とある大陸端の港町 「海って……なに?」
かっぽん。かっぽん。
ゆるゆると登ってゆく一本道の頂上に向けて、馬車を歩かせる。
俺は御者台に座って手綱を握っていた。ミーティアは頭のいい馬だから、指示を出す必要などないわけであるが……。
手綱を持っているのは、まあ、気分だ。
「ね。まだ着かないの?」
馬車の幌をめくって、アレイダがひょいと顔を出してきた。
この馬車は魔法の馬車で、その内側は亜空間へと繋がっている。俺は屋敷をまるごと運んでいるわけだ。
「そこの丘を越えれば見えるはずだが」
「ね。隣。座っていい?」
俺が片側に寄ると、若い女の尻が隣に滑りこんできた。
なんでか。こいつ。俺が御者台に座っていると、隣に座りたがる。
抱かれに来たのかと思って、馬車を止めてそこらの木に押さえつけて、いたそうとしたら、「ちがう!」と怒られた。
抱かれにきたわけではないくせに、二の腕と太腿の肌とを、俺に密着させにきやがる。その状態と、セックスしている状態とのあいだにある微細な違いは、俺にはよくわからんのだが、こいつにとっては重要な違いであるらしい。
まったくわけがわからん。
「ね。次の街も、オリオンが、昔立ち寄ったところなんでしょ?」
「ああ、そうだが……」
こいつに昔の話はしていなかったはずだが……?
前世やら前々世やらの件については、まったく話していない。話す必要がないのと、話したたときに面倒くさそうだからだ。
絶対に言う。前世と前々世を足したら「おじいちゃん」だとか、こいつは絶対に言うに決まってる。
「その街って、どんな街?」
「基本的には通り過ぎていっただけだから、あんまり知らんが……。船がたくさんある港町でな」
「船? 港? なにそれ?」
アレイダのやつは、目をぱちくりとさせている。
「知らんのか?」
「あー、ちょっと待って……。なにか聞いたことある。……そうだ! 船っていうのは、あれでしょ! 川とか湖とかに浮かぶやつ!」
「はずれだ。海を渡るやつだよ」
「海? ……だからなにそれ?」
「海も知らんのか……」
俺はため息をついた。学のない駄犬だなぁ。
いや。この世界の人間なら、こんなもんか。
俺の前世における現代世界でも、実際に海に行ったことのない者は、けっこういるような気がする。そういう者でも、海を知らないということはない。なぜならテレビで見るからだ。
しかしこの異世界にはテレビはないので、自分の目で見たことのない者は、本当に知らないというわけだ。
なんか、転生者が色々持ちこんでいるらしいので、そのうちテレビも導入されてしまうような気もする。
「ねえ? 海ってなに? どんなの?」
「海っていうのはな……」
「じゃあ船ってなに? どんなの?」
「……」
矢継ぎ早に質問をされて、俺はすっかりめんどうくさくなってしまった。教えてやるかわりに、前方を指差すことにする。
「――あれが、海だ」
丘の頂にさしかかると、道は下りにかわった。前方には青々とした海が広がっている。
「え……? なに? あの青いの……? 青い……地面?」
俺は思わずくすりと笑ってしまった。地面ときたか。
はじめて海を見る人間としては、まあ、そんなところだろうな。
「あれが、海だ」
「なにあれ? なんで青いの?」
「水だから、青いんだ」
「うそよ」
「なにがうそなんだ?」
「だってあんなにたくさん、水があるはずないもの」
俺は笑いをこらえるのに必死になった。
アレイダのやつは真顔で言って、絶対に正しいことを言っている顔で――あまつさえ、どやっ、と胸を張っていたりする。
それが可愛すぎる。
「く……、ははっ! ははははははっ!」
「なによ? なんで笑うのよ?」
「まあ……。近くに行けばわかるだろうさ」
俺は目尻の涙を拭いながら、そう言った。
◇
「すごい……。これぜんぶ……。ほんとうに水なのね?」
海辺にきて、港の岸壁のところに馬車を駐めて、海の水がすぐ真下に見えるところまで、皆でやって来ていた。
ミーティアも馬から人間に戻り白いドレスで歩いている。
なんと総勢六人だ。はじめはモーリンと二人きりだったのに、ずいぶん増えたものだ。
「どうだ? 本当だったろう?」
目を丸くしているアレイダに、俺はそう言った。
「すごい、オリオンが、うそつかなかった……」
なんじゃそりゃ。俺がいつ嘘をついた。今夜はおしおきだな。
いや。……いますぐやろう。そうしよう。
「本当に水かどうか、入って確かめてこい」
「え?」
俺はアレイダのケツを蹴った。
え? という間抜けな顔をしたまま、アレイダのやつは、ばっしゃーんと、水柱を上げて水面に落ちた。
「わぷっ! わぷっ――なにすんの! ――って! なにこの水!? 塩からーい!?」
アレイダのやつは文句言ってるのやら、喜んでいるのやら。塩水にびっくりしているやら。
海に落ちてばしゃばしゃと犬かきで泳いでいるアレイダを、スケルティアが、いいなー、という顔で見ている。
以前は水が苦手だったようだが、泳げるようになってからは怖がらなくなった。
「おまえも泳いできていいぞ」
「うん。」
そう言ってやると、スケルティアは服を着たまま海に飛びこんだ。
なんの躊躇いもないな。即断即決だな。
「それでは、私も~」
こちらはミーティア。着ているドレスを、下から一気に、くるりと脱いでしまう。
港にはあまり人気はないが、それでも船乗りがいくらかはいる。
皆、ぎょっとしている。――そりゃ、するわな。俺だってぎょっとした。
船乗りたちが囃したてる間もなく、全裸になったミーティアは、海に飛びこんでしまった。
「はっは。……うちの娘たちはしょうがないな。このまま海水浴といこうか」
「かしこまりました」
俺は港のはずれを指差した。すこし砂があって、小さいが立派な砂浜だ。
泳いでいる娘たちに指で砂浜を示して、歩きはじめる。
「ここの港はあまり賑わっていないな。あれから50年も経っているのだから、もっと賑わっているかと思ったが」
「造船技術はそれほど進歩していません。隣の大陸まで航行できる船は数少ないので、大陸間の大量輸送はまだ始まっていませんし」
コモーリンが言う。
モーリンのほうは「海水浴」の支度のために、駐めてあった馬車に戻っていっている。俺がいま会話をしている相手はコモーリンのほうだ。
二人は同一人物なので、会話の続きがそのまま行える。
たしかに港に繋がれている船は、小型と中型の船ばかりだった。それも漁船ばかりで、輸送船は少ない。ただし一隻だけ、大型の船があった。マストも帆もないその大型の船は、一際目立っている。
「ほらー! はやくはやくー!」
一足早く砂浜に到着しているアレイダが、ぴょんぴょん跳ねて俺たちを呼んでいる。
「しかし……。これぜんぶ水だの。塩辛いだの。可愛いもんだな。うちの娘たちは」
「マスターがはじめて海を見たときと、まったく同じ反応ですね」
「うえっ?」
俺はぎょっとなった。
たしかにあの時の俺は、ずっと内陸育ちで、はじめて海を目にしたわけだが……。
「そ、そうだったか?」
「ええ。そうでしたよ」
「い、いや……。さすがにあんな、おのぼりさんじゃなかったろ……?」
「なんかへんな海の生き物! 焼いて売ってるー! ねー! 買っていーい? 買っていーい?」
アレイダが騒いでいる。
岸壁に、船乗り向けの屋台が出ている。
アレイダのやつは、全身びしょ濡れのまんま、その屋台の前に立っている。ぴょんぴょん飛び跳ねている。
焼いているのは――、あれはイカだな。つまり焼きイカだな。
人数分のイカを焼いてもらっているうちに、モーリンが海水浴セット一式を持ってやってきた。
シートを敷いてパラソルを立てて、チェアを置く。
全員分の水着がある。ミーティアはようやく全裸から水着姿となった。詳しくは聞いてはいないが、ミーティアは馬になる前には姫だった。感覚がずれているのはそのせいか。人前で裸身をさらすことに躊躇いがない。
アレイダなど、水着に着替えるのにタオルを巻いて、こそこそとやっている。船乗りたちが岸壁から、ひゅーひゅーと口笛を吹いて鑑賞してくるからだ。
まあ見ているぶんには、俺はまったく構わない。
てゆうか見せて自慢してやりたい。
俺の女たちは美しいだろう? どやっ?
全員、すっかり現代風の海水浴の出で立ちとなった。
水着はビキニありワンピースあり、セパレートあり、パレオあり、さらにはラッシュガードまであったりする。
黒いビキニのよく似合うモーリンが、光魔法の防御呪文を肌にかけている。
ふむ。日焼け防止か。モーリンは色白だしな。
パラソルの下のデッキチェアで寝そべりながら、焼きイカを肴にエールを一杯やって、すっかりつくろぎながら、俺はふと考えた。
あれ? どうしてこうなった?
海水浴に来たわけじゃなかったんだが……。
ま。いっか。
三つめに立ち寄った土地の、最初の一日は、こうして過ぎていった。