前代未聞の赤点姫
暑い。そして重い。
「お兄ちゃーん、暑いー。日傘とかないのー?」
こんなにも暑い太陽の下で、千秋は悪びれる様子もなく俺の背中に全体重を預けている。
「おぶってもらってる立場でよくもまあ図々しいこと言えるな」
なにが暑いだ、ふざけやがって。
道路に置き去りにしてやろうか。
期末テストも無事終わり、夏休みに入った。
本来なら部活動をやっていない俺は、宿題を適度に進めながらも家でぐうたらと自堕落な生活を送る予定であった。
だというのに……。
「だってぇ、私補習頑張ったし多少のご褒美があってもいいと思うんだよ」
「本当に頑張ってる人間は期末でオール赤点なんて状況にならない」
一年生の一学期だぞ? 大丈夫か?
夏休み、赤点尽くしの千秋は学校で補習を受けていた。
ただ、勉強が苦手な千秋にとって冷房とは名ばかりのそよ風発生装置しかない教室での補習には心身ともに持たないらしい。
数時間の勉強を終えて脳みそがキャリーオーバー……じゃなくてキャパシティーオーバーした千秋を俺が迎えに行くはめになったのだ。
聞くところによると、補習が終わったあとも暑いから外は嫌だのなんだのと教室に居座り続けたらしい。
てこでも動かないほどの徹底抗戦姿勢だったと言うが、俺が千秋の所有するエロゲーを処分するといったらすぐに諦めた。
まあ居座るのやめたところでいずれ処分するつもりだけどな!
「くっ、今回は中間の反省を踏まえてさっちゃんと二人だけで勉強会開いたのに!」
「成績の悪い人同士で勉強会開いても意味ないんじゃね?」
教え合う目的がなければ一人の方が効率がいいからな。
ポンコツな俺の妹はそんな発想にはまだ至れないのかもしれないけど。
「でもさっちゃんは期末で赤点一つしかなかったんだよ! 私だって頑張ったのに夏休みがこんなにも削られるのはおかしいよ!」
「千秋……お前は何か勘違いをしているようだが、赤点って一つでもあるとやばいんだからな?」
むしろ補習という救済措置があることに感謝しなければいけない立場なのにね。
「まあ、ご褒美というなら補習が終わったらプールに連れて行ってやるから、それまで我慢するんだな」
「あ! 中条先輩のところだね! やっぱりセレブはプール持ってるんだね。テレビの世界の話かと思ってたよ」
うん、俺も聞いたときは正直驚いた。
金持ちってなぜかみんなプール持ってるよね。
「というか愛歌の父親がそのテレビの世界の人だからな。その娘と友人になるなんて数ヶ月前には考えてもみなかったし」
「うんうん。だからお兄ちゃん、友達は大切にしないとね。中条先輩みたいな金づ……親切な人と喧嘩でもされたら私悲しいからね」
「おい今なんて言おうとした?」
金づるとか言わなかった?
まさか愛歌から金品の類とか受け取ってないよね?
嫌だぞ、いつの間にか妹が買収されてるなんて。外堀が埋められてるなんて。
「にしても、明日も補習かー。部活にも顔出せないし困ったなー」
「お兄ちゃんそうやってごまかすのよくないと思う」
「いっそのこと逃げちゃおうか。孔子曰く、『三十五計逃げるしかあらず』って言うくらいだし!」
「何から何まで間違ってますけど」
しかあらずって、逃げてしかいねえじゃねえか。
三十六計だし、孫氏って言いたかったんだろうけどそもそも孫氏ですらないし。
「とりあえず逃げるのはやめた方がいいと思うぞ。戦略的撤退と現実逃避は別物だから」
「冗談だって。そんなことしたら先生たちが黙ってないからね」
「補習で全教科の教師が総動員されるなんて初めてだと先生が嘆いていたぞ。すっぽかしでもしたら怒られるどころじゃないな」
本当に先生方には申し訳ない。
妹がこんなにもおバカで俺は恥ずかしいです。
「ここまで頭の悪い生徒は前代未聞だって、みんな驚いてたからねー」
「驚いてるんじゃなくて呆れられてるんだぞ」
不良高校でもないのに教師からはっきりと頭の悪いって言われるやつも全国探してなかなかいないと思う。
うちの妹に限っては否定できないのがまた悲しいところだが。
「でも私ってやればできる子だと思うの。まだ本気出してないだけだから!」
「やればできる子もやらなきゃできないからな? そして俺は『まだ本気だしてない』という人間の全力は未だかつて見たことがない」
というかそれニートの言い訳の常套句だよね。
大抵は才能はあるのにと親から嫌味を言われるパターンだ。
千秋は補習の最後に確認テストがあるらしい。
そのテストで合格点が取れなければ補習はやり直しというのだが……この調子じゃ、プールは当分お預けだな。
「三十六計逃げるに如かず」の出典は檀道済で検索すればいいかもしれない。
孫氏の兵法三十六計ならば走為上ですね。




