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ボケジジイと孫がデートって意味わかんねぇ

 空は雲一つ無く、主水の目には少々まぶしすぎた。手でひさしを作って目を細め、主水が思わずぼやく。

「あちぃなぁ」

「暑いって事は、健康な証拠だよ!」

 隣の安優子が、にこにこしながら言った。確かにそうかも知れない。しかし、辛いものは辛いのだ。老人は汗が出にくいから、なおさらだった。

「まあそうだな。それじゃ行こうか」

 気遣って言ってくれているのだから否定する事はあるまい、と相づちを打ちつつ、主水たちは歩き始めた。

「カヨちゃん、水族館楽しみだね!」

 高遠お前は。孫との会話に割り込まれ、主水の中に先ほど生まれた少しだけの優しい気持ちが、早速消え去ろうとしていた。


 いつも通りの散歩のコースだが、孫がいるとやはり違う。何度歩いても、孫がいる、それだけでなんとなく楽しい道になる。安優子がついてきてくれて良かった、と主水は内心思った。高遠のテンションも上がりっぱなしだ。さっきからこいつは何度カヨちゃんと口にしたのか。回数を数えるカヨちゃんカウンターがあったら、すごい勢いで回るに違いない。

 高遠の眼前には昭和の町並みが広がっているのだろう。コンビニを指して駄菓子屋と言ったり、新築のマンションを指してお化け屋敷と言ったり、知らない人が見ても一瞬でボケジジイだ、と気付く様な言動をひっきりなしに続けていた。

 しかし、高遠の言葉から昭和の町並みを想像するのが楽しいのか、安優子は興味深げに聞いて、相づちを打つ。二人の会話を聞いていると、主水の眼前にも懐かしい風景が広がっていくような心持ちがした。目の前にいるのが、孫じゃなくて本当にカヨちゃんの様な気分になる。

 もし大学生の時、高遠とカヨちゃんが付き合っていたら。そのまま結婚していたら。ボケた今、口にする名前はどうなっただろうか。それでもカヨちゃんだったのか、それとも別の女の名前が出てくるのか。

 そんな益体のない事を考え、孫が隣にいるというのに、昔のIFに思いをはせる自分に驚く。桜田ファミリアに入居する前は、毎日新しい事がたくさんで、昔の事に思いをはせる暇などなかった。ブログを書いて、ニュースサイトを読んで、MyTubeで動画を見て、ハッキングから夜のおかずまでサポートする掲示板の108チャンネルで煽って。

 思えば、忙しい日々だったのかも知れない。昔の事でも思い出しながらゆっくり散歩する、こんな日ももしかしたら悪くないのかも知れないな。主水はそんな事を考えつつ、しかし、首を振った。

 いかんな、なんだかボケる前兆……いや、フラグっぽいぞ。そうだ、ワシはまだ若い。安優子が結婚してひ孫をこの手に抱くまでボケてたまるものか。

 そして、いつも通っている踏切の前で止まった。

「カヨちゃん?」

 高遠がつぶやく。しかし、その視線は孫の安優子を見ておらず、踏切向こうで遠ざかる老女の後ろ姿に注がれていた。

「え、カヨちゃんだって? まさか本物がいたのか? あのバアさんか?」

 主水の問いかけに答えず、高遠が車椅子から身を乗り出す。

「カヨちゃん!」

 高遠が叫び、車椅子から転げ落ちた。

「おいおい、勘弁してくれよ。戻すのきついんだよ、車椅子に」

 主水が毒づくが、耳に届いていない。何度もカヨちゃん、カヨちゃん、と叫びながら、高遠が四つん這いで進んでいく。服をつかんで引っ張るが、どこにそんな力があるのか、じりじりと高遠は進み、主水は止める事ができないでいた。

「おい高遠、お前、ここ踏切なんだからさ。アブねぇだろ、止まれよ」

 高遠は止まらない。ため息を吐き、手を離す。電車が多い踏切でもないのだ。途中で諦めるか渡りきるか、待てばいいだろう。そう考える主水の耳に、折り悪く、カンカンという踏切の耳障りな音が聞こえてくる。

「おい待てよお前、しゃれになんねぇ、止まれ」

 高遠のシャツを再び掴み、思い切り引っ張るが、びくともしない。高遠の火事場の馬鹿力だけではない、主水も歳だ、力が弱いのだ。安優子も一緒に引っ張るが、安優子はまだ中学生だ、部活も文化系だ、高遠の火事場の馬鹿力に及ばない。

 うんうんうなっていると、遠くから電車のガタゴトという音が聞こえる。

「おじいちゃん、どうしよう?」

 安優子が不安で焦りながら聞いてくる。

「わかんねぇ、何だこの馬鹿な状況は、高遠この野郎」

 主水も焦ってろくな返事を返せない。電車の音が近くなる。なんとか、高遠はまだ遮断機の手前で止まっているから、このまま引き留め続ければ問題ない様にも思える。しかし、この状況に安心はできない。このまま引き留めればいいのか、それとも何かした方がいいのか。焦りが重なって、混乱に近づいていく。すると、安優子が

「そうだ、おじいちゃん、非常ボタン! あれ押せばいいんじゃない?」

 と思いつく。

「押したらどうなる?」

「電車が止まるんじゃない?」

「でも、まだ遮断機超えてないぞ」

「超えそうになったら押す感じで」

「そうか、そうだな、それで行こう」

 主水が同意し、安優子が高遠から手を離した。しかし、その判断は少しばかり遅かったし、その対応もよくなかった。

 安優子が手を離して緊急停止ボタンに向かうなり、自分を引っ張る力が弱まった事に気付いたのか、高遠が出さなくてもいい力を振り絞る。

「カヨちゃあああぁぁん!」

 高遠が叫び、恐ろしい力で一気に飛び出す。

 人間ってすごい。

 混乱していた主水は、そんな事を考えた。高遠の手のひらは地面ですりむけ、血が出ている。ズボンも、所々赤く染まっている。手だけで、遮断機をくぐり、一気に線路上まで高遠は到達し、主水もそれに引っ張られて線路上に倒れ込む。

 いつの間にか、電車はすぐ側まで来ており、金属同士がこすれ合う耳障りなブレーキの音が、主水の耳を貫く。

 出るのが早ければ、電車は早めにブレーキをかけて事なきを得ただろう。ちょっとだけ早くても、孫が非常ボタンを押しただろう。逆に遅かったとしても電車で老婆の姿が隠れただろう。

 何故こんな絶妙なタイミングなのか。馬鹿じゃねぇのか、と思って主水は苦笑した。そして、世界は段々と速度を落としていく。


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