やさしくして 「やさしくして。やさしくして。やさしくして」
「優しくして。優しくして。優しくして」
「あー! うっせーなー! もー! 発情してんじゃねえぞ! クソ駄犬!」
「してないし駄犬でもないし。てゆうか! また駄犬ゆったぁ!」
いつもの昼すぎ。いつもの甲板。いつもの大海原。
なんでか最近、うちの駄犬が、「優しくして」とうるさい。
つきまとってくる駄犬を、俺は、しっしっと手で追い払う仕草をした。
このあいだ髪留め買い直してやっただろう? もう一生分ぐらい優しくしたよな?
これはアレだな。おバカなワンコに「スペシャルごはん」をくれてやると、舌が肥えちゃって、普通のごはんに見向きもしなくなるっていうアレだな。
よって、甘やかすのはよくないな。
「俺は釣った魚にエサはやらない主義なんだ」
「最低」
おお? 面と向かって最低とか言いやがったな。こいつ。
「ていうか。わたし、釣られた覚えがないんですけど。釣られるまえに優しくしてもらった覚えもないんですけどー!」
「そうだっけ?」
「そうよ! ねー、スケさん。わたしたち、べつに優しくなんてしてもらってないわよねーっ!?」
「……? おりおん。優しい。よ?」
いきなり話を振られて、スケルティアは、きょとんとしている。
無表情な顔を一五度くらい傾げつつ、日焼け止めのオイルを白い肌に塗り塗りとやる手は止まらない。
錬金術士でもあるモーリンが、日焼け止めオイルを開発した。
向こうの世界の日焼け止めというものが、UV――紫外線を九九.九九%ぐらい止める原理だと説明したら、「ああ」となにか分かった顔になって、すぐに調合した。
ちなみにスケルティアは、いまアラクネ種であり、肌にみえるそれは柔軟さと強靱さを兼ね備える「外皮」であるから、直射日光にどれだけ炙られてもノーダメージで、日焼け止めを塗る必要はまったくないのだが……。
皆が塗っているから、自分も真似して塗っているのであろう。
うん。かーいー。かーいー。
「おーし、おしおし。おまえは、かーいーなー」
サンオイルを塗り終わって、俺のもとに、とことことやってきたスケルティアの頭を、ぐりんぐりん、頭蓋骨を掴む感じで撫でてやる。
ハーフモンスターの彼女は、外皮が丈夫なので、すこし強いくらいがちょうどいいらしい。デッキブラシでゴシゴシと最強の力加減で洗ってやると、気持ちよさそーに、目をうっとり閉じていたりする。
「ずるい! スケさんばっかり! なんでわたしだけ扱いがひどいの!」
アレイダが叫んだとき、中空から、ぴろりと紙が落ちてきた。
『私も主には冷たくされておりますが』と、そこには書かれている。
「クザクはあなた! それ好きでやってるんでしょ!」
どこか中空に向けて、アレイダは叫び返す。
以前は天井裏に潜んでいたものだが――。いまはいったいどこに潜んでいるのだろう?
青空しか見えないのだが――。青空の天井裏とかに潜むの? どうやって?
「あと最近! 人魚とか海賊さんにも優しくしているのに! わたしだけぜんぜんぜんぜん優しくなくて、酷い扱いされてるとか! ひどくない!? ねえひどくない!?」
アレイダの手が、ずびし――と、水平線を指差す。
船の後方。見えるか見えないかといったところに、海賊船が一隻と、波間に浮かぶ人魚の頭とが見えている。
ずーっとついてきているんだよなー。あいつら。
俺としては一晩限りの逢瀬のつもりだったのだが。向こうは本気になってしまったようである。
そんなに良かったか。
罪作りだな。俺って。
片方は、「排卵しちゃうぅぅ~っ!」とか叫んでいたし。(文字通り本当に排卵していた。魚卵を)
もう片方は、「綺麗な目だな」と間近で囁くだけで即堕ちだった。〈滅びの魔眼〉持ちの彼女は、眼帯無しの素顔をさらすことは、初体験であったらしい。(これは世界でもたぶん俺にしかできないプレイだ。魔眼耐性が必要だからだ)
俺でなければならない理由が、向こうの二人には出来てしまったようである。
「おまえ。そんなに優しくしてほしいの?」
俺はアレイダに聞いてみた。
「そうよ!」
「それ。堂々と威張って言うことか? プライドもなにもないのな?」
「いけない?」
だからそれ、仁王立ちで言うことか?
「じゃ、なにかで俺に買ったら、優しくしてやんよ」
「なにかって、なによ?」
「じゃんけんで負けほうが服を一枚ずつ脱いでいって、最後、全裸になったほうが――」
「もう! そういうのばっかり!」
「あー、野球拳ですかー。いいですねー。……やります?」
「もー! バニーさん! いまだめです! いまわたしのターンなんですから!」
割りこんできたバニー師匠に、かーっと歯を剥いて威嚇して、駄犬は狼の気迫で俺に目を向けた。
……だから駄犬なのか狼なのか、どっちなの?
「じゃあ! 勝負はこれでッ!」
ずばん、と、甲板に置かれたボートには、縦横八つずつのマス目が着られている。石は片面が白でもう片面が黒で――。
早い話が、オセロである。
ちなみに「オセロ」というのは商品名で、リバーシというのがもともとの名前らしい。
うちでのゲーム用に俺が作った。将棋やチェスといったものは、難しすぎるのか、スケルティアあたりが困っていたので、オセロくらいから慣らしていっている。
麻雀を囲めるようになるのは、いつの日だろうか。
「いいのか? おまえ?」
「なにが?」
「いやだから、それで本当に……。まあいいか」
頭脳勝負で勝てるつもりでいるのだろうか?
駄犬の分際で?
まー、本人が言ってるんだから、気にしなくていいか。
「ま。勝てたらおまえの言う通りにしてやるけど」
「やった!」
「けど。負けたらひっくり返して、肘まで腕を突っこむからな」
「ひぃっ……、ど、どこによ!?」
「さーてなー」
俺はにやにやと笑いながら、石を並べてゆく。
先手が黒。弱いほうが黒。
身の程知らずの駄犬に、先手を譲ってやった。
勝負がはじまった。
◇
「えっ? あれ? ……ちょ、ちょっと待った!?」
「もう? またー? さっきも待ってあげたわよね?」
「いや。違うんだ。これは違うんだ。だが一つ戻せ。そこじゃなくて、別のとこに置く」
「とか言ったって、もう、そこに置くしかないでしょ? 他に置けるところ、ないよね?」
とにかく一手戻して、置ける場所を探す。
駄犬はそう言うが、他にも置ける場所は……。場所は……。
やっぱり、なかった。
「オリオン。ゲームは弱かったのねー」
「い、いや。俺はな。モーリンにだってな。連戦連勝でっ――」
「冷静に考えてみようね。大賢者に勝てるはずないよね? なら勝てたのは、モーリンさんが手加減していたってことだよね? なーにー? 接待で勝ったのを、自分の実力だって勘違いしちゃってたー? ――ぷー、くすくす!」
俺は愕然となった。
ずいっと顔を向けると、モーリンがふっと視線を外した。
スケルティアにも顔を向ける。
三秒、見つめ合ってから――。スケルティアは、ふいっとそっぽを向いた。
スケルティアよ! おまえもか!
次にバニー師匠を見やる。このあいだ接戦を繰り広げた仲である。
「あっ。あそびにんには、〈接待〉ってスキルありますからー。全力を出しても負けることができちゃえるんですよー」
そういえば、勇者人生ではゲームなんてしてなかったし。
社畜人生でも、ソシャゲとコンシューマーゲームは得意だったが、対人のボードゲームは、ほとんどやっていなかった。
勝ちまくっていたのは、てっきり、俺の才能が開花したものとばかり思っていた……。
とほほー。接待だったとはー。
とほほー。うちの娘たちに、思いやられていたとはー。
うちの子たち! 気配りのできる優しい子だった!
「いーヒヒヒ! ヒーひひひ! 勝った! これで勝ちでいいわよねー!」
盤上のほとんどのコマをひっくり返して、アレイダは奇声をあげた。
「おまえ。悪魔だな」
「なんとでもおっしゃい! ――さあ! 約束だから! 優しくして! やーさーしーくー! してっ!!」
俺に勝てたことが嬉しいのか。それとも約束の件が嬉しいのか。
とにかくアレイダは、喜び、はしゃいでいた。
「……優しくってな。どうすりゃいいんだよ?」
俺はぶすっとした顔と声で、そう言った。
まあ約束は約束だ。反故にするほど外道ではない。
「えっ?」
アレイダのやつは、きょとんとした顔をした。
「えと……? だから――そう! 優しくよ! わたしに優しくするのよ」
「だから具体的におまえはどんなふうにされたいんだ?」
だいたい普段から、俺なりに優しくはしているつもりである。
奴隷で売られて屋外の犬小屋に入れられていた売れ残りを買ってやったし。小汚かったのを、わざわざ手ずから洗ってやったし。
エサやったし。ダンジョン連れていって育ててやったし。転職させてやったし。
運動不足で体が鈍ってデブってきたら、ドッグランに連れていく要領でラストダンジョンに連れてって、死ぬ気で運動させてやってるし。
そして極めつけは、狼だと思って拾ったのにじつは駄犬で、それでも捨てずにやっているところだ。
これのいったいどこが優しくないというのだ?
「で? どう優しくされたいんだ?」
「そ、そんなの……。言われなくたってしてくれなきゃ……、や、優しいっていわないわよ」
なに言ってんのか、まるで、わけがわからねえ。
「おまえの乙女脳が、どんな妄想をしているのか、俺が知るはずないだろう。言ってもらわなければ、本当に、わからないぞ」
「お、乙女……って」
乙女だろうが。
なんか益体もないロマンチックなことを考える脳みそが、乙女脳でなくて、なんだというのだ。
「じゃ、じゃあ――」
まなじりを決して、アレイダは口を開いた。
「じゃあ――。抱っこ。――して」
「だっこ? お姫様だっこっていうやつか?」
「ちがう」
アレイダは、俺のもとに、のしのしと歩いてくると――。
床のうえに座っている俺の前にしゃがみこむと、俺の腕を持ちあげ、背中をこちら側に向けて、俺の腕の中にすっぽりと入りこんできた。
これはよくコモーリンを抱いているときの体勢だ。
「手はこう」
俺の手を、自分の頭にのせさせる。
「なでなで――。やって。はい」
なでなでとするのは、スケルティアによくやっていることだった。
「えーと……?」
俺は困惑ぎみに、アレイダの首筋を見た。
「こんなんでいいのか?」
「大体は」
アレイダはそう言ったきり、俺の腕に身を委ねていた。
本当に、こんな程度のことでいいのかと、俺のほうが拍子抜けだ。
しかし……。
〝大体は〟ってなんだ? まだなんか他にもリクエストがあるのか?
そういえば、アレイダのことを、こんなふうに子供みたいに抱えてやったことはないし、撫で撫でしてやったこともなかったな。
ベッドの上でヒイヒイ言わせてやる方面で可愛がってやることは、しょっちゅうだったが、それはぶっちゃけ双方合意の上のレイプみたいなものであって、ラブラブとかいちゃいちゃとかいうのとは、ほど遠い。
そういやこいつ、ただ意味もなく隣に座りに来たりするの、好きだったっけ。
おっぱいも揉まず、ただ肩をくっつけ合っている程度が、好きなんだっけ。
「大体は、ってことは、ほかにもあるんだろ? この際だから、言っとけよ」
「あの、えっと、じゃあ……」
アレイダのやつは、おずおずと口を開いた。
「……ほめて」
「は?」
「……だから。……あの。……ほめて」
「えーと?」
「す、スケさんとかには――! いつも褒めてあげてるよね? よくやったなー、とか! がんばったなー、とか! えらいぞー、とか!」
「そりゃあ……」
「み、ミーティアには、可愛いとか、気立てがいいとか! あとあと――! エイティには『美少女』ってしょっちゅう言ってるし! クザクにだって『おまえは使える』とか、『有能だ』とか、『上出来だ』とか、仕事ぶりについてコメントするよね! でもわたしには『駄犬』とか、『ひゃんひゃん鳴くな』とか、『ハウス』とか、そんなことばかりしか言わないよね!? 『駄犬』ってそれ褒め言葉じゃないよねっ!? わたしオリオンから認めてもらえる言葉、なにひとつかけてもらってないよね!? ――ひどいよねっ!?」
「いや……、なにひとつっていうのは言い過ぎじゃないか? たまには褒めてたじゃないか?」
「いつ!? どんなとき!? 具体的には!?」
「えーと……」
考えた。考えた。思い出そうとした。
だが……なかった。
「あー、まー、そうかもしれない」
「でしょ!! じゃ――、ほめて!」
アレイダは俺の体に背中を預けてきた。
俺はしかたなく、ぽん、と頭の上に手を置いて、優しく〝なでなで〟をしてやった。
それだけでアレイダは、ぴくんぴくんと背筋を震わせている。
「感じてんの?」
「ばかっ! ちがうの! う――嬉しいの!!」
おま。どれだけ褒められ耐性ないんだ?
とにかく、俺は、やってみることにした。
ったく。よりにもよって『褒めろ』だと? 俺のいちばん苦手とすることを――。
ったく。もう――。
「おまえは……、えーと……。あれだ、つまりその……。目つきの凄いところが気に入ってる。頭おかしいところが……って、これはべつに悪い意味じゃなくてだな。俺的には褒めてるつもりなんだが……」
「………」
アレイダのやつは無言。その顔はこちらからは見えない。
こっちを見ているモーリンに顔を向けて、目線で問い合わせてみる。
うなずきが返ってきたので、たぶん、この路線で間違っていない。
……そのはず。
「最初に買ったのも、野生の獣みたいな目で睨んできたからで――。そのときに、欲しい、って思ったんだな。だから厳しく鍛えもした。正直、途中で死んじまうか、それとも逃げ出すかと思っていたんだが……」
こいつの育成は、〝モーリン式〟の百分の一くらいの厳しさでやってたもんなー。
普通、死ぬか、潰れるかしているところを、こいつはよくもった。
「だが……、よくがんばった」
そう耳元に囁いて、頭をなでなでしてやると――。
ぶるるっ。――と、アレイダがその身を強く震わせた。
「イッたのか?」
「ばかっ! か――感激してんの! いますっごいのがキテんの! すこし黙ってて!」
「はいはい」
俺はしばらく頭を撫でつづけた。
膝に乗せているのは、子供ではなく、成熟した体の女だから、ついつい意識がそっちに行ってしまいかねないが、愛撫ではない力の加減のほうで、頭をなでなでしてやる。
……そういやこっちのほうも、〝愛撫〟っていうんだっけ。
同じ言葉なのに、ほんと、ややこしい。
「おまえ。聖戦士になったんだよなー。いつもは、そんなもん入口の入口の下っ端だ! ――とか言ってるけど。まあ充分に早いと思うぞ」
勇者時代の仲間や戦友や知り合いには、聖戦士やそれに匹敵する職の連中は、たくさんいた。
だが十代のアレイダの歳で勇者のパーティに入れるその実力を持っていたのは、それほど多くはなかったし――。そんなやつでも、二足歩行をはじめた赤子時代からの、絶えざる修行の結果であった。
パワーレベリングがあったとはいえ――。
そしてもともとが素人ではなくて多少の心得があった状態からとはいえ――。
一年も掛からずに勇者業界の入口に到達したのは、けっこう、物凄いことであったのだと――。俺はいまさらながら再認識した。
おお。うちの子。けっこう優秀じゃんよ。
いまならラストダンジョンの五階目ぐらいまでなら、連れていけるのではなかろうか?
ちなみにラストダンジョンは、本来は「魔王を倒したあと」に行くべき場所で、全九九九階とされている。「されている」とあるのは、そこまでしか到達した者がいないからだ。
なお九九九階の到達者は俺とモーリンだ。魔王戦のまえのレベル上げに用いた。
頭を撫でつづけながら、俺は続ける。
なんて言ってたっけ? こいつ? どこを褒めろって言ってたっけ?
能力を褒めろ。実績を褒めろ。……あとは『容姿を褒めろ』だったっけな?
「おまえのこの赤い髪。俺。気に入ってるんだよな」
――と、目の前の髪を、一筋、手に取る。
「そりゃ、さらさら具合とかじゃ、エイティやミーティアとはかなわないかもしれんが。しかしこの色がな。……燃える夕陽みたいで、命が燃えているみたいじゃないか」
ああ。うん。
俺がこいつのどこに惹かれたのかといえば、生命力、だったっけ。
犬小屋みたいな檻に閉じ込められて、餓死寸前の仕打ちをされていても、なおも燃えさかっていた生命力。
前世で過労死……、じゃなくて、連続五〇日、残業ウン百時間で、朦朧として転生トラックに轢かれた俺には、奴隷屋のクソ溜めの檻のなかでも、爛々とした目を持っていたこいつは、まぶしく見えたものだった。
「お父さまも……」
「ん?」
「昔、お父さまも……、わたしの髪の色、綺麗だって……、好きだって……」
「そうか」
部族ごと滅びたんだから、その「お父さま」とやらも、当然、鬼籍に入っているのだろうな。
「おまえには〝かわいい〟だの〝綺麗〟だのといった言葉は、似合わない。俺はそう思う。だから言ってない。おまえに似合う言葉は、そうだな……」
俺はしばし、考えた。そして見つけた。
「そうだ。――〝気高い〟だ」
「ふにゃああぁん……!」
腕の中のアレイダが、急に、変な声をあげて、脱力してしまった。
「おい? どうした?」
「ふにゃぁぁ~……、ふゎん」
揺すってみても、アレイダは変な声をあげるばかり。
その体重をしばらく預かったままで、俺は置いてけぼりを食らった気分だった。
いきなりどうしたんだ? こいつは?
アレイダは耳元まで真っ赤。
体には力が入らず、ぐんにゃりと脱力しきったままである。
ああ。なるほど。
褒められるのに慣れてないのか。こいつ。
恥ずかしくって頭がショートしたわけか。
おもろいな。
褒め殺しプレイ。こんど、もっとやろっと。