魂の終焉と黒い影
『だけれど、フィアナ様はやはり、フィアナ様ですよ』
「………ティアン?」
『エヴァも変わってねぇなぁ』
「メルボさま?」
誘拐された民達の身体が、支えを失ったかのように床に次々と倒れ落ちていく。
その中に、あの幼い少女、ミラの姿も認めることが出来た。
ということはつまり、魂が抜け落ちたという事で。
魂だけとなったアテナイ国の人々は、透き通る体をそのままにまるで憑き物が落ちたかのような顔で笑って、泣き伏せるセリアとキャロンを囲んだ。
『魂は変わらないですからね』
『姿が変わっても、やっぱり分かる』
『ほんとに、姫さまは相変わらず曲がった事が嫌いですなー』
『エヴァも、人が良いというか、なんというか』
『そうそう』
何故だか、彼らは談笑を始めたではないか。
魂だけということは、早い話が幽霊達ということ。
幽霊達の談笑。気味悪がれば良いのか、はたまた感動すればよいのか。
周りの空気に着いていけず、セリア達は目を白黒させて円になって自分を囲む彼らを見回す。すでに涙は止まっていた。
一通り笑いあった彼らは、笑いを治め優しい瞳で今を生きる主と同朋を見つめた。
『お二人がお二人である以上、きっと大丈夫』
『どうか、あの方を、お救いくだされ』
『我々の非ではないほど、絶望されてしまった、あの可哀想な人を』
『私達はもう、共には居られないから』
「あの、方?」
しかし詳しい事はそれ以上告げることなく、アテナイ国の人々は姫に浄化を頼んだ。
―――愛した姫の炎で消えるのならば、もう、思い残すことはないと。
―――あの時、光り輝く未来をすべて奪われ息絶えた姫が、今を幸せに生きてくれるのならば、それでいいのだと。
そう笑って、300年前を生きた神の国アテナイの民達は、炎と共に消えていった。
✿ ✿ ✿
「終わった、のか」
ノアが呟いたことで、その場に居た全員がはっとした。
いつの間にかマルセルの魔力は消えていたらしい。
ランプの炎が風に揺れている。
床には意識を失ったアテナイ地方の人々が倒れているが、全員が無傷のようで、リュシアン達は安堵の息を漏らした。
「マルセル?」
ノア達が安全確認のために部屋の中を歩きまわり、セリアとキャロンが成仏したであろう民達を思って黙祷する中で、マルセルだけが動く事なく宙を見つめていた。
不審に思ったジェラミーが声をかければ、そんな彼を綺麗に無視して、マルセルはセリアとキャロンの方に向かって歩きだす。
彼女達の前に辿り着いたかと思えば、次はその床に跪いて頭を垂れた。
部屋に居た全員が一斉に息を呑んだ。
剣を床に垂直に付き差し、柄に額を押し付けるその礼は、騎士が君主と決めた者のみに許されるもの。そしてそれは、この国の君主、ダニエルに捧げられるべきもののはず。
けれど、魔力を有していたために一連のすべてを余すことなく見届けたマルセルは、一つ心に決めた事があった。
不意打ちの出来事に瞬きを繰り返す琥珀の女神と灰色の乙女を、その茶色の優しい瞳で見上げて、マルセルは口を開けた。
「憎しみに支配されて当然であるあなた方は、こうして我々イリーオス国の民を守るために己の民を消し去る決断までしてくれた。そして怒りに燃えていたはずの300年前のアテナイ国の人々もまた、それを是とし笑って逝った。気高く純粋なあなた方が神に愛された民である事は、見紛うことなき事実だと私はこの目にしかと焼き付けました。どうか、そんなあなた方に私の忠誠を誓わせてください。せめて浄化された魂たちに報いるために、彼らの代わりに、あなた方を生涯守ると、そう誓いたいのです」
一心に言い募る青年の姿に、キャロンは胸が一杯になったのか口元を手で押さえる。
「マルセルさま………」
隣でそう侍女が呟いたのを聞いたセリアは、はぁと溜息をつくと、青年を見下ろして尋ねた。
「私達が否といっても、どうせ聞き入れるつもりなんてないんだろう?」
「もちろん。否と言われても、あなた方は守るつもりです」
「だったら私達に決定権はないのと同じだろうが」
アホか、とじと目で睨み付けるも、どこ吹く風か。
青年は先ほどまでの真剣な顔を少し緩めて見せた。少しは緊張していたらしく、固まっていた身体が解れたのも同時に確認することができた。
「マルセルさま、ありがとうございます」
「この忠誠は、あなたにも捧げたつもりだよ。キャロン殿」
「あら」
アテナイ国の民を代表して、立ち上がったマルセルに近寄り深々とお辞儀をした灰色の侍女を見て、マルセルが笑って見せれば、何故かパチパチと瞬きと共に驚きの返事が返ってきた。
どうやら、セリアのみに向けられた言葉と思っていたらしい。
常に一歩引いて物事を見守る彼女らしい反応にそう驚きはない。
「僕は、アテナイ国の浄化された魂たちに代わって、これから『あなた方』を守っていくと誓ったんだ」
なので、マルセルはきちんと言葉にして彼女にそう告げれば、背後から鋭い殺気が飛んできた。
もちろんこれも想定内の話だ。
むしろ、セリアに忠誠の言葉を捧げた時、リュシアンから何も放たれなかったことの方が驚きだったのだが、きっとすでに想いを通じ合ったことで余裕が生まれたのだろうと推測出来た。
「こらこら」
まるで大型犬を目にした小型犬が、全身の毛を逆立てさせて威嚇するかのようにマルセルを睨む弟を宥めるように、兄が数回その肩を叩けば、なんとか毛を逆立たせることは止めてくれたらしい。
睨む視線は逸らさないものの、雰囲気が幾分かマシになったようだった。
「ふぅ、これで一応ひと段落ってとこか」
最後の住民の無事を確認したノアが立ち上がり、床に付けていた膝を何度か叩いて汚れを落としつつ深い息を吐いた。
何とも言えない、安堵が含まれたそれに、キャロンやセリアも頷いた。
「あの方、というのが引っかかるが、とりあえずは誘拐された者達もこうして戻ったからな」
「わたしと姫さまの力で全員一気に移動させましょう」
セリアがノアに賛同するように頷けば、キャロンが両手の手のひらを合わせて提案する。
とそこで、急にセリア、キャロン、ノアを除く三人が難しい顔をして黙り込んだ。
一つの光景が彼らの脳裏に蘇っていたのである。
「どうした」
素早くその違和感を感じ取ったセリアが問いかければ、代表するようにリュシアンが視線を彼女に向け口を開く。
「実はセリアさん達と合流する前、妙な黒い影と会ったんだ。………魔力なんてなにもない、僕やジェラミーさえも違和感を感じるぐらい恐ろしい雰囲気を纏っていた。僕ら全員が、その影を前にしたとき、動けなくなった」
「絶対絶命だと思った」
リュシアンの後に続くように、ジェラミーがそう言った。と同時に、彼はその時の様子を鮮明に思い出したのか、どこか青白い顔で右手を左腕に添え上下に摩り始める。
「あぁ、一応魔術の中に瞬間移動を含んでいましたから。魔力が切れると、自動的にわたし達の元に戻ってくるようにと」
事もなげに言い放ったキャロンの種明かしに、三人の青年は思わず固まった。
「え、それって。もし僕達がリュシアンを見つけてなかったらどうするつもりだったの」
かなり危ない賭けではないだろうか。
「見つけるだろうという前提の魔術だ」
ある意味自分達を信頼してくれているとも取れるセリアの言葉に、それ以上は何も言えず、三人は賢明にも沈黙を守った。
再び微かに緩んだ空気の中で、一人だけ言葉を発していない者が居た。
ノアだ。
そんな彼の視線が、この部屋で唯一といってもいい扉の方に釘付けになっている。
「あ、あのさ」
微かに漏れた声は震えていて、誰もが何事かと彼を見つめれば、
「影って、あれの事、か?」
一斉に振り返った先に、先ほどリュシアン達が対峙した同じモノが、月明かりを背後に音もなく立っていた。




