ラーメンが食いたい。「はえっ? らーめん……、って、なに?」
「ラーメンが食いたい」
とある日の昼下がり。
俺はぽつりと、思ったままを口にした。
コーヒーしかり。お好み焼きしかり。
向こうの世界の食べ物は、他の転生者が持ちこんだおかげで、色々と見かけるわけだが――。
なぜか「ラーメン」だけはないのだった。
俺が思うに――。ある種の食い物には「フラグ」というものがある。
あるときに、ふと、食いたくなってしまったとき、他のものを食べても、決してその「フラグ」は消えてくれないのだ。
フラグの主なものとしては、「カレー」と「ラーメン」だ。
その二つを二大フラグと呼ぶが、その他にも「牛丼」「ケンタ」「ハンバーガー」なんていうフラグもあったりする。
ラーメン以外のフラグは、この異世界においても、すべて解消可能である。
しかしラーメンだけはないのだ。このあいだ転生者の経営する食べ放題レストランに行ったが……。ラーメンはそこにもなかった。
「ああ。ラーメンが食いたい」
駄犬を含め、その場の全員がスルーしているものだから、俺はもう一度、そう言った。
「はえっ? らーめん? ……って、なに?」
駄犬が、きゅるんと首を傾げている。
いつもであれば、わからないなら話に入ってこようとするな、と叱るところであったが……。
うむ。今回はよし。
こいつの「きゅるん」が、はじめてカワイく見えたぞ。
「ラーメン? ……で、ございますか?」
モーリンが言う。
そして半眼にした目で中空を見つめる、いつもの仕草をする。
俺が元いた世界の〝親戚〟あたりに次元通信して質問しているわけだが――。
じつをいうとあれはちょっとコワイ。本人が無自覚でやっている仕草らしい。
完璧超人の数少ない〝隙〟である。よって萌え。
「材料は……。麺は、小麦粉、かんすい、塩。スープは、鶏ガラあるいは豚骨あるいは魚など」
「そうそう。それだそれ。俺はトンコツ醤油が好みだ。鶏ガラでもいいがな」
「問題がひとつございます。〝かんすい〟――というものが、謎の成分です」
「え? そうなん?」
「ねー。らーめん、って、なーにー? それおいしいの?」
「はっはっは。わからないなら、話に入ってこようとすんな――駄犬」
俺が愛情を込めてそう言ってやると、駄犬は、ぶう、と、唇をとがらせた。
「かんすい……の主成分は、炭酸ナトリウム、あるいは炭酸カリウム。……ですね。天然で特殊な地域における、アルカリ塩水。……ですか」
なんか仰々しい名詞がやたらと飛び出してくる。
科学か錬金術かという内容だが。
単に俺は「ラーメン」を所望しただけなのだが……。
「いくつか転移陣を使って回ってくる必要がありますね」
モーリンの転移陣は世界中にある。
しかし、たかがラーメンを作るのに、世界を飛び回る必要があるとは――。
あの転生者のレストランにも、ラーメンがなかった理由が、なんとなくわかった。
「時間がかかるか?」
「夕食までには、なんとか」
「うむ。それでいい」
「それでは。言って行ってまいります」
モーリンは手で印を切ると、足下に転移陣を発動させた。
彼女ぐらいになると、杖などの発動体や、呪文の詠唱など、すべて省略して転移魔法ぐらいは使える。
モーリンが行ってしまったあと――俺は娘たちに顔を向けた。
「ではセックスでもして時間を潰していようか」
「ちょ! ちょぉ――っ!? なに、ごく普通にあたりまえの顔で、オヤツでも食べるみたいな口調で、そんなこと口走ってんのよ! 真っ昼間から!」
「それは夜ならいいと言ってるのか?」
「そ、その……、暗くなってからなら……。あ、あとっ……、き、きちんとムード作ってくれるんだったら……」
うちの娘のメンドウクサイほう、本当にメンドウクサイ。
「べつにおまえとセックスするとか言ってないがな。――スケ。するかー?」
天井から逆さまになって糸でぶら下がっているスケルティアに、そう聞いた。
うちの娘の自己主張の控えめなほうは、まず、きょとんとした顔をして――。それから、にまっと口許を崩して――。
「スケ……。するよ」
そう答えてきた。はにかみもせず、真顔で言う。
「クザク。――おまえは?」
天井に向けて声をかける。
ぴらっ――と、天井の一角から紙が落ちてきた。
紙には「主の望みであれば」と書いてある。
なに言ってやがる。いつも覗いているの知ってるぞ。そういうときは天井裏の気配が決まって乱れるから、イケナイことをやっているのも、すっかりお見通しだぞ。
「じゃアレイダ。おまえ。壁に耳当てて聞き耳立てる係なー」
「なによそれ!」
「ああそうだ。ミーティアも呼んできてくれ。おまえ。呼んでくる係なー」
「わかったわよ!」
素直になれない駄犬を置き去りにして、俺はスケルティアの薄い肩を抱きながら、寝室へ、いそいそと向かった。
◇
夕食はラーメンだった。
モーリンは「はじめて作ったので自信はありませんが」などと言っていたが、それはまさに完璧な味のラーメンだった。
トンコツ醤油系。背脂ちゃっちゃ。チャーシューもノリまで載っている。
娘たちも、ぎこちなく〝箸〟を使いながら、ふーふー、はふはふと、麺をすすっていた。