少女の慟哭
準々決勝が終わり、ほどなくして制服に着替え終わった早月が観客席に戻ってきた。
「おっ、お帰り塚原。いやあー一年生で県内8位なんてすごいじゃないか! 俺も負けてらんないなー」
上機嫌にねぎらいの言葉を掛けていた藤崎とは対照に、早月はうつむくだけだった。
おそらく優勝するつもりで試合に臨んでいたんだろう。
早月のこの大会に対して懸ける思いと、負けた悔しさの前には藤崎のねぎらいなんて何の意味も持たないはずだ。
「藤崎先輩……すみません、ちょっと外の風に当たってきます。すぐ戻るので……」
「は? おい待てって!」
早月は藤崎の制止も聞かず、外へと走り出していた。
「……ったく、困ったな。このあとミーティングあるのになあ……」
藤崎は頭を掻いた。
といっても、ある意味こいつがとどめを刺したような気がしないでもないが。
早月は負けて悔しい思いをしているのに、片や藤崎はというと残念がるどころか喜んでいるんだから。
掴み掛かられたとしても文句は言えないぞ。
まあ藤崎や一緒になって早月を褒める剣道部員たちはそんなこと知るよしもないか。
「俺が迎えに行くよ。あんたが行くとなんとなくまた角が立ちそうな気がする」
「また、ってなんだよ!? え、もしかして俺、何か失言でもしちゃった?」
「藤崎が悪いってことじゃないんだけど、早月にはちょっと他人には話せない事情があってな」
……っと、こんな話をしたら、なんで俺がそれを知っているんだとか聞かれかねん。
「ふーん……ほうほう。そういうことなら、ここは一宮に任せる。悪いな、剣道部員でもないのに」
どうやら杞憂だったらしい。
藤崎は深く追及はしてこなかった。
なんか変な間があった気がするが、おかしな勘違いしてないよね?
「いいって、気にしないでくれ。なるべく早く連れ戻すからさ」
「んー、いいよ急がなくて。塚原のことは俺から部長に伝えとくから二人はどうぞごゆっくりー。……むふふ」
絶対妙な勘違いしてるよこいつ!
……誤解は後で解くとして、早月を探しに行くか。
急ぐ必要はないと言われたけども早くこの場を離れたい。
だって藤崎の下世話な視線が俺に注がれてるんだもん!
***
早月はすぐに見つかった。
アリーナの近くを流れる川の河川敷にしゃがみこんでいた。
そんな早月の首筋に、近くの自販機で購入したペットボトルジュースを当ててみる。
「ひゃっ!?」
早月は短く悲鳴を上げ、何事かと振り向いた。
「大丈夫か? こんなところで黄昏れて」
「なんだ、一宮先輩ですか。脅かさないでください。私がショック死したらハーレム王とか鬼畜兄なんて不名誉な称号に殺人犯が付け足されますよ?」
「藤崎から受けた風評被害は全てお前の仕業か!」
鬼畜どころかハーレムの話まで発生源とは、どう説教したものか。
まあ何はともあれ毒づく元気はあるみたいで一安心だ。
「ったく……驚かせて悪かったな。これは差し入れだ」
早月は、俺が差し入れと言ったペットボトルをじっと見つめた。
どうしたんだろう。何の変哲もないアップルジュースだと思うんだけど。
「私、アップルジュースよりオレンジジュースの方が好きです。取り替えてきてください」
「つくづくわがままだなおい!」
早月の朝練に出くわしたことが思い起こされる。
あのときといい貰い物に注文つけるとはどんな教育受けてるんだ……っと、これは心の中でも思ったりするもんじゃないか。
「ちっ、少し待ってろ」
「え!? 買ってきてくれるんですか!?」
頼んだ本人が驚いていた。
どうやら冗談のつもりだったようだ。
本人にその気がなかったんなら俺も無理しなくていいよね?
「なんてな。今月は財布事情が厳しいんでこれで我慢してくれ。試合、お疲れさま」
「いえ……こんなただでいただけること自体ありがたいんですが……はっ! もしかして私を物で釣ろうとしてます? とんだ下衆野郎です! 残念ですが私は先輩ごときを相手するほど安い女じゃありませんから!」
なんで俺は後輩にジュースおごって罵倒されているんだろう。
というか安くないとか言うのならジュース受け取ってんじゃないよ。
「落ち着けって。試合を頑張った可愛い後輩にジュースおごるくらい普通だろ」
「普通かなあ……? というか、か、可愛いとか気軽に口にしないでください!」
「えー、なんでー。本当のことじゃん」
「なんでもです!」
早月は顔を真っ赤にして怒った。
早月をからかうのは楽しいなあ。
「そんなことより! ……試合、やっぱり見てたんですか?」
「おう。途中からだけどな」
正直に答えると、早月はさっきまでの元気が嘘のように深いため息をついた。
「かっこ悪かったですよね、私。手も足も出ずに負けて、それが悔しくて自分勝手に会場から逃げ出して――」
「そんなことない!」
とっさに怒鳴ったせいか、早月がびくっと体を震わせた。
脅かすつもりじゃなかったので、口調を落ち着けて続ける。
「かっこ悪くなんてなかった。必死になって戦う早月は俺には十分かっこよく映ったよ」
嘘ではない。
実際に上段の選手を相手にしていたときの早月は不利な状況にも関わらずプレッシャーなんてどこ吹く風で二本先取してみせた。
準々決勝だって負けこそしたものの、相手よりも大きな声を張り上げて竹刀を打ち合う姿には遠目からも不屈の精神が伝わってきたのだから。
あの試合を見て早月をかっこいいと褒める人はいても、負けをあざ笑うやつなんていないだろう。もしいたら俺がぶっとばしてるところだ。
……などと、俺がどんなに言葉を尽くしても今の早月には意味がないこともわかっていた。
「……インターハイには個人団体合わせて六回出るチャンスがあります。でも団体はダメ。あんな練習量じゃ勝ち進めない。それでも個人で三回……でも、私にとってのインターハイは今年だけです。私がお父さんのために戦えるのは今年で最後なんです! 優勝して……誰もが分かる形であなたの娘はすごいんだぞって……そう伝えたかった……」
最後の方は嗚咽が混じって何を言ってるかはっきりしなかった。
よほど悔しかったんだ。
俺の前でも気にせず号泣するほど。
血がにじむくらい唇を噛みしめるほど。
俺は無意識に早月を抱きしめていた。
「せん……ぱい……?」
「俺には残念だが早月の気持ちをすべて理解してやれるわけじゃない。お前の父親になることもできない。でも代わりといっちゃあなんだけど、お前の気持ちを受け止めることくらいならできる。だから思いっきり泣いちまえ」
「うっ……ひっぐ…………ありがと……ございます……」
「おう。俺の胸ならいつでも貸してやる。だから存分に泣いていいぞ」
俺の言葉に促され、早月が胸に顔をうずめてくる。
――空に、早月の慟哭が響き渡った。




