ある夜の騒ぎ 「こいつら畳んじゃっていい?」
夜の喧噪のなか、俺たちは酒場で夕食をとっていた。
「んっ。んっ。んっ。……ぷはーっ! さあ! 飲んだわよー!」
アレイダは常連客の酔っぱらいどもと、すっかり馴染んでいた。
飲み比べなんかをやっている。
今夜で、もう何度目かの夕食になる。
温泉とうまい飯。
居心地がいいので、つい、長居をしてしまっている。
マダムが心変わりしないかなー、とか、そんな未練がましく、いじましい気持ちなどは、まったくない。これっぽっちもない。断じてない。
「……なんだ?」
テーブルの向こうから、薄く微笑んでこちらを見ているモーリンに、そう尋ね返した
「いえ。思うようにいかず、ジレンマに悩んでおられるマスターも、よいものですね。――と、そう思っていただけですから」
「愛でるな」
俺はそう言った。
モーリンには、まったく、なにもかもお見通しだ。
俺の女に対する好みを、俺よりも、よくわかっている。
だがモーリンの読みにも、一部、不正確なところもある。
俺はジレンマに悩んでいるわけではない。俺のものにならない女に興味などないのだ。
「はい。そういうことにしておきますね」
モーリンは楽しげに笑った。
いま! 心の声に突っこまれたよ!
「……?」
うちの娘の静かなほうが、ぴくりと、顔をあげた。
騒ぎも会話にも関知せず、目の前の山盛りの肉に、ずっと無言でずっと無表情で、だがきっと内心は夢中でかぶりついていたスケルティアが、入口のほうに、何気なく顔を振る。
数秒後。大人数が、ぞろぞろと入ってきた。
男たちは異質だった。
店の常連もあまりガラのいいほうとはいえないが、こちらの連中は、まるで堅気の雰囲気ではない。相手を威圧するような服装や装備。見せつけるように武器をちらつかせている。
まるで、ならず者か冒険者か――って、俺たちも立場的には〝冒険者〟なわけか。
こんなのと一緒にしてもらいたくはないな。
男たちは店のいちばん真ん中の席に陣取ると、足をテーブルの上に投げ出し、それから、横柄に言った。
「酒」
マダムは硬い顔で立っていた。いつもは欠かさない「いらっしゃい」もなければ、笑顔もない。
常連客たちも、会話をぴたりと止めて、緊張した面持ちになっている。
一人、例外なのは、んぐ、んぐ、んぐ――と、腰に手をあててジョッキを一気飲みしている、うちの娘の馬鹿なほうだけだ。
明らかに歓迎されていない雰囲気だが、男たちは、いっこうに気にした様子がない。
「おい。酒はまだかよ」
「あとメシな」
「それとー、女なー!」
一人が下品な笑いをあげて、マダムの尻を一撫でした。
「おい馬鹿。ボスに――」
別のやつがたしなめる。言われた男は、ばつの悪そうな顔で押し黙った。
マダムは何も言わず、男たちのもとへ、酒と料理を運んだ。
さっきまで、会話をするのも困難なほど騒がしかった酒場は、まるでお通夜のように静まり返っていた。
この世界の葬式に通夜があるかどうかは、不明だが。
常連客は気まずそうに顔を見合わせる。幾人かは席を立って、押しつけるようにマダムに金を払って、店を出ていってしまった。
「なに? ……なんなの?」
飲み比べをしていた相手がいなくなってしまって、アレイダがしらけた顔になって戻ってきた。
「見ての通りだ」
俺は肩をすくめて、そう言った。
「……なにが?」
うちの娘のお馬鹿なほうは、きょとんとしている。
もうひとりの静かなほうも、当然、きょとんとした顔。
ああ。そうか。
現代世界の知識がある俺には、なにが起きているのか、一目瞭然なわけだが……。
モーリンみたいな人生経験の化け物ならば、ともかくとして――。
十代の娘には、わからんな。これは。
「おい!」
料理を食っていた一人が、突然、声を張りあげた。
「料理に虫が入ってたぜ!」
ほら、はじまった。
他のやつも同調して、酒が腐っているだの、なんだのと、騒ぎはじめた。
「えっ? えっ? えっ? なに? なんなの?」
突如あがった大合唱に、アレイダはきょろきょろと周囲を見まわしている。
「マダムの料理に、虫なんて入ってるわけないじゃないの」
「ああ。そうだな」
「お酒だって。べつにへんじゃないし」
「もちろん。そうだな」
俺はアレイダに、いちいち、うなずいてやった。
うちの娘のお馬鹿なほうが、いつ、理解するか。ちょっと辛抱が必要かもしれない。
「スケ。――おまえは、わかったか?」
「ん? んー……。んっ。」
うちの娘の、はしっこいほうは、すこし考えて、わかったようだ。
さすが元盗賊。世知辛いことには慣れがあるのか。
「え? なに? 私だけ、のけものなの?」
「おまえは胃袋でなくて、すこしは頭を使ったほうがいいぞ」
いまだにジョッキを手放さない、うちの娘の食い意地の張ったほうに――俺はそう言った。
「いいわよ。文句言ってくるから」
「あー。おい……」
止める間もあらばこそ。
アレイダは、ジョッキを手にしたまま、すたすたと歩いていってしまった。
「ねえちょっと、あなたたち」
と、男たちに向けて、なんの屈託もなく、声をかけてゆく。
「さっきから聞こえてきてたんだけど。あんまりマダムを困らせるもんじゃないわよ」
「困らせる? ハァ? そいつは傑作だ。まるでオレたちが、言いがかりを付けているみたいじゃないか――」
「困らせてるのは確かでしょ。言いがかりかどうかはわからないけど」
「あの、げんに、ここに、虫が――」
――と。
男が料理を差し示した。
その料理を、アレイダは奪い取るなり――。
がっふ。がっふ。
食った。
食っちまった。
「虫? どこに?」
「い、いや……、油虫が……」
「あと。お酒がどうしたの? どれ?」
「これ――」
ごっく。ごっく。
こっちも飲んでしまった。
「べつにおかしくないわよ?」
「あ……、う……」
男は言葉をなくしている。
俺も言葉をなくしている。酒のほうはともかく、料理のほうは、あれは入ってたんじゃないのか……?
この手の常套手段では、そこらで捕まえてきた虫を、入れておいて、「おい! 虫が入っていたぞ!」と難癖をつけるわけだが――。
俺はそのことが気になって仕方がなかった。本当に、気になってしまう。
「――はいはい。じゃあ。なんでもなかったんだから。もう。静かにする。――いいわね?」
アレイダはそう言うと、男たちに背中を向けて、戻ってこようとした。
その肩を、男の手が掴む。
「待てや。ネエちゃん」
「――なによ?」
「マスター。助けに入っては、あげないのですか?」
「なぜだ?」
モーリンに聞かれて、俺は問い返した。
「あるいは。加勢に入ってあげますとか」
「だから。なぜだ?」
俺はまたもや問い返した。
守ってやる必要など、どこにあるのか。
アレイダのいまのレベルはそれほど高くはないが、それは転職マニアであるせいで――。実際には上級職2回分の強さの上乗せがある。
同じレベル1であっても、上級職のレベル1は、基本職のレベル20ぐらいには相当する。
こんな場末の、山賊まがいのチンピラどもに遅れを取るようなことはない。
「いえそちらではなくて。マスターが、ご自身でなさらなくて、よろしいのですかと――彼女のために」
ちら。――と、モーリンが目を向けた先にいるのは、マダムだった。
「ああ」
俺はうなずいた。
それだったら、俺は、手出しをしないことに決めていた。
悪さをする者がいる。それをいちいち正して回っていては、いずれ、すべての悪を倒して回らなくてはならなくなる。
それは〝勇者〟とかいうヤツの役目だ。いまの俺の役目ではない。
あんな人生。一回やれば、もう充分だ。
俺の今回の人生では、「人助け」はしないことに決めている。
「でもアレイダのときには助けましたよね。お買い上げになられましたけど?」
「うぐぅ」
いつもながら、どうして、こう――モーリンは、俺の心の中のセリフに、的確にツッコミ入れてくるのだろうか?
「あれは――俺の女にしたわけだろ」
「スケも。だよ?」
「ああ。スケも。俺の女だな」
「それではマダムは、〝俺の女〟にならなかったから、助けてはやらないのだと――そういった理解でよろしいのでしょうか?」
「おまえ。なんか妙に絡んでこないか?」
微笑を浮かべるモーリンに、俺は、そう聞いてみた。
「いえ。昨夜。彼女にフラれたあとに、マスターがわたくしのもとにやってまいりまして、わたくしを抱かれたことなど、微塵も気にしておりません。かわりに使われたことなど、なんとも思っておりませんよ?」
「うぐぅ」
俺は呻いた。
うん。発散できなかった欲情をモーリンの身にぶつけた。
他の女のことを考えながら、モーリンを抱いた。……かもしれない。違うとは断言できない。
「それについては悪かった。謝る。反省する。二度としないと誓う。だがそれとこれとは、やはり話が別だ。俺は自分にメリットのない人助けはやらない。とことん利己的にやらせてもらう」
「ええ。マスターの望むままに」
世界の精霊――と、俺がそう認識しているモーリンは、個々の人間の運命に関して、ほぼ、関心を持っていない。
彼女が守るのは世界のバランスだ。彼女が守る世界の中で、人は生き、そして死んでゆく。大量死や絶滅が起きるおそれのあるときだけ、彼女は世界に対して干渉する。たとえば前回のときのように〝魔王〟が世界に出現して、人間そのものを滅ぼそうとしたときなどだ。
それ以外のときには、彼女は、誰が死のうが生きようが――ぶっちゃけ、眼中にない。
ただ一人の例外は、俺であり――。
いまの彼女が関心を持ち、望むことは、俺の幸福だ。
「でも……。マスターはなにもしないおつもりでも、アレイダはやる気になっていますけど」
「あいつが買った喧嘩だ。好きにするさ」
「おうおう! ネエちゃん! 痛い目みるまえに引っこんでな!」
「ふーん? 痛い目みるのは、そっちだと思うけど?」
アレイダは、すっかりやる気のようだ。
闘争心を目にたぎらせて、自分より大きな相手を、下からにらみ返している。
物事の仕組みがまったくわかっていないにも関わらず、正しい応対をしようとしている、うちの娘の馬鹿なほうに、俺はすべて任せることにした。
――と。
つんつん、と、俺の服の袖を引っぱる者がいる。
「なんだ?」
「スケ。……も。いて。いい?」
「うーん……」
俺は考えた。
うちの娘の容赦のないほうが参加すると、それこそ、容赦のない展開になってしまうのではなかろうか。
べつにあいつらの命なんか気にしているわけではないが。穢れた血で店を汚すのも忍びない。
「まえに教えたな? こういうとき。ああいうやつらは。……どうするんだっけ?」
「……? いたくする?」
スケルティアは、あまり自信がなさそうに、首を傾げた。
「そうだ」
まえに、うちの娘たち二人に教えた。
戦いになったとき。相手を殺すときと、殺さないとき。その区別を教えた。
今回のケースは、どれに該当するのか――?
「ころさない。でも。にどと。はむかえ。ない。ように。いたくする。」
「よし。してこい」
俺はスケルティアの頭をくしゃっと撫でてから、送りだした。
そろそろあちらのほうでも、アレイダが、はじめそうだ。
そこにスケルティアも、そーっと近づいていって、アレイダの隣に並ばずに、なぜか、男たちの背後に回っていった。
ああ。蜘蛛の習性か。
「てめえ! この野郎!」
激高した男が叫ぶ。
「野郎じゃないわよ。女よ。べろべろばー!」
アレイダがわかりやすく挑発をする。
男の顔がみるみる赤くなってゆく。
はい。爆発、三秒前。
俺はマダムにぴっと手を挙げた。麦酒のおかわりを要求する。
殴り合いがはじまった。
正確にいうと、〝殴り合い〟ではなくて、一方的に、殴って殴って殴っているだけだから――、〝殴り殴り〟とでもいうべきだろうが。
とにかく喧嘩がはじまった。
男たちは次々と畳まれていった。テーブルも壊さない。店の備品の破壊も、他の客への被害も、最小限。
アレイダは投げ飛ばした男の着地点まで計算してるし。スケルティアのほうは、テーブルから落ちたジョッキが地面につくまえに、糸を飛ばしてキャッチする芸当などを、敵の一人を絞め落としている最中に披露していた。
俺は心配どころか、ほとんど関心さえ払わず、麦酒とツマミに没頭していた。
このマダムの特製チーズ。うまいな。
最初はなんだこのカビたチーズは。とか思っていたが。カビを取り除いた綺麗な中身が、食うべき正味物のほうで、それがめっちゃうまい。
「お……、覚えてやがれ……!!」
陳腐な――それこそカビの生えた捨て台詞を残して、男たちは引き上げていった。
ちゃんと仲間を引きずって行けるように、歩いて帰れる人数まで、アレイダとスケルティアは、きちんと調整している。
うん。街の喧嘩で、二人に教えるべきことは、もう、なにもないな。
すこしだけ騒々しかった、ある一夜の、取るに足らない出来事は、こうして終わった。