十一話 新しい生活の迎え方
翌朝。
銀髪をぴんと跳ねさせた光理が、カーテンの閉め切られたリビングに降りてきたのは、もう随分と日が高く昇ってからだった。
「おはよー、ヨースケ。ふぁぁあーあ……」
「相変わらず、朝が弱いな」
「まあね~。吸血鬼になっちゃったから、余計なのかも」
とはいえ、長年の付き合いである以上、俺としても織り込み済み。
あいつが限界ギリギリまで惰眠を貪っているのはいつものことで、小学校の頃なんかは、遅刻を防ぐためよく家まで出迎えにいっていたのだから。
それに、この世界に戻ってきて初めての朝だ。
少しぐらい寝坊したとしても、決して罰は当たらないに違いない。
「そういうヨースケは、やっぱり早起きさんだね」
「まあ、今となってはその必要はなくなったんだが……。身体にしみついた癖みたいなもんだからな」
「……そっか」
ちなみに、俺が起きたのは六時前。
それから朝食の支度を済ませ、家事の一通りを済ませていた。
この生活サイクルを人に話すと、高校生にしては健全すぎるとからかわれるのだが……。
足の怪我を考えれば、電車に間に合わないからと走るわけにもいかない。
かといって、母さんに車で送ってもらうのも迷惑がかかる。
早め早めの行動を心がけていった結果、自然とそうなってしまったのだった。
なので、前述のとおり、朝の食事だけは俺が担当している。
俺の生活リズムに、母さんを付き合わせるのは忍びないし。
「そういえば、ヨーコさんは?」
「朝から寄合があるからって出かけてる。『黒マントの不審者が出たから』だとさ。……多分、お前のことじゃないのか? 昔、似たようなことがあったから、警戒が強いのかもしれない」
「う……。そんなに人目にはついてないと思うんだけど。でも、マンションを練り歩いたりしてたからかなあ」
……村社会というべきか。
この辺りは地域のコミュニティがそれなりに盛んなので、ちょっとした噂でもすぐ広まってしまう。
だから、今の光理に関しても、対外的に何かしら理由付けが必要になるのかもしれない。
そんなことを頭の隅に置きつつも、俺はあいつを席につかせ、
「すぐ帰ってくると思うぞ。兎も角、朝飯を片づけてくれよ。洗い物も済ませておきたいからな」
と言い残してキッチンへと向かった。
◆
ブランチというんだろうか。
昼食に片足突っ込んだ朝餉を一口食べると、光理は握っていた箸をわなわな。
そして感極まった様子で叫びだす。
「うーん! やっぱり日本人の朝は白ごはんと味噌汁に限るね!」
と。
それを受け、俺の中に素朴な疑問が一つ。
「……確か、昨日も似たようなこと言ってたよな。そんなに和食って感激するものなのか?」
うちの父さんは、何かと世界を飛び回っているが、帰国してもドラマで見るようなセリフは吐かない。
曰く、『異国料理も口に合うから不満はない。唯一飯に関して辛いのは、洋子のそれが食えないことだ』だそうで。
だから、俺にとって光理の反応はレアケースで、余計に気になってしまった。
「そりゃそうだよ! 向こうの世界の食生活なんて、酷いものだったんだから! 魔物がうじゃうじゃいたにしても、料理の種類は有り得ないほど少ないし……。その上、出汁とか旨味とか、こっちじゃ当たり前の概念すらないんだもん!」
「お、おう」
……だが、どうやら異世界の勇者様の地雷を踏んでしまったらしい。
光理は、犬歯を剥き出しにするほどの剣幕でまくしたてる。
もっとも、箸の手は休めない。
その上で、咀嚼の音を響かせるわけでもなく、光理は手際よくぱくぱくと食べ続ける。
「だから、僕も勇者として――いや、一人の異世界人として、食の伝道師になろうとしたんだよ! でも、どう伝えていいかもわからないし、誰もわかってくれないし……。いや、それで出来た料理はそれなりに美味しくはあったんだけど……色々辛かったよ……」
「な、なるほど……。肉じゃがみたいなもんか」
その話で連想するのは、ちょっとした逸話だった。
肉じゃがの元祖とは、海外でビーフシチューを食べた人が、その味を忘れられず、お抱えのシェフに再現を命じた結果なのだという。
そう考えると、なんとなく心情が理解できる。
どれだけ美味しくても、やはり別物は別物。
郷愁を慰めるには何処か物足りないということなのだろう。
「まあ、一番の原因は光理じゃないか? お前、全くといっていいほど家事出来ないしな……」
「ぐぬぬ……。確かに、あの時ほど家庭の授業を真面目に聞いとけばよかったって思ったことはないけど……! でも、王都に『勇者』印のレストランを出すぐらいには、成功してたんだよ!」
「ふーん……? お前も色々手広くやってたんだな」
さて。
そんな他愛もない世間話が終わり、茶碗の中身が空になるころ。
玄関の開く音がした。
「おまたせ、庸介。あら、光理君も起きてたのね」
「あ、おはよう、ヨーコさん」
程なくして現れたのは母さんで、その手にはA4サイズの封筒が何束か握られている。
「寄合だけにしては帰りが遅かった気がするけど、一体何を持ってるんだ?」
「ふふふ、後のお楽しみ。ね?」
「「……?」」
煙に巻かれ、俺と光理の視線が合った。
やはり、あいつにも心当たりはないらしい。
もっとも、それを問い詰める時間は与えられなかった。
母さんは、指をパチンと打ち鳴らして言うのだ。
「それじゃあ、光理君がご飯を食べ終えたところで、身の回りの物を揃えに行きましょうか!」
と。