「ゴブリンスレイヤー? ①」
かっぽん。かっぽん。
山あいの道で、馬車を進ませる。
歩くより速いか遅いか、そんな程度の速度で、ゆっくりと進む。
空はどこまでも青い。
そして道はどこまでも続いている。
この道は、世界のどこにだって続いている。俺はこの馬車で、愛する女たちとともに、どこへだって行ける。
勇者時代の道は、「魔王討伐」という目的地にしか繋がっていなかった。それはそれは窮屈な旅であった。
かっぽん。かっぽん。
規則正しく――それでいて、絶妙な心地よさの「F分の一揺らぎ」の、蹄の音が聞こえてくる。
馬は良い娘だった。
俺が手綱を操っていなくても、勝手に歩いていってくれる。
俺が居眠りをこいていると、手綱を引いて起こしてくれたりもする。
どっちが御者なのか、わからない。
はっはっは。いい娘だなぁ。
なでなで。
手を伸ばしてお尻を撫でていたら、馬が立ち止まった。
ん? 尻をさわって怒ったか? そんなわけはないな。
俺はやや遅れて、その気配に気がついた。
何者かが森の中を移動している。こちらに近づいてくる。
人サイズ。おそらく一人。なにかから逃げているみたいな、急いでいるような、切羽詰まった足取りだった。
やがてその人物は、馬車の前の道に姿を現した。
森の中から道に出て驚いている。そしてこちらを――馬車と、その御者台に座る俺を見て、その顔に浮かんだ表情は……、あれは安堵か? 希望? 懇願?
美人ではあった。だが血と泥で汚れていた。
返り血と泥とは、激しい戦闘と、そのあとの逃亡劇を、濃厚に物語っていた。
なにかワケあり
「ん? どうしたの? なんか止まった?」
馬車の中から、ひょっこりと、アレイダのやつが顔を出す。
「女の人? ……どうしたの?」
「さあな」
俺は手綱をアレイダに預けると、馬車を飛び降りた。
立ち尽くしている女に向かう。
少女と女の――ちょうど中間くらいの年齢か。
汚れていることをさっぴくと――とびっきりの、美少女だった。
スリムで野性味のある肢体に、鳥の羽をあしらった羽根飾りを身に帯びている。
職業としては、レンジャー系かシャーマン系か――。あるいはどちらも兼ね備える上位職か。
鑑定スキルを発動させずとも、そこそこの実力者なのはわかる。
アレイダやスケルティアと組ませてダンジョンに送り出しても、それほど見劣りはしないだろう。
そういや遠距離攻撃できて後衛って欲しかったんだよなー。レンジャーなら、当然、遠距離武器を使うんだろうし、シャーマン系はバフが充実してるんだよなー。
まあそんなことよりも、見るからに尋常ではない彼女に、事情を尋ねるのが先決だろう。
血まみれなのは返り血で、本人の怪我はたいしたことはない。せいぜい、逃げているときに木の枝で擦った引っ掻き傷程度だ。
「どうした? なにがあった」
「た……、助けて……」
見るからに焦燥しきった彼女は、俺に助けを求めてきた。
声を掛ける前から――。視線から――。そんなことじゃないかと思った。
「ゴブリンに――、みんなが――」
「待った」
訴えかけてくる彼女を遮って――俺は、ストップをかけた。
「悪いが。他をあたってくれ」
「ちょ――!? オリオン! なに言ってんのよ! 助けてあげましょうよ!」
アレイダが馬車の上から、ぎゃーぎゃーと叫ぶ。
うちの娘のうるさいほうは、ほんと、うるさい。
これがうちの娘のクールなほう――スケルティアであれば、その相手が死んでるか生きてるかぐらいにしか興味がないのだが。死んでたら「たべていい?」となって、生きてるほうには、ぶっちゃけ興味がない。
「俺は人助けはやらない」
俺はアレイダにそう返した。
勇者だった頃には、目に付く者は、すべて助けていた。
自分で言うのもなんだが、かなり品行方正な勇者だったと思う。
見返りなど一切求めず、滅私奉公で働いた。
困っている人がいれば助けた。救った村や街は数知れない。
そうやって、なにもかも捨てて、民衆のために戦った英雄に対して、人々が願ったことは――「魔王を倒して死んでくれること」だったわけだ。
その通り。俺は死んだ。相打ちとなって魔王を倒して――。
俺はもう二度と、他人のためには戦わない。
人助けなどしない。そう決めたのだ。
「勇者でも探して頼んでくれ」
「勇者は……、モータウロス様は、ゴブリンに捉えられました」
彼女はつらそうに、そう言った。
「はあぁァァ?」
いや。失敬。
思わず変な声が出てしまった。
勇者がどーとか、言ったからだ。
そして勇者がゴブリンに捕らえられたなどと、言ったからだ。
どこの世界に、ゴブリンに倒されている勇者がいるんだ?
それに勇者の職業は、あれは特殊で――。
世界で、ただ一人しか同時存在できない。
いまこの世界には俺が存在しているので――。つまりそいつは、〝ニセ勇者〟ということだ。
あー、いたなー。
前々世でもー、ニセ勇者ー、いっぱい、涌いてたわー。
ゴブリンは数こそ多いが、けっして、強いモンスターではない。
ただゴブリンだけなら完全なザコだ。初級冒険者にとってはいいカモで、稼ぐネタにもなる。
ただ用心棒的にホブゴブリンが行動を共にしていたり、ゴブリン・ロード――王に率いられた部族であったり、ゴブリン・シャーマンの守護を受けていたりすれば、話は別だ。
途端に中級冒険者でも手を焼くような存在へと変わる。
〝ゴブリン事故〟と、冒険者のあいだでは呼ばれているが――。
ゴブリンに返り討ちにあってしまう初心者が後を絶たないのは、〝ゴブリンは弱い〟という先入観のまま、侮ってかかるからだ。
準備もせず、メンバーも揃えず、敵集団の数も確認しないで力押しで赴けば、事故だって起きる。
ゴブリンは弱いモンスターだが、罠を使うぐらいの知恵がある。
仲間がいくら殺されてもまるで怖れない。これは勇猛なわけではなく、頭のネジが吹き飛んでいるほうだ。
モンスターを研究している学者たちの一説によれば、非常に多産で成人するのも早い種族であるために、戦闘でバンバン損失の出ることが〝口減らし〟になっているのだとか。
また、やつらは人間の女に異様な執着を示す。味方の屍の山を築いても、女は生かして捕らえようとしてくるぐらいだ。どうも美的感覚が、なぜだか人間に近く、同族のメスが醜く見えて、人間の女は美しく見えるのだそうだ。
捕らえられた女がどうなるのかは――。わざわざ語るまでもないだろう。
「助けて! ――お願い! 助けてください!」
女は俺にすがりついてきた。
身に帯びた鳥の尾羽が揺れて華やぐ。こんな場面でもなければ、その羽根は女を美しく引き立てていたことだろう。
「おまえの男を、なぜ、俺が助けなくちゃならない?」
しかも、ニセ勇者を?
「ケインだけじゃなくて! グレーチェルとシズルも――!」
おや。女の名前か?
なんちゃらとかいう名前のニセ勇者だけでなくて、女もいるパーティなのか。てゆうか。女が三名か。男一人か。
なにそのハーレム? ばくはつしろ。
「ねえ、オリオン、助けてあげましょうよ……?」
「うるさい。おまえは黙ってろ」
これは俺の問題だ。俺の人生の問題だ。
二度と他人のためなんかで戦わない。そう決めた。
だからだめだ。答えは絶対にノーだ。
「この道をまっすぐ行ったところに街があった。そこで冒険者でも雇え」
「どのくらい行けば……」
「二日だな」
徒歩なら、そのくらいだ。
「それじゃ……、間にあわない……、みんな死んじゃう……」
彼女はがっくりとくずおれた。
心の折れ欠けた顔で、懸命に――俺の足元にすがってくる。
「助けて……、助けてくれたら! なんでもします!」
俺の心が。ぴくりと動いた。
心っつーか。下半身の一部だが。
具体的には45度ぐらいだ。
血塗られて狂気に染まりかけた目で懇願する女に――欲情してしまった。
「あっちですこし話そうか?」
「ちょ! ちょ――っ! どこ行くの! オリオンどこ行くの! あっちってどっち! ちょ! ちょおぉぉーっ!?」
うちの娘のうるさいほう。うるさい。
俺は娘の手を引いて、森をすこし入っていった。
大きな木が、一本、立っている。
その幹に手を突かせる。
そして、背後から覆い被さりながら――。
「おまえ。名は?」
「クザク……と、いいます」
娘はこれからなにが起きるのか、完全に、わかっているようだった。
それどころか瞳が濡れていた。
人は生命の危機に際したとき、種族保存本能が強く働くという。俺も自分で覚えがある。戦闘のあと。血を浴びたあと。殺し殺されたあと。ひどく女が欲しくなることがある。そういうときのセックスは死ぬほどキモチいい。
アレイダもその気があって、ダンジョン帰りのときには、狂気を秘めた妖しい目でもって、激しく求めてくることがある。
それも向こうからだ。いつもならロマンティックにしてくれなきゃやだー、なんて言ってるくせに、即ハメで、自分から腰を振る。
「これから。おまえを。俺の女にする」
俺は、そのように宣言した。
「はい」
娘は長い睫毛を伏せてこたえた。
「そうすれば、助けていただけますか?」
「俺の女の敵は、俺の敵だ。俺は人助けはやらないが、俺の女は守る。絶対にだ」
「はい。貴方の……、女となります」
交渉成立。
俺はクザクを木につかまらせると、背後から繋がった。即ハメだった。
えっほ。えっほ。
俺はハッスルした。
◇
俺が賢者モードになって――。完全にスッキリとして――。テカテカ、ツヤツヤの顔で――。
妙にしおらしくなってしまったクザクの手を引いて、戻ってくると――。
しらー……と、凄まじい目付きで睨まれた。
御者台の上であぐらをかいた、アレイダが腕組みをして、鼻息を荒く噴き出して、じっとりとした視線を、俺に投げ下ろしてくる。
「不潔」
いや。毎晩毎晩、絞め殺されるニワトリみたいな声を上げているオンナに、そんなこと、言われたくないのだが……。
「話はついたぞ。助けに行く」
「さっさと助けてあげればいいのに。わざわざ言いわけなんて作らなくても――」
「――だから、さっさと、してきたわけだろ」
「うるさいばかしんじゃえー!」
なんか色々投げつけられた。
馬車からスケルティアとモーリンが降りてきた。
スケルティアは完全武装。モーリンはメイド服だ。つまり出陣しないということだ。その必要もない。
「案内してくれるか」
俺はクザクに言った。
彼女はほんのりと頬を染めると、こくりと、力強くうなずいた。
②につづきます。