女神さまきたる 「ぷろれす、やってみたいでぇーす♡」
「え? だれ?」
フィギュアヘッドの場所から外れて、動けるようになった乙女像を食堂に連れてゆくと、案の定、アレイダのやつが、驚いた顔をしていた。
俺に「遅い!」と文句を言おうと待ち構えていたのだろう。「ハトが豆鉄砲を食らったよう」という慣用句があるが、まさしく、そんな顔をしている。
「自称、女神だそーだ」
紹介。それで終わり。
それ以上のことは、俺も知らないので、言いようがない。本当に女神かどうかも怪しいもんだ。だから「自称」のまま。
「め、女神ってのはいいとして……」
「いいのかよ? あと、〝自称〟な。〝自称〟っ」
そこ大事なところ。
「じ、自称・女神様なのはいいとして……。なんで、いるの?」
「そりゃ俺が、出会って三分でコマしたからだが。……いや? 六〇秒くらいだったかな?」
「いつよ! もう! いつそんな――!!」
「いつって? おまえもいただろ。――さっきだよ。さっき」
「え? さっきって……? だってさっきオリオンは、乙女像と……」
そこまで言って、アレイダのやつは、ようやく気がついたらしい。
「あーっ! 船首の乙女像――っ!!」
自称・女神を指差して、いまさら叫んでいる。
「ああ。いきなりしゃべり出したもんでな。とりあえず――ヤッといた。そしたら動き回るようになった」
「霊力いただきました~。しばらく受肉したままで動けまーす」
「なっ! なっ……!? なんつー! 非常識ッ――!?」
アレイダが、わなわなと震えて絶句している。
その気持ちはすこしはわかる。
「ああ。まあ。そうだな。俺も木彫り像がいきなり動き出して、ほんの少しは変だなと――」
「そっちじゃない! ――そっちじゃなくて! いきなりヤッてるほう! あんたのほう!」
「俺か?」
なぜ俺が非常識と糾弾されている?
いきなり動き出した木彫り像が非常識なことはわかるけども。
なぜ俺のほうが?
「正体不明の女の子とか、いきなり抱いてんじゃないわよ!」
「なんでだめなんだ?」
「ほ、ほら――呪いとかかかっちゃったら! 大変でしょ!」
いやぁ。勇者のレジストを突破してくる呪いなんて、そうそうないし。あったとしても大賢者が解呪できない呪いなんて、あるはずないし。
仮にあったとしても、その時はその時だし。
この人生において、俺は自重しないことに決めている。
俺の人生を俺がどう使おうが、まさしく俺の自由だろう。
「おま? 嫉妬とかしてる?」
そんなメンドウクサイ女だったっけ? こいつって?
「心配してんの!」
アレイダは咆えた。
「まあ。心配すんなって。――すくなくとも害意はないようだぞ」
「オリオンさん? 呪いとかにかかっているんですかー? わたし、解呪しますよー? できますよー。女神ですからー」
「なっ?」
俺はアレイダに向けて、ウィンクをしてみせた。
自称・女神の彼女は、ニコニコと笑って皆を見ている。
ここまでのやりとりの多くは、自称・女神の彼女には、きっと理解されていない。
天上界の生物の意識には、人間の「不安、嫉妬、恐れ」などのネガティブな情動は引っかからないのだ。文字通り不滅に近い存在である彼らは、地べたを這いずるか弱き存在の感情を、かなりの部分、取りこぼしてしまう。
「かみさま……。って。なに?」
スケルティアが、ぽつりと言う。
共食い上等のハーフスパイダーの世界には、「神」という概念は、どうも存在しないっぽい。弱肉強食のモンスターの世界では、神が救ってくれたことも、支えてくれたことも、見守ってくれたこともないわけで――。
どちらかというと、信仰の対象になるのは、力の象徴である邪神側だろう。
「おいしい?」
「あんまりおいしくないかもですよー? 脂身ばかりみたいですー」
自分の豊かな胸を下から捧げ持つと、自称・女神はそう言った。
いやそこは男子的には、いちばん美味しい部位なんだがなー。
ちなみにほかの皆の反応はというと――。
ミーティアはずっと祈っている。敬虔深い聖女としては、祈りの対象物がいま目の前にいるわけだ。
モーリンとコモーリンは、一人分増えてしまった食事の準備を、そろそろ終えるところ。
エイティは笑顔でウエルカムの雰囲気。あれたぶん、話についてこれていない。なにが起きているのか、きっと、わかっていない。
クザクはあいかわらず屋根裏で。
バニー師匠は、おもしろいことが起きてますねー、と、上機嫌。俺と目線が合うと、流し目とウィンクをしてきたが……。はて? その意味は、まだちょっと分からない。
「じゃ。食事にしよう」
俺が席についてそう言う。俺の合図で皆も食事をはじめる。
うちでは俺の合図があるまで、誰も手を出さない。
そして合図があると、すぐに食べものに手を出す者、食事の前に祈りを始める者、作法は人それぞれだ。
ちなみに食前の祈りを捧げる者は、今日は、祈っているのは目の前の相手だ。
そして当の、自称・女神は――。
物珍しそうな顔で、食べものを見ていた。
「はわわー、これが食べものなんですねー。食べものをみると、なんだか、お腹のあたりに穴があいた感じがしてぇー。あと、おなかのあたりが、ぎゅりぎゅり動いてぇー。それで、口の中に液体が出てくるんですけどー」
「それは、腹が減った、という。あと口の中のそれは、唾液な」
俺は教えてやった。
「ああ! そうだったんですかー! これがいわゆる〝お腹すいたー!〟ってやつなんですねー。わたしぃー、カラダを持つのはじめてなのでー! こんな感じだったんですねー!」
「いいから。食ってみろって」
自称・女神は――。手づかみでいった。
口の中にあれもこれもと、色々と食べものを入れた途端――。
目の色が変わった。
急に飢えた獣みたいになって、がつがつと食いはじめた。
モーリンがそっと立ち上がって、おかわりを取りにキッチンに行く。
「これは――!? 口の中がっ――! これが〝おいしい!〟って感覚なんですねっ! これ――うまッ! やだこんな! 物質界の人たちって! ずるい! こんな感覚――!?」
自称・女神は、食うのに夢中。
口のまわりをソースだらけにして、がふがふと食べる。
アレイダだって、こんな品のない食べかたはしない。拾ってきたばかりの蛮族奴隷の頃だってしていない。
ミーティアがナプキンを構えて拭きとるチャンスを狙っているが、ぜんぜん、チャンスがない。ずっと食い続けている
俺には、まあ、予想のつく展開だった。
精霊や神霊存在が、肉体を持つと、はじめしばらくはこんな感じだ。肉体を持つことで得られる〝五感〟というものが、彼らもしくは彼女らにとっては、珍しくて仕方がないのだ。
「あんまり食い過ぎると、腹が破裂するぞ」
俺がそう言うと、彼女は食うのをぴたりと止めた。
ずっとエサを貰っていなくて空腹すぎた金魚に、食べるからといってエサをやりすぎると、そうなってしまう。
五感を持ったばかりの神霊存在でも、おなじことが起きる。
まあそうなったらなったで、とっとと帰ってくれるから、助かるのかもしれないが。
高次元の存在が肉を持つということは、そういうことである。肉体の死とは、ただ〝容れ物〟が破損したに過ぎない。
「ところでおまえ、なんで降りてきたわけ?」
「わたしー。駄女神なんですよぅ」
「ほう」
「神様からは、おまえは人間に興味を持ちすぎる。――って、よく怒られていましてー」
やっぱこいつ。自称・女神なんじゃなかろうか?
聞けば〝神様〟とやらの下っ端っぽい。じゃあ女神とか言ってるのはフカしこいてるだけで、実際には天使族とか、そんなのでは?
「ハムスターさんたちが、よく回し車をまわしてますよねー。あれを見ていたり、ニンゲンさんが毎日おなじことして、くるくる人生を回していたりするのに、つい、見入っちゃうんですよー」
人間もハムスターも同列扱いかよ。だから神霊存在って嫌いなんだよ。
ナチュラルで上から目線っていうか……。
「今日も船が進むのを、船首の乙女像に意識をおいて眺めていましたらー。オリオンさんが、お尻を触ってきて霊力を注がれましたのでー」
「ほら。やっぱりお尻さわってた」
アレイダがぼそっと言う。触っていたが、それがどうした?
「乙女像の素材が神木だったこともありましてー、親和性が高かったのですねー。ためしに受肉してみたら、ななな、なんと、できちゃいましたのでー。それでついでに人間界の見学をしてみようかと。――あっ。神様にはナイショですよ? 怒られちゃいますからー」
神様っていうのは、全知全能なんじゃないのか?
ナイショにしておけば気づかれないとか、ずいぶんと半端な全知だな。
話をいちおう聞き終えて――。
俺は大きく息を吸い、それから大きく吐きだした。
そして言う。
「――カエレ」
「えー? なんでですかー? まだ帰りたくないですぅ~!」
理由は細かいことから言えば、その間延びした「ですぅ~」というしゃべりかたが気に入らない。なんかイラつく。
そして話を聞いてみれば、なんだこれは。つまり家出してきたJKだろうが。
「なんでオリオン、そんなに冷たいの?」
アレイダが言った。
「ヤル……じゃなくて、えとえと……、えっちした相手には、気味悪いぐらい優しいのがオリオンなのに」
アレイダの言うことはもっともだと俺は思う。
俺は、自分の女になった相手には優しいつもりだ。
だが――。
「やるって、なんですかー?」
「あの……? さっき船首で……、その……、していましたよね?」
「なにをですかー?」
「だからあの……、挿れられて……」
「??? ……ああ! はい! 霊力をいただいてましたー」
噛みあっているのか、そうでないのか、判断に困る会話が続く。
俺は自分の女になった相手には優しいつもりだ。
裏を返せば、俺のものにならない女には優しくないのだ。
これだから神霊存在は嫌いだ。……いいや、正確に言えば苦手だ。
心が広すぎるのだ。
天文学的な心の広さを前にすると、人間的な所有欲だとかが、ちっぽけなものに思えてくる。
世界の精霊であるモーリンなどは、人間よりはあちら側に近かったりするのかも? 俺に対して一切の所有欲を発揮したことがない。
ちら、とモーリンを見ると。
モーリンとコモーリン、二つのうなずきが帰ってくる。
大小二人は、一瞬、その顔を見合わせて、そしてコモーリンのほうが、俺のもとに、とことこと歩いてくる。
俺の耳元に顔を寄せ、小さな声で耳打ちしてきたのは――。
「マスター。彼女にあまり惹かれては嫌ですよ」
俺は苦笑いした。
すっかりお見通しだ。
こういうアホJKのノリは苦手だ。
心配しないでも、惹かれたりはしない。
現世になにを求めてやってきたのかはしらんが、とっとと満足してもらって、お引き取り願おう。
「それで、神サマはこちらの世界で、どんなものをご見学される予定ですか?」
バニー師匠が聞き出し調査を行っている。ナイス、チームプレイ。
「あっ――! そうです! そうです! わたし、人間さんのやられている、ぷろれす? ――というのに、すっごく興味があるんですー! ぷろれす、いいですよねー、ぷろれす!」
「はぁ。プロレスですか……?」
バニー師匠が首を傾げる。
そりゃそうだ。
プロレス鑑賞をご所望なら、次元だか世界だかが違っている。俺と――あとたぶんバニー師匠のいた前世の世界には「プロレス」があったが、こちらの世界では「プロレス」はない。
いや……、確信はない。俺も世界の隅々まで見て回ったわけではない。
「あるのか? ……プロレス?」
「さあ? わたしが見て回ったところでは……、ありませんでしたねえ?」
念のためモーリンにも目線で問いかける。
コモーリンのほうが、顎先をふるふると小刻みに振り返してきた。NOのほうだ。
モーリンは大賢者ではあるものの、世間の俗事には疎い。
バニー師匠が知らないのであれば、やはりこの世界にはないのだろう。
「ないみたいだぞ? 次元違いじゃないのか?」
「えー? ここの次元にもありますよぅ。ぜったい。――なかったら、人間さん、増えてないじゃないですかー」
いや。プロレスと繁殖とは、関係ないと思う。
「白いシーツの上で、繰り広げられるあれですよー。あれー」
「シーツ? リングではなくて?」
「ええ。はい。シーツの上でぇー。おとこの人とー、おんなの人とがー、くんずほぐれつ、ハダカになって、毎晩やっている、あれでー」
「あー! アレかー!」
俺は瞬間的に理解した。
「はい! あれですー!」
自称・女神は、手の指先を合わせて喜んでいる。
しかし……、それだったら、さっきやったろうに。
シーツの上でやらなければ「ぷろれす」にはならんのか。野外の即ハメの霊力排泄行為は「ぷろれす」のうちには入らんのか。
まあどうでもいいが。
「じゃ、それ体験したら、帰るんか?」
「あっ。神様にばれないうちに、帰ったほうがいいかもですねー。それで、どちらで体験できるんでしょう?」
「あー、まかせろ。まかせろ。容易いことだ」
俺は請けあった。
「ところで?」
「はい? なんでしょうー?」
「対戦形式は、なにがいい? 一対一の、六〇分一本勝負が希望か? それとも三本勝負? 二四〇分無制限勝負なんてのでも構わないが?」
「えーと、えとえと……」
ぷっくらとした唇に指先をあてて、自称・女神は考えこんだ。
「ばとるろいやる? ……とかいうやつで、ひとつー。皆さんで賑やかな感じのでー。オリオンさんの得意なやつでー」
「おー。おーおー。得意得意。俺。ばとるろいやる。得意だぞー」
俺はますます請けあった。
ゆるいしゃべりで、アタマと中身とが残念な感じの、自称エセ女神であっても――カラダのほうは、どこぞの彫刻家が一刀入魂した、美の化身。
一晩くらい、「ばとるろいやる」でもって、お付き合いすることは、やぶさかではない。
◇
うちの子、全員参加で、「ばとるろいやる」をがんばった。
自称・女神は、満足昇天していった。入れてる最中に木像に戻って、俺はエライ目にあったのだが――。
木像は、元の場所に乙女像として戻した。
やはり船の先端には美少女がついているべきだろう。