十話 長い一日の終わり方
「あー、美味しかったっ!」
「け、汚された……」
ベッドに横座りし、満足げに唇をぺろりとする光理とは対照的に、俺はシーツに包まりながらさめざめと。
「……失礼だなあ、ヨースケは」
そんな姿を心外そうにぼやかれるのだが、俺には怒る気力すらなかった。
幼馴染による吸血行為はたっぷり十分ほど。
その間、一方的な抱擁はずっと続いていた。
……肉付きは薄く、華奢ではあるものの、その身体の性別は間違いなく少女なわけで。
こちらからも強く抱きしめ、その柔らかさを存分に味わいたい――。
中身が光理だとわかっていても、そんな衝動に駆られたのは一度や二度じゃない。
それでもなんとか踏みとどまれたのは、直前に『これから光理とどう付き合っていくか』を考えていたからだろう。
あくまでも同性の親友として、傍にいてやりたい。
そのためにも、俺が変なことをして、光理を傷つけるわけにはいかなかった。
「……なんで腕じゃ駄目だったんだ? 血なんて、何処で吸っても変わらないだろ」
とはいえ、頬が熱いのは変わらない。
そんな気まずさを払拭するためにも、むくりと起き上って尋ねてみる。
ちょうど、光理の隣に座る形だ。
「んー。そういうわけでもないんだよね。さっきも言ったけど、なんで血を吸うのかといえば、含まれてる魔力目的だからさ。脳に近い部位であればあるほど、効率が良くて美味しいっていうか」
どうやら、先ほどの行動は、吸血鬼の本能に身を任せた結果らしい。
だとしたら、悪気はないんだろうが……。
「……次から、さっきの吸い方は禁止な。腕で我慢すること」
毎回これでは、俺の神経がすり減ってしまうのできつく言い含めておく。
すると、ぐぬぬと唇を尖らせる光理。
その上、
「むぅ……ヘタレめぇ……!」
と怨嗟の声を上げていた。
そこまで首筋からというのは格別なんだろうか。
まあ、無理強いするつもりはないようで、渋々とだがこくんと頷いてくれたのはありがたい。
「わかってくれると助かる」
「……ま、僕がここにいられるのは、全部ヨースケのおかげだもん。本気で嫌がることはしないよ。美味しいご飯にあったかい寝床、それにお父さんたちのことの恩は絶対に忘れないんだから」
「それは嬉しいんだが……。ちょっと大袈裟じゃないか?」
「ううん。だって、行き場がない以上、落ち着くまで山奥に引き籠るしかないと思ってたし」
「山奥?」
「うん。誰も来ないような、ずーっと辺境の方。そこで、クマとかサルの血を吸って生きておこうかなって」
な、なるほど。
その言葉は、先ほどから抱いていた疑問の回答で、俺は心の中で頷いた。
それは『何故、光理は男――要するに俺だ――に平然と噛みつけるのか』というもの。
兄弟同然に過ごしてきた幼馴染で、他に選択肢はないとはいえ、少なからず嫌悪感は覚えているはず。
というか、自分が同じ立場なら勘弁願いたい。
噛みつく場所として腕を提示したのも、元はといえばその軽減も考えてなのだ。
だが、ようやく合点がいった。
――比較対象が、野生動物なのだ。
毛深くて泥まみれで、ノミなんかがいっぱいいてもおかしくないやつ。
それに比べたら俺なんてずっとマシで、だから気にせず噛みつけるに違いない。
「にしても、サルとクマ……か」
呟きと共に脳内再生されたのは、目の前のニコニコした銀髪の少女が、口にサルを咥えて、逃げ惑うクマを追いかけまわしている姿。
……中々凄まじい光景だった。
「……なんか、馬鹿なこと考えてない?」
「いや、そういうわけじゃないけどな」
野性的な勘なのか、問い詰められるのだが、素知らぬ顔でやり過ごす。
もっとも、光理にはバレバレのようで、じっと睨まれてしまう。
「言っておくけど、僕が使えるのって回復魔法だけじゃないからね。火を起こすぐらいなら簡単だし、ちょっとした応用で電気も作れちゃう。流石にヨースケが考えてるような、原始的な生活を送るつもりはなかったよ」
そして、それだけ言って、ふと気が付いた顔に。
「良く考えたら、そこには試験もなんにもないパラダイスがあったんじゃ……?」
「おいおい……」
擁護しておくと、光理は勉強が苦手なわけではなく、出来はするものの面倒くさくて仕方がないタイプ。
その証拠に、テスト前などは俺に勉強を教えてくれていた。
だとしても、流石に怠惰すぎるだろう。
ついつい苦笑してしまうのだが、おかげで思い出したことがあった。
「そういえば、光理は学校どうするんだ?」
「あー、確かに……」
失踪してしまった以上、光理は中学校を卒業できていない。
かといって、姿どころか性別まで変わってしまった今では復学も難しいだろう。
俺としての意見を述べるなら、勉強だけじゃなく、新しい友人を作るためにも学校に通うべきだと思うんだが。
当の本人に気にした素振りはなく、
「……ま、いっか。多分、なるようになるって。それに、僕はこのままでもいいしね」
と、ベッドにごろんと寝転がってしまう。
「……そのあたりは追々、母さんたちと一緒に考えるか。今はまだ夏休みなんだし」
「でも、それもあと二週間ぐらいしかないけどねー。ところでヨースケ、きちんと宿題やってるの?」
「……嫌なこと思い出させるなよ」
「うわー、大変だね。僕はそういうの関係ないから……頑張って!」
苦悶の表情を浮かべれば、ニカリと白い歯を輝かせ、ぐっと親指を立ててくる光理。
「他人事だと思って……!」
「あはは! じゃ、おやすみ!」
続けて一しきり笑うと、起き上がり、部屋から去って行った。
……一人になった途端、なんだかやけに部屋ががらんとして感じられる。
別に、普段は広くて仕方がないというわけでもないのに。
「……寝るか」
なので、俺は一人ごちると、今度こそ床に着いた。