修行開始
「おい」
次の日の朝、朝食を食べ終わり席を立ったセリア達の元に、ユラウスがやってきた。
ちなみに、今この場に居るのはセリア、キャロン、ノア、そしてマルセルのみである。双子達は、父親に呼び出されたので、合流するのは昼過ぎになるだろう。
「………なにか」
昨日のリュシアンの話を聞いて、少し同情をユラウスに対して持つようになっていたセリアは、比較的穏やかに対応する。
その後ろで、立腹気味のキャロンをノアが羽交い絞めにしていたが、それはあえて見えないふりをしておいた。
「私はこの地を治めるミネルバ家の次期当主だ。部外者であるお前達の好き勝手は許さん。これからは私の視界に入る範囲で行動するように」
どこまでも上から目線な男である。
いつまでも昔の事を引きずり、そのせいで家族が強く出られないことをいいことに、家の権力を笠に着て、大口を叩く男。
それは、セリアが一番嫌いな分類だった。
先ほどまで、小指の爪ぐらいはあったセリアの彼に対する同情心が、ハンマーで叩き割られたガラスの如く綺麗さっぱり粉々に砕け散った。
それらがすべて飛び散ったのを脳内で見送ったあと、セリアは真正面から男を見返す。
「お前の命に従う謂れはどこにもない。失礼するぞ」
怖いモノ知らずのセリアはくるりと逆方向を向いて歩き出す。
怒り狂っているキャロンはいつの間にかノアの腕から抜け出し、セリアに付き従う。その際、思いっきりユラウスの方を睨めつけることは忘れない。
マルセルも、自分の立場上別にユラウスに命令される謂れはないので、にっこり笑って軽く会釈するとセリア達の後を追った。
残されたのはノアである。
彼は見まがうことなく平民であり、かなりの常識人だ。
上の人間からあのように言われれば、困惑するのは当然。
何度もユラウスと遠くなるセリア達の後姿を交互に見た後、小さく溜息をついた。
彼が守るべき対象は二人の少女。彼女達と共に行動しなければ、何かあった時に困る。
無言のまま、ある意味の申し訳なさを込めて深く一礼したノアは、そのままセリア達を追うべく足早に去っていった。
残されたユラウスは、目を白黒させたまま廊下に棒立ちになっていた。
✿ ✿ ✿
馬頭から、王都から連れてきた四頭の馬を借り受けて、セリア達四人は先を進んでいた。
「あー危なかった!」
二列に並んで歩いている途中、セリアの隣に居たマルセルが屋敷が見えなくなった事を確認して大きく息を吐いた。
「だからっ、なんなんですか!あの男はっ、ミネルバ家に相応しくないにほどがあります!」
彼の後ろにいるキャロンも手綱を強く握りしめて負けじと大きな声で不満をぶちまけた。
「あれは、なぁ、もうあぁいう人間だと諦めるしかないだろうさ」
一行を先導するためにマルセルの少し前を進んでいたセリアは言葉少なにそれだけ言えば、ノアがまるで肺の中にある空気すべてをぶちまけたのかいうほど大きなため息をついて見せた。
「俺、まじ心臓何個あっても足りねぇよ、お前らといると」
彼らは進むのは、先日の道とは逆方向の、山と川しかない場所だった。
ミネルバ邸の周りにある三つの橋を渡った先にある一番山に近い場所。誰も近寄らないであろう人里から離れた場所を彼らは目指していた。
「ここでいいだろう」
川は遠くにある。
目の前には森があり、その後ろには仰ぎ見るほどに壮大な幾重にも連なる山々。見上げてみても、その頂が見えることはない。
そこは、山の傍の中でもかなり開かれた広場だった。
神々の山と言われることはある。
傍にやってくればくるほど、ノアとマルセルはまるで何かに絡めとられるような奇妙な気分になっていた。
少しでも自分という存在を見失えば、そのまま森の中に連れ込まれてしまうような。
急に恐ろしくなった。
「恐れるな」
恐怖に身体を硬直させた直後、セリアが二人の前に立ちはだかった。
ふわりと、彼女の周りを包み込む光が出来た。
その光は徐々に力を増し、それは炎となった。けれどその火は、前回彼女が我を忘れて放った狂暴なものではない、暖かさと力強さを与える物。
これが本来の彼女の力なのだろう。
「ここはそう言う場所だ。神は気まぐれだ。人に力を貸す時もあれば、見殺しにすることもある。大事なのは、神々をも恐れぬ強い意志。それがなければ、私達と共にこの中に入っていく事は不可能だぞ」
彼女達がユラウスの言葉を切り捨ててこの場所にやってきた理由。それは、これからに備えて男達を鍛えるためだった。
マルセルには時の魔力の制御方法を。
そしてノアには、山の麓に隠された城に近づくための意志の保ち方を。
「相手が魔力を持つと思われる今、わたし達だけではもしかしたら庇いきれぬ場面が出てくるやもしれません。その時に、冷静に対処してもらわなければ、生き残れない」
そう言ってセリアの横に立ったキャロンもまた、その身を薄い膜で覆っていた。
きっと、それは彼女の結界。
「これはアイテール家、引いてはアテナイ王国の民の問題。イリーオス国に300年の時を経て生まれたあなた方まで、巻き込まれる必要はないのです」
灰色の髪が、ふわりと風に揺れた。
「覚悟は、あるか」
琥珀の瞳が二人の男を射抜く。
不思議な事に、先ほどまでの恐怖は綺麗さっぱり無くなっていた。
ノアとマルセルはにやりと笑ってセリアとキャロンを見据えた。
そうだった。
自分達は今、非日常の世界に居る。望んで、この場に居るのだ。この少女達と共にあるために。
少しでも自分達にその資格がないと思えば、彼女達はすぐに自分達を置いて行ってしまうことだろう。守るために。
―――置いて行かれて、たまるか。男達の心の声は、しっかりとセリアにも届いたらしい。
「良い目だ」
満足そうに笑って、頷いて見せると同時に、修行が始まった。
お昼を少し過ぎた所で、用事を終えたリュシアンジェラミーが合流した。
そこで彼らは、魔力の使い過ぎで地面に伸びた状態のマルセルと普段は使わない頭の使い過ぎてその隣に突っ伏すノアを見た。
「なんか、大変そうだね」
「だ、大丈夫か?生きて、るか?」
すぐさま彼らの傍にやって来た双子達は、それぞれのやり方で労う。
といっても、リュシアンは笑顔で彼らを見下ろすだけであったし、ジェラミーも恐る恐るといった体でマルセルの身体を突いているだけなのだが。
「見込みはある。後は体力をつけるだけだ」
涼しい顔で近くの岩に腰かけていたセリアが、今日一番の労いの言葉を投げてよこした。が、完全に伸びきって居る男達からの返事はない。
「あの、お二人はなんともありませんか?」
後からやって来た双子を見てキャロンが首を傾げれば、質問を受けた双子の白と黒の彼らも同じようにきょとんとした顔になった。
「ん?別に?」
リュシアンは腕を回しながら平気そうな顔で見返してきたし、
「なにかあるのか?」
ジェラミも同じように両手の拳を開けたり閉めたりしながらも普段通りの様子で言葉を零していた。
双子達のそんな様子を一通り見ていたキャロンは、不意に目を細める。
それはセリアも同じ。
どちらも溢れだしそうな心に蓋をして平然を装ったつもりだったが、その瞳は堪らず揺れていたので、リュシアンとジェラミーには彼女達のあべこべの表情が筒抜けだった。
何を思っているのかわかった気がして、彼らは唇を噛み締める。
一方のセリアとキャロンは、そんな双子の様子には気づかず、お互い目配せをしあった。
「ミネルバ家の血のせいか。………それとも」
「彼らは、あの人達ではない、のに。どうしてこんなにも似ているんでしょうか」
「なんて酷な事をするんだろうな。運命って奴は」
セリアの言葉が、風に乗って山の向こうに飛ばされていった。