国賓 「舞踏会ぃ! ぶぶぶ! 舞踏会ーぃぃぃぃ!!」
きらびやかな夜会が行われている。
牢屋暮らしから、一転――。
大賢者とその一行、ということで、国賓となった俺たちは、その夜の夜会に呼ばれてきていた。
ガラスのシャンデリアが天井から下がる。夜なのにまるで昼間の明るさだ。
「すごーい! まぶしーい……!」
異世界の前世においては見慣れた明るさでも、こちらの世界ではびっくり驚くものなのだろう。
うちの娘の駄馬のほうは、目をキラキラさせて見あげている。
もう一人のほうは、まぶしいのか、目をきゅっとつぶっている。おでこの単眼だけを開けたまま。
今夜の夜会は、べつに特別なものというわけでもなさそうだ。毎晩、行われているものなのだろう。上等なスーツとドレスに身を包んだ、麗容な男女の様子は、まるで浮ついたところがない。落ち着いたものだった。いつもの日常という感じだ。
それに比べて、うちの駄馬ときたら――。
「すごーい! 歩きにくーい!」
足元を制限されるドレスで、みるからに危なっかしい。
そして階段を下りてゆくときに、バランスを崩して――。
「きゃ――」
「気をつけろ」
俺は、アレイダに手を差しだして、支えてやった。
「あ……、ありがと」
そのままエスコートしてやる。
またすっ転ばれたら、かなわないからだ。俺が恥をかくからだ。けっしてそれ以上の他意などない。
アレイダは赤いドレス。体のラインを強調して、スタイル自慢でもしてるような感じ。まあ。俺の隣を飾るトロフィーとしては及第点だな。
「……なに?」
見ていると、目をぱちくりさせて、年相応のはにかんだ顔をする。
〝駄馬〟から〝トロフィー〟に格上げしてやったんだぞ。ここ。喜ぶところだからな?
スケルティアは青いドレス。お花みたいに咲き誇っていて、可愛い感じ。
本人、可愛い服を着せられているという自覚がなくて、ぱたぱた、走り回っていたりするのも、より可愛さを引き立てている。
「……? なに?」
清楚な格好。意外と似合うな。中味は毒々蜘蛛娘なのだが。こんど純白のワンピースでも着せてみようか。
モーリンは大賢者の貫禄を漂わせた紫色のドレス。200年生きてる美しい魔女が着るにふさわしい感じ。
この「200年生きている」というのは、巷で流れている噂だ。〝モーリン〟という名の人物が歴史上に現れて、人類を陰日向から助けていたのが、そのくらいの昔とされている。
ちなみに表の記録には残されていないが、それより以前には、滅びかけていた魔族に援助していた同名の存在があるとされる。衰退していた魔族はその者の助力で勢いを取り戻し、勢い余って、こんどは逆に人類を滅亡させかけてしまったわけだが……。
いっぺんそのことを聞いてみたことがある。「ちょっとテコ入れしすぎちゃいましたね」との答え。
本当かどうかはしらん。どうでもいい。
モーリンは俺の女だ。それ以外のことには、マジで興味がない。
三人を連れて会場へと下りていった。
ただちょっと俺としては面白くない。いろいろなことで面白くない。
ひとつめ――。服も靴もすべて借り物だということ。
服は俺が買ってやろうと思ったのに、貴賓室のクローゼットを開けると、何十着も揃っていた。
こーゆーの着せてやったら、似合うんだろうなー、と、俺がまさに思い描いていた服が、山ほどあった。
「これはこれは大賢者様。本日。お会いできたことは、我が家の末代までの語りぐさとなりましょう」
そして、ふたつめ――。
いまモーリンに話しかけているのは、たぶん、大臣。
話しかけているのは、あくまでモーリン。俺たちなんて眼中にない。護衛かなにかと思われているのだろう。
「ねー、オリオン! こっちこっちー、これぜんぶ、食べ放題みたいよー!?」
うちの駄馬が、さっそく、料理の置かれたテーブルに貼りついている。
いいけど。食い放題だからといって、また妊娠9ヶ月になるんじゃねえぞ。
「おい。スケ。そんなとこに入るのはやめろ」
俺は純白のテーブルクロスを、ぴろっとめくった。
隠れていた少女に、めっ、とやる。
「ひと。おおい。ここ。ひろい。……このなか。せまいよ?」
人の多いところと、広いところは、あいかわらず苦手らしい。
そういや牢屋で居心地よさそうにしていたなぁ。
「ふぉへっ!? ふおっふぉ! ふぉひぃぃふぁふぁぁ!」
駄馬がなにか言ってる。口の中のものを飲みこんでから言え。ぜんぜんわかんねえ。
モーリンはあいかわらず国の重鎮たちに捕まったまま。
俺はぶらりとパーティ会場を歩きはじめた。
アレイダあたりが、「ぶぶぶ舞踏会っ!? あの舞踏会っ!?」とか言って震えて痺れていたが、その駄馬は、いま、食うのに夢中になっている。
どーせおまえなんか、踊ってくれる相手もいないんだろうし、そも踊れもしなくて赤っ恥かくのが関の山だろうし、俺が踊って、一緒に恥をかく覚悟をしていたのだが。
俺は一人で、グラスを片手に、パーティ会場をぶらついた。
美しく若い娘さん――は、本気にさせてしまうとメンドっちいので、熟れて餓えてる貴族の未亡人あたりを探す。決して本気にさせず、一夜の遊びですむような……。
そんな目で会場を物色していた俺は――。
ある人物の登場とともに、会場の雰囲気が、さっと一瞬で変化したことに気がついた。
一人の若い女性――少女が、入ってくる。
皆が会話を止め、彼女を見ている。
凄いドレスも、宝石を散りばめたアクセサリーも身につけていない。清楚な白いドレス。この会場においては地味ともいえる服装。
しかしその人物の持つ気品は隠すことができない。オーラのように周囲に暖かな光を放っている。
今夜の遊びの相手に選ぶことはできないだろうが、挨拶くらいはしておくか。
俺は彼女に近づいていった。
彼女も俺に向けて歩いてくる。
間にいる人たちが道を譲る。人垣が左右に分かれてゆく。
人の大勢いるパーティ会場のなかで、俺と彼女は、まるで二人だけでいるかのように、笑顔を交わしあった。
あれ? こんなこと、前にもあったよな?
俺は綺麗な女の子に、笑いかけながら、頭のどこかで、そんなことを考えていた。
なんか。デジャヴとでもいうのだろうか。前にも同じことがあったような既視感がつきまとう……。
「当国へようこそ。見知らぬお方」
ドレスの裾をつまむと、優雅にお辞儀をしてきた。
「この国の王女。――アンジェリカと申します」
その名前に、少々、打ちのめされていながらも、俺は自分も名乗ることにした。
「旅の途中で立ち寄らせていただきました。名は――」
「待って」
言いかけたところで、止められた。
なんだろう。と思ったところで。
「わたくし。当ててみせますわ。貴方のお名前は……、~~~~でしょう?」
王女アンジェリカの口にした名前は……。
それは、俺がもう捨てた名前だった。
そして俺は完全に思いだした。ここまでの一連のやりとりは、すべて、昔、起きたことだった……。
50年前――。俺は、駆け出しの〝勇者〟として、この国にやってきた。そして美しい王女と出会い――。
目の前に立つ王女は、その50年前と同じ名前をしていた。
「祖母のお名前を頂いております。同一人物では――ないですよ?」
先祖の名前を付けるのは、貴族、王族では、ごく一般的な風習である。そのこと自体は、べつに驚くことではない。
だが俺が驚いたのは――。その顔で――。
「ええ。祖母に〝生き写し〟と、よく、言われるんですのよ。お歳を召した方からは、そのような反応をされることも、しばしばで……。慣れておりますので」
にっこりと微笑む。
「いえ……失敬」
俺はそう言うのがやっとだった。それほどまでに、俺は顔をまじまじと見つめていた。
50年前――。すがる彼女を置き去りにした。
連れてゆくことはできなかった。〝魔王を倒す〟という使命が、勇者にはあったからだ。
いや正直にいえば、幸せにしてやれる自信がなかったからだ。そして彼女には、俺なんかよりも幸せにしてくれる人間が、身近にいた――。
だから俺は、彼女を置き去りにして――。
…………。
だいぶ混乱していたようだ。彼女は彼女であって、目の前にいる王女とは別人だ。顔も名前もそっくりであるというだけの――単なる孫娘だ。
「お互いさまということで、先ほどの失礼は許していただけますかな? ――貴方も、俺のことを、どなたかとお間違えのようでしたし……」
ようやく余裕を取り戻して、俺はそう言った。
さっき彼女は、〝ある名前〟で、俺を呼んできた。「名前をあてる」などと言って、その名前を口にした。
大賢者の名前を騙ると重罪になるなら、その名前を容易に持ち出すのも問題になるのではないかと思ったが――。
とにかく、その名で俺を呼んできたのだ。
「祖母から、常々、聞かされておりました。彼の御方のこと。彼の御方がどういう殿方で、どう喋り、どう動かれ、どんな仕草をされ、どういう癖を持っておられるのか……。祖母にねだって、何度も何度も聞いておりましたの」
「なるほど。そうでしたか。でも俺は別人で――」
俺はそう言い張ろうとしたのだが、彼女は、ぜんぜん聞いちゃくれなくて――。
指先を口許でぴたっと合わせると、恋する乙女の顔になって、俺に言ってきた。
「――ですから、わたくし、一目見てなので、わたくし、てっきり……。ぜったいそうだって確信してしまいました!」
「ないですね。勇者は死んだという話ですし。だいたい生きておられたとしても、60歳も超えてるおじいちゃんでしょう」
うっわ。いま咄嗟に計算したけど、考えたくもない年齢になってたー!
……忘れよう。
「そういえば、そうでしたわ」
よかった。ようやく納得してくれた。
常識的な思考よりも、直感が優先するこのあたり、神託の巫女と名高かったかつての祖母の血を――能力を引いているのかもしれない。
「そういうことでお願いします。俺は勇者なんかではないんで」
「では皆の勇者様ではないとしても、わたくしの勇者様にはなっていただけますか?」
うわ。そう来た? そう来ましたか?
俺は熟考したうえで、返事を口にした。
「貴女のために命を捨てようという男性は、たくさんいると思いますよ」
俺は、俺の女にならない女に、興味はない。
一夜の相手として遊ぶのには、王女は、ちょっとばかり重すぎた。
◇
その夜は――。
ドレスアップして出席していたリズを会場で見つけて、二人で行方をくらませて、しけこんだ。
牢から助け出してくれたお礼がまだだったので、〝たっぷり〟とお返しをした。
なんでか、彼女とは遊びの関係を続けている。
俺の女になるか? と、一度聞いてみたことはあるのだが、はぐらかされて、それっきり。現在に至る。
ま。朝帰りしてからが、たいへんだったが――。
アレイダはなんでか、カンカンだったし。スケルティアは、ぴとーっと貼りついてきて離れないし。
なんだ。俺は浮気の一つもできんのか。
モーリンはいつもと変わらず。俺に卵と砂糖いっぱいのフレンチトーストを焼いてくれた。
エスコートをおっぽり出して遊び回っていたことに、なにか小言くらい言われるかと思ったが、まったくなにもない。
あんな毎夜の舞踏会に王女が出てくることは異例だったので、大賢者にも予測がつかなかったのかもしれないが……。
王女が〝彼女〟の生き写しであることぐらいは、言っておいてくれてもよかったんじゃないか?
そんなことを考えて、口を尖らせぎみにしていた俺に、モーリンが言ったのは――。〝彼女〟がまだ存命であるということだった。
そうか。てっきり、もう、死んでいるものだと思っていた。
50年か。まだ生きていても不思議はないんだな。
俺は50年という時間の重さを噛みしめていた。
◇
「大賢者……、の一行が、なぜ、我が国に……」
暗がりの中。二人の男が話し合う。
「まさか……。気づかれているのか? やつらはどこまで気づいているのだ!」
「宰相閣下。お声が大きゅうございます」
「お、おお……。そ、そうであったな」
二人の男は、声を潜めた。二人がいまここで会い、内密の話をしていることも、そもそも秘密なのだった。
二人の男は陰謀を共有する仲間であった。
片方はこの国の宰相。大臣たちの上に立ち、王を補佐して国を運営する最高責任者だ。
もう片方は、国を守護する黒騎士団を率いる、騎士団長。
「やつらもおそらくなにも証拠は得ていないはず。仮になにかを得ていたとしても、確証までは得ていないはずですぞ」
「そ、そうであろうか……」
「実際に動いていないのが、その証拠」
「う、うむ」
「ですが。わざわざ、あれほど目立つ形で大賢者がやって来たということは、我らの企みに感づいているというのも、また、確実なところでありましょう」
「まずいぞ。このタイミングで……。我らが数十年もかけて周到に用意してきたというのに……、ええい、いまいましい! 勇者が死んでくれて清々したというのに、なぜ大賢者だけ生き残っておる!」
「ご心配めされるな。大賢者殿には……、そうですな、失踪していただくのが、よろしいかと」
「失踪? こ、殺せるというのか……?」
「お声が大きいですぞ、宰相閣下」
「う、うむ」
「大賢者殿には、あくまでも――〝失踪〟していただくのです」
「う、うむ……。そうだな。失踪していただこう。それが良い」
「我らが黒騎士団の力……、とくと、お目に掛けましょう」
「騎士団長よ……、其方も悪よのう?」
「いえいえ。宰相閣下には及びませぬ」
「くっくっく……」
「ふっふっふ……」
二人の男は、昏い笑いをつづけた。