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謎の女 「ずっと……、お慕いしておりました」

 月の綺麗な夜だった。

 屋敷を出て、馬車も出た俺は、木立の中を歩いていた。


 月は二つ見えている。

 空に浮かぶ月と、水面に浮かぶ月である。


 どちらも完全な真円。

 今夜は満月だった。


 こちらの世界にも月がある。向こうとはちょっと違う周期で満ち欠けをしている。


 モーリンが言うには、生命が発生するのに月は不可欠であるそうだ。

 月の光に含まれる原初の魔力が、生命の微細構造に与える影響がなんたらと――魔法使いのジジイどもが小躍りして喜びそうな、魔法工学の講義が始まってしまいそうだったので、そこから先の説明は、謹んで辞退申しあげた。


 小さな泉の近くで、今日は、馬車を止めた。

 涌き水の出ている、綺麗な泉だった。


 深夜に、ちょろっと抜け出して、一泳ぎしようと思いたった。

 モーリンかアレイダかスケルティアか、誰か一人ぐらい連れてこようと思ったのだがが、全員、ダウンしていて――。

 顔をぺちぺち叩いても、まるで起きやしない。


 ちょっと、今夜は、激しすぎたっぽい。

 次からは、もうすこし手加減しようと、そう思った。

 反省。


 俺は服を、すぱぱぱぱーっと、脱ぎ去ると、岸を蹴って――。泉に指の先から飛びこんでいった。


 クロールで、すいすいと泳ぐ。

 そういえば、こっちの世界にクロールだのバタフライだのといった泳法って、あるのかな? なければ広めてみるのも面白いか。

 アレイダのやつにまず教えるか。あいつ。犬かきしかやってなかったっけな。


 ――と。

 俺は、その時に気がついた。


 美しい女性がいた。

 水面に浮かぶ月のなかに――立っていた。


 腰までを水に浸している。下腹部から上の美しい曲線が、すべて、月の光の元にさらされている。


「――失礼。先客がいるとは思わなかったもので」


 俺はそう言った。

 柄にもなく、慌てていた。

 まさかこんな人里離れた場所の泉で、こんな美しい女性が、こんな時間に沐浴をしているなんて……。

 思うわけがない。


「……あっ」


 女性は、いまこちらの存在に気がついたようで……。

 びくっと身をすくめた。胸元をかばう仕草をする。それが俺の目には、ちょっと新鮮に映った。

 長い黒髪の美しい女性だった。年の頃はアレイダとモーリンの、ちょうど中間ぐらいか。もっともモーリンは、あれは実年齢はいかほどなのか、確かめるのも怖いくらいだが。


 俺はそんなことをぼんやりと考えこんで、時間を潰した。

 勇者業界の人間からすれば、一般の人間の反応速度というのは、ひどくのろくさいものであり――。たとえば街のチンピラなどでは、パンチしてくるその手にハエが止まっているのが見てわかるほどだ。


 そして俺はいま、水浴中に男が現れて驚いた女性が、「きゃー!」と悲鳴を上げるのを待っているわけであり――。


「……お会いできるのを、ずっと待っておりました」


 ん?


 だいぶ待って、女性の口からようやく出てきた言葉は、そんなものだった。


「……お慕いしております。オリオン様」


 ん? ん? ん?


 なんで俺、いきなり惚れられてんの?


 ん? ん? んー?


 ……ああ。なるほど。

 つまり、それだけ俺が、魅力的だということか。

 出会った瞬間に、恋に落ちてしまうほど。


「君の前では月さえも霞んでしまうな」


 俺の口から、さらりと、

 アレイダを使って、さんざん練習を積んだおかげで、俺は、歯の浮く台詞を無限に近いほど口走れるようになっていた。

 アレイダのやつなら、これで、ふにゃふにゃになる。

 口説く練習だと言ってあったって、それでも、ふにゃふにゃに蕩けきってしまう。


 さあ――?

 初対面から俺に惚れてる、この美女(美少女?)の場合には……?


「まあ……。お上手ですわ」


 片手を頬にあてて、彼女は上品に返してきた。

 ふにゃふにゃに駄犬化するのでも、照れて頬を染めるのでも、ぽかーんとしているのでもなく、新鮮なリアクションだった。


「私……本当に、そうですか?」

「うん?」

「言葉だけでなくて……、本当に?」

「俺は思っていないことは口にしない」


 俺は、そう言った。

 チョロインのアレイダに対して、練習で、ふにゃふにゃにしてやったときにも、思っていないことは口にしていない。

 ただ、キザで歯の浮くような台詞を、リミッターをかけずにしゃべっているだけだ。


「こんな私でも、好きになっていただけますか?」


 彼女は自己評価がきわめて低い類いの人間らしい。こんなに美しいのに。


「ああ。もちろん」


 俺はうなずいてやった。

 俺の愛は全人類の50%に無条件に発生するといっていい。


「証明してくださいますか?」

「ああ。もちろん」


 たやすいことだった。

 月の映った泉の真ん中で、俺は彼女を――「俺の女」にした。


    ◇


「ねー、オリオン。オリオンってばー?」

「んー……?」


 馬にブラシをかけてやって、出発の準備をしながら――。

 俺は、ぼんやりとしていた。


 隣にきているアレイダのやつが、まとわりついて、体を擦りつけてくるのだが、残念ながら、俺の心は、いまここになし。


 俺の心を捉えているのは、昨夜の美女のことだった。


 泉の中で――。それから岸辺で――。

 たっぷりと〝お楽しみ〟になった。


 そして満足しきって、彼女の膝で、すこしうたた寝をしたのだが――。

 目覚めたときには、彼女の姿は消えていた。


 なにか化かされでもした気分である。

 現代世界のほうの昔話なんかに、こんなのがあったよーな……?

 美女の歓待を受けて溺れきってみれば、翌朝、田んぼで寝ていることに気がつくだとか。


 なんでも知ってる賢者のモーリンに、こちらにもそういう化けモンスターがいるのかどうか、聞いてみようかと思ったが……。

 そうすると昨夜のことを話すことになるので、ちょっと自粛。

 いやべつに怖いわけではないぞ? ぜんぜんないからな?


「ねー、オリオン。きょうは、わたし、隣に座っていてもいい?」


 アレイダのやつが、なんか言ってる。

 ぜんぜん耳に入ってこない。


「はぁ……」


 俺は、深く長く、ため息をついた。


「た……、ため息いぃ……!?」


 アレイダのやつが、なんか言ってる。

 ぜんぜん耳に入ってこない。


 そういえば。あの娘の名前。ついぞ――聞かずじまいだった。

 情熱的に求め合った。言葉などいらないぐらいに通じ合っていた。


「また……。あの娘に逢えるかなー?」


 俺はミーティアのお尻にブラシをかけてやりながら、そう言った。


「え? なに? 女の人の話っ? ちょっと――、なによそれ! ――いったい、いつ!」


 ――ひひひーん!


 そのときミーティアが高々といなないた。


「あははっ――! そうかそうかー」


 俺はミーティアの尻を撫でた。


「また逢えるって? そう言ってるのか? そうかそうかー。いやつめー」


 ――ぶひひん!


「ん? なんだ嫉妬か? そうかそうかー。いやつめー」


 馬語はわからん。だがいやつなのはわかる。


「また女の人の話してる! ぜったい! してるー!」


 駄犬語もわからん。だがあんまり可愛くないのはわかる。

ヒロイン3人目、登場であります。……ていうか、ずっと前から出てくるだけは、していましたが。

アレイダともスケルティアともタイプの違うヒロインを狙っています。

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