モーリンの里帰り(後編) 「コモーリン、といいます」
俺たちは、帰ってきた。
馬車の中の異空間内にある屋敷へと帰りつく。
ちょうどお菓子を食べていたアレイダは、出かけるときよりも一人増えた俺たちに、変な顔を向ける。
「どしたの? その子?」
「俺とモーリンの子だ」
「えええええーーーーっ!!」
「嘘だ」
「えええーっ! ……って、うそ? なーんだぁ……、あー、びっくりした」
「モーリンの里の……、だな。ええと……、そう。遠い親戚の子が……、広い世界を見たいということでな。まあ、なんだ……。うちで預かることになった」
これはいま適当にでっちあげた理由だ。
「親戚の子? ……あのね。オリオン? まさかとは思うけど――」
「――それはない」
俺は即座にそう言った。この駄馬が、なにを言いやがるか、言うまえに、はっきりわかってしまった。
すくなくとも3年はない。……いやまあ2年かもしれないが。しばらくはない。ないったらない。
「そ……、それなら、いいんだけど……」
アレイダもちょっとほっとした顔をしている。
おまえ。本気で疑っていただろ?
「そういえば……、うん、似てる似てる! その子、モーリンさん、そっくり!」
アレイダは少女の前に歩いてゆくと、腰をかがめて、視線を同じ高さにして話しかける。
「お嬢ちゃん、お名前、なんて言うの? ――わたしは。アレイダ。あっちの天井の隅っこからぶら下がっている、へんなお姉ちゃんはね、スケルティアっていうの。スケさんでいいわよ。――ああそうだ、お菓子食べる?」
ずっと手放していなかったお菓子を渡そうとするが、少女は無表情に首を振るばかり。
しかしアレイダよ……。おまえは大阪のオバちゃんか。
帰り道、わざと遠回りをして街に寄っ泊まってきたりした。〝練習〟の時間を設けたわけだが……。最初のうちみたいに、片方が静止していなければならないようなことはなくなったが、まだやはり片方はどうしても無表情になってしまう。
「お名前おしえてー。お嬢ちゃん?」
「名前は……、モーリン、です」
「へ?」
ミスったことに自分でも気がついたのか、少女は、ぼっと真っ赤になった。
「モーリンの里は、みんな下の名前はモーリンなんだよ。おまえの名字がカークなんとかっていうのと一緒だ」
俺はとっさにフォローを入れた。自分でもナイス・フォローだと思う。
モーリンはきっと、俺に惚れ直したに違いない。
「あ、そうなんだ。――部族名じゃなくて、自分のお名前のほうは?」
「えと……」
少女は俺を見る。すがるような目つきを俺に向けてくる。
モーリンは――成人女性のほうは、いまアレイダの食い散らかしたテーブルを片付け、お茶の支度をしているところだ。作業は正確で素早く、表情も取り澄ました顔をしているが――。
こっちの少女バージョンを見る限り、いまパニックに陥っているに違いない。
そういや――、名前も考えていなかったっけな。
いま考えるか。――よし。閃いた。
「コモーリン、だそうだ」
少女のかわりに、俺がそう言ってやった。
小さなモーリンだから、小モーリンだ。発音ではコモーリンだ。
彼女の小さな頭に手を置いて、ヘッドドレスごと頭を撫でてやる。
そしたら、小モーリンは、きゅっ――と、俺の腰にしがみついてきた。身長差があるので、しがみつくのは、そのあたりの位置になってしまう。
「コモーリンです。……よろしくお願いします」
俺の背中に隠れるようにして、小モーリンは、そう挨拶をした。
やべえ。なんか変な気分になりそう。
「お茶の支度ができましたが。……いかがしますか?」
「もらおう」
俺はテーブルについた。小モーリンを隣の椅子に座らせてやる。肉体年齢12歳ぐらいの少女には、椅子はすこし大きいらしく、座るときに、ぴょんと飛び乗っていた。
やべえ。やべえ。色々とやべえ。
椅子に座ると、小モーリンは人形のように動かなくなった。
かわりに大きなモーリンのほうが、よく動き、よく表情を出すようになった。
「色々と仕事が増えてまいりましたので、里から応援を呼ぶことにしたんです」
「駄犬が、食っちゃ寝、食っちゃ寝をしているからな。モーリンの負担が」
「さ――さっき散らかっていたのは、たまたまで! ちゃんと後で片付けようと思ってたもん……」
「ずっと。そのまま。だたよ」
「あーっ! スケさん! 裏切り禁止! ――てか。スケさんだって、散らかす専門だったじゃない! わたしがぜんぶ一人でやったみたいに」
こいつら……。モーリンが数日いないと、部屋をカオスにしてしまうタイプだな。しばらくダンジョンに連れてくのやめて、別なほうの特訓をさせたほうがいいだろうか?
「その子は、小さいですけれど、なんでもできますよ。家事の腕も魔法の腕も、わたくしとほとんど同じ事ができます」
「モーリンの一族は、皆、完璧超人なんだ。こんな歳でもな」
隣の椅子の小モーリンの脇に手をいれて、ひょいと持ちあげる。膝の上に持ってきて、俺は言った。
ちなみにさっき椅子に座ったところから、まったく動いていなかった。計ってみれば、きっと1ミリも姿勢が変わっていないことがわかったに違いない。
「この子がいれば、わたくしが留守にするときも、困らないと思います」
「なにか用事でもあるのか?」
「冒険者ギルドの相談役を受けることにしまして。――恩を売っておいたほうが、色々と、今後のマスターの活動に都合がよいと思いまして」
「俺はなにを活動するつもりもないがな」
「うそばっか」
アレイダが言う。
「――このあいだ王国でお姫様をレ……、その、ごにょごにょ、ってやって。それで黒騎士を皆殺しにして、やりたい放題、やってたじゃないの」
アレイダが言葉を濁している。子供に聞かせる話題じゃないと思ったのだろう。
しかし「皆殺し」のほうは、さらっと言っているが、それはどうなんだ?
「あれは同意の上だ。つまり和姦だ。そして黒騎士たちは生き返らせたんだし。いいだろう?」
「……あの事件が不問に付されることになったのも、冒険者ギルドの口添えがあってのことですよ」
「そうなのか?」
「はい。エリザさんでしたっけ。マスターのお気に入りのあの娘が、相当、裏で暗躍してくれていたようです」
「リズが? そうだったか」
「そのエリザさんが動きやすくなるためにも、少々、ギルドの手伝いをはじめようかと思います」
なるほど。了解した。
リズも俺の女……には、まだなっていないのだが。一度、拒否られている。
しかしベッドの関係は続いている。毎回、俺のほうが取って食われてる感じがあるが。
迷惑を掛けているなら、手助けもするのがフェアというものだろう。
うん。エリザには、そのうちギルドの長にでもなってもらおう。まずはあの支部で一番エラくなってもらうか。
そのあとは、いつものように、のんびりとしたお茶の時間が、ゆっくりと進んだ。
モーリンは娘たちに説明するつもりがない、ということが、俺にはわかった。
駄犬の頭じゃ説明しても理解できないだろうから、それで正解かもしれない。
ちなみにスケルティアのほうは、理解しないというより、たぶん気にしない。だからこっちは、言っても言わないでいても、どちらでもいい。
俺にだけは、モーリンは〝見せて〟くれたわけだ。
モーリンとは前々世からの長い長い付き合いとなるが、俺も、見せてもらったのははじめてだ。
前々から、モーリンがただ者ではないということだけは、わかっていた。
俺の仮説は、こうだった。
彼女は世界の精霊である――と。
ほぼ正解だった。
彼女はいわゆる自我を持った〝物〟の類いだった。
意識を持つのは、なにも人間に限ったことではない。
この世の万物は、すべて魂のようなものを持っている。
魂のステージというものは、通常、死んで転生するときに上がったり下がったりするものであるが、生きているうちに魂のステージが上がることがある。
そうなると、〝物〟でも
しゃべる剣のことを、〝インテリジェンス・ソード〟と呼ぶ。
強力な術式の組み込まれた魔法剣は、たいてい自我が芽生えていたりする。
たとえば勇者装備一式を着込んだりすると、「うるさい黙れ」と言ってやらなければならなくなる。
しゃべる盾とか、しゃべる鎧とか、しゃべる魔法アイテムに全身を包まれるわけだ。どういう状態なのか、察してほしい。
もとより生物である「動物」などでは、もうすこし頻繁に起きている。
言葉を解するようになって、不思議な力を持つようになった動物のことを、霊獣と呼んだりする。地域によっては妖怪と呼ぶこともある。
そしてモーリンは、自我を持つ〝物〟――といったものと、基本的には同じ存在だ。
ただし何が〝本体〟なのか。そこが違う。その規模が違う。桁とスケールとが、いくつも違っている。
モーリンの〝本体〟は、つまり――。
この世界すべてなのだ。
世界の意識。それがモーリンの正体だ。
正確にいうと、世界の意識が、この世界に干渉するために、物質であり肉であり、人間とまったく変わらず、意思疎通可能な人間体を生み出そうとして、〝世界樹〟と呼ばれる樹木を生やした。
その体は、人間とまったく同じなので、老化もすれば死ぬこともある。
あそこの地下空洞に――他にもたくさん、〝枝〟が地表近くまで突き出している場所はあるらしいが――たくさん生っていた〝実〟は、すべて〝スペア〟の体だそうだ。
実は数十年に一回、一個ずつ熟してゆくらしい。
そうして体を取り替えてゆくらしい。
今回は急な用命だったので、いちばん育っていた〝実〟でも、小モーリンのちっこさになってしまった。
ここしばらくは世界も平和だったので、まだしばらく使う予定はなかった体らしい。
魔王と戦争をやっていた当時などは、いつ倒されても困らないように、大人の体まで育てた〝成体〟が何体も用意されていたそうだが。
モーリンが50年前と同じ姿であった理由を、俺は理解したわけであるが――。
うむ……。なんだろう?
この気持ちは?
どうにも不思議な気分である。
モーリンは俺が〝引いて〟しまうかどうかを心配していたようだったが……。
この気持ちはなんだろう。ますます惚れた。……みたいな?
俺が愛した女は、ただの女ではなかった。
もちろん、ただの女であろうが、そうでなかろうが、俺にはどっちだっていい。
俺が考えこんでいると、膝の上の小モーリンが、首を上に向けて、俺の顔を見つめにきた。
「なにを考えられていますか? マスター」
そう言って、きちんと締まった服の首筋を開いて、俺に胸元を見せてくる。
おいおい。――と思ったが、ちがった。見せに来たのは、ちっぱい、ではなくて、胸元に浮かぶ印だった。
――〝隷従の紋〟である。
俺が刻んだ。俺の物である証だ。
魔王との最終決戦に赴くとき――。モーリンは絶対について行くと言って譲らなかった。
だから俺は彼女と戦い――勝ち、そして隷属させた。
そうしなければならなかった。
もしモーリンが定命の存在ではなく、不滅の存在だと知っていたら、どうしたろうか?
一緒に連れていったのだろうか? そうしたら魔王と相打ちなんかじゃなくて、圧勝してた?
――まあ考えたところで、はじまらない。
当時の俺は知らなかった。それが理由であり、それがすべてであった。
俺はただ、愛する女を死なせたくなかった。だから「俺の物」とした。
それだけだ。
ああ。うん。
俺はついに理解した。
この気持ちがなんなのか、その正体が、わかった。
モーリンは〝世界〟――そのものである。
本来は、そんなものが、個人に所有されるはずがない。
事実、モーリンは、誰かに所有されたことが、これまで一度もなかった。
モーリンが――この世界が、どれだけ続いて、つまり〝生きて〟いるのか――それは知らないが。
とにかく、ひとつだけ言えることは、俺が「最初の所有者」だということだっ。
俺でなければ、所有することはできなかっただろう。
なにしろ魔王と戦う前夜の勇者だ。全盛期バリバリだ。どんだけ非常識に強かったかというと――いまの俺でも少々ビビるぐらいの強さだ。
具体的には、単独で、魔王と相打ちになれるほどだ。
その俺でなければ、モーリンを――〝世界〟を所有することは、かなわなかったろう。
ここで重要なことが、一つある。
剣にせよ盾にせよ――誰かに所有されたいと思う願望を、その〝本能〟として備えている。
所有者のないインテリジェンス・ソードの悲嘆は、勇者業界では有名な話だ。
そしてモーリンもまた〝物〟である。
規模と、スケールこそ違えど……。〝世界〟もまた、〝物〟の一だった。
世界はその本能として、誰かに所有されたがっていた。
しかしそんな者が――世界を所有できるほどの〝器〟を持つ人間など、現れるはずがない。
だから世界はずっと、一人だった。
しかし、世界は――モーリンは、俺と出会った。
まあ……。つまり……。
いわゆる、ひとつの……。
ようするに、なんというか……。
モーリンは、俺に出会って、幸せであった。――ということだ。