プロローグ
「……急いで帰らないと!」
少女は高校の帰り道を走っていた。
関西地方の、とある田舎町。街灯の無い山道は、日が暮れると真っ暗で危険だ。太陽はすでに、西の山に隠れようとしていた。
今日はいささか、帰るのが遅くなってしまった。高校二年生になってからというもの、補習が多くなったのだ。
電柱の柱から『なにか』が姿を現した――人間のようなものだった。しかし人ではない。なぜならそれは、白く発光しているのだから。
少女は立ち止まった。ゾクリと恐怖が背中を走る。本能が逃げろと警笛を鳴らしている。早くここから離れよう。そう思うにも、足は凍りついてしまったように動かない。
光る人型は、少女に向かってにじり寄ってくる。明らかに様子がおかしい。少女は声にならない悲鳴をあげた。相手が地面を蹴った。懐から取り出したモノを、少女の胸に突き立てた。
少女は仰向けに倒れながら、自分の胸に突き立てられたモノを見た。
ナイフだった。
「ど、どうして……!?」
痛みは感じなかった。
少女の意識はプツリと、そこで途絶えてしまったのだった――
***
日本とは似て非なる『もう一つのセカイ』。つまりは異世界の話に移る。
これは、少女が意識を失う数時間前の頃。
そのセカイは真夜中を迎えていた。
しかし、街には明かり一つ灯っていなかった。まるで息を潜めるように、暗闇の中に沈んでいる。
全ての交通機関が機能を止めて、外を出歩く者は一人たりとも見当たらない。
そのかわり、街の至るところで無気味な「影」が蠢いていた。
這いずりまわるように探し回るは、人の血肉。
「あともう少しの辛抱だ……このまま隠れてやり過ごせ」
影に見つからないように、人々は息を殺して地下に潜んでいたのだ。
襲来の日――そのセカイは、人喰いのバケモノによって、侵攻されようとしていた。
都内セントラルタウンの一角には、とある学園が蹂躙するようにそびえている。名は「マルス学園」。
広大な敷地を有し、重厚な鉄柵に囲まれた学園。その様相は中世ヨーロッパ時代の貴族が暮らす屋敷を彷彿とさせる。
午前二時二十分。
浅葱学園の校舎にも、無数の「影」がうごめいていた。
「今日は数が多いっすね……」
「これくらいでへばってんじゃねーよ、カザネ。学園で食い止めねえと、街が侵攻されちまう」
体育館の中央には、背中合わせで立つ二人の少年がいた。
一人は銀白色の長剣を構え、もう一人は短剣を両手に構えている。
「……それにしても、何で今回は学校に出現しやがったんすか、影たちは」
長剣の少年・カザネは苦々しげに吐き捨てた。
「影……? ああ、『害意』のことか。おれに聞かれても知るかよ。けどま、時と場所くらい考えて攻めてきて欲しいもんだぜっ」
対して短剣の少年は愉しそうな声をあげる。
そんな二人の周り、体育館の壁沿いには、彼らを取り囲むように群がる「影」の姿がある。
影――またの名を、害意。
通常の人間の倍はある巨体をひきずり、長い四肢は刃物のように尖っていて鋼鉄をも切り裂く。
ソレらは人間を喰らい、世界に破滅をもたらす者である。
対する少年たちは、まだ十代後半といった年齢に見えた。
『サラマル、カザネ、聞こえるかい』
二人が装着するイヤホンから声が聞こえた。
「あ、カレブか?」
短剣の少年・サラマルはイヤホンをしっかり装着し直し、小型マイクを口元に近づける。軽い調子でイヤホンの相手に問いかける。
「――カレブ、今の状況教えてくれねーか?」
『現在、校庭には230匹、校舎内には370匹の害意が出現している』
現状報告をはじめるカレブという少年。その声は淡々と落ち着きはらっていた。
『……校庭に出現した害意の駆除は生徒会員たちが、表門と裏門は教員たちが駆除している。また、午前三時二十五分ジャストに、新たな害意が280体、出現すると観測されている』
「そ、そんなにっすか!?」
カザネが素っ頓狂な声をあげた。
『詳しい配置と撃退フォーメーションは追って連絡する。さあ、SSJの出番だ』
カレブはそう言い終わらないうちに通信を切った。
「い、一方的だな……つーか、増援なしっすか!」
カザネが悲鳴じみた声をあげるやいなや、少年たちの周囲に湧いていた「影」たちが、二人目がけて一斉に飛びあがった。鉈のような刃がギラリと軌跡を描く。
その速度は、巨体からは想像も出来ない速さだった。
「カザネ、狩りの時間だぜっ!」
意気揚々、短剣をぐるり回したサラマルは、突進してくる影めがけて地面を蹴る。
「後ろは任せたっすよ!」
カザネも同様に剣を振るった。
暗闇を切り裂く剣の閃光。体育館中に轟く影たちのうめき声。
飛び散る鮮血。学園中が、血と、怒号の嵐につつまれた。
時は過ぎて午前六時十二分。東の空は明るみ、暗闇は西の果てへと追いやられる朝。
校舎の中は静寂に包まれていた。まるで深海の底のように静まり返っていた。
そんな学園中に、校内放送が響き渡った。
『……現時刻をもちまして、学園内に出現した害意は全て撃退されました。繰り返します。学園内に出現した害意は全て撃退されました。教員の皆さん、生徒会、SSJは至急、視聴覚室へと急いでください。繰り返します』
「やっと終わったか……サラマル、お疲れっす」
体育館は屍と化した影の血と肉片で埋め尽くされていた。体育館だけでは無い、学園中の地面がおびただしいほどの血肉で溢れていた。
「おつかれさんカザネ、無事か?」
二人は背中合わせのまま床に座り込んでいた。
「なんとか……しばらく動けそうにねえですけどね」
「へへ、だらしねえな。あと始末はカレブがやってくれるだろーし、おれ……ちょっと寝る」
「僕も……良い夢見てくださいっすよ」
がくりと項垂れるようにして眠る少年たち。
再び鳴り響く放送。
『ただいまより事後処理を行います。空間に多少の歪みが生じる恐れがありますので、速やかに目を閉じて下さい……』
校内放送を通して繰り返される機械的な声。それが響いた瞬間、映像にノイズが走ったかのように、学園内の空間がゆがんだ。ジジジッと布を引き裂くような音をたて、青い電気が走る。
その瞬間、学園中を汚していた血は消え去った。影の屍も、シャボン玉が弾けて消えるように、細かいポリゴン状となって雲散霧消した。
セカイの命運をかけた一つの戦いが終わったのだ――
唐突に始まりました、異世界トリップ学園ものです!