踏み入れるは、深海の森
リュシアンが攫われたことで、自体は急展開を見せることとなった。
息子が攫われたとあって取り乱す公爵当主を使用人達に任せ退席させると、他の集まっていた使用人達にも持ち場に戻る様お願いする。
セリア達五人だけになった途端、騒然としていた部屋が一気に音を失くす。誰もかれも、事の重大さに混乱し、息を潜めているのだ。
窓越しに山の方を見ていたマルセルが、他の四人を振り返って声を上げる。
「だけど、どうやって見つけようっていんだい?リュシアンには、なんの目印もつけていないよ」
ジェラミーとノアが顔を青くするのとは対照的に、セリアとキャロンはひたとマルセルのみを見据えている。
その瞳の静けさに、マルセルが居心地が悪そうに身動ぎをした。と、セリアが口を開く。
「お前は、あの時止血のためとはいえ、リュシアンに強力な魔力を施した。そこで、マルセル、お前とリュシアンの間に確かな糸が結ばれたはずだ。その糸を辿れば彼を見つけ出せる」
できるな、と言外で聞かれた気がして、それと同時に否とは言わせない無言の圧力を感じ取る。
「た、辿るって、どうやって………」
もちろん、リュシアンを助け出すために己が必要なのだというのなら喜んで身を捧げよう。ただ、やり方が分からない。
眉をハの字に心細さを倍増にさせた声音でマルセルが問えば、無だったはずのキャロンが一気にその表情を和らげて彼の隣に立ち、その背中に手を添えた。
「もちろん、わたし達が援護に周りますから心配はいりません。信じてください」
「時間がない。行くぞ」
大事な打ち合わせを手短に済ませ、セリア達が屋敷を出ようと玄関の前にやって来たところで、大きな影がぬっと姿を現した。
「りゅ、リュシアンが」
それは、前に見た威圧感をすっかり失くし、食が細くなったせいで頬が扱けたユラウスだった。
まるで大きな影のような出で立ちの彼を目の前に、セリアはようやくそこで彼の存在を思い出す。リュシアンの事で、すっかり存在を忘れてしまっていた。
それは彼女だけではないようで、キャロンやマルセルもまた、数回の瞬きを繰り返しながら、目の前のユラウスを見つめていた。
そんな彼らの後ろで、ノアが後頭部を掻きながら小さな溜息を付けば、長身の男の肩が揺れる。それだけでセリアは状況を察することができた。
ノアのお蔭で、調子に乗っていた公爵家跡継ぎも少しは反省をしたらしい。
「なにか用か」
だからと言って彼に同情の気持ちで寄り添うつもりは毛頭ない。
先に進まなければいけないのだと暗に告げながら、形だけの質問を投げかけても、ユラウスは視線を足元に落としたまま固まっている。
「時間の無駄だ」
一応弁解の余地はくれてやった。
それに返答がないのは残念だと、琥珀の瞳を一瞬だけ寂しげに伏せて、セリアが身を翻した直後、何かが床に叩きつけられる音がした。
背後から、誰かの息を呑む音が聞こえる。
振り返って見えたのは、ユラウスが床に跪いて背中を丸めた姿。そのせいで後頭部が丸見えになっている。
「お、弟をっ!」
折りたたんだ膝の上に乗せた拳が、白くなるほどきつく結ばれている。
ユラウスの切ない声音が辺りに響き渡った。
「リュシアンの事を、どうか助けて頂きたいっ!」
ふっ、と、知らずの内にセリアの口元が緩む。
これで、ミネルバ公爵からの依頼の一つは達成したかと思い当たった故の笑いだった。
入り口の取手に手を掛けたまま、琥珀の瞳を煌めかせ、彼女は笑う。
「当たり前だろう」
✿ ✿ ✿
馬を走らせてやって来たのは、突然異空間に繋がったあの場所ではなく、そこから少し右に逸れた場所だった。
空間の位置と、リュシアンに向かって飛んでいた魔力の方向を辿ったセリアとキャロンの話し合いの結果、今回の事件の大元はアイテール家の離宮の可能性が高いという結論に至ったためだ。
馬は屋敷に帰る様に指示を出した。王が直々に遣わせるほど賢い馬達だ。
きっと問題なく帰り着くことだろう。
何者かに呼ばれ、霧と共に消えて行った人々は、ここのどこかに居るはずのなのだ。
誰も立ち入ることの出来ない開かずの森。
その後ろに聳え立つは、神々の住まう山脈。
しかし、彼らにそれらを恐れる謂れはなかった。
それは仁王立ちになり、目の前に広がる壮大な光景をひたすらねめつける300年前の皇女の存在があるからに他ならない。
今の彼らは皆同じ服装に身を包んでいる。
戦闘に備えるため、ミネルバ家にある騎士の服を借りた。セリアもキャロンも例外ではない。
楔帷子の役割も果たす肌着の上に、重ねるように丈の短い上衣を着て、ズボンはブーツの中に押し込み少しでも動きやすさを重視する。全体的にくすんだ色で統一されたそれらは、暗闇の中で敵の意表をつくには持って来いである。
ノアは弓矢を背中に背負い、セリア、ジェラミー、マルセルの三人は剣を腰に差し、キャロンは二つの短剣を胸元に隠し持つ。
その上に黒い外套を被る事で色鮮やかな髪の色さえも隠した。
全員が同じ服装であるにも関わらず、セリアからのみ零れ出る神々しさは、果たしてその魂の為せる技なのだろうか。
辺りは雲で覆われ薄暗いはずなのに、彼女の身体だけは、仄かな白い光で包まれているようだった。
彼女は何をも恐れない。
そこに違和感なく寄り添うのは、彼女の乳姉妹。
今の姿でこの神々しさを有しているとしたら、300年前の『女神姫』の姿であった彼女は如何ほどだったのだろうかと想像した。
傍にいるだけで心強さを与えてくれる姫。
今自分達が感じている気持ちを、きっと亡きアテナイ国の人々は感じていたのだろう。
その光が、たった一人の人間の身勝手な願いで絶たれた時、アテナイ国の人々は何を想ったのだろうかと。
森の中に分け入って行く彼女達の後姿を見つめながら、亡き人々の事に想いを馳せていたノアやマルセル、ジェラミーは、堪らずその瞳を閉じた。
―――もしこの騒動の先に、アテナイ国の人々の悲しい想いが詰まっているのだとしたら、果たして自分達はこの剣を振るうことが出来るのだろうか。




