かわいいって、言って。「かわいいって言って言って言ってー! ずるい!」
いつもの朝。いつもの食堂。
「おはよ。」
スケルティアが朝の挨拶をしてきたので、俺は、ぽかんと見つめ返した。
ハーフ蜘蛛子のスケルティアは、どうも人間の習慣や常識に疎い。疎いというよりは、意味がわかんないので重視しない、という感じ。
朝の挨拶もそのうちのひとつ。俺たちが交わしている挨拶を、スケルティアはいつも、ぽかんとした顔で眺めるだけ。
それが今日に限って、自分から俺に「おはよ。」と言ってきたのだ。
「へん……? だた?」
スケルティアは小首を傾げて、無表情顔。
だが俺はその無表情の中に「不安」を読み取った。この芸当は世界でも俺にしかできないと確信している。
「いや。いいぞいいぞ。――ちょっとこい」
「ん。」
俺は膝の上にスケルティアを呼んだ。椅子に俺が座り、その膝の上にスケルティアが座るという格好だ。
「朝からなにやってんのよ。いやらしい」
「ばかめが」
「ばかってなによ?」
「おまえに対する正しい評価だ」
勘違いした駄犬に、正しく評価を与えてやったに過ぎない。
「朝の挨拶。おまえ。よくできたなー。……いいぞ、いいぞー。いい子だぞー。かわいいぞー」
膝の上に抱いたスケルティアの頭を撫でてやる。
頭蓋骨を掴む感じで、首をぐりんぐりんやってやるのが、スケルティアのお気に入り。俺もお気に入り。
傍目には虐待しているように見えたりするかもしれないが、うちの「かいぐりかた」は、こーゆー感じ。
「かわいいなー、かわいいなー、スケは、ほんとうに、かわいいなー」
ぐりんぐりん、とやる。
スケルティアは、うっとりと目を閉じている。でも額の単眼四つは、構造上、閉じることができない。開いたままで、たぶん、俺のことを見てる。
うっとりと二つの目を閉じていても、四つの単眼のほうでは、まじまじと注視しているのだろう。
モンスター少女。かわいすぎる。
「かわいいなー、かわいいなー、かわいいなー」
スケルティアをなで続けていると――。
「なによもう、スケさんばっかり」
駄犬がなんかつぶやいている。無視だ無視。
「おはようございます。オリオン様」
ミーティアがやってきた。にっこりと笑って、俺に礼儀正しく朝の挨拶。
さすが元姫。駄犬とはえらい違いだ。あれもいちおう蛮族の姫だったはずなんだが。
ミーティアがここに来て、しばらくが経っていた。もうだいぶ馴染んだようである。今日も朝早くからモーリンを手伝って、朝食の支度などをしていた。
彼女が馬でなく、人間の姿でいられるのは、一日の半分くらい。
夜は夕方から。朝は朝食が終わるまで。そのあいだ、人間の姿で居られる。
昼は馬の姿で馬車を牽く。
一日に何度も戻したりするのは良くないらしいので、昼食のときには、申し訳ないが彼女だけ青草だ。
しかし馬になっているときの味覚だと、青草はたまらないごちそうであるらしい。
青草というものの味を、あまりにも美味しそうに話すものだから……。俺もちょっと馬になってみたいと思ったりもした。ヒミツだが。
「おはよう。ミーティア。今日も綺麗だな」
「ありがとうございます。オリオン様も、今日もまぶしくていらっしゃいますわ」
「む。そうか」
こういうのが人徳というものなのか。ミーティアの台詞は〝本心〟として聞こえる。まるで悪い気はしない。
「綺麗だって。綺麗だってさー」
駄犬がまたなんかボヤいている。すでに投げやりになっている。
「モーリン。おはよう」
「おはようございます」
「朝からおまえは本当に隙のない美しさだな」
「褒めてもソーセージの数は増えませんからね」
「いやまったく。昨夜、あれだけ乱れたとは、到底、思えない」
俺が本心からの感想を告げると、モーリンは頭のヘッドドレスに手をあてた。
「こ、これでも表に出さないように努力しているのですけど」
「それは知らなかった。では俺ももっと努力するとしよう」
「こういうとき。なんと言い返せばいいのでしょう?」
「任せるよ」
「その……、ほどほどに願います。朝食の支度をできなくなるのは……、その、困りますので……」
うおおー、照れてるモーリンのレア顔! ゲーット!
「美しいだって。美しいだってさー」
「この駄犬は、さっきから、なにをぶつぶつ言っているんだ」
俺は脇でぼそぼそつぶやいている駄犬に、そう言ってやった。
「スケさんには、かわいい、でしょー。ミーティアには、綺麗、でしょー。そいでモーリンさんには、美しい、でしょー。――んで、わたしはなんにも言われてない」
「なんて言って欲しいんだ?」
「そ、それは――」
アレイダはぷいっと顔を背けた。
「ボケ。――言わないっ!」
「じゃあ俺も言わない」
俺がそう言ってやると、アレイダのやつは――向こうにむけていた顔を、ぎゅんとこちらに戻してきた。
「ひどい! 言ってよ! 言いなさいよ!」
だからいったい何がしたいんだ。こいつは。
「だから、なんて言って欲しいんだ。おまえは」
「言ったら……、言ってくれる?」
どうせこいつが言ってほしい言葉なんて、決まってる。
約束してやっても良かったわけだが、俺はちょっといたずら心を起こした。
「それは場合と条件にもよるな。……まあとりあえず、言ってみろ」
「だから……、~~、……って」
「あ?」
小声過ぎて、肝心のところが聞き取れない。
「だから! ……その、~~、……って」
「ああ?」
「もうわざとやってるでしょ! ぜったいわざとやってるでしょ!」
「まじで聞こえんのだが」
「だから! か……、かわいい……、って!」
ようやく言ったよ。この駄犬。ここまでいったい何分かかった?
「スケさんには! あんなにたくさん言ったんだから! わたしにだって! 一回くらい言ってくれたっていいでしょ!」
「おまえがいつものその大声で、ちゃんとはっきり言ってくれれば、もっと早く伝わったんだがな。……だが、それだったら、このあいだたっぷり言ってやっただろ」
かわいい、かわいいと、言いまくって落として、「好き」と向こうから言わせてやるゲームをこのあいだやった。
「あんなゲームじゃなくて! 普通に! もうなんで意地悪するのよー! 言ったじゃない! 言ったんだから! 言えーっ!」
「三遍回ってワンって言ったら、言ってやる」
くるくるくる。
「わん!」
アレイダは、わん、と吠えた。
「うわっ! はやっ! ――おま! プライドないのかよ! 本当にやるかよ!」
「もうこうなったら、勝つか負けるかよね。プライド守って負けるより、何を捨てても勝負に勝つほうを選ぶわ。――さあ! やったんだから! 言いなさい! 言えーっ! 言ってよーっ!!」
「わ、わかった……」
相手の駄犬っぷりに、俺はめまいを感じていた。
ちょっと待て。とりあえず。落ち着こう。
すーはー。すーはー。
「……まだ?」
「待て。もうすこし」
俺はシャツの胸元を緩めた。なんか暑いな。この部屋。
深呼吸はもうやった。
あとは、なんだ……? ええと……。
「あー、あー、あー」
「なによ。それ」
「うるさい。だまれ。駄犬王。発声練習だ」
「なんの発声練習よ。――王にされたぁ」
◇
そして俺は、結局……。言えなかった。
なんでなのかは知らない。とにかく恥ずい。
流れでふいっと言うならともかく。さあ言うぞ、とか意気込んで言うような言葉とも違う。
ずる~い! ――とか言ってくるアレイダのやつには、その晩、たっぷりとベッドの中で払ってやった。