無知の余裕
「来たか、色男」
富火埠頭に着くと、そこで待ち構えていた丸子が不敵な笑みを湛えていた。
昨日茜に手も足も出ずに負けたのが嘘のように余裕然とした態度は、やつの背後にいる大軍あってのものだろうか。
茜は不良集団どころか、銃火器で完全武装した本職の方々にすら一人で大立ち回りをした経験すらあるのに、嗚呼無知とは悲しきかな。
「富火埠頭に夜間の船舶の乗り入れは皆無といっていい。さらには夜遅くにこんな場所を訪れる酔狂なやつは俺たち以外にはいねえってこった」
「へえ。じゃあ俺や茜がお前ら全員病院送りにしても目撃者はいないってことか。そりゃ都合がいい」
「気でも触れてんのか? この人数だぞ。それにこっちにゃ泣く子も黙る怖ーいお方がいるんだぞ。ねえ妙蓮寺のアニキ」
丸子は隣にいる大男に話を振る。
大男。妙蓮寺と呼ばれた男はそう形容する他ないくらいに縦にも横にもでかい。
丸子の態度がでかいのはこいつのおかげでもあるらしい。
「なんだ。丸子が喧嘩売って返り討ちにあったってえのは、そこの冴えねえ男と美人な姉ちゃんか。情けねえ」
妙蓮寺は俺と茜を訝しげな表情で見る。
いやいや、知らないとはいえ茜にたかがナイフ一本で挑むのは肝っ玉すわってますよ。
マシンガン装備ですら勝てるか怪しいのに。
「おっと、自己紹介が遅れたな。俺は妙蓮寺武蔵。ここにいるやつらのアタマ張ってるモンだ。今日テメエらを呼んだのは他でもねえ、情けない舎弟に代わって俺が直々に礼をしようと思ってな。やられたままじゃこっちの面子が丸潰れなんでな」
「二人相手にこの人数で寄って集って痛ぶろうてって時点で面子も何もないんじゃ……」
目算でざっと五十人以上。明らかに二人に対して動員する人数じゃない……普通の人間相手なら。
「分かってねえな。俺たちに喧嘩売ったら痛い目見るっていう見せしめにすんだよ。それとも大軍を前に怖じ気づいたか」
「まさか。俺はともかく、茜と喧嘩したいならあと百人は足りてないんじゃないか?」
「チッ、ただのバカだったか」
妙蓮寺は俺に侮蔑の眼差しを送った。
冗談でもなんでもないのに……。
人の忠告にはよく耳を傾けるべきですよ。まあ、俺が彼の立場だったら絶対ふざけてるんだと思うけど。
「それより柳生はどうした。無事だろうな」
「おっと、忘れてたぜ。おい、連れてこい」
妙蓮寺が背後で待機してる舎弟に呼び掛けると、それに応じて縄で縛られた柳生が引っ張って来られた。
柳生は仕切りに声を上げているが、タオルか何かで猿ぐつわをされているのでうまく聞き取ることができない。
「外してやれ」
妙蓮寺が命令すると、あっさりと柳生は解放された。
自由の身となった柳生はこちらに駆け寄ったが、いきなり走り出したものだからよろけて俺に抱きつく形となった。
「ナツ! 来てくれたんだな!」
「うおっ! ……まあな」
女の子に抱きつかれるとは役得、役得……って、いけない。俺には彼女がいるのだ。
こんなことで鼻の下を伸ばしてたらどやされてしまう。しっかりしなくては。
でも……これは……。
「ああっ! 柳生さんずるい! 夏彦くんから離れて!」
俺が劣情に負けそうになっていると、柳生が嫉妬に狂える茜によって引き剥がされた。
感動の救出劇が台無し。
「おっと、悪い。で、助けに来てくれたのはありがてえけどよお、大丈夫か? アタシの目が狂ってなきゃ四面楚歌ってやつな気がするが」
「大丈夫だ。元よりあいつら程度、俺と茜でなんとかなる。それどころか柳生を簡単に解放してくれたおかげで三人だ」
妙蓮寺たちからすれば、いざというときに柳生を人質にするという手もあったのに。
まったくメリットのない行為に意図が読めない。
「何か勘違いしてるようだが、そいつはお前ら二人をおびき寄せるための餌だ。俺としてはもう用済みなんだよ。あとはいたぶるだけ。無抵抗なやつより必死に足掻くやつを見る方が燃えるだろ?」
妙蓮寺は下卑た笑みを浮かべた。
ただの悪趣味野郎だったか。
「でもま、なかなか顔はいい。丸子が手を出したくなるもわかる。やすやすと手離すのも惜しいな。……一つ、賭けをしようか」
「賭け?」
「ああ。お前が勝てば俺たちは金輪際お前らに関わらない。が、俺が勝ったらそこの女二人は俺のものだ」
「茜と柳生がお前の? それは……茜は別に困らないな……。うーん、でも柳生もとなると悪いし……」
正直このストーカーを厄介払いできるなら、一人ぐらい生け贄に捧げてもばちは当たらないような……。
「ちょっと夏彦くん!? 私、嫌だよこんな人のものになるなんて! 私は身も心も一生……、いや来世まで夏彦くんのものなんだから!」
「まじきもい」
愛が重すぎる。今世のうちに縁を切らせて。
「夏彦くぅん……」
「じょ、冗談だよ」
やっぱり、さすがに幼馴染をこんなろくでもないようなのに売るほど俺も鬼じゃない。
決して、涙目の茜になびいたとかじゃない。
こいつの涙ほど信用できるものなんかないし。絶対嘘泣きとかできるだろうし。
けれど、とりあえず聞いておこうか。
「それで、賭けっていうのは?」
俺の問いかけに、妙蓮寺はニヤリと口角を上げた。
「俺とタイマンを張れ」




