魔王討伐戦
「――えっ? ……え、どうして?」
茜は手形のついた左頬を押さえながら、何が起こったかわからないという顔をしている。
夏穂も今起きた出来事を飲み込めていないようで、言葉も出せずにその場で固まっていた。
「……お前がそこまで最低なやつだとは思わなかった」
「で、でも私は夏彦くんのために――痛いっ!」
俺は茜に対して二回目のビンタを喰らわせた。
茜の頬を叩いた手はじんじんと痺れている。
「お前が同じことを言うたびに俺は何度でもぶつぞ」
「ひどい……ひどいよ。私は全部夏彦くんを思って――ッ!」
宣言通り三度目。
茜の頬が赤く腫れる。
「……何が俺のためだ。全部自分のためじゃないか。夏穂が、俺の娘が傷ついてんだぞ! 俺を助けるために、血を吐いてまで! お前だって分かってるんだろ? こんなことしても意味ないって。誰も幸せになってないじゃないか! 違うなら言ってみろ!」
ほとんど息継ぎもせずに怒鳴り散らしたので呼吸が乱れる。
俺の呼吸音だけが聞こえる沈黙からしばらくして、茜が口を開いた。
「……嘘だよ。それは嘘。だって、夏彦くんがそこの女のこと迷惑そうにしてたから。だから私が代わりにやっつけてあげようと思ったんだよ? 私悪くないもん!」
「俺は……俺は迷惑だなんて思ってねーよ」
「でも! 私見たもん。本当は夏彦くん以外の人の記憶も流れ込むのは嫌だったけど、我慢して夏彦くんの家のドアノブ触ったりぺろぺろ舐めたりしたんだよ。そしたらそいつと嫌そうに話す夏彦くんが見えたから……」
……なるほど、やっと分かった。
茜はサイコメトラーか。
サイコメトリー、あるいは接触感応。
物体に宿る残留思念を読み取る能力だが、忍者な茜には鬼に金棒だ。
よりにもよってサイコメトリーとは厄介な人物に厄介な能力が備わったものだ。
「ドアノブ舐める必要あった?」
今までずっと無言だった夏穂から冷静な一言。
うん、俺の心の代弁ありがとうございます。
俺も聞かなければよかったと思ったよ。
これからうかつに家のドアノブ触れないじゃん。
なんだか夏穂のツッコミで若干毒気をぬかれてしまったな。
だがここでうやむやにするのはお互いのためにもよくない。
結局いつもそうして、茜に向き合わず逃げ続けたからこの状況があるんだ。
これを機に茜とは幼馴染だという甘えを抜きにちゃんとぶつかり合うべきだ。
「とにかく、おまえがやったことは許せるようなことじゃない。俺のためだとかいう自己弁護も含めてだ」
「……だって、だってだってだって!」
「こいつ! まだ言うか!」
「……だって最近は夏彦くん、全然私と話してくれないからさみしかったんだもん!」
茜は本音をさらけ出すと同時に泣き崩れた。
「……だったら最初からそう言えよ。いつもこそこそと、姿も見せずにつけまわされるのは不気味なだけだ。幼馴染なんだから遠慮することねーだろ」
俺は別に茜が嫌なわけじゃない。
嫌いと言ったのも本気じゃあないし、また昔のような関係に戻れるのなら願ってもないことだ。
「だっでえ! なづひごぐん、中学生がら疎遠になっぢやっだがら! わだじ、嫌われぢゃっだと思ったんだもん!」
茜はまるで幼児のように泣きじゃくっている。
それを落ち着かせるために頭をなでる。
「あー、わかった。わかったからほら、もう泣くな」
「ふえぇえん!」
俺は茜の頭を泣き止むまでなで続けた。
俺の胸で泣き続けてようやく落ち着いた茜は、誰に言われるでもなく正座をしていた。
きっとこいつなりの反省のあらわれなんだろう。
「……ごめんね、夏彦くん。夏彦くんに怒られて目が覚めたよ。私、これからはもっと自信を持って堂々と行動するね」
「……いや、俺もちょっと言い過ぎた。夏穂も思ったよりは平気みたいだし……怒鳴って悪かったな」
そもそも俺がもっと早く茜と話し合ってれいば、今回のような事態は怒らなかった。茜だけに責任を押し付けるのはお門違いってもんだ。
昔っからの引っ込み思案で人見知り。だから俺がいつも一緒にいて、それがさらに引っ込み思案を加速させて……。
気がつけば茜はすっかり俺に依存していた。
そして茜の依存心はいつの間にか歪んだ恋愛感情に変化し、ストーカーへと変貌を遂げたのだ。
そんな時、俺がすぐ対処していれば……。
「……夏彦くんが謝ることないよ。少なくとも今回悪いのは完全に私だから」
「それがわかるようになっただけでも十分だ。ま、今までのことは水に流して、これからやり直していこうぜ」
「うん……ごめんね」
「私はまだ許してないけどね」
おい、夏穂よ。せっかくいい雰囲気なのに水を差すんじゃない。
「うぅ……ごめんなさい」
茜がしゅんとする。
ほら、変な空気になっちゃたじゃないか。
どうしようか。こんな時は……
「じゃ、茜よ。俺は帰るからまたな」
逃げるに限る。
だってこの気まずい空気、俺にはどうしようもないです。
「あ……うん。またね?」
まだ遠慮が残っているのか、茜の別れのあいさつは語尾が上がっていた。
「おいおい、何で疑問形なんだよ。会いたければいつでも俺の家に来ていいんだぞ」
「うん、ありがとう」
「あっ、ただし正面口から堂々とな。屋根裏に潜むとかなしだから。……さて、夏穂も帰るぞ」
「はーい」
夏穂を連れ、部屋のドアに手をかけたその時――
「な、夏彦くん!」
――茜の今日一番の元気な声で呼び止められた。
ドアノブを握ったまま、振り向く。
「ん?」
「またね!」
「おう!」
こうして俺は無事に魔王城から脱出することができた。
幼馴染との和解というおまけつきで。




