食事の支度 「だ、だって……、やったことないんだもん!」
朝。
ちゅんちゅんちゅん。――という小鳥の声に目を覚まさせられた俺は、ふと、隣にある女体に気がついた。
おや? おかしいぞ?
モーリンが寝ている。
べつにモーリンが全裸で俺の隣にいること、それ自体は、なんということもない。
昨夜、モーリンを抱いた。だからベッドにいても当然なのだが……。
俺がモーリンを抱いた翌朝に、彼女の寝顔を見れたことなんて、これまでに一度もありはしなかった。
完璧超人である彼女は、俺が目を覚ます頃には、とっくにベッドを抜け出していて――。香ばしく焼けたパンと、こんがり焼けたベーコンと、淹れたてのコーヒーができているわけだ。
ちなみに元勇者を起こす(気づかれる)ことなく、ベッドの隣から出て行っていることになるのだが――。どうやってるのか、さっぱりわからない。
この屋敷には、いま俺の女が三人いる。たまに天井裏にもう一人隠れている。
べつに夜だけに限らず、午前でも午後でも夕方でも、ムラっときたなら、大抵その場で押し倒すなり廊下の壁に押さえつけるなりして襲いかかっているが、夜は夜で、ベッドの中できちんとすることをしている。じっくりたっぷり、時間をかけて、可愛がってやっている。
夜のベッドの中においては、一人の時もあるし、三人全員、というときもある。三人全員だとか、そこに加えて天井裏のクザクを加えたときだとか、複数いるときには、大抵、大丈夫なのであるが――。
一人のときだと、ちょっと可愛がりすぎてしまうこともある。
しかし気分によっては、そいつを徹底的に可愛がってやりたい、という日もあるわけで――。
モーリンはまだ寝ている。
昨夜はちょうど、モーリンを徹底的に可愛がってやりたい気分の日であった。
ちょっと無理をさせすぎたかもしれない。
その証拠に――起きてこない。
最後のほうとか、ちょっと意識が怪しかったし。
俺が何回目かの終わりを迎えて、ようやく満足しきったときには、モーリンもまた絞め殺されたような声をあげ――。そのあとは、死ぬようにして、眠りに落ちていった。
誰かが言った。エロスとタナトスとは紙一重、表裏一体であるのだと。タナトスとは「死」という意味だ。
「いく」という言葉があるが、そこに「逝く」とあててみると、意外とマッチしていることがわかる。
昨夜のモーリンは、最後の最後では、まさにそんな「逝く」って感じになっていた。
心臓……、動いているよな?
俺はモーリンの乳房に手をあてた。女は乳房があるので、心臓の鼓動を探るのはすこしやりにくい。……が、きちんと鼓動が刻んでいることを確認する。
ちょっと、ほっとする。
しかしモーリン。ほんと。起きないな。
これだけあちこち触っているのに起きてこない。
「おい。モーリン」
俺はぺちぺちと、モーリンの頬を軽く叩いてみた。
――それでも起きない。
「おーい」
おっぱい揉んでみた。やはり起きない。
「こーら」
口を、みょ~んと、引き広げてみる。
それでも起きない。ちょっとこれはすごい。
口を広げさせたまま、鼻も上に引っぱって、変顔をさせてみる。――鼻フックってな、こんな感じかな?
美人の顔が醜く歪んでいる。なんかちょっとヤバい。自分にそっちの気がすこしあったことがもっとヤバい。
「おーい」
布団のなかに潜りこむ。
上の口にイタズラするだけでは、まったく不公平かつ不平等であった。そこで下の口にもイタズラをしかけることにする。
引っぱって広げて、ぱくぱくと動かして、「こ、ん、に、ち、は」とか、やってみる。
まだ起きない。モーリンは本当に起きない。
「おーい。起きないとー。犯すぞー」
最後にもういちど声をかけてみるが、やはり反応がない。
しかたがないな。
もちろん睡姦を実行してもよかったわけだが――。昨夜の疲れを、いたわってやることにする。
俺は静かにベッドを出た。
布団を静かにかけてやって、髪を撫で、おでこに軽く口づけをしてから、部屋を出ていった。
◇
「おなかすいたー」
階下へ下りてゆくと、アレイダのやつが食堂のテーブルに突っ伏して、ぐんにゃりと長くなっていた。
「あれ? オリオンだけー? モーリンさんはー?」
「まだ寝てる」
「え?」
アレイダは間抜けな顔をしている。
それほど意外な出来事だったわけだ。完璧超人が寝坊を決めこんでいるという状況は――。
ちなみに現代世界と違って「病気」という線を考えないのは、この異世界には「治療魔法」があるからだ。
風邪などに怪我を治す治療魔法を使うと、かえって悪化したりするが、病気専門の魔法が何系統か存在する。
モーリンはもちろん使えるし、俺もモーリンのためならスキルポイントを突っこんで取得する。
ウイルス性の病気も、ガンの類いも、遺伝性の病気でさえも、それぞれ別の魔法で治すことができる。
ちなみに風邪を治す――ウィルスを体内から除去する魔法が、これが一番面白い原理となっていて――。空間転移の魔法の応用版となっている。ウイルスを取り除く、のではなくて、ウイルスを除外した〝本人〟だけを別座標に転移させることで、ウイルスだけをその場に置き去りに取り残す――という方法を取る。
風邪を治すのが、いちばん高度な魔法が必要になってくるとか――。異世界は面白い。
「おまえは風邪ひかないだろうがな」
「はい?」
アレイダは首を傾げる。
ふむ。馬鹿は風邪をひかない。――ということわざは、こちらの世界にはなかったか。
「おなかすいたー。もう死んじゃうー。モーリンさん、いつ、起きてくるかんじー?」
アレイダはテーブルの上でぐんにゃりと長くなっている。
「駄犬」
俺は短く簡潔に、アレイダのやつの現在の状況を言い表してやった。
二文字以上。まったく必要ない。
「おなかすいちゃうのは、仕方がないじゃないのよー。ねー、スケさんも、おなかすいちゃうよねー?」
天井から逆さまにぶら下がっているスケルティアに、そう問うが――。
スケルティアは、小首を傾けて、考えこむ仕草。
「蜘蛛ってのは、長いこと絶食できる生き物だしな」
そして食べられるときには際限なしに、いくらでも食べる。次にいつ獲物を得られるか、わからないからだ。
スケルティアが俺たちと同じように、三度三度の定期的な食事をしているのは、俺たちに合わせているだけだ。
「じゃー、スケさんのことはどうでもいいからー。とにかくあたしは、おなかすいたー、おなかすいたー、おなかすいたー」
「駄犬」
俺はふたたびそう言ってやった。
「おまえはあれか。モーリンがいなかったら、飢え死にする生き物なのか。腹減ったら自分で作ろうとかいう発想はないのか」
「えっ?」
アレイダのやつは、ギョッとした顔をする。
ん? まて。なんでそこ、〝ギョッ〟とする?
「おまえ……、まさか……? 作れない?」
そういえば、この駄犬が調理をしているところを見たことがない。
モーリンが完璧すぎるので手伝いすら必要がない。食い散らかすのは得意だが、調理の腕前のほうは、そういえば見る機会がない。
「つ……、作れるわよ? あたりまえでしょ? 作れないはずがないでしょう? どうして作れないなんて、思っちゃったのかなー? 不思議ねー? そ、そりゃあ、モーリンさんみたいに完璧にはならないけど。ふ、普通に……作るくらいだったら……、ら、楽勝のはずよ?」
「はず、ってなんだ? はず、って?」
俺はそう聞いた。アレイダはまったく挙動不審だ。
「も、もちろん、で、できるわよ……?」
「じゃ、やってくれ」
俺はそう言った。
足を組んで、テーブルに出してあった資料を読みはじめる。
そろそろLvのカンストも近い。それに備えてのことだった。
「えーっと……、あの?」
アレイダはまだそこでぐずぐずしている。両手の人差し指の先端を、くっつけたり離したりしている。
「どうした? 作れるんだろ?」
俺は資料から目を離さず、そう言った。
「わ――わかったわよ! 作ってくるわよ! も――文句言わないでよね! ほらいこ――スケさん」
アレイダのやつは、キッチンに向かった。
なんでか、スケルティアまで連れて行きやがった。
俺は資料を読んだ。あいつはいまクロウナイトだが、もうすぐカンストする。光と影の両方のナイト道を極めると、上位職のクルセイダーに転職可能となるわけだが……。
Lvをカンストすれば転職可能となる下位職と違って、上級職の入口ともなってくるクルセイダーでは、さらに転職のためのクエストが必要で……。
ようやく上級職の入口にさしかかった程度で、てっぺん取った気でドヤ顔している駄犬の飼い主としては、お勉強しておかねばならないわけだ。
どんがらがっしゃん、ぎにゃー! という賑やかな音が聞こえてきた。
俺は気にせず、資料を読み続けた。
◇
「できた……、んだけど……」
出されてきた〝料理〟を前に、俺はしばらく固まっていた。
アレイダは小さくなっている。スケルティアは、よくわからない、という顔で横に立っている。
「これは?」
消し炭を示して、そう聞いた。
「それは……、パン……だったんだけど」
「では、これは?」
また別の消し炭をしめして、そう聞いた。
「それは……、ソーセージ……、だったと思うけど」
「では、これは?」
「それは……、スクランブルエッグ……、のはずなんだけど」
「卵の殻は入れないほうがいいな」
「だって……、うまく割れなくて……」
俺はナイフとフォークを手にした。
消し炭を突き刺し、口に運ぼうとすると――。
「待って待って待って! 食べないで! 食べちゃだめ! そんなの食べたら! おなか壊しちゃうから!」
「いや。おまえが作ったものだしな」
俺はなにが出てきても食べるつもりだった。
多少、見た目が悪いとか、美味くないだとか、そのくらいは想定の範疇だったが――。まさかこれほど致命的だったとは思わなかったが――。
朝食を作れ、と、命じたのは俺だ。それで娘たちが頑張って作ったものは、なんだって食うつもりだった。
消し炭は……、ちょっと想定外だったが。
だからといって、食わないという選択肢は、俺にはなかった。
「待って待って待ってーっ! 食べちゃだめ! おねがいだから! 食べないでーっ!」
アレイダのやつが腕にしがみついてくる。俺の腕をおっぱい固めに持ちこむ。
これでは食えない。
「じゃあ、俺の朝飯は、どうするんだ?」
「作る! 作るから! ――そのうち上手くなるから! だからそれは食べちゃだめーっ!」
「そのうち、って、いつだ?」
「え……? ええと……、い、一週間? ……いえっ! 一ヶ月! ……いえ! 三ヶ月!」
「どんどん伸びてゆくのな」
「だって! こんなのこれまでやったことないし!」
「おまえがここに来てから、ずいぶん経つ気がするのだが……。まったくやっていないで、食っちゃ寝を繰り返していたからだな。だから〝駄犬〟って言われるわけだが。わかっているのか?」
「わ……、わかっているわよう! 悪かったわよう!」
おや? おとなしく認めたのか。自分が駄犬であるということを。
「しかし最低でも一週間か。俺は飢え死にしてしまうな」
俺は席を立ち上がった。
「えっ? あっ――ちょっ! どこ行くのよ!?」
「キッチン」
そう言い残して、食堂を出て、キッチンへと入った。
◇
「ほら。食え」
人数分の料理を用意して、テーブルに並べる。
アレイダのやつは、目を丸くしていた。
「これ……、オリオンが……、作ったの?」
「そうだが?」
「オリオン……、料理……、できたの?」
現代世界のほうで、自炊ぐらいはやっていた。本格的な料理は無理だが、簡単な朝食程度なら問題なくできる。
すくなくとも料理を消し炭にしてしまうようなことはない。
ま。モーリンの作った食事に比べれば、まったく見劣りするのは確かだが……。
普通に食える程度には〝料理〟になっている。
「見ての通りだが?」
「だって……、これまで……、一度も、してないし……。いつもふんぞり返ってるだけで……」
「俺は〝できない〟んじゃない。〝しない〟んだ。――わかったか?」
「わ、わかったわよう……」
今日のバカワンコは、妙にしおらしい。
俺は赤い髪をくしゃっと撫でてやった。
「いいから。食え。――ほら。スケも」
「スケ。も。……たべるよ。」
二人が食べはじめたところで、二階から慌ただしい足音が下りてきた。
「――遅くなりました! すぐに朝食の用意をしますので――!」
モーリンが慌てて食堂に飛びこんできた。
髪は寝癖がついている。メイド服もきちんと着終わっていなくて、前が半空きの半乳状態。
いつも完璧な超人の、非常にレアで愉快なまでの慌てっぷりをゲット。
「おまえの分も、できてるぞ」
俺はモーリンに対して、そう笑いかけた。




