おひげをしょりしょり 「動かないで、剃ってあげる」
「あれ? オリオン? あごのとこ……」
いつもの昼過ぎ。
俺が屋敷でくつろいでいると、アレイダのやつが通りすがりにそう言ってきた。
「……ん?」
アレイダのやつが、足を止めて、見つめてきているのは――俺のあごのあたり。
なんだ? どうした?
「あごのとこ。……はえてる」
なにが? ……と、伸ばした俺の手に触れてきたのは、馴染みのある、ひげの感触。
いや……。馴染みはないな。
馴染みがあると思ったのは、前の人生の記憶のほうだった。
そりゃ毎日生えてきて、毎朝、剃っていた。
そういえば、この体に転生してから……、しばらくなかったな。
いや……。
「はじめてか?」
俺は記憶を探る。どうも髭を剃っていた覚えが記憶にない。
ということは、これまで生えていなかったことになる。
「へー。へー。へーっ……」
アレイダが身を乗り出して、俺に顔を近づけてくる。
「なんだよ?」
顔が近い程度で、俺は、ドギマギなどしないし。
量感のある若々しいおっぱいが目の前で弾む程度のことで、動揺などするはずもないが――。
なんで目を輝かせてんだ。こいつは。
「面白いのっ。――見せて見せてっ」
「べつにかまわんが」
アレイダのやつは、俺の膝の上にのっかってくると、間近で近距離から、しげしげと観察をはじめた。
なにが珍しいのか。……ああ。珍しいのか。
そういや女には生えんわな。
「ね? さわってもいい? さわってもいい?」
なにこいつ。誘ってんの? この場で襲ってほしいの?
――だとか。
俺でなければ誤解しかねない言動に、苦笑してしまった。
「べつにかまわんが」
俺は重々しく、そう言った。
「へー。へー。へー……。ちくちくする。すごーい」
アレイダは俺のあごや口元を、手でなでなでとやってくる。
おもしろい、というのは、俺にはよくわからないが。目を輝かせて、おもしろがっている。
テーブルのほうにいたスケルティアが、こちらを目を向けてきている。
二つある人間の目と、額にある四つの蜘蛛の単眼と、全部、こちらに向けている。
つまり――。うずうずとしている。
最近、あいつの無表情を、若干、読み解けるようになってきた。
「お髭を剃る支度をいたしますか? それとも伸ばします?」
モーリンが、そう聞いてきた。
頭の中で、髭を伸ばした自分、というものを想像してみた。
………。
ないわー。
あと20年ぐらい経ってからなら、渋くてアリかもしれないが……。
この若さでは、ないわー。
「剃ろう」
「あたし! やるっ!」
「おまえがか?」
俺は疑わしげに、アレイダを見つめ返した。
目を、キラッキラ☆――とさせていて、なんか、怖ええんだけど。
テーブルのほうに目を向けると……。
スケルティアのほうも、目をキラッキラ☆――とさせていた。
こっちは、ある意味、もっと怖い。
ハンティングするときの蜘蛛の目――といえば、おわかりだろうか?
モーリンが泡立てたシャボンと、剃刀とを持ってきた。
シェーバーだの安全剃刀だといった便利アイテムは、この世界にはない。
よって〝剃刀〟というのは、ようするに、よく研ぎ澄まされた切れ味の良い刃物のことを指す。
頸動脈ぐらい、すぱっと簡単に断ち切れてしまう。
つまり――。剃刀による髭剃りを他人に任せるということは――。自分の命を他人に預けることになるわけだ。
俺は、俺の女にだったら、殺されてやってもいいと思っている。
――が。
手を滑らせて、うっかりー、――とかいうのは、御免こうむりたい。
「ねー! やらせてやらせて! いいでしょーっ!? いいよねっ?
「べ……、べつに……、か、かまわんが……」
俺は、声がかすれないように気をつけながら――そう言った。
今日が俺の命日になるかもしれん。
「じゃーんけーん! ぽいっ!」
アレイダとスケルティアとが、ジャンケンをやっている。
このあいだ現代世界の「じゃんけん」を教えてやったら、ことあるごとに、それで順番を決めるようになった。
ちなみにスケルティアは、最初にチョキを出す癖がある。アレイダのやつはいつもそれを利用して、ちゃっかり勝利している。
アレイダ。おまえいつか。オシオキだからな。
アレイダ。あとそこ。「ぽい」じゃなくて、「ぽん」だからな。
「勝ちーっ! じゃあ! 最初! あたしからーっ!」
「……まけた。」
スケルティアは、心底、残念そうにしている。
しかし……。
うちの娘のおバカなほうは、ほんと、バカだなぁ。
〝最初〟もなにも、おまえが剃っちまったら、ヒゲ、なくなるじゃん。スケルティアのやつは、剃れないじゃん。
バカ? バカなの?
「いっくわよー!?」
俺の膝にお座りしたアレイダが、カミソリを手に、ニコニコとしている。
ぎらり。白刃が煌めいた。
俺は覚悟を決めると、顎を差し出した。
しょり。しょり。
「あははははー、おもしろーい、なにこれー」
俺は面白くない。めっちゃ怖い。
カミソリを持つのがモーリンであれば、ひげ剃りをされながら居眠りだって余裕なのだが――。
きゃっきゃ言いながら面白がってるバカ猿では、ビビるなというのは無理な話だ。
死を覚悟した元勇者だからこそ、顔色ひとつ変えずにいられるのだ。
「いてっ」
「あっ――ごめんごめん。ほんとごめん」
ほうら切られた。
「ほら。もう。手許に気をつけて。――マスター。すぐに治しますからね」
傍で見ていたモーリンが、タオルを手にして近づいてくる。
治療魔法を唱えてから、頬を拭ってゆく。
なに? そんな大出血?
タオルで拭わなければならないほど、出血してたわけ?
鏡がないので自分では見ることができない。もどかしい。こわい。
「よいしょ、よいしょ」
今度は真面目に、アレイダはカミソリをあててくる。
また神妙に硬直している時間が過ぎる。
「あん。もう。オリオン。動かないで」
「いやそう言うがな」
アレイダは俺の上にしっかりと座っている。股間を密着させている。
そしてカミソリを操るために、もじもじ、もぞもぞ、と、不意を突く動きを常にくり返している。
そのもどかしいぐらいの動きが、なにか微妙な作用を果たして――。
「もう……。オリオンってば。おっき。しないの」
顔を赤らめて、アレイダが言う。
気づいていたか。そして言いかたが、なんとも可愛いらしく――。
「やーっ……、もうっ、また大きくなったぁ……」
「髭。剃れよ。手を止めるな」
「う、うんっ……」
手許がまた怪しくなってきた。
やるかなー。やるかなー。やるかなー。と、思っていたら……。
ざくっ。
「痛てえええ」
「ああ。ごめん。ほんと。ごめん。――だってオリオンが。……こんなっ」
「こんな? って? どんなだ?」
俺は意地悪く聞いてやった。
しかし、こいつ。
最近、相当、強くなってきてるんだな。
ステータス差があれば、単なる刃物で、傷つけられることはないわけだが……。
ざっくりやってしまえるということは、レベル的に、ステータス的に、割と近くなってきているということである。
また治療魔法で治してもらって、ひげ剃りを続行。
そしてまた、たいして進まないうちに、ざっくりやられた。
ざっくりっていうか、べろりというか。
「痛てえ痛てえ。痛てえぞ。切ったっていうより削いだろ。いまおまえ」
「うわあああ。モーリンさん、はやくはやくヒール早くっ」
アレイダが騒ぐ。ヒールは他人まかせ。
いまのこいつはクロウナイトだから、強力なリジェネとエナジードレイン(HP吸収)は持っているが、他人にかけるヒールは持ち合わせていない。闇のナイトに、そんな人様のための技はない。
もう一回マスターレベルに到達すれば、光の側の中位職であるクルセイダーへの転職条件が成立する。そうすればまたヒールが使えるようになるのだが……。ナイトの時よりも、もっと強力な回復呪文があるのだが……。
いまは単なる人を害するしか能のない、ダメな猿である。
俺の傷が治った。いったいどんな大怪我をさせられていたのやら。モーリンの使ってた呪文……。かなり大きくなかった? カミソリ傷を治す小さなヒールじゃなかったよね?
「さんかい。斬ったよ?」
「ん?」
スケルティアが、ぽつりと、そう口にした。
指を三本、折っている。
「すりーあうと。ちぇんじ?」
「どこで覚えた。そんなもん」
こっちの世界に野球はない。
……いや? 転生者が文化を次々持ちこんでいるというから、あるのかも?
「ええーっ? 三回で交代なんて、そんなこと決めてないわよーっ! 今日はずっとあたしがやるの! じゃんけんで勝ったんだから!」
「交代。交代。交代だ」
俺は腰の一振りで、アレイダのやつを、ぽーんと飛ばしてやった。有無を言わさず交代させる。
かわりにやってきたスケルティアは、すとんと、俺の股間の上に座りにきた。
「………。」
と、ちょっと首を傾げてから――。
「……する?」
俺に聞いてきた。
「しない。……ヒゲを剃れ」
「はい。スケさん。カミソリ」
アレイダが苦笑をしながら、カミソリを渡そうとすると――。
「……いらない。」
スケルティアは断った。
カミソリなしで、いったい、どうするのかと思いきや――。
しゃきーん!
爪が伸びた。
そういえばスケルティアのやつは、進化して、新たな種族特性を得たんだっけ。自在に伸ばせる爪だ。普段はまったく人間の女の子の手にしか見えないのに、爪が伸びたときには、鋼を断ち切る武器になる。
よって、髭も――。
しょり。しょり。
自分の体の一部だけあって、扱いが上手い。
まったく危なげがない。
モーリンにされているように、リラックスできる。任せられる。
おお。カミソリを使わずに髭を剃られる。自分の女にしたモンスター娘から、甲斐甲斐しく、髭を剃られる。
おつなもんだな。
こんどから、毎日、ひげ剃りは、スケルティアにやらせようか。
一緒に風呂に入ってやらせたりするのも、いいかもな。
そしてもちろん、ひげ剃りが終わった後には――。うっしっし。
「なんかオリオン……、いまイヤらしいこと考えてるでしょ。ぜったい。そうでしょ?」
うちの娘のヘタクソなほうが、なんか、言ってやがる。
しるか。ばーか。
このあと滅茶苦茶セックス――は、してないですね。今回は。
ちなみに肉体年齢17歳&受肉してから数週間? 数ヶ月? ……で、初おひげ、という設定です。