そういうのは押し売りって言うんだよ押し売り、わかる?
電車が頬に触れる。極限まで遅くなった世界でその冷たさを感じる事もないまま、主水は最後の覚悟を決めた。
じゃあな、安優子。強く、幸せに生きてくれよ。バアさん、先に行く事になって悪いな。ショックでボケるなよ。まあ、またいつか会えるさ。だから、こっちにはのんびり来い。
主水は、覚悟を決める。
息子よ、お前は一発殴りたかった。マジで。ふざけんなよお前、ボケたからって速攻で老人ホームとかお前には情がないのか情が。ていうかそもそもボケてねぇし。あ、なんか最後に腹立ってきた。今際の際になんだよお前、今すぐここに来て俺に殴られろ、ていうかお前も一緒に轢かれろ。
主水は、覚悟を決めている。
息子嫁よ、あー、なんかなんだなぁ。バアさんとお前は仲良かったけど、あんまり俺とは絡まなかったな。まあなんだ、安優子をちゃんと育てろよ。
主水はいつまで覚悟を決めれば良いのか。
ていうか高遠お前最後まで迷惑かけやがってこの野郎、恩返しどころか仇で返しやがってこの野郎。……まあ、お前と時々する散歩は気分転換にはなったからさ。あの世でも、仲良くやろうや。ていうかあの世に行ったらボケは治るのか? 治ってくれないと困るぞお前、これ以上面倒見てらんないぞ。
そして、主水はさすがにおかしいと思った。
長くねぇ? ワシの覚悟長くねぇ?
世界はその速度を止めて、完全に静止していた。思考だけが加速しているのだろうか。そして、声が聞こえた。
「力が……欲しいか……」
「こ、こいつ……直接脳内に?」
108チャンネル定番のネタをつい返してしまう。
「力が欲しいか……」
再び声が聞こえる。なんだこれは。孫から借りた漫画でこういうのあったぞ。中性的で、男か女かは判別は付かず、人の声から個性を抜き取った様な不思議な声だった。
「力ってなんだよ」
頭の中で、聞いてみる。
「力は、力だ……今そこにある死を免れる力、そして究極の力」
「え、何? わかんない」
「力を得る事で、お前は死の運命を覆す事ができるだろう」
「え、これってそういう状況なのか? 何もジジイの死に際じゃなくてもさ、もっと若いやつに言ってやれよそれ」
「力は……いらぬと?」
「いや、いるとかいらないじゃなくてさ。もうワシジジイだから、ここで死ななくても近々死ぬだろうしさ」
返事をすると、少し間が開いて、再び声が聞こえた。
「本当に……必要ないのだな?」
「いらねぇって、別のやつにくれてやれよ」
少し苛立ちながら、主水が返事をする。
「普通ほしがるぞ……? 力……。究極なんだぞ……?」
「いやワシ覚悟せっかく決めてんだしさ、いらねぇっつってんの。なんだよ押し売りかよ勘弁しろよ」
少し間を置いてから、鼻をすする音が聞こえた。え、この声誰だか知らないけどさ、ショック受けてんの? 泣いてんの? ていうか鼻すする音まで脳内に伝えんじゃねぇよ。主水が内心思っていると、どうやらそれも伝わってしまっているらしかった。
「ショ、ショックとか受けてないし……。泣いてないし……。別にさ、いらないって言うならあげないし……」
なんだこいつはいじられキャラか。
「ああいらねぇよ、くれってそもそも言ってねぇよ、他のやつにくれてやれよ」
「そんな事言って……後で後悔しても知らないぞ……本当に後悔するからな……? 本当の本当だぞ……? 他のやつにあげちゃうぞ……?」
めんどくせぇ、と思っていると、声は聞こえなくなった。これで、ようやく安らかに逝ける。そう思って目を閉じた次の瞬間、何か重いものがぶつかるような、嫌な音が聞こえた。
思ったよりも衝撃はない。衝突音も、想像したよりは大きくない。楽なもんだ、これなら別に死ぬなんて怖がる事もなかったなぁ。目を開いたらそこはもう天国か。
主水がそんな事を考えてながら目をゆっくり開くと。
目の前に、右手で電車を止める筋肉がムキムキになった高遠がいて、思わず主水は悲鳴の様に叫んだ。
「お前かよ!」