女のにおい。「ちょ――! 嗅がないでーっ! やーっ!」
ある日の昼すぎ。
たまたま通り過ぎていったアレイダを、俺は振り返って、じっと見た。
いま、なんか、気になったな。
アレイダは見せつけるようにヒップを振って歩いている――わけではなくて、発達した筋肉がもりもり動くので、俺の目には、そう見えているだけのことだ。
もしケツを振って俺の目を惹くような知恵がすこしでもあれば、〝駄犬〟の称号を改めなくてはなるまい。
「おい――、アレイダ」
「うん? なになにー?」
俺はアレイダに声を掛けた。
あいつはすぐにシッポ振って駆け戻ってきた。
いや。シッポはないが……。俺の目には、シッポをちぎれんばかりに振りたくって、耳をぱたぱたやっている姿が、はっきりと映っていた。
「ちょっと、動くなよ」
さっき感じたことを確かめるために、アレイダに顔を近づけて行く。
「ちょ――!? またぁ……? またあのアレぇ?」
「アレとは?」
「壁に、ドンってやって……、それで……、優しいこと言って……、わ、わたしが……、好き、って言ったら勝ちだとか、ゆー……、ゲームでぇ――」
「ああ。あれか。あれはもう飽きた」
「えっ? ちがうの?」
「だっておまえ。チョロいんだもん」
「チョロ……」
なんでこいつは落ちこんでいるんだ?
事実だろう。チョロインをチョロいと言っただけのことだが。
「今日はそれじゃない。……いいから動くな。もじもじするな」
「だっ、だっ、だって……、な、なんか……、へ、へんなことする?」
「しない」
俺は単に、においを嗅ごうとしただけだ。
さっき、通り過ぎていったとき――。アレイダから、なんの香りもしてこなかった。
こっちの世界に、シャンプーだとか、そんなものがないことは知っているが……。
女の子の匂い、と、男が理解しているそれは、大抵、シャンプーやリンスやボディソープの香りなのだと理解はしているつもりだが……。
しかし、なんで、なんの匂いもしてこないんだ?
くんくん。すんすん。俺はアレイダの匂いを嗅いだ。
「な……、な、なっ……、なんなのぉぅ……」
チョロインは、ぐにゃぐにゃになっている。
身をすくめて、髪の毛をふるふると震わせて――。
そして膝頭まで、がくがくとさせている。
こいつ。発情してんの? 確かめてみたら。濡れてたりすんの?
だがいまはべつにそういうコトをするつもりではない。
そんなのは夜にたっぷりやれる。てゆうか。昼間でもそういう気分になったらスルけど。ギャーギャー騒いでても、ひん剥いてハメるけど。
いまは匂いを確認しようとしただけだ。
「や、やだ……、もうっ……、するなら……、はやく、してよう……」
あーもう。やっぱ勘違いしてやがる。この駄犬めが。略してメス犬めが。
「勘違いするな。においを嗅いでいるだけだ」
「にお……!? ……って!?」
アレイダのやつは、なんか、ギョッとしている。
「ちゃ……、ちゃんとお風呂入ってるからぁ……、だ、だいじょうぶだからぁ……」
顔を真っ赤にさせて、恥ずかしそうに言う。
ああ。そういえば。こいつ。はじめて拾ってきたときには、すごいニオイだったな。
木枠の檻に閉じ込められていた奴隷だった。身を清めることもできないので、くさくて当然なのだが。
あまりにもバッチくて、触るのも嫌だったので、デッキブラシでゴシゴシやったなー。ギャーギャー騒いでたなー。
昔から。こいつ。うるさかったなー。
「……くっく」
俺が思い出し笑いをすると、アレイダは、きょとんとしていた。
「……いや。……おまえ。昔は、くさかったなと……、くっく」
「しょ――!? しょうがないじゃない!? しょうがないでしょ!?」
「いまは、いいにおいがするな」
まあちょっと可哀想かなと思ったので、俺はそう言って話題を変えてやった。
言葉だけでは、女を安心させることはできない。よって態度でも示す。
抱き寄せて、ふんふん、すんすんと、髪の匂いを嗅いでやる。
特に香りはしない。だが自然な体臭なのか、いい匂いだけはする。女の匂いだ。
「やっ……、ちょっ……。口説いてる? これ口説かれてる? それであとで、これはゲームだー、とか……、ゆーんでしょ?」
言わねえって。
アレイダは疑心暗鬼になっているようだ。
俺は言葉を費やすかわりに、態度で示すことにした。
ぎゅーっと、抱き心地のよい女体を、しっかりと胸にかきいだく。
「やっ……、あっ……、ちょっ……、だめっ……、だめだってばぁ……」
アレイダのやつは、ふにゃふにゃになった。
ほかは、どうなんだろう?
俺は、ふにゃふにゃになって、ぐにゃぐにゃになっているアレイダを、ぽいっとうっちゃって、廊下を歩きはじめた。
「えっ!? ちょーっ!? ――捨てていかれたっ!?」
なんか騒いでいる。うちの娘のチョロくてうるさいほう。ほんと。チョロくてうるさい。
◇
「おー。スケ。いたか」
「おりおん。」
屋敷を歩いてスケルティアを見つける。
ぎゅー、と抱きついて、まず確保しにかかる。
「……? なに?」
うちの娘の静かなほうは、抱きしめても、きょとんとした顔を返すだけ。
チョロいほうみたいに、いきなり発情したり勘違いして騒ぎたてたりしない。
俺は、くんくん、すんすんと、スケルティアのにおいを嗅ぎはじめた。
まずは身長差を使って、頭のてっぺんのつむじのあたりを、くんくんする。
「なに。してる。の?」
「おまえもやっぱり、特に香りはしないなー。ふつうの女の子においがするな」
アレイダと比べると、ややミルクくさいかな。
「スケ。は。……ふつう。」
スケルティアは、にんまりと笑った。なにか嬉しかったらしい。
こいつの喜びポイントは、いまいち、わからん。
「はーい。ばんざーい。」
髪のにおいを嗅ぎ終わったから、ばんざいをさせる。
「ばんざい。」
脇の下を嗅ぐ。髪とは違うにおいがした。そういえば人間にも〝フェロモン〟とかいうのがあるそうな。スケルティアはハーフモンスターだから半分は人間だ。
やべえ興奮しそう。
胸も嗅いだ。お腹も嗅いだ。だんだん下へと、おりてゆく。
「そこは。だめ。」
肝心のところに辿りつく前に、頭をがっしりと押さえられてしまった。
「抵抗は。無意味だ」
俺はそう言って、強引に、においを嗅いだ。
「………。」
スケルティアは目を閉じて、ぷるぷると身を震わせて耐えている。
やべー。フェロモン嗅いだせいか。興奮してきた。
このまま〝いたして〟しまおうか? ……と、一瞬、思いもしたが。
元々、そういうつもりで始めたことではないので、次に行くことにする。
「……え?」
立ち去る俺の背を、スケルティアの意外なそうな声が追ってくる。
だが俺は立ち止まらなかった。
次の獲物が、俺を待っている。
◇
「モーリン。ここにいたのか」
キッチンでモーリンを見つけた。
メイド姿で立ち働くその後ろ姿に、俺はそっと寄り添って――。
背後から、きゅっと、抱きしめにかかった。
「あらあら。どうしたんですか?」
俺は無言で、モーリンの髪に顔をうずめる。セミロングの髪に、うなじが見え隠れしている。髪と肌の境界線上を、俺は狙った。
ちっこいスケルティアとか、普通のアレイダと違って、モーリンの背丈は俺と変わらないくらいある。
二人を相手にしたときとは違う感覚だ。小娘を手玉に取るのとは違う。大人の女を相手にしている実感がある。
「そういうことは、もっと若い子にしてあげるとよいかと」
おいたをする子供にでも向ける感じで、やんわりと言う。
いまでもやっぱり、姉ないしは母として、接してこられるなぁ。
いつになったら「恋人」あるいは「妻」となるのだろうか。まあゆっくりじっくり攻略してくか。なにせ時間は「一生分」あるのだから。
「もうやってきた」
「ま」
モーリンの声色に、ちょっとだけ起伏がつく。
俺を完全に受け入れていた柔らかな体に、ちょっとだけ、芯が入って固くなる。
「勘違いしていないか? 俺はただ、においを嗅いでいるだけなんだが?」
「え? あー……。はい」
限りなく全知に近く、限りなく全能に近い――。大賢者であり完璧超人であるモーリンでも、間違いを犯す。
俺に関わることでは、特に、しょっちゅう間違っている。
モーリンの〝恥じらい〟は、レアなリアクションである。
あまりに可愛くて、このまま〝だーっ!〟と行ってしまいたいところであるが……。
やはり今日は〝そーゆーの〟ではないので、自粛する。
俺は自重はしないが自粛はたまにする。
「あ、あの……? なぜ、においをかがれているのでしょう?」
おお。すごい。今日は「あのあの」言ってるSSRモーリンまでゲットしたぜ!
頭の回転の速い人間というのは、「あの」だの「その」だの「えっと」だの「あー」だの「うー」だの、その手の言葉は、口にしない。
会話の情報伝達速度は1分間に300文字程度と言われている。つまり1秒に5文字。1単語にも満たない。
頭の回転の速いやつというのは、「あの」だの「その」だの「あー」だの「うー」だの言って、言葉を探すための時間稼ぎなんて、する必要がない。
なので大賢者であるモーリンが、「あのあの」言っている場面というのは、檄SSR的にレアなのであった。
萌えー。
「あ、あの……? なぜ、においを?」
「おまえは俺に嗅がれて困るにおいでもさせているのか?」
「えっ? いえあの、その……、おっしゃる意味が……、わかりませんけど……。ああっ、そこはっ――」
逃げようとするモーリンを、俺はがっちりとホールド。
そして、〝くんかくんか〟しにいったのは――脇の下。
「えっと、あのう……、そういうことでしたら……、その、寝室へ――」
「おまえ。スケと同じこと言うな」
「えっ……? そ、そうでしたか?」
モーリンは、なにやらショックを受けているっぽい。
ふははは。おもろい。
俺は大賢者にダメージを与える技――〝大賢者スマッシュ〟を連発した。
「じたばたするな。それではアレイダと同じだ」
「そ……、そう言われましても……っ」
唇を噛んで耐えている。普段のクールさとのギャップに目眩がする。
このまま押し倒――さない。
断固として初志貫徹だ。
よし。誘惑に負けたら、俺は腹を切るぞ。いま決めたぞ。
脇から胸、胸から腹、だんだんと下に下がってゆく。
そのあたりから下は嗅ぎにくいので、キッチンの台にお尻を載せさせた。
「食べ物を調理する場所にお尻を載せるのは、少々抵抗があるのですが……」
モーリンはうだうだ言ってる。却下だ却下。
腰を嗅ぐ。そして下腹部へと移る――。女の部分は入念に嗅いだ。
「も……、やめ……、お願……、後生ですから……」
目線を持ちあげてみれば――モーリンは顔を真っ赤にさせている。
おー。すごい。ド赤面。
俺は〝大賢者殺し〟の称号をもらってもいいのではあるまいか?
「こちらの世界の女からは、香りがしないことに気がついてな。
「香り?」
モーリンは赤くさせた顔で、天井の一角を見つめた。
〝親戚〟とやらと、異世界交信を行っている。
俺はそのあいだ、人形みたいになってしまった女のにおいを嗅ぐ。
なんか背徳的な気分。
ややあって――。
「――香料のことですね。マスターのおられた世界では、洗顔料や整髪料、はては石鹸にまで、あらゆるものに香料が含まれているのだとか」
「そうなのか? ……そうだったかもしれないな」
特に意識していなかったが、そうだったかもしれない。あらゆるものから匂いがしていた……ような気もする。
「あちらの世界では、香料がありふれたもののようですね。石油化学工業? ……なるものがあって、大量に安く生産できるのだとか。
「詳しくは知らないな。そういう専門家でもなかったので」
「マスターの世界の常識を、こちらの世界を、そのままお持ち込みになられても困ります。こちらでは、産業革命? ……というのも、まだ起きていないんですから」
慣れない言葉が出てくるたびに、ちょっと怪しくなる大賢者、萌え。
「どう困るっていうんだ?」
女の部分の匂いを嗅ぎながらモーリンと会話する。
モーリンは澄ました顔で難しい話題をしているものの、匂いの変化から、俺には丸わかりだ。
やっべー。やっべー。やっべー。
マジでこのまま襲っちゃいそー。俺。切腹することになっちゃいそー。
「あの……、そういうことでしたら……、その……、足首のところを……」
「ん? 足首?」
そんなとこにモーリンの性感帯あったっけ?
俺はずっと下におろしていった。脚を越えて、言われた場所――足首のにおいを嗅ぎにいく。
「あ……?」
なんだろう? 花の匂い? それとも果物の匂い?
薔薇と柑橘系の中間くらいの香りが、モーリンの足首から漂ってくる。
「香油は貴重なものですので、一滴だけ」
ほー。へー。はー。
こちらの世界の女からは、女の匂いしかしないと思っていたが……。
モーリンからは香りがした。さすがモーリンだった。大人だった。
◇
後日――。
「ほらー! オリオン! どうよ、どう! わたしもにおいー! するでしょー!
香りをぷんぷんさせながら、アレイダがドヤ顔をする。
「そうだな」
「このあいだのダンジョンの稼ぎ。ぜんぶ使っちゃったー! おこづかい! ぜんぶ突っこんだー!」
ばかだ。ばかがいた。
伝説の武器防具が買えてしまう額を、ちっちゃな小瓶一つに突っこむか。
最近、出かけるダンジョンは、実入りもいいし。この屋敷を買ったときの値段よか高いんだけどな……。
しかもその瓶を、全部一度に使っちまうか。
「どう! いい匂いでしょー! さあー! 嗅げーっ!」
「どうでもいいけどな。あんま近くに寄らないでくれるか? ……臭いんだよ」
こいつはチョロインでありゲロインでもあるが、クサインでもあった。
「く――くさい!? くさいって言われたあぁぁーん! あーん! あんあん!」
泣いてろ。ばーか。
においを嗅ぐフェチ回です。「だーっ!」はありませんです。
そのうちブラッシングでふにゃふにゃにする回とかもやりたいですねー。
……ですが書籍2巻目の尺の問題で、次回からラスト連作になります。「王国編」を数話ほど。