いわゆるひとつの世間一般的な蜘蛛への認識 「クモ……、だめだた」
いつもの昼すぎ。いつものリビング。
モーリンは午後の紅茶の準備をしていて、アレイダはテーブルにほっぺをくっつけて、ガラスの瓶をかぽんかぽんと上げ下げしていて、スケルティアはそれを爛々とした目で見つめている。
捕らえられた虫が逃げ出そうして、また捕らえられて――以後エンドレス。
「つまんにゃー、つまんにゃー」
かぽん、かぽん。
駄犬の鳴き声がBGMで響く。
スケルティアは蜘蛛としての習性なのか、動く虫がいると、じっと見入ってしまう。
俺は読書を行っていた。べつに読みたくて読んでいるわけではないのだが、うちの娘たちの育成のために必要な資料であった。
ちなみに最近うちには、もう一人、娘が増えた。
コモーリンは、いま表で、馬車の御者台に据えられている。手綱を引いている。
ミーティアは手綱を引いてやる必要はないのだが、いくら賢い馬だとはいえ、馬の体だと対処不能なことも起きる。
そういったときに、以前なら、「ひひーん!」と大声で鳴いて知らせてきていたわけだが――。モーリンとコモーリンはテレパシー的に繋がった同一人物なので、距離とは無関係に、こちらのモーリンにすぐに伝わる。
意外とこれが便利だった。
モーリンも、向こうの体は座らせておけばいいだけなので、楽だそうだ。
「つまんにゃー、つまんにゃー」
かぽん。かぽん。
ああ、うるせえ。
うちの駄犬。ほんと駄犬。
あいつがアピールしているのは、どっか連れてけ、という意味だ。
ダンジョンに潜るのでもいいし、どこか村か街にでも寄って、おいしいものを食わせてやったり、ショッピングしてみたり、観光したり――と、そういったことである。
あるいはもっと端的に、デートしろと言ってきているのかもしれない。
だから駄犬といわれる。
ご主人様が仕事をしていると、あるいは新聞なんかを読んでいると、読んでいるその新聞に乗っかってきて、邪魔してくる駄ペットがいたりするが……。つまりは、あれと同じだ。
うん? この場合は猫になるか。
うん。まあ猫ならば、まあよいのだろうが。犬がやると駄犬だな。
「そんなに退屈なら、おまえら二人で、どこかに遊びにでも行ってこい」
「え? いいの? ――お小遣いくれるっ?」
「アホか。ダンジョンにでも行って稼いでこい」
「あまり初心者ダンジョン荒らしちゃったら、わるいでしょう? 高難易度のところは、二人で行くなって言ってたじゃない」
「まあ、そうだが」
最初の街のリムルアース迷宮くらいなら、二人はソロでも制覇可能だ。
あそこのモンスターなら、最下層のやつらまで含めても、物理攻撃はレベル差でまず通らない。魔法攻撃だと若干通るかもしれないが、一部屋にぎっしり魔道士系を詰めこんだとしても数十体止まり。そいつらが全員で魔法を連発しても、抜けてくるダメージは、ごくまれに1か2程度。カンスト間際のクロウナイトの強力なリジェネであれば、HPが減った瞬間を見ることさえ難しいだろう。
だいたいその数十体の魔道士は、アレイダの剣の一振りで十体単位で消えてゆく。残るのはGコインとドロップアイテムばかり。これはもう〝戦闘〟というよりも〝採集〟だ。
「あ。そうだ。ミーティアも連れていっていい? いいよね?」
「まあ。いいが……」
旅路がまた遅れる。
大陸の端に存在する、港街に向かって、移動中なのだが……。
もともと、目的地も日程もある旅ではなかった。
しかし、次の目的地にある港町で、年に一回の大武闘会が催されることを知った――というか、思い出してしまった。
どうせなら開催期間に間に合うように到着したい。
まあ……、いいのだが。
「あ……。そうだ。スケさん。街に行くのはいいんだけど。それ。気をつけないとだめよ」
「???」
「それ。虫を追いかけたり。捕まえたり」
「???」
スケルティアは、わからない、という顔。
アレイダは口に出しこそしなかったが、「食べちゃったり」とかいう言葉も続くはず。
ハント・アンド・イートが、大自然の掟。
俺はスケルティアとキスするときには、そのへん、あまり気にしないようにしている。
ディープキスをするときには、とくに、気にしないようにしている。
「……だめ?」
スケルティアは小首を傾げていた。
わからない、というカオ。
「だめじゃないわ。べつにだめじゃないのよ。わたしたちは気にしないわよ。――ねえ、オリオン?」
絶妙な間で、俺に振りやがる。
俺は神妙にうなずいた。
「ああ。べつにだめじゃないぞ」
スケルティアは、ハーフ・モンスターとしてこの世に生まれ、人よりは昆虫寄りの感性を持ち、ずっと十五年間、一人で育ってきた蜘蛛少女だった。
最近はいろいろと努力して、人の機微を捉えるようなことも、頑張っているっぽい。
〝空気読む〟というスキルも、そのうちのひとつだった。
「………。」
スケルティアは、じっと俺の目を見ている。
見ている……。見ている……。見ている……。
まばたきもせずに、じっと見てくる。特に額の四つの単眼なんて、構造上、まぶたがそもそも存在していない。
「あー……、うん、それも……、ちょっとだめかな」
「そうよ。スケさん。あんまり人の目をまじまじ見つめちゃうと、だめなのよ」
「……だめ? ……なんで?」
「なんでだっけ?」
「なんでだろうな?」
アレイダが俺に聞く。俺もアレイダに聞き返す。
うちの完璧超人、モーリンに顔を向けて聞いてみると――。
「え?」
――とかいう、答えが返ってきた。
「それは……、だめだったのですか?」
驚きとかいうモーリンのレア表情ゲーット! ……じゃなくて。
そういえはモーリンも、人の目を真正面からまじまじと覗きこむ女だった。
特にコモーリンのほうなんて、赤ん坊みたいに真正面から見つめてくる。
スケルティアと二人で向かい合わせに並べて、〝無表情にらめっこ王座決定戦〟をやったら、どっちが勝つかっていうぐらいだ。
「あれぇ……? なんでだめなんだろ? なんかちょっと、わたしも自信なくなってきたんだけど……。ねえオリオン?」
「えーと……、ああ、うん……、つまりだな……。人の目をまじまじと見るのは……。ケンカを売ってることになるから、だめなのかな……?」
「わ、わたしに聞かれてもわかんないわよ……。わたし、ばかで、駄犬ですからっ」
ああっ! こいつ! 都合のいいときだけ駄犬になりやがって!
「……どなの?」
「……どうなのですか?」
スケルティアとモーリン、二人揃って迫られる。
無表情コワイ。
「いやあ……。だめというか……。これはあくまでも世間一般的な話であって、俺がどう思っているのかということは、無関係だからな? そのつもりで聞けよ?」
こくこく、と、二つのうなずきが返ってくる。
俺が助けを求めるような目を、隣のアレイダに向けると――。
あーっ! いねえ! 逃げやがったあぁぁーっ!?
駄犬!
さすが駄犬! 逃げ足が早いぞ駄犬っ!!
「……まあたしかに、ちょっとくらいは、だめかもしれないな。人に嫌われる癖であるのかもしれないな」
「そ、そうなのですか……」
「そだった……」
二人して、うなだれている。
「い、いやまあ……。嫌われるっていうよりも……、こ、怖がられるってほうじゃないかな……?」
「怖いですか……」
「こわかた……」
あんまりフォローになってない。むしろ落ちこみ度合いが増えた。
二人は無表情的に落ちこんでいる。モーリン学とスケルティア学の権威である俺には、二人の落ちこみ度合いの深刻さがわかる。
「どうりでギルドの子たちも、なにか避けるような素振りを……。わたくしのミスだったわけですね……。怖がらせてしまっていたわけですね」
「いやモーリン。おまえは気づいておこうな? 何十年もあったんだしな」
そういえばモーリンは、最近冒険者ギルドに指導に行っていたようだ。
「コモーリンを行かせたほうがよいのでしょうか……?」
「ああ。うん。あっちなら怖さは減るかもしれないな。カワイー、と言ってもらえるかもしれないな」
モーリンだけでなく、スケルティアのほうもフォローをしなければ……。
「すけ……。は。だめだた。クモ……。だめだた」
しかし細い肩をがっくりと落としたこいつを、いったい、どうやって励ませば……?
「おりおん。……も。クモ……。だめだた?」
すがるような目を、俺に向けてくるスケルティアに対して――。
俺は――。
「きゃっ」
「……うん?」
モーリンとスケルティアを、二人一緒に、左右それぞれの肩に担ぎ上げた。
言葉などでは伝わらない。
俺が二人のことをどう思っているのか――。態度により、行動により、それを示すために――。
俺は二人を寝室へと運んでいった。
そのあと滅茶滅茶セックスをした。
二人合わせて都合十七回分くらい――。
ぜんぜん、だめじゃないことを、体に伝えた。
◇
その後――。スケルティアは、一人でいるとき、鏡を見て、にぃっと、牙を剥くようになった。
笑顔の練習……。なのだとわかっていても、ちょっとコワいが――。
努力する愛娘を暖かく見守るぐらいのデリカシーは、俺にもあるのだった。




