第一回戦・その夜 「この金で、次の試合を辞退していただきたい」
「この金で、次の試合を辞退していただきたい」
夜――。
宿のロイヤルスイートルームを訪れた使者は、テーブルの上に金貨袋をぎっしりと積み上げると、そう述べた。
金貨のいくらかは、袋から溢れて、テーブルの上にこぼれ出してしまっている。
キラキラしているG貨幣に、スケルティアがきらきらとした目を向けているが、あれはべつに金に目がくらんでいるわけではなくて、単にきらきらしたものが好きなだけ。
スケルティア以外の者は、俺も含めて、どや顔を浮かべる使者に対して、しらけた顔を返していた。
……が、どうも、この小男。
俺たちの向ける空気に、気づいていないっぽい。
「どうです? 悪い取引ではないでしょう。べつに負けてくれと言っているわけではありません。……そうですね。急用が出来たので第二回戦は辞退したい。――などと運営に連絡して、この街を立ち去っていただくというのは? 貴方方はそれでこの大金を手にすることができますし、我々のクライアントはそれで
その〝クライアント〟とゆーのが、どこの誰なのかはしらんが……。
妥当に考えれば次の対戦相手あたりか?
まあどうでもいい。
ほんとーに、どうでもいい。
マジでぶっちゃけ死ぬほどどーでもいい。
俺は怒るとかムッとするとか、そういう次元を通り越えて……、俺はただ、呆れ返っていた。
精神状態としては「疲れ」というのが、もっとも近い状態になるだろうか。
「はあぁ……」
俺は、深い深いため息をついた。
小男は、それを〝感嘆〟と受け取ったようだ。
顔をほころばせて、手揉みをはじめる。
「そうでしょう? そうでしょう? ……これほどの大金。貴方がたが一生かかっても見ることはできないかと。これ全てが一夜で手に入るのです。こんな良い取引は――。は?」
男がくだらない言葉を口から垂れ流すのをやめて――、は? と俺を見返してきた。
俺が手をあげて、指で、ドアを指し示していたからだ。
「あの……? それは……? どういった……? 意味で?」
小男が顔を曇らせる。
ようやく、なにか違和感を覚えはじめたようで、俺の顔を、ようやく見た。
こういう手合いは、俺は昔からよく知っていた。
ニコニコ愛想の良い笑顔を浮かべてはいるが、その目はじつのところ、前に立つ相手を見てはいないのだ。
相手を下に見ている――ぐらいなら、まだマシなほうで、それどころか相手を人間とさえ見ていない。物を考え、感情を持つ相手と思っていないということだ。
金をくれてやれば、喜びのリアクションを返すロボットぐらいにしか思っていない。
こいつらのような人種にとっては、大金をくれてやるのに、喜び以外のリアクションを返す者の存在は、感知も想定も認識さえもできないのだろう。
「……ええと?」
小男は、憮然とした顔の俺を見て、完璧な無表情のモーリンを見て、汚いものでも見る顔のアレイダを見て――。
向こうの期待する顔が、そこにないことに、困った顔になって――。
キラキラしているスケルティアと、にこにこしているミーティアとに、すがるような顔を向けた。
だがスケルティアとミーティアの二人が、キラキラないしは、にこにこしているのは、キラキラが好きなだけと、〝金〟というものの意味をおそらく知らない箱入りなだけであって、小男が期待する「金に魅了されている」とかではない。
どちらも俺に、小男の申し出を受けるように進言することはない。
「あのぅ……? ええと……? 大金ですよ? 欲しくはないのですか?」
言わなきゃ、わからんのか。
だが口をきくのは、果てしなく面倒だった。
よって俺は――。
金貨袋が満載したテーブルに手をかけ――。
腕の一振りをもって、テーブルそのものごと――窓に向けて放り出した。
がっしゃーん!!
山のような金貨は、ロイヤルスイートのペントハウスの窓をぶちやぶって、通りへと落ちていった。
しばらくすると、下のほうから、「金だ金だ!」「拾え拾え!」などという声が聞こえはじめた。
俺はテーブルを放り出したのと、違う側の腕で――ドアを指差した。
窓から放り出されるのと、ドアから自分で歩いて出て行くのと、どちらか選べ――という意思表示だったが。
さすがにこれは、相手にも伝わったらしい。
小男は、ぎくしゃくとした足取りで、部屋を出て行った。
「はぁ……、なんなんだ。……ったく」
ドアが閉じるまで見送って、俺は、深い深いため息をついた。
「あー、もー、どうすんのよー」
「なにが?」
アレイダが言うので、俺は聞いた。
「窓」
「あー……」
ぶち破られた窓がある。かろうじて繋がった窓枠で、ぷらぷらと揺れている。
木材の破片に還ったテーブルと、ガラスの破片が
金貨はぜんぶ通りに落ちた。そのように薙ぎ払った。
スケルティアが、ベランダに金貨が落ちてないか探していたが、キラキラしたガラスの破片を見つけて、それを拾って、にまーっと笑顔を浮かべた。
キラキラしていれば、金貨でもガラスの破片でも、どちらでもいいらしい。
部屋を壊した旨を、宿の経営者に告げて――相応の修理代を払った。
すこし出かけて、街で庶民の味を堪能して帰ってきたら――ごく短時間のうちに、部屋も窓もすっかり元通りとなっていた。
さすがプロ。
俺たちのトーナメント第一日目の夜は、こんなふうにケチがついてしまったが――。
部屋もすっかり元通り。
オードブルをルームサービスで頼んで、酒のリストから値段を見ずにフィーリングで決めて、食って飲んだ。
食って飲んだら、三大欲求のその次だ。
そして四畳半ぐらいもある巨大なベッドの上で、モーリン、アレイダ、スケルティア、ミーティアと、全員一緒に可愛がって――。
ん? クザクがいないな? まーた天井裏か。なぜ混ざらない?
天井裏から覗くのは、もうほとんど、あいつの趣味なのだと思うことにする。覗いてこっそり一人でするのが趣味なのか。
まあともかく――。
俺たちは、ケチがついたことなど忘れきって――。
トーナメント一日目の夜を、楽しく過ごした。




