第8話 セイビー
『こちら北都防衛本部。1-1中隊、至急応答せよ』
「1-1中隊、徹だ。いったい今度は何の警報だ!」
昨日から立て続けに脳を揺さぶる警報。俺は、少し苛立っていた。
『新たに別の対象が出現しました』
「くそっ、またか。対象の位置は?」
『そちらへ急速に接近中です。現在位置は、展開地点の西方約五キロ。詳細は不明ですが、かなり大きな飛行体です。およそヒトマルマル秒後に接敵します!』
「了解だ!」
頭の中ですぐに接続を切り替える。
「おい、聞こえたな。そこの残りの一体は第三小隊と副長で残りの一体を仕留めろ」
「了解」と副長が応じる。
「他は上昇して散開! 対象との接触に備えろ!」
指示に従い隊員が機敏に動く。手足のノズルから勢いよくガスを噴射、各員が別方向へ迅速に散開していく。厳しい訓練の成果だ。
直後、西方に鳥のシルエットが見えた。こちらへ向かって飛んで来る。想定よりもかなり早いじゃないか。接触に備えて身構える。が、すぐには襲ってこなかった。よく見ると鳥のサイズがどんどんと拡大していく。
「おい、まだ接敵しないのか。こいつどんだけでかいんだ」
隊員の誰かが息を呑むのが聞こえた。
「さらに散開しろ! このままでは対象とぶつかるぞ!」
『距離アジャスト、測定の結果でます! 対象サイズは――』
索敵担当の隊員が言い淀む。
「おい、どうした。時間がないんだ。すぐに報告しろ!」
『は、はい! 翼を含めた対象サイズは、に、二百メートル!』
それはあまりにも巨大だった。束の間であったが、俺ですら思考が停止した。他の隊員からも反応がない。すぐに我に返って叫んだ。
「一旦、対象から退避! 急上昇しながら俺のもとに集まれ!」
『中隊長どうしましょう……。想定外の敵です』
不安そうな若手の隊員。確か慎二だったか。シェイドとの実戦は今回が初めてと言っていたな。荷が重いかもしれないが、やるしかない。
眼下には鳥の背中。空母のように巨大だった。駅上空でゆっくりと大きな翼を揺らしながら、少しずつ垂直に降下していく。
「心配するな。問題はない。対象の縦幅は五十メートルほどだ。ちょっと大きな悪党ってところだ」
『いや、悪党って中隊長はまた――』
「五月蠅いぞ! これより共鳴SC線による攻撃に移る。フォーメーションはダブルトライアングル! 各員、百メートルの距離をとれ!」
自分を含めた六人のセイビーが散開。シェイドを中心にして六角形の頂点を形成する。
「いいか焦るなよ。訓練通りだ。ブラッドを対象の方向に向けろ。下には向けず水平を維持しろ。次は、出力を絞って誘導線を照射しろ」
黒い棒状のブラッドの先端から細い緑色の光線が二本放たれる。それが四十五度の角度で相対する二本のブラッドと結びつく。
「よし、繋がったな。準備はできているな。今だ、出力を最大にしろ!」
合図とともに、緑色の光線が赤く輝く太い光線で覆われる。巨大な怪鳥の上空数百メートルの灰色の空。そこに紅色に光輝く図形が浮かび上がる。三角形が逆向きに重なるヘキサグラムだ。
「よし、いいぞ。このまま対象まで高度を落とし、対象の羽を切断する。降下速度は六エムエスを維持だ。いいか陣形を崩すなよ」
巨大シェイドを倒すために編み出された新たな攻撃手法。他州では数百メートルサイズの撃退に成功したとの報告もある。北都防衛軍ではこれが最初の実戦投入だった。
『フタマル秒で対象に接触します――。た、対象の動きに変化!』
死角から迫る脅威。僅かに残る鳥の本能が反応した。百メートルもの翼を勢い良くはためかしたのだ。巨大な翼から生み出される激しい気流。それが上空からシェイドに迫っていたセイビーの隊員を襲う。
不規則な気流が次々と襲いかかってきた。俺は風向きに対し、体が常に平行となるように巧みにスカイムーブを操る。しかし、これはまずい――。襲いかかる風を受け流しながら周囲を確認する。思った通りだ。すでに数人の隊員が風の犠牲になっていた。うまく受け流すことができず、それぞれ異なる方向へと吹き飛ばされたのだ。
陣形が乱れた結果、赤いヘキサグラムは呆気なく空から消失した。
「総員退避! バランス制御をセミオートへと切り替えろ! 気流が直撃するとお前らじゃ制御できないぞ!」
『た、隊長! 自動制御が効きません! ち、地表が迫って! た、助けてくださ――』
「おい、どうした! 応答しろ!」
一人の隊員からの通信がプツリと途切れた。何が起きたかは容易に想像がついた。悔やむ間もなく陸上で交戦中の副長から連絡が入る。
『中隊長! 対象が民間人の乗った貨物車両を持ち上げ始めました!』
「なんだと!」
『本部より緊急連絡! 1-1 中隊。応答願います』
「いまは対象と交戦中だ! 本部と悠長に話をしている時間はない!」
『対象の進行ステージはⅤ。危険レベルはレッドツー」
「そんなのわかってる! 通信を切るぞ!」
『中隊規模では戦闘の続行は不可能と判断します。ただちに撤退してください』
「バカヤロー! 民間人が乗っている車両が奴に攫われているんだぞ。見捨てることなんかできるか!」
『徹! これは命令だ。今すぐ撤退しろ』
聞き慣れた声が頭に響いた。
「ジジイ! この街の民間人が全て奴らに殺されるぞ!」
『これより列車砲による一斉射撃に入る!』
「何だと! そんなことしたら――」
『お主の言いたいことはわかる。だが、一部を犠牲にしないと全てが犠牲になる。作戦についての異論は認めない。これは本部長命令だ!』
「ああ、くそっ! 総員、聞こえての通り撤退命令だ。誤爆を避けるために対象から数キロの距離を開けろ! いいか対象よりも上空に退避だ!」
俺は部下とともに奴の上空に待機する。苦虫を噛み潰したような顔で事の顛末を見届けることしかできなかった。
地平線まで覆われた、白銀の世界。視界の端で、まれに雪の塊が動く。目を凝らすとそれらがエゾユキウサギであることがわかる。長閑な北の冬の情景がゆっくりと流れていく。
「中隊長。死者一名、負傷者二名でした。第二小隊はほぼ壊滅的です」
副長が被害状況を報告してきた。
「被害がないのは古参の第一小隊だけか」
「はい。第二小隊の慎二は例の乱流で制御不能に陥り地面に衝突。即死でした。痛みは感じなかったと思います」
「そうか……。たしか、あいつは未だ入隊二年目だったな。これからってときに……」
「残念です」
砲台の据え付けられた軍用車両。そこに、セイビー専用の待機スペースが設けられていた。長椅子に腰かける俺の脇に副長がゆっくりと腰かける。
「あの列車も無残なもんだったな」
「苦しむ暇すら無かったってことが、唯一の救いです」
「そうだな」
思い出したくもない光景が頭を過ぎる。副長も下を俯ていた。こういうときはあれしかないな。脇に転がる黒いヘルメットに手を伸ばして中をまさぐる。そして、後頭部付近に張り付けてあった小さなケースを取り出した。 箱を開けると細長い筒が五本ほど入っている。二本取り出し一本をを副長の前に翳す。
「相変わらず骨董品が好きですね。体に悪いですよ」
「体と心は別物だ。あと骨董品と呼ぶな。アンティークだ」
「いや、それって同じ意味じゃないですか。そこにもいつも骨董品をぶら下げているじゃないですか」
副長は俺の腰あたりを指差す。
「馬鹿野郎。これこそ男の浪漫。永遠なる正義の象徴だ!」
「ニューナンブと言いましたっけ? そんなのどこで手にいれているんですか」
「ああ、これは親父の形見、というか元々は祖父のものなんだ。うちは代々警察官の家系だからな」
俺は誇らしげに腰のホルスターに片手を当てる。そこにはシェイドとの戦闘には全く役に立たない古びた拳銃が差さっている。
「それとこれは現場の特権だろ」
「確かに北都で吸ったら捕まりますよ」
「だから、入手するのも大変なんだぞ。州都の片隅の非正規の骨董品屋に定期的に卸されているんだが、いかんせんその量が少ない」
「そういえば、二次元の映像も収集していましたね」
思い出したかのように副長が笑う。
「お前、二次元だからって馬鹿にしただろ」
「いや、そういうわけでは……」
「ビニックで見る現実とは違ってな、そこには正義が悪を討つという浪漫がある。現実は俺には複雑すぎるんだ」
煙草を咥え、脇に立てかけてあった黒い竹刀のような物へと手を伸ばす。柄の部分を掴みあげ、弦の部分を顔の正面に引き寄せる。弦の部分がうっすらと赤い揺らめきに覆われる。咥え煙草の先端をそれに近づけて火を点けた。そしてその弦を副長の顔の前にも差し出す。
「ブラッドをそんな風に使うのは中隊長くらいですよ。管理部の連中に知られたら何を言われるかわかりませんよ」
そういいつつ、副長も口に咥えた煙草の先端をそれにつけ、息を軽く吸い込む。
「この前、ヘルメットの後頭部にこれを隠しているのを見つかってな。脳波に干渉する可能性のある異物をヘルメットに入れるなと叱られたばかりだ」
「何をやっているんですか」
「この正義の象徴も暴発したらどうするんだって五月蠅いし。あいつらってほんとに面倒臭いな」
俺は肺に強く煙を吸いこみ、ゆっくりと吐き出す。戦闘の緊張感が和らいでいくのを感じる。やっぱこれだよな。無言で煙草を燻らせる二人。暫く間、静かに流れる景色を堪能した。
「しかし外に出る度に感じるな。人類以外は平和な時を過ごしていると」
「そうですね。この長閑な景色と無邪気な動物達を見ていると、他の生物にとってはシェイドではなく、人類こそが敵だったのかもしれないと思ってしまいます。まあ、分厚い壁の中に籠っている政治家さんには到底理解が及ばないでしょうが」
「だな。実際、正義なんてものは立場によって変わるだろう」
「中隊長にとってそれって何なんですか」
「俺は単純だ。女や子供などの弱者を護る。それが俺の正義だ。それを襲うシェイドは必然的に悪というわけさ。だから、このまま何もせずに滅びてやるつもりもない。馬鹿なお偉いさんのことはどうだっていいが、我々にもそれぞれ守るべき者達がいるからな」
両手を腰にあて不服そうな顔で自分を見上げる少女。その姿が頭に想い浮かんだ。
「中隊長の場合はやっぱり妹さんですか?」
「ああ、うちの両親はともに他界しているからな。唯一の肉親だ」
「今、州都の訓練校の二年生でしたっけ。寂しがっていませんか?」
「ビニックがあるから問題ないな。北都にいる時は毎日連絡しているからな。離れている実感はさほどない。それよりお前。やけにうちの妹のこと詳しいじゃないか」
「私というよりも第一小隊の奴らですかね。よく噂していますよ。中隊長の妹が美人で可愛いってね」
なに、どういうことだ。
「なんで美人とか可愛いとかわかるんだ?」
「ちょ、ちょっと、睨まないでくださいよ!」
「なんで焦っているんだ? やましいことでもあるのか」
「ないですよ!」
「で? なんで知っているんだ」
「だ、第一小隊の誰かの兄弟が訓練校に居るらしいんですよ。そ、それで映像を入手したとか盛り上がっていまして」
「ほお……。あいつら未だそんな余裕があるのか。あんな不甲斐ない戦闘をしているのはやはり訓練が足りていないんだな」
自然と口角が吊り上がってしまった。
「ち、中隊長。目が笑ってないですよ」
副長は思った。このままでは不味い。必死で話題を変えようと頭を絞る。
「し、しかし、ここ数年間、シェイドは田舎の街には見向きもしなかったのに、昨日、今日と立て続けですよ。急にどうしたんでですかね」
「あ? さあな。奴らの考えることなんてまったく検討がつかん。しかし不味いな。これで東部の街は全滅だ。これからは北都への襲来が増えるかもしれん」
「うちには北都のエース様がいるから。大丈夫でしょう。逆にシェイドを滅ぼしそうな勢いですから」
「おい、その名で呼ぶのは止めろと言っているだろ。俺は未だあの人の背中にさえ追いついていない」
「また撃墜王ですか」
「俺はあの人に助けられて今ここにいる。あの人と肩を並べたいと思って死に物狂いで訓練してきたんだ。ま、今となっちゃ一生追いつけないけどな」
「中隊長が撃墜王でしたら私はその女房役の鉄壁を目指しましょうかね」
「ふん、お前にはまだ荷が重い。さてと……。そろそろか」
ヘルメットを手に取り列車の進行方向に視線を向けた。数キロ先に廃墟と化した街が見える。その北側には大きな山が聳えていた。街はずれから、その山裾へと向かって針葉樹の森が広がる。この広大な森を初めて目にした者は、皆、ある一点に目を奪われるだろう。
一本の大樹。樹高は三百メートルを超す。それが、正しく天を突いていた。周辺の木々は傘状の樹冠に多くの雪を押し抱いている。対して、この巨木の樹冠は漆黒。雪の存在など微塵も感じさせない。それどころか樹皮までも黒一色。明らかに異様な雰囲気を醸しだしていた。
『あと三分ほどで黒の大樹の識別圏に入ります』
「負傷者はここで待機。第一小隊は俺とともに前衛だ。それ以外は副長とともに列車周辺の護衛にあたり撃ち洩らした敵を殲滅しろ」
号令とともに黒衣のセイジが次々と軍用列車から飛び立った。
前衛部隊が、軍用列車と大樹の間に展開する。
「そら、お出迎えが来たぞ」
大樹の樹冠から無数の闇が沸き立った。
『二メートル級の鳥型です。数はおおよそ百。前衛部隊は対象とサンマル秒で接触します』
「五十は俺に任せろ。残りはお前らでやれ。そうだな、一人あたりノルマ十ってとこだ」
こいつらは数が多くても所詮烏合の衆だな。俺はすれ違い様にシェイドを斬り捨てた。羽を斬るだけで良いから威力よりも手数優先でいいか。俺は物足りない思いを抱えながら、次々と屠っていく。
『おい見ろよ。中隊長、両手にブラッドで二刀流だぞ』
『もう戦闘というより舞でも踊っているかのようだな』
頭に響く声は第一小隊の隊員のものだった。あいつらですら会話をする余裕があるのだ。この程度のレベルのシェイドであれば我が第一小隊の脅威ではない。しかし奴らめ。ノルマを未だ達成してもいないのに観戦とはいい度胸だな。しかし俺はあえて何も口にしなかった。
それでも敵の数だけは多かった。一部の鳥が隊列の合間を縫い軍用列車に襲いかかる。それらは後衛の隊員によって確実に仕留められていった。
『さらに百がこちらに向かってきます!』
索敵担当の隊員から新たな情報が入る。
「副長、軍用列車は?」
『さきほど識別圏を出た所です』
「よし、無駄に消耗する必要はない。撤退するぞ!」
向かって来る黒い群れを無視し、軍用列車の近くへ帰還する。
『中隊長。ご苦労さまです』
戻ってきた徹に列車の上から副長が手を振る。
「苦労なんぞしていないがな」
『あとは旭日前線基地までシェイドの拠点はありません。列車に戻りましょう』
「何を言っている。ちょうどいい準備運動だったろ。さて、全員が体が温まったところで本日の反省会を行う」
ヘルメットの中で俺はニヤリと笑う。おそらく、他の隊員たちはヘルメットの中で一斉に顔を引き攣らせていることだろう。
『中隊長。私は高高度に待機。列車に近づく敵がいないかを監視します』
「おまえ、さっきジェイドの拠点はないって言わなかったか」
『念のためです。我々には民間人をしっかりと守る義務があります! 上から隊員のフォーメーションをアドバイスすることにします』
「まぁ、そうか」
いつのまにか副長は遥か上空に退避していた。この裏切り者! 隊員たちは心の中で副長を罵倒する。日暮れまで続いた反省会という名の特訓。それはあまりにも過酷だった。正直、シェイドとの戦闘の方が肉体的には遥かにマシだ。隊員たちは心の底から思った。
「おい、なんか俺たちだけ特に厳しくないか!」
第一小隊の隊員だった。そのような仕打ちを受ける理由に思い到らない。
「ぜーぜー。お、俺もそう思っ――」
「ほお、まだ無駄話する余裕があるか」
隊員の頭上には口角をあげて微笑む徹の姿。隊員には悪魔にしか見えなかった。
繰り返される悲鳴ともつかない絶叫が夕闇の山間部へと溶けていく――。




