第9話:追憶Ⅰ
ゆきなが現れる一年前の話です
――それは一年前の春のことだった
マルス学園高等部、一年のクラスにて。二人の生徒がヒソヒソと肩を寄せ合っていた。
「ねえ知ってる?一昨日の夜に、また異世界から人が逃れてきたんですって、この中心世界に!」
「ああ、今回も男だっけ?それも二人」
「そうなのよ!しかもまた、うちの学校の、私たちと同じクラスになるみたいよ」
「ふーん。ランデルトもトモダチが増えて良かったんじゃないか」
「それは……どうかしらね」
「とにかく、そんな騒ぎ立てることじゃないだろ。異世界人が逃げ込んでくるなんて、他国じゃ珍しくもなんともねえよ。ニホンだけじゃん。やたら警戒してんの」
「まあね。とにかくその二人、今日クラスに顔出すみたいよ」
「……へーぇ。それは楽しみだな」
「……わっ!?」
話に夢中になっていた二人は、突然の第三者の登場にドキリと心臓を跳ねさせた。
「なんだランデルト。いきなり話に乱入してくんなよ」
「寿命でも縮んだと言いたげな顔だな」
ランデルト――ギルは二人を無表情で見つめていた。
「ねえランデルトくん、今日来る新しい二人について、WSから何か聞いてないの?」
「知らんな、興味ない」
ギルはきっぱりと切り捨てた。
「そうだよね。ランデルトくんも三か月前にここに来たばっかだし、他のことに意識を向ける余裕なんて無いよね……」
「そういう事で良い」
申し訳なさそうにうつむく少女に気づかう素振りも見せず、ギルは自分の席へと歩いて行く。二人の会話に興味を示し割って入ったものの、面白くないと見切りをつけたようだ。
他のクラスメイトたちは、そそくさとギルが通りやすいように道をあける。
教室の空気に重い沈黙が垂れ込む。
クラスメイトたちはギルを嫌悪しているわけでも無ければ、避けているわけでも無い。
だが、異世界から来た少年……つまりは、故郷という「帰る場所」を奪われた少年に。そんな心の傷を抱えた少年に、どう接すれば良いのか分からなかったのだ。それに加えて。
「ランデルトって、まじでよく分からんよな」
「ああ、基本あんまりしゃべんないし、目つき悪いし……正直ちょっと、近寄り難い」
同年代の少年だとは思えぬ瞳をしていたのだ。
そもそも。ギルのように、このセカイに逃れられる異世界人は極一部だった。WSに見初められた人物でなければならないのだ。
違うセカイが害意に滅ぼされる度に、その地に住まう人全てを助け、中心世界に招き入れてしまえば、この中心世界がパンクしてしまう。だからこその選定らしい。
中心世界への避難が許される条件は公言されていないものの、最低ラインとして、「死地を生き延びた力がある」ことは絶対条件だった。
「害意と戦って生き延びたなんて、同じ高校生とは思えないよな。正直、怖いよ」
「確かにね。けど、クールでミステリアスって感じで、かっこいいじゃない」
「分かる、あんたらよりイケメンだしね」
ギルを遠巻きに小声で話すクラスメイトたち。
これが何気ない日常のひとコマとなりつつあった。
その日のホームルーム、噂通り、新たに異世界から中心世界へ逃れてきた二人の少年がクラスに姿を現した。
「どーもっ、向咲風音っす! 三度の飯よりプリンが好きっ!苦手なことは頭使うコトっ!勉強大嫌いで体を動かすことが好きな、ちょっとオマセナ男の子っす!」
黒板の前でキリッとキメポーズをとる茶髪の少年に、クラスメイトたちは男女ともども歓声と拍手をおくった。
「はじめまして、おれは宵宮寺瑳良守。まだまだ分かんねーことだらけだけど、みんなと仲良くなりたいってわけで、よろしくな!そうそう、この学校の女性はみんな美人だけど、クラスの女の子もみんな可愛くて嬉しい……お近づきに、なってくれよな?」
何の躊躇も恥じらいも無く、キザに言ってのけた少年に、女子生徒の半数がハートを飛ばして奇声をあげた。
「……んだよチビで童顔なくせに」
男子たちが聞こえみよがしにボソッと呟く。
「だーれーがーチビだってー?良いぜオモテデロ、目に物見せてやる」
教卓に足を乗せいきり立つサラマル。
「ちょ、やめてさらたん。転入早々問題おこしちゃダメっすよ~!」
こうして、初っ端から印象強い挨拶を残した二人に、身構えていた生徒たちは度肝を抜かれた。異世界人とは思えない程、人当たりが良かった二人は、すぐにクラスメイトたちと打ち解けることになった。
いや、打ち解けているように見えたと言った方が確かだろう。
ギルとは反して、サラマルは軽い調子で女子に声をかけるし、カザネは自然とクラスのムードメーカー的ポジションへと立っていた。
しかしそれでも、サラマルとカザネは離れることなく、同じ「場所」に留まり続けていたように見える。
人気の無くなった放課後の教室で、自分の席から静かに空を見上げるサラマルと、少し離れた所でそれを見守るカザネの姿。そういった光景を見かけた生徒は少なくない。
普段は砕けた二人の、陰鬱そうな表情を、誰しもが印象深く心にとめていた。
生徒たちは誰も、一定以上、サラマルとカザネに近づくことは出来なかったのだ。
二人の周囲に見えない壁でも張り巡らされているかのように。
誰も踏み込むことができない領域。
彼らはそこに隠した「闇」を、誰にも見せまいとしていたのだ。
「ねえ宵宮寺くん、向咲くん。二人って昔からそんなに仲良かったの? そう言えば二人は同じセカイに住んでいたんだよね、どんなところだったの?」
他愛ない会話での、悪意の無い疑問だった。
「……ッ!」
サラマルが机をひっくり返さん勢いで立ち上がった。周囲にいた一同が息を呑んだ。サラマルは震え出す右手を左手で抑え込みながら、荒くなる息を必死でのみこんでいる。
その瞳から生気は消え失せ、遠い過去を見つめていた。
尋常じゃない雰囲気だった。
「おいさらたんっ……瑳良守!」
カザネが無理矢理サラマルの肩をつかむと、ようやくサラマルは顔をあげて、微笑みを浮かべた。そのひきつった微笑は、他のクラスメイトたちに向けられていた。
「な……んつってな、このおれが身の毛もよだっちまうほど、デンジャラスな世界だったぜ!」
両手を広げて満面の笑顔を作るサラマル。それが他人に心配をかけじとしての笑顔だと言うことは、誰だって気が付くものだった。
「おい宵宮寺、無理しなくても……」
「無理なんかじゃねーよ! ほんとなんもねーよっ、わりぃーなびっくりさせちまって」
取り繕うように声をあげるサラマル。
「……痛々しいな」
サラマルたちから離れた席で、一人の少年がはっきりとした声で言い放った。
「それって、どう言う意味かな、ランデルト」
「いつもいつもヘラヘラ笑って、貴様は何がしたいんだ」
ギルが音もたてずに立ち上がった。緩やかな足取りでサラマルたちに向かってくるが、形容し難いほどの威圧感を放っていた。
「――お前たちの気持ちは分かる。俺も故郷のセカイを追われた身だ。そして恐らく、俺は、そっちのチビと同じ立場にあったものだ」
ギルはそう言ってサラマルを指差した。
「それって、もしかしたらランデルトも……」カザネがじっとギルを見つめる。
「察しの通りだ向咲。だが、だから何だという話だろ? 俺たちの国は失われてしまった。みんな、どいつもこいつも殺されたんだ。敵に、害意に。俺たちはそれを防げなかった。一生分の後悔をした。しかし、憎悪を向けるべき相手は、敵だろ。自分自身ではない」
「おいランデルト……てめえの言ってる話の意図が分かんねーよ。いきなり、なんだよ。カザネも、もう良いだろ。せっかくの休憩時間だし他の奴らもいるのにさ、やめようぜ、こんな話」
サラマルが囁くように呟いた。憔悴しきっているのか、先程までの笑顔も消えかけている。
「と言いながら、俺にはお前が、苦しそうに見えるぞ」
ギルはサラマルを見据えながら、諭すように続ける。
「――笑顔という壊れかけの仮面をかぶって、心をすり減らしてまで取り繕って、今のお前は惨めだ。とても見るに堪えん。周りにいる人間がどう感じようが関係ないだろ。自分の感情を偽って、何になるというのだ」
「……ねーよ」
サラマルは独り言のように告げた。
「てめえにおれの気持ち分かんねーよランデルト。お前とおれは違う。おれとお前の境遇が似ているんだとしても、根本的にお前はおれと違う。おれはお前みたいに『綺麗』じゃねえんだ。だっておれ、汚れてんだぜ……―」
汚れている。
サラマルは震える声で呟き続ける。
「――よごれてんだよ。汚れ切ってる。ここにいんのが、許されるべきじゃねえ。それくらい、おれは穢らわしい人間なんだ……だから……」
「ふっざけんなっ……!」
教室中に響きわたる声で、ギルが怒鳴った。
クラスメイト一同も、サラマルもカザネも、口をあんぐりあけてギルを見つめる。ギルは猫のような瞳をギラギラさせて、烈火のごとく怒っていた。
「俺はそういうのがすっげー腹立つってんだ」地響きのような声だ。
「――良いか宵宮寺。その耳、飾りじゃねえんなら穴ひんむいて聞きやがれ。自分を汚らわしがるってことはな、お前を想ってくれているやつの気持ちを踏みにじるってことだろうが。苦しいなら苦しいんで良いんだよ、悲しいなら泣きゃ良いんだよ! それを全部隠して笑ってなんだ、何になる、気色わりぃーんだよ!」
「お、おいランデルト?」
仲裁に入ろうとするカザネをギルは押しのける。
「俺は、俺の世界を壊した奴らが憎い。家族を、学友を、国民の命を奪った奴らが……何より、何も出来なかった弱い自分自身が、死ぬほど憎いッ! こうして生きているのが、ほんっと申し訳ねえんだよッ」
ギルはそこにあった机を、感情任せに蹴り飛ばした。
「――だが、そんな自分を蔑むことも、ましてや殺すことなんて、許されることじゃないんだ。こんな俺を信じて、未来を託してくれた奴の分も、生きなきゃならん。あいつらの代わりに、害意たちをぶっ殺すまで、俺は死ねんっ。だから俺は、ここに生き続けると決めた。だが宵宮寺、お前はどうだ。自虐に酔うのも大概にしろ。貴様は、自分を支えてくれた人間の思いを踏みにじりたいのか?何をしたいのかは知らんが、腑抜けた面見せてんじゃねえよ」
ギルはまくし立てるように言うと、サラマルの胸ぐらを乱暴につかんだ。そして空いている左手を、サラマルの心臓部分に押し当てる。
「死んで行った奴らは、お前のココにいんだろーがっ」
怒りをたぎらせているギルの瞳は、ゆれていた。
誰も何も発言しない。
耳が痛くなるような静寂が辺りを支配する。
しばらくたってから、サラマルの消え入りそうな声がこぼれた。
「……たら?」
「は?」
「大切な奴らを殺しちまったのが、おれ自身だとしたら……―」
サラマルは虚ろな瞳で、笑顔を浮かべていた。
「――あいつらは、おれの心の中で生き続けているなんて、言えるのか?」
「……お前」
じっとサラマルの瞳を覗きこむギル。されるがまま、静かに微笑を浮かべるサラマル。
「ランデルト。悪いけど、金輪際、もうおれには関わらないでくれねーか」
「……」
ギルはサラマルを開放した。二人の間には、気まずい空気が流れ始めた。
しかしそれは、颯爽と現れた一人の少年によって吹き飛ばされることとなる。
「はいはい、ケンカ両成敗!」
教室の扉が開け放たれるのと同時に、そんな威勢の良い声がした。
声の主は一直線にサラマルとギルの元へ向かうと、「歯ぁくいしばれよ~」と忠告しておきながら、間髪入れずに二人を蹴り飛ばした。
「「いってぇだろーがっ!」」
床に叩きのめされた二人は声を合わせて少年を睨みつける。
「んっ、やりすぎちゃったかなっ? ごめんごめん~」
二人に蹴りをおみまいした少年はペロリと舌を出した後、身軽に机の上に飛び乗った。
その姿を目の当たりにしたクラスメイトたちが、半信半疑といった面持ちで声を震わせる。少年に釘付けになりながら、次々と嬉しそうな声をあげる。
「藤色の髪に、紫水晶色の瞳……もしかして、お前は、あの……!?」
「おおっ! 三年前にこのセカイに来たって言う、例の……!?」
紫水晶色の少年は、悪戯っぽくニィっと笑った。




