奴隷が売ってた 「お客様お目が高い。この娘は、さる王家の血を引く者でして」
モーリンと二人で、夜の街を歩いた。
屋敷の場所は権利書に書いてある。鍵束は手の中にある。
今日はいっぱい戦った。いっぱい稼いだ。
そして俺たちは新しい住居を手に入れた。
「しかし。血まみれだな」
俺は言った。
自分の体を見る。
黒い鎧と、そこそこの切れ味の魔法剣――。ドロップ装備だけでコーディネートしたものだから、だいぶ禍々しい感じになってしまった。まるで〝一仕事〟終えたあとの山賊みたいな格好だった。
なによりも、それっぽいのが――返り血で、べっとりと汚れているところだった。
返り血は、装備や服だけでなく、髪にもついて、固まってしまっている。
「そうですか? 私は、それほど……」
ちなみに戦闘のあいだ、モーリンは、だいたいにおいて、後ろで見ていただけ。
戦闘後に、ちんまく減ったHPを回復するために、回復魔法を唱えてくれる程度。
俺も勇者なので、当然自前で回復魔法は使えるのだが。すぐ後ろにMP無限タンクがいるのだから、それに頼って
俺がキズを治させてやると、モーリンは、無表情なままではあるが、そこはかとなく、幸せそうな顔をする。
モーリン歴20年の俺が言うのだから、間違いない。
「街には公衆浴場がありますが」
「おお。風呂があるのか」
それはいい。前世の記憶に風呂は出てこなかった。俺はすべての記憶を持っているわけではなく、重要ではない記憶は忘れているものも多い。日常のことはわからないことも出てくる。
ちなみに、金ならある。
100万Gを少々超える額を、きっちり稼いで帰ってきて、目の前に突きつけてやったら、あの商人。向こうから自主的に「値切って」きた。
はじめからボッていたのか、それとも、今後もひいきにして欲しい「上客」と判定したのか、それは俺の考えることではなく――。
ひょんなことで出てきた「お釣り」を、ありがたく、もらって帰ってきていた。
よって、いま、懐には20万Gと少々があった。
ええと……、日本円にすると……。いくらだ?
2000万円くらいか。まあ金額とかは、この際、どうでもいいか。
当面、困らないだけの、けっこうな大金がある。それで充分だ。
「普通の浴場と、特殊な浴場とがありますが。どちらになさいますか?」
「それはどう違うんだ?」
「普通の浴場は、男女別の大きな湯船があります」
「ふむ。銭湯だな」
「特殊な浴場は、美しい女性がサービスをしてくれます」
「おおう」
「おまえと一緒に入れて、おまえがサービスしてくれる風呂はないのか?」
「貸し切ります」
「そうしろ」
モーリンの腰を抱いて、歩きはじめた俺だったが――。
ふと、脚を止めた。
「……マスター。どうされました?」
「ん。いや。なんでもない」
通りのすこし離れたところから、俺たちを、じっと見つめてくる視線があったからだ。
通り自体も夜なので、暗くてよく見えないのだが……。なにか、薄暗いところで、じっとうずくまっているように思えた。
「どうされました?」
「いや……」
俺はモーリンを連れて、歩きはじめた。
◇
風呂をひとつ、貸し切りにして、モーリンと入浴した。
たっぷりとした湯で、体を長くして寝そべると、今日の疲れが溶けるように抜けていった。
モーリンに体を洗ってもらった。人に洗われるのは、気持ちがよかった。
そしてモーリンの体のほうは、俺が洗ってやった。洗っているうちに、そういう気分になってきたので……。自重せずに、彼女を抱いた。
戦闘をしたせいで昂っていたのだろうか。昨夜よりも激しく求めてしまった。
食事も風呂の中に取り寄せた。
食いながらした。しながら食った。
◇
そうして、モーリンと二人で、しっぽりと、くつろいだ時間を過ごしてから――。
俺たち二人は、夜の道を歩いていた。
夜はすっかりと更けていて――。通りからも、人の姿が消えている。
「すっかり遅くなってしまったな」
「マスターがケダモノだったせいですね」
いつもは距離を置いて歩くモーリンだが、俺の腕を取り、しなだれかかるように体を預けてきている。
毅然とクールな彼女もいいが、こういうのも、悪くないと思った。
買ったばかりの館を見に行くのもいいのが……。
もう夜は遅い。
今夜はモーリンのあの小屋で過ごして、明日になってから、館に行ってみるか。
「ああ。そういえば。ここは……。さっきのところか」
見覚えのある場所に来て、俺は、ふと、立ち止まった。
さっき視線を感じた交差点だ。
視線の正体はわからずじまいだったが――。
もうあれから何時間も経っているので、視線の主は、さすがにもういないだろうが――。
いや。……あった。
前回のときと同じ場所から――。
うずくまるくらいの高さから、こっちを、じいっと見つめてくる視線があった。
なんだ?
暗殺者にしては、気配が、だだ洩れなのだが……?
あれじゃ素人以下だ。
「どうしました?」
「いや。暗殺者……なわけはないな」
モーリンに言いかけて、俺は言葉を止めた。
もう勇者じゃないんだっけ。
じゃあ暗殺者につきまとわれることもないのか。
視線の正体を確かめてみるために、俺は、そちらに歩いていった。
路地の入口あたりに、大きな木箱が置かれていて、視線はそこから送られてきている。
その木箱の前に立ち、俺は――。
「なんだ……? これは?」
人間が檻に入れられていた。
入れられているのは……、たぶん、娘。
たぶん年頃の娘。
ひどく汚れていて、ぼろを着ているので、はっきりしない。
木箱は、人が一人、なんとか座っていられるだけの大きさしかなかった。
立つことも横になることもできないような木箱のなかで、娘は、頭が天井にくっつきそうになりながら、窮屈そうに座っている。
「……」
目と、目が、合う。
暗闇のなから、こちらを見てくる目は――不思議と澄んでいた。
檻に入れられ、首輪を付けられていても、その目は屈服していない。
この視線だ。
俺が夕方から気になっていたのは、この目だった。
しかし……。
なぜ人が檻のなかに入れられているんだ?
俺は剣を抜いた。
檻は単なる木箱だった。こんなもの、たったの一撃で――。
「マスター。それは犯罪にあたります」
モーリンが言った。
「……俺か?」
俺はモーリンにそう聞いた。
どうやらモーリンは、人を木箱に閉じ込めていることのほうではなく、俺のしようとしていることのほうを、「犯罪」と言っているらしい……?
「はい。他人の財産を侵害するのは、こちらの世界では犯罪にあたります。マスターのいらした異世界では、どうかわかりませんが」
「財産……? 人だろ?」
俺はもう一度、木箱の檻と、その中にいる女の子――たぶん――を、よく見た。
木箱には値札が貼りつけられていた。
なにか但し書きか、売り文句みたいな、文面もある。
「やあ。こんな時間にいらっしゃい」
ぱかりと建物の壁の窓が開いた。
「ええ。ええ……。当店は24時間営業ですとも。――お金を払っていただけるお客さんでしたらね」
いかにも強欲そうな濃い顔の男が、木窓をはねあげて、顔を出していた。
男の後ろのほうには、崩れた感じの女が、一瞬、見えていたが――。その尻も、すぐに視界から消えてゆく。
「奴隷をお求めですか。――いいのが揃っていますよ?」
どうやら〝商談〟がはじまってしまったらしい。
「しかしお客様。その娘に目をつけられるとは、お目が高い」
商人は説明をする。
「それは掘り出しものでしてね。当店でも、とびっきりの上玉なんですよ」
そこで、商人は、左右をうかがう仕草をした。
声をひそめて、こっそりと、小さな声で――。
「じつは……、ここだけの話……、さる王家の血を引く者でしてね……? 本日お買い上げでしたら、特別に、お安くしておきますが……?」
異世界だから「奴隷」がいるのもおかしくはない。
勇者だった頃の、俺の前世の記憶は、意外と穴だらけだから、そこだけ抜け落ちていたか――あるいは、奴隷を見たことがなかったのかも?
なにしろ勇者は忙しい。
戦って。戦って。戦って。そして死ぬのが勇者の仕事だ。
街や世の中が、どうなっているのか――知らなくても、勇者はやれる。
「どうです? その娘? 見目は良いでしょう? ……ああまあ。いまはちょっと汚れてますしね。洗って服を着せれば、見栄えがすること請け合いですよ!」
「……ふう」
俺は肩をすくめてため息をついた。
商人のセールストークには、正直、うんざりとしていた。
だが商人は、俺のその、ため息と仕草とを〝感嘆〟と受け取ったのか――建物の外に飛び出してきてしまった。
本格的に売る気になってしまったようだ。
〝肩をすくめて、ため息〟のボディランゲージは、異世界だと、違う意味になるのかもしれない。
「……いくらだ?」
唾を飛ばしてセールス文句を垂れる商人を黙らせるために、俺はそう言った。
いや、奴隷の娘を買おうとしているのは、それが理由ではないか。
もともと、この――檻に捕らえられた娘を、解放しようとしていたわけだ。
檻を壊して解放するのも、金を払って解放するのも、方法は違えど、行為としては同じことだ。
「いけません!」
凛とした声が、響き渡る。
檻のなかの娘だった。
「貴方はだまされています! 私は王家の血筋なんかじゃありません。掘り出し物っていうのも真っ赤な嘘。売れ残って、表に置かれているだけです」
「だまれこの!」
商人が木箱を蹴った。女の子はびくりと身をすくめる。
「せっかく買ってくれるっていうお客さんがいらっしゃるんだ! 余計なことばかり言うその口を、すこしは閉じていろ!」
数度、箱を蹴りつけて――娘が何も言わなくなると、商人は俺に向いた。
「いえ。なに。失礼しました。……ええ。まあ。少々。口も態度もよろしくない娘ですがね……。口さえ閉じていれば、これが、けっこうな美形なんですよ。……ええ。わかりました。わかりました。そこの値札から、ずっと、お値引きさせていただきます」
俺は値札の文字が読めないわけだが……。
商人はそんなことも知らないわけで……。
数字ぐらいは読めるようになっておこう。10種類ほど覚えるだけだ。
「ずばり! 20万G! ――どうですお安いでしょう?」
商人が言う。
「いけません!」
娘が言う。
そして木箱が、どすっと蹴られる。
俺は懐から袋を取り出すと、丸ごと、商人の足元へと放った。
どすんと、重たげな音を響かせつつ――袋は地面へと落ちた。
「へぇ! へへえぇ!」
男は地面の袋に飛びついた。袋からこぼれたゴールド貨幣も、這いつくばって拾い集める。
俺は冷たい目で、貨幣を拾い集める男を見ていた。
あまり気分がよくなかった。
「では。これを」
男から鍵を受け取る。
なんの鍵かと思えば――。
木箱の檻から出てきた娘を見て、わかった。
首輪の鍵だった。
娘は、ぼろきれ一枚を体に引き寄せているだけで、素っ裸に近い格好で立っている。
俺を不審そうな目で
俺は自分のマントを外すと、娘の体をくるんでやった。返り血がついているが、いまの格好よりは、ましだろう。
「あ……、ありがとうございます」
俺は娘の手に鍵を与えた。いま商人から受け取ったばかりの、首輪の鍵だ。
そして娘に何も言わず、先に立って歩きはじめた。モーリンが静かに俺のあとについてくる。
「毎度ありがとうございまーす!」
商人の、ほくほくとした声が、俺の背中にかけられる。
売れ残りの〝在庫〟を〝処分〟することができて――。
あの商人は、さぞ、今夜はよく眠れることだろう。
かわりに俺は一文無しになってしまったが。
◇
2ブロックほど歩いたが、娘は、ぺたぺたと裸足を鳴らして、俺たちのあとをついてきていた。
もう1ブロックほど歩いたところで、俺は、ついに振り返った。
「なぜついてくる?」
「貴方は私を買いました」
娘に言うと、簡潔な答えが返ってきた。
「鍵はやったろう。好きなところへ行け」
「そういうわけにはいきません」
娘は、きっぱりとそう言った。
どうも強情な娘らしい。
なるほど。売れ残るわけだ。
「俺は奴隷なんて持つもりはない」
「じゃなんで買ったんですか! 20万Gも、ぽんと払って? ばかじゃないんですか! そんな大金! あんな商人に騙されて! 言ってあげたのに! 警告したのに!」
なんか。娘は。いっぱい言ってきた。罵ってきた。
これが地か。
俺は、ちょっと笑った。
さっきの取り澄ました感じは、あまり好きではなかったが、こっちのほうなら、好きになれそうだ。
娘は俺のことを睨みつけてきている。
夜の闇の中で、目だけが光っている。
そういえば、その目に惹かれたんだっけな。
檻のなかに入れて首輪に繋がれていても、屈服していない、その目に惹かれたんだっけな。
この目をした獣は、檻のなかにはいていけない――と、単に、そう思った。それだけだ。
いや……。獣じゃないが。人間であり、娘だが。
「俺は奴隷を買ったつもりじゃない。解放してやっただけだ」
「頼んでなんていません」
「俺が勝手にやったことだ。あのまま立ち去ってもよかったが。寝覚めが悪くなりそうだったんでな」
「貴方がどんな理由で買ったかなんて、私とは関係ありません」
ああ言えば、こう言う。
なんだか言いあいの感じになってきた。
このまま往来で続行すると、しまいには――。「バカっていったほうがバカ」とか「何時何分何秒に言ったよ」とか、そんなフレーズまで飛び出してきそうだ。
助けを求めるように、モーリンに顔を向けると――。
彼女は口許に手をあてて、くすくすと笑っていた。
その笑顔を見ただけで、20万Gくらいの浪費の価値はあったな。
じつは、ちょっとだけ――気になっていた。
勝手に奴隷なんか買っちゃって、怒られはしないかと――。
無用の心配だったようだ。
「とにかく、貴方が私の所有者です」
「だから買いたくなかったと言ってるだろう」
「私だって買われたくなんて、ありませんでした。――でも。買われたんですから。ついてゆきます」
「勝手にしろ」
俺は背中を向けて、憤然と歩きはじめた。
ぺたぺたという、裸足の足音がずっとついてくるのを聞きながら、小屋へと向けて歩いた。
新ヒロイン登場です。
名前は……、まだ呼んでもらえません。
しばらく名無しっ子っです。
2回くらい先まで名前出ませんが、レギュラー化するメインヒロインです。