兄は低権力者
食卓が緊張に包まれている。
……と思ってるのは俺だけなのだろう。
俺以外の家族はすこぶるにこやかだ。
ああ、こんなにも穏やかなのに逃げ出したい気分。
自分から説明すると言った手前、それすらも叶わない。
せめて、夏穂が愛する父を思い気を回してくれればいいのだけど。
「私は未来から来た一宮夏彦の娘、夏穂です」
ド直球。
フラグってやつですね、知ってた。
ただこれを真面目に受け取ってもらえるかは甚だ疑問だ。
俺自身半信半疑だし。
案の定、父母、それに妹から笑顔が消える。
「夏彦……お前ってやつは何を……」
父さんはその場で肩を震わせる。
尋常でない様子に、俺も固唾を飲む。
「おじいちゃんにはまだ早いだろおおっ!」
「……は?」
父さんが意味不明なことを言い、その場に崩れ落ちた。
「いやー、おじいちゃんはショックでしょ。あ、孫は可愛いと思うよ。でも早いって。俺一気に老け込んだ気分だよ」
父さんは夏穂のことを疑うどころか、軽く許容し冗談すら飛ばす始末だ。
「そうねー、私なんて孫がいるなんて言ったら美魔女とか言われちゃうかも」
しかも母さんまで乗ってきやがった。
どうなってんだ、俺の両親は。
頭にお花畑でも広がってんのか。
ていうか、自分で美とか言うなよ。
「そうじゃねえだろっ!」
俺はテーブルを叩き立ち上がる。
「どうしたー夏彦。急に大声出して。びっくりするじゃないか」
この脳天気さには大声の一つも上げたくなるものだ。
「未来から来てはいそうですか、と納得できる神経にこっちがびっくりだよ!」
「夏彦……父親のお前が信じてやらないでどうする」
「すごくいいこと言ってる感あるけど、今問題にしてるのはそれ以前の問題だから。その父親かどうかが問題になってるんだから」
卵か先か鶏が先かの話である。
実際に見たという証拠でもない限り、確かめようのない話だ。
「そうか、その手があった! 夏穂が俺しか知りえない俺のことを知っていればそれが証拠になるじゃないか。というわけで何かない?」
話を振られた夏穂は、あごに指を当て唸る。
そしてすぐにそうだ、と手を叩く。
「確かこの家のお父さんの部屋にある本棚の二段目、右から三番目の――」
「――わかった、お前は正真正銘俺の娘だ」
だからそれ以上喋るな。
お願いだから。
「ふーん、なるほどね」
千秋も意味ありげにうなずくんじゃない。
何がなるほどなんだ。
「私、夏穂ちゃんとは仲良くなれそうな気がするよ」
「それはよかったです。叔母さん」
「なっ、お、おば!?」
叔母さんだな。
夏穂が俺の娘というのなら何も間違ってはいない。
ただ夏穂の声を聞くに、あえてその言葉を選んだとでも言いたいかのようだ。
千秋に敵意を抱いているのか。
親戚である以上何かあったのかもしれないけど……まさかな。
「え? 私、変なこと言いました?」
「私、叔母さんなんて年じゃ……そうだ。夏穂ちゃん、私はあなたの叔母さんではないわ。今日、この時を持ってお兄ちゃんは結婚できなくなるからね」
「ちょっと千秋さん? 勝手に兄の人生設計を変えないでくれない?」
いくらモテないといえど三十路前には結婚しようと思ってるぞ。
「明日からお兄ちゃんの持ってるゲーム、妹ものに総入れ替えしておくからね」
なんか変なフラグが立った気がする。
千秋は昔からブラコンだったけどこんな取り返しのつかないところまで来てたっけ。
父さんと母さんも黙ってないでなんか言えよ。
「父さんは夏彦の恋愛が禁断の恋でも応援するぞ。なあ、母さん?」
「そうだわ。今度お父さんと夫婦水入らずで旅行でも行こうかしらね。二人のためにも」
やっぱ黙ってろ。
「というか、夏穂は自分で俺へのフラグ立ててどうする」
行動と目的が正反対である。
「あ、そうだった。いっけね」
ドジったぜ、とでも言うように舌を出す。
可愛い。
っと、話が脱線したぜ。
まあ夏穂の出自の問題は、なんか釈然としないが解決したからよしとしよう。
次の問題……というほどでもないが、確認。
「で、夏穂が泊まる場所がないって言うから、家に置いといてもいいか?」
「もちろん俺はユアウェルカムだ」
両腕を広げて許容を示す父。
どういたしましてをしてどうする。
誰に感謝されたんだよ。
あ、家を貸す夏穂にはされてるか。
でもお礼を言われるよりも先に言っちゃダメでしょ。
「私はご飯の作りがいがあるってものねえ」
いつの間に夕飯を作っていたのか、母がみんなの茶碗を運びながら言う。
結局時間の都合で赤飯は断念したようだ。
うん、作りがいあるのはいいけどナチュラルに俺の茶碗山盛りにするのはやめてね。
帰宅部だから太っちゃうだろ。
「部屋は私の所ね。勝手にお兄ちゃんの部屋に行ったらダメだからね!」
「どうしてですか? 私は娘なんだから当然の権利ではありませんか?」
「ダメったらダメなの! お兄ちゃんに関するこの家の決定権は私にあるんだから」
「えっ、そうだっけ?」
当の兄は初耳である。