001
大正××年。
世は今だに戦争が行われ、いつ終戦が迎えられるのかもわからない。
若い者も国のためにと、早くから戦場へと足を運ぶ。
国のためならと、誇らしげに胸を張る者もいれば、戦争に行きたくないと愚痴をこぼす者もいた。
死にたくないと思うのは当たり前のことだ。死んでしまえば、もう言葉を交わすことも触れることもできない。大切な人と、二度と会えなくなるのだから。
男は国のために軍人になり、女は家を守る。
国が定めた規則により、名家や旧家、店などの後継は自然と女がする決まりになっていた。だが、中には例外も存在する。
家に女が生まれなかった場合や、後継が病気や怪我などで後を継げなくなった場合のみ、男が後を継ぐことを許されている。
車や市電が走る都会とは違い、歩く人やその横を人力車が通る、古き良き街並み。
鳥のさえずりや木の葉の揺れる音。耳をすませば、人の声が聞こえる。
音はよく響く。そっと目を閉じれば、遠くから下駄の音が聞こえる。カツカツという音が聞こえ、それがどんどん近づいてくる。しかも、その音は一つではない。二人分の下駄の音が、どんどんどんどん近づいてくる。
すると、暗かった部屋の中が一瞬明るくなり、ゆっくりと目を開ける。
「こんにちは、蓮さん」
入り口の大きな布をくぐり、白髪の老婆がにっこりと笑みを浮かべる。
老婆といっても、背中はぴっしりと伸びていて、着物もきっちり来こなした、とても素敵な女性。
「こんにちは、菫さん。おや、隣の方は?」
「孫の菊です」
隣で、物珍しそうに辺りをキョロキョロしていた女性が、名前を呼ばれた途端、姿勢を正して一礼をした。それに応えるように蓮が一礼をし、にっこりと笑みを浮かべれば、なぜか菊は顔を真っ赤にして顔を背けてしまった。
「もうすぐこの子が二十歳を迎えるので、お祝いに着物をお願いしていたのだけれど、桜花さんから聞いていませんか?」
「もちろん聞いてますよ。お名前と同じ、菊の花の描かれているものですよね。どうぞ、お上がりください」
蓮は二人を布で仕切られた隣の部屋へと案内した。
そこには、衣桁に掛けられたとても鮮やかな着物があった。
「わぁ……」
「どうぞ、近くでご覧ください」
目を輝かせる菊。彼女はうっとりしながら着物を見つめ、その姿を後ろから、菫と蓮が嬉しそうに見つめていた。
「気に入ってもらえてよかったです」
「ふふっ。蓮さんに頼んでよかったわ、菊があんな風に笑うところを見るのは久しぶりよ」
「それはよかったです。あぁやって、喜んでいる顔を見れるとホッとします。ちゃんと仕事ができてるって」
「……もう、あれから随分経つのね」
「そう、ですね」
スッ……と、蓮の顔に影がおちる。過去の、あまり思い出したくないことを思い出してしまい、さっきまでの気持ちが少しだけ冷めてしまった。
「お婆ちゃん、これ持って帰れるの?」
「えぇ」
「じゃあ、帰ったら着てみてもいい?」
「構わないわよ」
二十歳とは思えないほどはしゃぐ菊の姿に、菫も蓮も、つい笑ってしまった。
衣桁から着物を下ろすと、蓮は綺麗に畳んで紙包みに包んで菫に渡した。
「ちょうど、お預かりしました」
「また、いいものが入ったら連絡くださいね」
「有難うございました」
菊と菫が店の前で一礼をして、大きな布をくぐって外に出た。
最初の時のように目を閉じ、音を聴く。
下駄の音が多くなっていき、やがて消えてなくなる。その瞬間、蓮は大きく息を吐き出して、伸ばしていた背中を丸めた。
「猫背になってるよ」
「っ!」
突然聞こえた声に驚き、蓮の丸まっていた背中はさっきと同じようにピンっと伸びた。
「うん、元に戻った」
「なんだ、桜花か」
「気が抜けるとすぐに猫背になる。お母様たちに見られたら怒られちゃうよ」
「わかってはいるけど、辛いんだよ。お客がいないときぐらいは楽にさせてくれ」
「そうさせたいですが、まだ閉店の時間じゃないので、許せません」
蓮の隣に腰を下ろして、桜花はにっこりと笑みを浮かべる。そんな表情を見て、蓮もくしゃっと笑みを浮かべる。
桜花は蓮の妻だ。幼い頃に両親が決めていた許嫁で、一緒にいることが多かった。《才色兼備》という言葉が似合う女性。文句の付け所がないほどに、桜花はできた妻だった。
「そういえば。さっき、紅さんからお電話がありましたよ」
「紅から?」
「はい。店主自ら、袴を店に持って着て欲しいです。と」
「あいつ……店に来るのが面倒だからって……」
「まぁ確かに、紅さんのご実家は都内ですからね」
そう言いながら、桜花はそばにおいていた紙包みを蓮の前に出し、にっこりと笑みを浮かべる。それを見て、蓮は苦笑いを浮かべる。文句を言うが、なんだかんだ持っていくことを桜花は知っており、そうするということを桜花に知られていることに、蓮も少しばかり気恥ずかしさがあった。
「店の方、任せるな」
「はい。それから、夕飯までには帰られてくださいね」
その言葉に、またも蓮は苦笑いを浮かべる。長いしてもいいけれど、夕飯までには帰ってきてくれ、という桜花の釘刺しの言葉だった。
蓮は以前、紅の家に行って帰らなかったことがあった。帰って来た時は酷く両親から怒られた。その場にいた桜花は何も言わなかったが、二人になった時に一言「心配しました」と呟い