モーリンの里帰り(前編) 「実家に帰らせていただきます」
ある朝――。
俺の手にしたカップに、食後のコーヒーを注いでいるモーリンが、何気なく言った。
「里帰りをしたいのですが」
「……は?」
俺は思わず、まじまじとモーリンの顔を見上げていた。
「いえ。マスター。〝実家に帰らせて頂きます〟という意味ではなくて。用事がありますので、里に行ってまいりたいと、そういう話なのですが」
「あ……、ああ……」
俺は理解した。
「びびってるー、びびってるー……。くすくす」
駄犬がなにか言っている。きしししし、とか笑っている。駄犬語なので、なにを言ってるか、まったくわからん。
あとで〝おしおき〟だな。
しかし……。里だと?
そんなもんあったのか?
「いいじゃないの。モーリンさんだって、たまには里帰りぐらいしたって」
俺が答えずにいたのを、ぐずっているとでも勘違いしたのか、アレイダがそんなことを言ってくる。
これに関しては、やはり勘違いがあるのだが、俺は黙って受け止めてやった。
あいつの場合――。帰れる里は、もうすでに存在しない。
滅ぼされた、と言っていた。たぶんたった一人の生き残りなのだろう。そして奴隷として売られていたわけだ。だからアレイダの言葉には、「帰れる里があるのなら」という、口にしていない部分がある。
それが俺にはわかっているから――。こっちについては、〝おしおき〟はなしだ。
「――あ。でも。モーリンさんが帰っているあいだ。ごはん。どうすればいいの?」
自分のメシの心配か。
自分が作るという発想はないのか。このあいだ黒焦げ料理を披露して、「ぜったい上手くなるから!」と誓ったのではないのか?
「それはミーティアにお願いしようと……」
モーリンが言う。端から駄犬なんかに期待していない。まったく正しい。
駄犬なんかにまだ期待している俺が、馬鹿に思えてくる。
「そっかぁ!」
駄犬は安心して、にぱっと笑う。ほんと駄犬だな。
「もう。オリオンってば。なに不機嫌な顔してんのよ? 里帰りぐらい許してあげなさいよ。なにムズがってるのよ? メンドウクサイ男ね」
おまえのほうが、相当、めんどくさいと思うがな。
あと俺の仏頂面は、おまえの駄犬っぷりに呆れているのであって、モーリンの里帰りに反対しているわけではないんだがな。
「……一人でだいじょうぶか?」
俺はモーリンにそう聞いた。
「あら? 心配していただけるのですか? ではついてきて頂けます?」
「う……?」
俺は呻いた。「里」というところが、どんなところかわからないが……。
モーリンとは付き合いが長いが、じつは、まったく知らないのだ。
しかしなんだか、付きあっているカノジョから、「両親に会って欲しいの」とか迫られたような気分である。
「そうしなさいよ。そうしなさいよ。モーリンさんもたまには、羽を伸ばしたほうがいいと思うしー」
羽を伸ばしたいのは、おまえじゃないのか?
俺がいると、なんだかんだで訓練させたり、ダンジョンに連れていって、最下層に置き去りにしてきたりするしな。
一人で置き去りにされたときの顔、見物だったな。
こいつはなにしろ駄犬王だから、生死がかからないと本気を出さんのな。
地上に出るまで、ずっと泣きべそで俺への恨み言ばかり口にしていたが、超本気だったな。いい訓練となったな。こんどまたやるか。ダンジョンの難易度は、前回よりも一つ二つ引きあげてやろう。
ちなみになぜ俺が、駄犬がずっと泣きべそでいたのかを知っているのかというと、ステルスで視覚からも気配探知からも隠れて、ずっとついていっていたからだが。駄犬の飼い主になっているおかげで、盗賊系のスキルばかり増えていって困る。
「おまえがもし、どうしても、というのであれば、ついていってやらないこともない」
俺は重々しくそう言った。
「ええ。では。――どうしても」
モーリンはレア微笑とともに、そう言ったのだった。
◇
「おまえの〝里〟は、こんなところにあるのか?」
最寄りのマークをつけた転移ポイントより徒歩で1日。
断崖絶壁を飛行魔法で飛び越えて、山脈を越えて降りてまた降りていったさきの洞窟から入って、ぐねぐね進んで、なんだか地下に降りて行っている感じの、その途中。
〝里〟について、俺はいちいちモーリンに聞いたりはしなかったが――。
こんな場所に人が住んでいるようには思えない。人跡未踏の土地のはず。
「最寄りの転移箇所があそこでしたので、だいぶ時間が掛かってしまいましたね。次からはマークしておきますので、一瞬で来れると思いますよ」
モーリンは言う。
これもまたおかしい。つまりモーリンは、ここははじめて訪れる場所であると、そう言っているわけだ。
大賢者であるモーリンは、転移魔法をもちろん使える。一度訪れて、魔法的にマークした場所であれば、どこにでも跳べるという便利な魔法だ。
マークがない場所には飛ぶことができない。最寄りのマーク地点は、かなり遠くにあったわけだ。
自分の〝里〟にマークをしていないというのは、やはり、どう考えても変な話であった。
「まあ。たまにはおまえと二人旅というのも楽しいがな」
俺はそう言った。うん。それは本当。
昨夜は野宿だったが、しっぽりとしたものだった。
「俺についてきて欲しいと言ったのは、それが狙いか?」
俺はためしに聞いてみた。
もしそうであるなら、モーリンには、俺が思っていたよりも多量に乙女成分があるわけで……。
「それもありますが――」
お? 肯定したぞ? と、俺が喜んだのも束の間――。
モーリンは足を止めていた。
洞窟はそこで行き止まりになっている。
つきあたりの壁に手をついて、モーリンは顔を俺を振り向けた。
「この先にあるものを、マスターに見ていただきたいと思ったから、というのが正しいですね。――いまならまだ引き返すこともできますが。いかがいたします?」
モーリンが、俺にも知らせていなかった自分の〝秘密〟を、はじめて見せようとしているのだと、俺は直感した。
引く、などという選択肢が、あるはずがなかった。
モーリンが見せたくないというのであれば、無理に知ろうとは思わない。
だがモーリンは俺にそれを見せようとしている。俺の〝勇気〟を問うている。
惚れた女が秘密を明かそうとしているとき、尻込みするような男には――その女に惚れられる資格などないだろう。
俺にはもちろん、モーリンが惚れるだけの資格がある。
「おまえが知ってほしいと思っているなら、俺は知ろう」
「ちょっと引いてしまうかもしれませんよ?」
「もしそれで俺が引いてしまうような男であれば、見限ってくれて構わない」
「いえ。……そういう心配をしているわけではなく」
「うん?」
もじもじとしているモーリンに、俺は、ピンときた。
ああ。恥じらっているのか。
俺にはちょっとデリカシーが足りなかった。
女の秘密を覗き見るのであるから、覚悟がいるのは、男の側よりも女の側であったはず。
「おまえのかわいいところを、もっと俺に見せて欲しい」
「ある意味。かわいいかもしれませんが」
つきあたりの壁を、モーリンは手で軽く押した。
なんの変哲もない岩肌が、動きはじめた。古代の機構――というよりは、岩、それ自体が、まるで生きているように動く。
地下なのに大きな空間が開けていた。直径と高さとは、共に100メートルか、あるいは200メートルか。とにかく大きな球状の大空間だった。
陽光――でもないのだろうが、空間は光で満たされていた。光源は不明だが、その光の強さは陽光に匹敵するほどで……。植物が生育するのに充分な強さがあった。
大空間の中央には、一本の巨木があった。
いや……。生えているのとも、すこし違うようだ。幹の太さは巨木ともいえるサイズだが、下のほうに〝根〟が見えない。
地面には丸い穴が開いているばかりだ。根があるとしても、もっとずっと下のほうにあるのだろう。
「世界樹の枝です」
モーリンはそう言った。
なんと。
これで〝枝〟とは――。そして〝世界樹〟とは――。
勇者時代に、〝世界樹〟にゆかりのあるアイテムには、何度か出くわした。
世界樹の葉には、死者を蘇生させる力がある。
木材の最高の素材といえば〝世界樹〟であった。その木材で作った杖は魔法使いの能力を飛躍的に高めてくれる。
ド素人のLv1の魔法使いが手にしても、英雄並みの働きができてしまうほどのチート武具となる。
本物の英雄で、勇者の仲間あたりあたりが、魔王を倒しに行くときに必要とする。そんな装備は、もちろん、世間一般に出回るはずがない。あとそんな装備は、いろいろと「うるさい」。そこまで強力な〝物〟は、大抵、意思を持っているものだからだ。
「世界樹ってのは、大きいもんだな」
だいぶ感心していたのだろう。ぽかんと口を開けきっていたかもしれない。
あまり呆けていると、引いてしまったと誤解させてしまうかもしれない。
俺は立ち直った。
「世界樹はこの世界とほぼ同じサイズがありますから。枝の先が地表近くに伸びているところもありまして、ここはそのうちの一つです」
「ふむ。そうか」
俺は鷹揚にうなずいた。色々ツッコミどころ満載だったが、聞かずにおいた。
特に「この世界と同じサイズ」ってところあたりだとか――。どんだけデカいんだ? 世界樹?
「そしてあれが、世界樹の実です」
「実?」
俺は見上げた。大木の梢のほうに、なにか丸くて大きなものがいくつもある。
モーリンが杖をかかげた。杖の先端に不思議な光がともった。
杖に使われている木質部分と、樹木の本体との間で共鳴現象が起きている。あの杖も木質部分は世界樹産だ。
木の枝が、ぐぐぐーっと、曲がって動きはじめた。
俺たちの立つ地面付近まで、枝がみずから降りてくる。
「うお……?」
〝実〟が、すぐ目の前にまで来ていた。
大きな実だった。人間が入れてしまうぐらいの大きさがあって……。
大きく丸い実の表面は、やや半透明になっていた。内容物? ――が、よく目を凝らせば透けて見える。
……種?
なにかそこそこ大きな物体が、液体の満ちた果実の内側に浮かんでいるようだ。
俺はよく目を凝らした。
そして、見た――。
「――!!」
半透明の果実の内側に浮かんでいたのは――〝少女〟だった。
「これがいちばん熟しているようです」
モーリンは言った。
そしてナイフを手に、果実へと近づく。
「普段は熟しきって、自然に出てくるのを待つのですけど」
少女の入った果実の表面にナイフを立てて、半透明な薄皮を縦に切り裂いた。
液体が大量に流れ出してきた。風呂桶一杯ほどの液体は、地面に広がってゆき、むせかえるような甘い匂いを周囲に充満させた。
あの液体、世界樹の樹液であれば、たったのひとすくいで、HP/MPが全快になったりするんだろうなー、とか、俺は頭のどこかで考えていた。
冒険者であれば誰もが欲しがる超貴重な霊薬が、どぼどぼと、ただ地面に吸われている。
その霊薬の勢いに乗って、つるん――と、少女が果実の外に流れ出てきた。
歳の頃は12歳ぐらいだろうか。スケルティアよりだいぶ若い――というよりも、幼い。
外道を自認する俺ではあるが――。微妙に射程範囲外。もう2年。いや3年? ちょうどそのくらい射程範囲外。
少女は全裸だった。
全裸でこてんと地面に横たわったまま。
なぜだかモーリンは立ち尽くしたまま。目を閉じて動かない。
少女をそのままにしておくのも忍びないので、俺はマントを外すと、少女の体をくるんでやろうとした。
俺の腕の中で少女は、ぱちりと――目を開いた。
「恐れいります。ですが、一人でやれますので、だいじょうぶですマスター」
その言葉は、モーリンが言ったものではない。腕の中にいる少女が放ったものだった。
俺は腕の中の少女と、突っ立ったままのモーリンとを、交互に見比べた。
モーリンは目を開けてこちらを見ていた。しかしその目はどこか虚ろで、その顔にはまったく表情というものが欠け落ちていた。
「すいません。同時並行で処理するのには、まだ慣れていないので……。あちらの私はだいぶ上達したようですが。しばらくは片側は動かすだけで手一杯となりますので、表情などは期待しないでください」
腕の中の少女は、うすく微笑をしている。最近モーリンがするようになった、薄くとはいえ笑いの表情だ。
よく見てみれば、少女はモーリンとそっくりの顔かたちをしていた。
モーリンの12歳版、とでもいった感じだ。
「う……。うむ」
無表情になってしまった大人のほうのモーリンが、持参していた包みを開く。
少女にぴったりのサイズのメイド服が出てきた。
少女は俺の腕のなかから出て行くと、メイド服を着始めた。
服を着終わって、まだすこし濡れている髪の毛の上にヘッドドレスを置くと――。
大小、一揃いのモーリンが、共に俺を見つめていた。
「マスター? 事態は把握されていますか?」
「う……む。まあだいたい。なんとなくは……」
「ではご説明さしあげましょう」
「帰り道でいい。……いくぞ、モーリン」
俺は二人のモーリンに対して、そう言った。




