愚孫を嘆く先祖の彼女
リュシアンに兄と呼ばれたこの男こそ、ミネルバ家の人間が揃いも揃って頭を抱えた問題のご子息とみて間違いないだろう。
セリア達は初対面となるユラウスをゆっくりと観察した。
どんなものかと思っていたが、見るからにめんどくさそうな人物である。誰にも気づかれないよう角度で、セリアとキャロンは小さく眉を寄せて見せた。
前世の記憶に加え、宿屋を家に持つ彼女らはこれまで数えきれないほどの人々を見てきた。その中でも上位に位置するほど、ユラウスは人相があまりよろしくないのだ。
顰め面は基本の表情なのだろう。
そこまで歳を重ねていないにも関わらず、眉間の皺に加え、口元などにも幾つもの深い皺が浮かび上がっている。彼の纏う空気も固く、あまり居心地の良いものではなかった。
可哀想に、後ろに付いているである彼の部下達は誰もが揃いも揃って怯えた表情で目の前の上司を窺っていた。
「リュシアンに、ジェラミーか?お前達、こんな所で何をしている」
すぐに己の弟達に気づいた兄が質問を投げかけた。けれどすぐに彼らの手の中にある書類を見つけ更に険しい顔になった。
どこまで深い皺が作れるのかと、無言で事の成り行きを見守っていたセリアは半ば面白半分に目の前の人物を観察していた。
「何故、お前達がそれを?この事件は、我に一任されたはずだが」
初耳である。
もちろん、そんな事聞かされていないリュシアンとジェラミーが言葉を返す。
「そんな事、父上は一言も言ってなかった。俺達は、父上の命を受けてここにいる」
「兄上の邪魔をする気はないから、安心してよ」
その言葉達は、彼らにしては珍しく、棘が篭っているようにも聞こえる。
するとユラウスは馬に跨ったまま鼻を鳴らす。
「はっ、お前達には到底足も及ばぬ事柄だ。子供が面白半分に足を突っ込んでいい事ではないぞ」
どこまでも上から目線な男である。
そしてその兄の標的が、弟達からその後ろに居る四人の人物に移った。
「お、お久しぶりです、ユラウス殿」
「アスキウレ公爵家の嫡男はまだ良いが………誰だ、その三人は」
マルセルが頭を下げて礼儀正しく挨拶をすれば軽く流された。すでに彼の視線はセリア、キャロン、ノアに固定されている。
あまり歓迎されている様子でない事は一目瞭然。
「彼らは調査に協力してくれる人達で」
「あぁ、前に父上がなにか言っていたような………しかし、何故この様な者達を連れてきた、馬鹿か、お前達は。ここはどこよりも神聖なオーリンピオスに最も近い場所。ただの民間人が近寄っていい場所ではない。そんなことも分からんのか」
「「「「………」」」」
男性陣が押し黙ったまま横目でセリア達を窺った。
ユラウスの物言いは、あまりにも失礼である。
確かに何も知らされていないのだから、敬意を示さない事は理解できる。だが、初対面でここまで彼女達の存在を、ただの民間人と見下すのは些かいただけない。
セリアの堪忍袋の緒が叩き切られていてもなんら不思議ではない状況だった。こんな所でセリアとユラウスが喧嘩でもしようものなら、恐ろしい未来が訪れるのは目に見えている。
どうやってこの場を治めようかと皆が思案していれば、意外や意外、セリアはただ黙って馬の手綱を器用に操り、ユラウスに背を向けるように身を翻した。
「お、おい貴様!!民間人の分際で、挨拶もなしにこのユラウスに背を向けるかっ!」
顰め面の表情に、少しの朱色が加わる。
確かにミネルバ家は、イリーオス国の三公の一つで、ユラウスはその公爵家の嫡男。この土地では、当主の次に権力のある者である。
彼が叱咤すれば、誰もが震えあがり許しを請う。
けれど、今回は相手が悪かった。
肩越しにユラウスの方をちらりと伺ったセリアは、まるで挑発するように口元の端をやんわり持ち上げ、止めとばかりに鼻で笑った。
「すまんが、お前に名乗る名など持ち合わせてはおらん。………必要な情報はすべて揃った。屋敷に帰るぞ」
―――あ、終わった。男性陣の心の声が、本人達の預かり知れぬ所で見事に重なり合う。
華麗ささえ覚えさせる見事な手綱さばきを持って、セリアは颯爽と去っていった。
キャロンもまた無言でその後に続く。
礼儀を重んじる彼女にしては珍しいぐらい失礼に当たる行為だが、どうやら主を侮辱され静かに怒りを燃やしていたようである。
「な、な、な」
未だかつてない傍若無人な態度にユラウスが呼吸困難に陥る中、触らぬ神に祟りなしとばかりにリュシアン達も無言でその場を去ることに決めた。
残されたのは、怒り狂うミネルバ家次期当主と、そんな上司をはらはらと見守り可哀想な部下達のみ。
位置的に屋敷の近くに居たことと、無言で馬を進めた結果、行きの半分ほどの時間でミネルバ家屋敷へ戻ることができた。
無言だったのは、セリアとキャロンの纏う空気が重苦しかったからに他ならない。
ノアの方といえば、昔からそのような対応に慣れていたので気にも留めていなかった。
「せ、セリアさん、兄が、申し訳ない事をしたね」
屋敷に戻り、馬を預け、ようやく作戦会議をするために与えられた客間に戻った所で、リュシアンが恐る恐るといった体でセリアに話かけた。
彼が謝る謂れはどこにもないのだが、セリアの性格上、かなり立腹していることに違いはない。だとすれば、ここは素直に己が犠牲になろう、というリュシアンなりの配慮だった。
しかし、返ってきたのは意外な反応。
「ん?………あぁ、兄君か。いや、別に気にしてない。それよりも、確かめたいことがある、この地の一番詳しい地図をくれ」
きょとんとした表情でリュシアンを見上げたかと思えば、まったく怒った様子もなく、むしろ一連の件を忘れてしまったかのような振る舞い。
地図を要求されたので、慌ててジェラミーが傍の本棚を物色し始めた。
「なんだ、珍しいな。姫さんがあんな失礼な奴に怒ってないなんて」
ノアが意外そうに尋ねれば、セリアが苦笑交じり肩を竦めてみせた。
「あそこまでいくと、逆に怒る方が疲れるだろう。私は目的があってここにいるからな、あんな大馬鹿者に時間を割く余裕はない、それだけだ」
それに、と付け加えながら、彼女は視線を斜め前に座るキャロンに向ける。
「私の代わりに怒り狂ってる奴もいるし、平気だろう」
「本当に!!なんなんですか!あの者は!!」
キャロンが椅子に座りつつ、怒りに肩を震わせていた。
膝に置いてある手はドレスを掴んでおり、これまた憤りのため拳の中で握りしめられたそこは思いきり皺になってしまっている。
「仮にもミネルバの血を注ぎ、しかも次期当主だというのにっ!あぁ、なんという事でしょう、赦しがたい事ですっ!」
キャロンの怒りは冷めやらない。
どこかで落ち着かした方が良いのではないかと周りが思い始めた頃、キャロンが再び叫んだ。
「あの愚孫がっ!」
どこかで聞いたことのある台詞だな、とセリアとノアが頬を掻きつつ見守る事に徹した傍で、ある意味恐ろしい一言にリュシアンとジェラミーの顔から勢いよく音を立てて血の気が引いていく。
そうしてマルセルは心の中で合掌した。双子の魂よ、安らかであれ、と。




