ? ……さあ、SSJの出番だ」




