姫君 「ずっとお慕いしておりました」
#042.姫君 「ずっとお慕いしておりました」
王都で国賓となって、もう何日目になるのか、数えもしなくなった、朝――。
部屋での朝食を軽く終えたあと、俺は出かける支度をしていた。
「つまんにゃー、オリオンばっかり外に遊びにいってー、ずるーい」
アレイダが文句をいっている。
テーブルにほっぺたをつけて、ガラスのコップを逆さまにして、かっぽんかっぽん、上げ下げしている。
部屋の中に迷いこんできた、ハチだかアブだかハエだかを、捕まえては放して、それを繰り返して退屈しのぎをやっている。
コップを上げると、放された虫が逃げようとする。それを、またかっぽんと捕まえる。
隣では、スケルティアのやつが、めっちゃ食いついていた。目をきらきらさせて、虫を見ている。
だがあれはたぶん別の意味。虫って、蜘蛛の主食だしなー。
「ずるい。連れてって」
アレイダがまた言った。あいつも、どうせ無駄だとわかっていながら、そんなことを言う。
あれは、わがままが通るか、試しているんだろうなぁ。
通んねえよ。ばーか。
これから女のところに行くんだよ。子連れで行けるか。ばーか。
まあこのあいだはストリップバーに女連れで行ったけど。
例の襲撃はまだ続いている。
食ってるとき、寝ているとき、ヤッてるとき――時間と場所を選ばずに襲撃される。もちろんぜんぶ〝花瓶〟にして通りにさらし者にして返却している。
そしてもちろん出歩いているときにも襲われる。
アレイダでもスケルティアでもモーリンでも、べつに誰一人のときでも、問題なく撃退できるわけであるが……。
うちの娘たちは、ちょっと実戦的に育てすぎた。
山賊は? → 殺せ!
――的な育成方法で、鍛えすぎてしまった。
俺かモーリンかがお目付役でついていないと、相手をぶっ殺してしまいかねない。またどっちらかがついていても、穏便に済ませられなくて、周囲に被害を出してしまいかねない。
決して、うちの娘たちの心配はしていなかったが……。
俺はこの王都に、いらない血を流そうとは思っていなかった。
よって、あいつらはお留守番だ。
「じゃあ、行ってくる」
「いーっ、だ!」
うちの娘の、嫉妬をよくするほうから、暖かい見送りを受けて――俺は部屋をあとにした。
◇
薔薇の咲き誇る庭園のただなかで――。
彼女は一輪の薔薇のように立っていた。
ちょっきん、と、バラの枝のひとつを選定する。ハサミを脇に控えていた侍女に手渡す。
そのあとで俺を見つけて――まぶしい笑顔を、ぱあっと咲き誇らせる。
「また……、いらしてくださったんですね」
「ああ……、まあ……、約束だったし」
このところ俺は、よく、彼女のもとを訪れていた。
あの夜、パーティのときに、「また会っていただけますか?」と言われた。断る理由が見つけられずに、いまに至る。
彼女は俺に恋い焦がれていた。
正確に言うと、祖母から聞かされていた
風のように現れ、王女と王国とを救い、風のように立ち去った。
その者の話を聞かされて育って、恋い焦がれるようになってしまった。
しかしべつにあれは、風のように立ち去ったわけではなく、次のスケジュールが押せ押せだったので、速攻、撤収したわけだけど。
前々世での俺は、人の一生のあいだに、魔王を倒せるまでに強くなるという、無理ゲーに挑まされていた。
いや。無理。
普通。無理。
魔王って、どんだけ強いと思ってんだよ。戦った俺は知ってるが。
あんなん。人が倒せるとか思っている時点で、まず、そいつの頭がおかしい。
だが世界の管理者たるモーリンは、頭がおかしかった。
勇者がいま世界にいないのなら、作ってしまえ、というのが、彼女の発想だった。
世界の管理者が、転生女神に掛けあい(弱みを握って脅すともいう)、英霊召還とやらで、望む資質を持った魂を呼び寄せた。
この世界に生まれた俺は、はじめは、単なる赤子だった。
特別な資質を持っているわけでもない。ステータスも平凡。才能といえるものもない。チートスキルもない。
成長速度も並か、それ以下だったかもしれない。
ただひとつだけ、俺の魂が、他と違うところを持っていたとすれば――。
俺には「才能限界Lv」というものが、なかったということ。――その一点だけだった。
それだって、普通の村人の生活でもしていれば、気づきもしないで一生を終えていたことだろう。
転職可能なマスターLvに到達せずに人生を終える人間がほとんどだ。
そしてモーリンは、俺を、鍛えに鍛えに、鍛えまくった。
0歳児からビシビシやられた。「続けなさい。時間を無駄にしてはいけません」がモーリンの口癖だった。
その甲斐あって、まず3歳で《勇者》のクラスを獲得。
ちょっとこれ、全次元ワールドレコードじゃないかと思う。
ちなみに勇者業界の常識では、《勇者》とは後天的に転職するものではなくて、はじめからそのクラスとして生まれつくものだと相場が決まっている。
だが俺の場合には違っていた。あちらの――現代世界で超有名なRPGゲームでいうなら、「Ⅰ」でも「Ⅱ」でもなくて、「Ⅲ」であったということだ。
普通はやらない頭おかしいようなルートで、いくつかのクラスを極めると、勇者への転職条件が満たされた。
勇者となったその後も、モーリンという鬼の専属秘書にスケジュール管理されながら、最大効率で、「強くなるためだけ」の人生を過ごした。
1分ごとになんの修行をしているか、どこのダンジョンでなにと戦っているか、すべて決められていた。
レベルは前人未踏の高みに至っていた。なにしろ俺には「才能上限レベル」がない。カンストしない。どこまでも上げられるのだ。
そうして勇者人生の13年後――。
王都を囲んでいた魔王軍を、単騎で突破。敵の将軍を打ち倒して、速やかに戦争終結。
王女の救出は、最初はモーリンのスケジュールに入っていなかった。
その頃のモーリンは人というよりも機械に近くて、王女という存在が、どれだけ民の――国民の支えや希望となるのか、正しく理解できていなかった。
俺がモーリンを説き伏せて――めっちゃ〝オシオキ〟されたけども、王女を救出して守って戦い、王都まで送り届けるように、プランとスケジュールの修正を認めさせた。
そして立ち去る前に――三分間だけ。
別れを惜しむ時間をもらえた。
守って戦い、王都まで送った数日と、三分間。
それが……俺と王女との〝ロマンス〟の正体だ。
せめて、一晩……もらえていたら、俺、童貞卒業できていたのかも……?
いや、そこのところは、まさしく、どーでもいいんだが。
王女の側から、それが、どう見えていたのか――。俺は知らない。
だが彼女の孫にあたるという、現王女を見ていれば――まあ、なんとなくわかる。
俺は彼女に何度も説明しているのだが――。
「おばあさまのお話」に出てくる人物と、俺は、別人であるのだと。
だが彼女はまったく聞く耳を持たない。
俺とその人物とが同じであるという理由は、「だってお話と同じですもの」だった。
いまでこそ、政の主役ではなくなったものの、王家の血筋には、信託の巫女の力が残っているという。
いまだに「聖戦」の発動は巫女姫の信託が必須と、法文に明記されているほどである。
あー、そういやー、前々王女が、魔王軍への人質として、その身を差し出す決意をしたのも、「勇者が現れる」との信託によるものだったっけなー。
現れたなー。たしかにー。
「あの。どうかされましたか? 勇者様?」
「………」
「……あの?」
「姫。そう呼ぶのはおやめくださいと、言ったはずですが」
「わたくしの勇者様になっていただけると、言ってくださいました」
いやー。答えてはいないんだがなー。断ってもいないがー。
この国では大賢者を名乗ると投獄で、勇者を名乗ると斬首だった。勇者を名乗ったほうが罪が重い。
そういえば、ニセ勇者モモタロウっていたな。ここに来たら極刑だな。また勇者鍋だな。
なんで俺は、姫と逢瀬を重ねているのか……。自分でもわけがわからない。
「ああ。そうだ勇者様。ひとつ、お願いを聞いていただけませんか?」
「そう呼ぶのをおやめくだされば、考えてあげないこともありませんがね」
「じゃあ……」
秘密めいた顔で、彼女は〝お願い〟を口にした。
俺はもちろん、「考えてあげると言っただけで、聞くとは言ってない」とか大人のずるい対応をするつもりだったのだが……。
その〝お願い〟には――。本当に、考えさせられてしまうことになった。
◇
「ねー、なんで助けてあげないの?」
「国の内政の話だしな」
「じゃ。とっとと。他の場所。いきましょうよー。この街から出れば、暗殺もやって来ないんでしょ?」
「それはどうだかわからないな」
「街の外なら、べつにいいんでしょ? 殺しちゃっても?」
うちの娘の物騒なほうは、物騒なことを言う。
まあ実際、そうだけどな。
「あのお姫様のこと……、そんなに気に入ってるなら……、助けてあげればいいんじゃないの」
アレイダの話は、また元のところに戻る。さっきからこれでエンドレスだ。
「べつに気にいってるわけでもない。だいたい。まだヤッてない」
うっわ最低――とかいう顔を、アレイダからされる。
「……おほん」
俺は咳払いをひとつ。話題を変えることにした。
「まず第一に――。俺は人助けはしない。いちど人助けなんて始めたら、世界のすべてを救って回らなくちゃならなくなる。そんなのは勇者かなにかの仕事だ。俺のするべきことじゃない」
勇者なんか。いっぺんやれば充分だろう。
いっぺん世界のすべてを救って回ったさ。自分の幸せなど、なにもかも捨てていってな。惚れた女も……。
「そして第二に――。傀儡として生きてゆくことも、案外、悪くない生きかたかもしれんぞ」
「なによそれ?」
「籠の鳥は幸せなのか不幸なのかっていう話さ」
「わかんないわよ」
「あの頭にお花の咲いてる生き物が、野に出て、
「どゆこと?」
こいつは辺境部族の長の娘だったっけか。わかるように話してやることにするか。
「鷹がいたとする。卵か雛のうちに捕まえて飼育したのだとする。餌をやって生かすのだとする。その鷹は自分で狩りをしないで育ったとする。――そいつを野に放してやったら、どうなるか?」
「エサ取れなくて、死んじゃうんじゃない?」
なにあたりまえのことを? ――的な顔で、アレイダは言う。
「おまえはいまそれをやれと、俺に言ってるわけだ」
ふふん、どうだ。なにか言い返せるか――とばかりに、俺がふんぞり返っていると――。
「え? あれでも? オリオン、わたしのこと助けてくれて、あとはどこへでも好きにしろ。――とか、言わなかった?」
ぎくり。
「お、おまえのときには……、ほら、あれだ」
「なによ? あれって?」
「お、おまえは……、ほら……。気高い狼だってわかっていたからな……。自分でエサとって生きていくだろうと……、そ、そう、確信があった」
「なんか、異様にー、〝……〟が、多いんですけどー?」
「い、いや……。そんなことはないぞ? いつも通りだ。そして俺が確信していることも間違いないぞ。……うん」
俺はそこに関しては自信を持ってうなずいた。
アレイダの場合は、野に放しても、しぶとく生き残っていたことは間違いがない。
そして引き取って飼育してたら、ぶくぶく肥え太って駄犬になってしまったわけだがな。
やっぱこいつ? 野に放していたほうがよかったのでは? そしたら美しく気高い狼だったのでは? いまからでも遅くはないか?
「スケ。……は?」
アレイダのことを、じーっと見ていたら、スケルティアが、ぽつりと言った。
お。めずらしい。嫉妬か? これって?
「おまえはべつに一人で生きてきてたし。放そうが捕まえとこうが、前々変わらないだろうな」
そういや蜘蛛とか――。この場合は本当の本物の〝蜘蛛〟のことだが。飼育していようが野生だろうが、なにひとつ変わる気がしないな。
本能に忠実に生きてるしな。
「ん。ひとりで。生きれるよ。」
「だが――」
俺は腕組みをして、続きを言う。
「――俺のところにいたほうが、おまえは、より幸せだ」
「ん。スケ……は。しあわせ。」
にいっと、目を細める。
「なっ――! なによなによ! スケさんばっかー! わ、わたしだって……」
「わたしだって? ……なんだ?」
俺は意地悪く、そう聞いてやった。さっき問い詰めてきたことへの、お返しだ。
「わたしだって、し……、し……、し……」
「し?」
「し――仕返し! してやるうぅぅーっ!」
逃げてった。バタンと戸が閉まった。
その戸が、再び開いて――。
「今夜は? お出かけになられますか? マスター?」
なんで彼女は、俺の考えることがわかるんだろうな――と、思いつつ、俺はそう答えた。