008
「私は、お兄様に会いたくなかったです」
グッと胸を押さえ、涙を浮かべて凪沙は蓮を見下ろした。
「会いたくなかった」と口にしているのに、そんな言葉に反して涙を流す彼女に、どうして泣いているのかわからなく、蓮はただ呆然と彼女のことを見ていた。
「お兄様は酷い人です……」
「凪沙?」
「もう、二度と会うことはなかったはずだったのに……どうして、どうして」
「なんで、泣いて……」
「こんな形で会ってしまっては、もう自分の感情を抑えることができません!」
今まで聞いたことのない激しい言葉に、蓮の方が揺れる。
言っている意味が分からず、今まで見たことない妹の言葉に動揺を隠すことができない。
体を震わせ、ゆっくりと涙で濡れた瞳を凪沙は蓮に向けた。
「好きです」
震えるような声で、頭上から降り注ぐ声。その発せられた言葉に蓮は大きく目を見開いた。
「お兄様が好きです。ずっと、ずっと好きだした」
「な、ぎ……さ」
「けれど、私とお兄様は血の繋がった兄妹の上に、私の体はあまりにも脆すぎた……これでは、お兄様の側にいられない。お兄様にご迷惑をかけてしまう」
死んでしまったからか、抑えるものがなくなり、凪沙は今まで抱いていた感情を全て吐き出した。
蓮を異性として好きだったこと。だけど、自身の体のもろさによりその感情を抑えていたこと。姉のように桜花を慕っていた反面、羨ましくて妬ましかったこと。胸の内にずっとしまって隠していたことを、凪沙は死後も愛し続けた蓮に包み隠さずに話した。
「先ほどのお兄様の言葉を聞いて嬉かったです。けど、この現状に悲しさを覚えました……お兄様は……桜花さんを選んだんですね」
その言葉は複雑な声音をしていた。寂しさと嬉しさ。暖かさと冷たさの両方を感じ取った。
眉をひそめ、笑みを浮かべる凪沙は、そっと蓮に手を差し出した。
「こちらへ来ませんか、お兄様」
「えっ」
「私、一緒にいてくださいお兄様。一人は、寂しいです」
不意に、消えかけていた恋慕が燃え上がった。
一緒に。その手をとれば、自分は凪沙とずっと一緒にいられる。それはある意味では悪魔の囁きだ。手を取ったら最後、もう戻ることはできない。だけど、死後もずっと思い続けた人からそんなことを言われて、ここ路が揺らがないはずはなかった。
「凪沙……」
蓮は、ゆっくりと手を伸ばし、伸ばされた手を取ろうとした。
だが……—————
「お兄様?」
「ごめん、凪沙……俺は、そっちに行けない」
手を下ろし、悲しげな表情を浮かべる凪沙の顔を蓮は見つめる。
「どうしてですか……私のことを、愛してくれているのですよ」
「あぁ好きだよ。けど、俺は生きると決めたんだ」
「なぜ、ですか……?」
「お前が生きれなかった分、俺は何が何でも生きたい。それに、桜花への罪滅ぼしもしないといけない」
「それは……」
「あいつを幸せにする。こんな俺の側にずっと一緒にい続けてくれたんだ。ここでお前の手を取ってしまったら、俺はあいつに恨まれる」
「そんなこと……桜花さんは望んでないです」
「そうだろうな。けど、俺は決めたんだ。心の底からあいつを愛して、また昔みたいに笑って欲しいって。それにさ」
ニット、歯を見せながら蓮は笑みを浮かべる。その表情は、いまの歳とは不似合いな子供のような無邪気な笑みだった。
「ちゃんと現世で生きぬかないと、来世でお前に会えないだろう」
凪沙は伸ばしていた手を下げ、顔をそらした。小さな声で「本当に酷い人だ」とつぶやいた凪沙は、ニコッと笑みを浮かべる。
「残念です。やっぱり、生きている間にちゃんと伝えたかったです」
「凪沙?」
「お兄様」
涙を流し、寂しげに眉を寄せるが、口元をあげて凪沙は必死に笑みを浮かべ用とした。
「幸せになってくださいね」
プツンッと、まるで糸が切れたかのように凪沙はその場から消えてしまった。
蓮はじっと、先ほどまで凪沙がいたところに目を向ける。
「あれ?」
辺りをキョロキョロとし始め、小首をかしげる蓮。
彼は後ろを振り返り、山道を下っていった。
*
「おかえりなさい、蓮さん」
家に帰ると、桜花が笑みを浮かべて出迎えてくれた。
夕食はすでに出来上がっており、二人で部屋へと向かった。
「あれ、お寄りにならないんですか?」
「えっ?」
蓮の部屋の前を通った時に、ふと桜花が歩みを止めた。いつもだったら凪沙の仏壇に手を合わせるために部屋によるから、桜花に先に行くように言う。だけど、今日は何も言われずに一緒に行こうとした。
「どうしてだ?」
「だって、いつもなら凪沙ちゃんの仏壇に手を合わせるためにお部屋に……」
その時は、蓮は眉をひそめて首を傾げた。
「《凪沙》って、誰だ?」