ミーティア 「この馬、賢いわよねー」
「どう、どう、はいどぅ!」
馬に乗って、アレイダが帰ってきた。
馬車の御者台で、ぽつねんと座っていた俺は、ようやく帰ってきた一人と一匹を、わざわざ馬車を降りて出迎えに立った。
引く馬のない馬車は、荒野の一角で、ずっと止まったっきり――。
動かない馬車の御者台に座っているのは、なんだかひどく間抜けで、手持ち部沙汰な感じがあった。
「あー、キモチよかったー! こんなに駆けたの、ひさしぶりー!」
アレイダが言う。
ひひひん、と、ミーティアもいなないて同意を示す。
その様子を見ていると、やらせてやって良かったと思った。
馬車を引き続けて、ぽくぽくと歩いているだけだが、馬という生き物は、本来、野を駆ける生き物である。
いつものように旅路を進んでいたとき、いい感じに開けた平野に通りがかった。そうしたらアレイダが急に騒ぎ出した。「乗りたい乗りたーい!」と、ダダをこねはじめた。
アレイダはもともと騎馬民族らしく、馬の扱いは手慣れたものだった。
乗馬用の鞍なんて用意していないのに、縄で編んだ即席の鞍を自分で作って、ミーティアの背にまたがって駆けていってしまった。
「この子。本当に頭がいいわー。うん。賢い。賢い」
アレイダはミーティアの背をしきりに撫でる。ミーティアのほうもまんざらではない様子だ。
たしかに頭はいいと思う。
ミーティアは荷馬だ。人を乗せる調教は受けていないのに、きちんとアレイダの操縦に従っている。なにを指示されているのか、なにをすべきなのか、自分できちんとわかっている。
まるで人間みたいに頭がいい。
ミーティアにはいつも助けられている。
俺は御者台に座って、ぼーっとしているのが好きだった。青い空のもと、どこまでも続く道を、ただのんびりと進んでいるのが好きだった。
どれだけぼんやりしていても、ミーティアは勝手に進んでくれる。
道が二股に分かれているときなどは、立ち止まって、ぶるるっといなないて、教えてくれる。手綱を逆に引っぱって、俺の手に合図を出してくることもある。
「ミーティアがもし人間だったら、すごく頭のいい美人だな」
俺がそう言うと、アレイダのやつは、ぷうと頬を膨らませた。
「なんでそこ、美人までついてくるのよ」
「美人に決まっているだろうが。ミーティアが美人でないはずがないだろう」
「だからなんで美人なのよ」
――と、俺たちがそんな話をしていると、ミーティアは落ち着きをなくしてたい。
前脚でしきりに土を蹴っている。
「……これは、照れてるのか?」
「……ほんと、頭いいのねえ」
アレイダと二人で感心していた。
◇
「――というようなことがあったわけだ」
夕食も一段落ついて、デザートとコーヒーが出てきた頃。
俺はそんな話をモーリンにした。
「ほんと。頭いいんだよ」
「ほんと。頭いいのよ」
美人かどうかの部分に関しては、俺とアレイダで見解の相違があるわけだが、頭がいいということに関しては完全な一致をみせていた。
「まるで人間みたいに頭がいいんだ」
「まるで人間みたいに頭がいいのよ」
アレイダとおなじことを言っているのが、なんだか癪に障るので――。
「すくなくともこいつより頭がいいのは確実だな」
「どういう意味よ」
「それはようございましたね」
コーヒーのおかわりを注ぎながら、モーリンは言う。
「だから人間みたいなんだよ」
「人間みたいなんだってば」
どうもきちんと聞いてもらっていない、とか思って、俺たちは繰り返す。
「ええ。わかっていますよ。――だって人間ですから」
「そうか。分かってくれればいいんだ。――って? いま、なんつった?」
俺はぎょっとなって、モーリンを見返した。
いまなにか、ものすごく気になることを言わなかったか?
「そういえば。今夜は満月でしたっけ」
「満月が、どうしたって?」
「表に出てみれば、わかると思いますよ」
◇
モーリンが言うので、俺たちは表に出てみた。
木に繋いであったミーティアがいない。水桶と飼い葉の山だけが、ぽつんと残されている。
「どこだ? ミーティアは?」
「近くに泉がありましたから、そこではないでしょうか。満月の番は、いつも水辺の近くで止まっていましたけど。お気づきになられませんでしたか?」
「そうなのか」
そういえば、いつも従順なミーティアが、もう歩くのやだー、みたいにむずがって動かなくなるときがある。そういうときは、そこで馬車を止めて、一泊することになるわけだが……。
気にしたことはなかったが、それがちょうど三十日周期だった気がする。
そうか。満月の晩だったのか。
俺たちは森の中を歩いていた。前方から水の音が近づいてくる。
小さな湧き水の溜まった泉に、腰まで浸かって――一人の女性が水浴びをしていた。
黒髪が美しい。体つきはふくよかで女性らしく。アレイダともスケルティアともモーリンとも違う趣があった。
俺はその美しい女性に覚えがあった。
以前、こんなような晩に、こんなようなところで、出会った女性だ。
出会って三秒で惚れられてしまって――、そして〝俺の女〟にした。
こんなところで再会したのは、なんという偶然だろうか。
俺は感激していた。
そして当然、なすべきことをしようと――。
「なぜズボンを下ろす!」
アレイダが叫ぶ。
どげし、とやってきた。
「おいおまえ。いま蹴ったろ?」
「いいからズボンを上げなさい! 初対面の人になに失礼なことしてんの! なにするつもりなの!」
「いや。初対面じゃないからナニをするつもりで――」
「いいからズボン上げなさーい!」
なに赤くなってんのこいつ。
まあともかく、ズボンを上げる。
俺たちの様子を、女性は笑顔で見つめていた。すごく穏やかな顔で、すごく好ましい視線を向けてきている。
モーリンもくすくすと笑っている。
「マスターは、もうご存じのようですが。アレイダ。貴方も初対面ではないですよ」
「え? あたしっ? ――いえいえ! ぜんぜん会ったことないです! えと、初対面……、でしたよね?」
アレイダが女性に言う。女性は穏やかに微笑んだまま。
かわりにモーリンが、アレイダに言う。
「昼間、あんなに楽しく遊んでいたでしょう?」
「え? 昼間? 昼間は、あたし――ミーティアにずっと乗っていましたから。――あっ、そうだ! ミーティア探していたんだっけ!? ねえ、すいません、ミーティア知りません? ああミーティアっていうのはうちの馬で。白くて綺麗で、とっても頭のいい、おとなしい子で――。馬、こちらに来ませんでしたか? 知ってますか?」
アレイダの質問に、女性は、こくり――と、うなずいた。
知ってます、という顔をする。
「えっ! どこどこ? どこに行きましたか! どっち行ったか、わかります!?」
こんどの質問には、女性は、ちょっと考えて――首を横に振ってきた。
「そっかぁ……知らないですか。じゃあ探さないと……」
そのときまでには、俺はもう、気がついていた。
アレイダのほうは、まだ気づいていないようだが……。
おまえ。わかる? と、スケルティアに顔で尋ねてみると、スケルティアはしばらく考えたあと、こくん、と、首を折って答えてきた。
「してたよ。」
知っていた、と、スケルティアは答えた。
しばらく考えていたのは、なにを聞かれたかのほうで悩んでいたらしい。無表情がデフォルトのハーフ蜘蛛子は、顔色と空気を読むことが苦手。
「おまえは? いつから?」
「……最初?」
「最初って、うちに来たときからか?」
「そだよ。」
なんで言わなかったんだ――とは、言わないでおいた。理由は「聞かなかったから」となるのだろう。
俺はモーリンのほうに目を向ける。
スケルティアはいいとしても、こっちは、なぜ言わなかったんだ?
「ここで長話をします? 身体が冷えてしまいますけど」
黒髪の彼女は、泉の水に浸かったまま。
それもそうだ。
俺は上着を脱ぐと、裸の彼女をくるんでやった。
◇
屋敷に連れて行った。
服を着せて、お茶を出して、落ち着いたところで、色々と聞いた。
ミーティアは、元々、地方領主の姫様だったらしい。悪い魔法使いに呪いを掛けられて、馬の姿に変えられて、売り飛ばされてしまったそうである。
「でも私が馬になったおかげで、婚約者の男性は別の方と結婚されたそうなんです。その女性というのが、その男性のことを、ずっとずっと愛されていた方ですので、結果的には良かったんじゃないでしょうか」
「ミーティア!? ――あのね、わかってる? それ絶対、その女の仕業でしょ! 悪い魔法使いを雇ったのも、ぜんぶ、その女の差し金でしょう!?」
「そうかもしれないですし、そうじゃないかもしれないですけど。だけどいいじゃないですか。みんな幸せになりましたし」
「馬でしょ!? 馬にされてるでしょ!? あなた損してるしょ!? いいわけないでしょ!?」
「でもそのおかげでオリオン様に買っていただけましたし。アレイダさんもモーリンさんもスケルティアさんも、いい人ばかりで。……私いま、すごく幸せなんですよ?」
それがモーリンが言いださなかった理由だ。
馬車とセットで買いあげた牝馬が、呪いで馬に変えられた人間の娘だということに、賢者である彼女ははじめから気づいていた。
そしてミーティアと会話をして、本人の意向を聞いてみたところ、「このままで充分幸せです」という返事だったので、本人の意向を尊重していたとのことだ。
「そ、それは……、そうかもしれないけど。――って!? あたしらは〝いい人〟かもしれないけど! だけどこいつは違うから! こいつ、どっちかっていうと極悪人だから!」
俺のことを指差して言いやがる。
おま。あとで泣き叫ぶ刑な。ベッドの上でな。
「オリオン様が悪なのでしたら、私も悪に染まりましょう。悪……覚えますので、どうか、お側に置いてください」
「おう。いいぞ」
俺は来るものは拒まずの主義だ。
俺が側に置く条件は、たった一つ。――〝俺の女〟になることである。
俺の女にならない女には、俺はまったく興味はない。なにをしてやろうとも思わない。助けようとも、手を差し伸べようとも思わない。
彼女はもうすでに俺の女となっていた。
なのでまったく問題はない。
「彼女にかかっていた〝呪い〟というのは、どういったものなんだ?」
「人を動物に変えてしまうものです。上位の呪いでは魔物に変えるものもありますが、それよりもランクの低い動物化の魔法となります。二、三回転職した呪術系の上位職なら、ロストスペルとして習得可能です」
明瞭な答えが返ってくる。
〝賢者〟であるモーリンは魔法の専門家。彼女が知らない魔術は、おそらく「ない」といってよい。
「それは、解けるのか?」
「月の光を浴びる程度で破綻しかける不完全な腕前の呪いですので……。解くこと自体は問題ないのですが。――が、少々問題が」
「問題とは、なんだ?」
解くのに術者を殺してくる必要があるというなら、よし殺してこよう――ぐらいの軽い気持ちで、俺は聞いた。
「呪いを解くと、馬車を牽く馬がいなくなってしまいます」
「おおう」
それは意外な盲点だった。……ふむ。たしかに問題だ。
「そうか……。それは悩むな。困ったな」
「あのう? ですから、オリオン様が困られると思いますので……。私、べつに馬のままでもいいんですけど?」
「そうか。じゃあそうしてくれるか」
「ちょっとちょっとちょっと! ミーティアが可哀想でしょ! 解いてあげなさいよ! いったいなにを悩む必要があるっていうのよ! だからあんたは外道っていわれるのよ! 解いてあげましょうよ! それが人道ってものでしょ!?」
うちの娘の失敬なほうは、ついに俺を外道呼ばわりをはじめた。
ふむ。いいかげんにしとけよ。てめえ。
それでは、外道ではないということを示してやるとしよう。
「では解呪してくれ。――馬車はアレイダのやつが牽くそうだ」
「へっ?」
アレイダは、きょとんとしている。
「馬車を牽く馬がいなくなるから、かわりにおまえが牽くんだろ? ミーティアが可哀想だから、おまえが馬車馬のかわりになるんだろ。――いま、おまえはそう言ったわけだよな?」
「えっ? えっえっ?」
「いやいや。立派な心がけだ。――おまえは前から馬車を牽くのにぴったりじゃないかと思っていたんだ。適正がある。おまえなら立派な駄馬になれると思うぞ。頑張ってくれ」
「いやー……、あのー……、まー……、そ、そんなすぐに戻らなくてもぉ~、い、いいんじゃないかなぁ~……って……。た、たははははー!」
アレイダは笑いはじめた。軽薄に笑ってごまかしはじめた。こいつのいう〝人道〟っていうのは、つまり、その程度という意味だったということだ。
「おま。罰として。一週間。抱いてやんね」
「ちょ――! なっ――!? なんでそれが罰になるの! だいたいなんの罰なの!」
うちの駄馬。ほんとうるさい。
自分がかわりに馬車を牽くとか言うのであれば、俺もすこし見直したというものを――。やはりこいつは駄馬だった。
いや。馬に失礼だな。そういや駄犬と呼ぶのも、犬に失礼だったな。駄娘でいいな。
ミーティアの呪いは、結局、半分だけ解くことになった。
彼女自身が馬車を牽くことで役に立つことを望んだこともあって、完全に解いてしまわず、半分だけ解呪した。
半分、というのは、ON/OFFできるようにするということだ。
俺がコマンドワードを唱えたときだけ、呪いが解けて人間の姿に戻れるようになった。
昼間は馬の姿で働いてもらう。ぽっくぽっくと馬車を牽く。
夜は美しい娘の姿に戻って、俺に可愛がられる。
昼も夜も役に立つ、よい娘であった。
余談ではあるが――。
宣言した通り、一週間、アレイダの出番はなかった。
俺は毎晩ミーティアを可愛がった。滅茶苦茶セックスした。
一週間と一日目になると、アレイダのやつが泣いて謝ってきたので、許してやって、混ぜてやることにした。
うちの娘たちが、三人になった。
ミーティアには魔法の適性があるらしく――。かねてから欲しかった〝後衛〟が、ついに揃った。