神の国 「神の国という呼び名で伝わっています」
「もっとだ。もっと高度をあげろ」
「は、はい……」
瞑想しているエルフ娘の耳元で、そう命じる。
ハイエルフの王女アイラは、瞑想のなかにありながらも、俺の言葉に返事を返す。
浮遊大陸は遙かな高空にある。浮遊島の高度をもっと上げなければ接触することは不可能だった。
「もっとだ。まだ足りない。もっとだ。もっと」
「ああ……っ。もっと……」
張りつめた耳はピンと長くなっている。
俺は耳を撫でたりさすったり、しゅっしゅっとやったり、くりくりとしたり。
彼女のテンションが上がるようにサービスしてやっている。
その甲斐あって、浮遊島の動力が出力を上げた。
これまでの巡航高度の記録を塗り替える勢いで、高度を増してゆく。
「ちょっ……、もうオリオン。そのくらいでいいでしょ? あんまりイタズラは……、やめなさい」
アレイダが言う。
「なんだ? 嫉妬か? 耳くりくりとか、あとでおまえにもやってやろうか?」
「そんなこといってない」
「じゃ、やらなくていいんだな」
「……そうはいってない」
意外と素直なアレイダに、くっくっく、と、俺は喉の奥で笑った。
俺たちは浮遊島のコントロールルーム――。中央霊廟に全員でやってきていた。
ここでは島のコントロールが行える。
いかなる魔導の仕組みによるものか、モニター画面のように、外部の光景を呼びだすこともできる。
島は遙か古代の産物だった。
魔導とはいっても、現代の魔術とは、原理からして違っていそうだ。
モーリンにいわせると、この世界において「文明」と呼ばれるものは、何回も勃興しては衰退していったそうだ。
いまとは違う、いくつか前の古代文明による産物なのだろう。
「この大陸も、そうした古代文明の産物なのかもな……」
ようやく同じ高度になってきた。
浮遊大陸を下から見ていたときには、岩肌しか見えなかったが、いざ並んでみれば、草に覆われた大地の広がっていることが確認できた。
うむ。やはり上にいられるよりも、見下ろすほうがいいな。
「ようし。そのまま高度を維持しつつ、進んでいくぞ」
俺たちの浮遊島は、大陸の上部に入りこんでいった。
完全に大陸の上にのりあがり、対地高度を維持して進みつづける。
大地の上を普通に飛んでいるのと変わらない光景になってくる。
後方の映像を呼び出してみると、縁はどんどんと遠ざかってゆくところだった。
縁から先は断崖絶壁のはずなのだが、もう、それも見えなくなっている。
さすがに〝大陸〟――。
スケールがデカすぎた。
「あっ。木が生えてる」
モニターの映像を、アレイダが指差す。
草原の向こうに、木が見えている。
……が。
「おいおいおいおい」
近づいてゆくにつれ、だんだんとわかってきて――。
俺はおもわず声を上げていた。
「おい。大賢者。世界樹があるぞ」
木の〝サイズ〟が問題だった。スケールが違った。
それは通常のサイズの樹木ではなく、数百メートルはあるような巨木で――。
だが単に樹齢数千年の巨木というのとも違うのだ。
葉っぱがデカい。ずいぶんと距離があるのに、葉の一枚一枚が見えているということは……。
そもそもが、巨大な葉であるということだ。
「なにもかもが10倍サイズってやつか……! 1/10……。いや逆か。10/1スケールってやつだな」
浮遊島は巨大樹の合間を進んでゆく。10倍サイズの巨木は数百メートルもの高さがある。
林立するその合間を、浮遊島は静かに進んでいった。
「そういえば……、二つほど昔の文明隆盛時にあったのは、巨神の世界でしたね。いまでは神の国という伝承で伝えられていますが」
モーリンが思い出すように、そう言った。
世界の精霊である彼女のことなので、本当に思いだしているわけだが。
「巨人というと……、それはギガントみたいな種族でしょうか?」
クザクが首を傾げる。
ギガントというのは、巨人のモンスターだ。一つ目で怪力なのが特徴だ。アトラスという上位種族もいる。低レベルではそれなりの強敵だが、勇者業界にもなると、たいした脅威ではない。
戦闘の次元が上がり、デカけりゃ強いという単純なルールから外れはじめると、体の大きさは、むしろハンデにしかならない。
「あれは退化した生き残りですね。すっかり原始に戻って姿さえ変わっています。当時の巨神たちは、現生の人族と同じような姿でしたよ」
「同じ……、というと、それは美人だったりするのか?」
「まえにマスター、王都の神殿にある巨大な彫像を見て、欲しい抱きたい……と、申してましたね。あれが彼ら。巨神族の姿です」
「あれか!」
巨大な女神像かと思っていた。まさか原寸サイズの彫像だったとは!
俺が考えに夢中になっていると、アレイダのやつが、肘で俺の脇腹を小突いてきた。
「ねえオリオン……。いまなにを考えてるのか、あててみせましょうか?」
「やってみろ」
「いける。ぜんぜんあり」
「あたりだ」
よくわかってきたじゃないか。駄犬め。
「もー! なんでそんなことばっかりなんだか……」
「俺はこの人生では好きに生きるって決めてるからな」
前の人生と、前の前の人生とで、未練と心残りとは、すべて回収してゆく。俺はそう決めているのだ。
「この人生?」
「ああいや……。なんでもない」
まだアレイダたちには言ってない。俺が転生者だということは、モーリンとバニー師匠しか知らないことだった。
転生者のことはそのうち話してやってもいいか……。まあ……、いまではないが。
だが前の前の人生のことについては――。俺がこの世界で語り継がれる「勇者」であるということは――。
言うときはやってくるのだろうか? いいや。ないな。駄犬が駄犬であるうちは、絶対ないな。
「あっ……、ねえあれ? あれって動物?」
アレイダが指差す。前方になにか動く物体があった。
生き物のようである。ただし山のようなサイズであるが……。
「牛? ブタ? なにかそんな感じ?」
「おいしい?」
アレイダが言う。スケルティアが指をくわえる。
地上の牛や豚とはちょっと違うが……。家畜っぽい動物が、巨大スケールの草原を闊歩している。
「でけえ」
動物が動くと、まるで山が動くようだ。
コントロールルームに、ワーニングが鳴り響く。
「なに!? なにがどうしたのっ!?」
「どうした?」
「なにかが急速接近してくるようですね」
古代語を読んでモーリンが言う。
しばらくすると、その「急速接近してくる物体」が視界に入ってきた。
――鳥だ。
そいつは単なる鳥だった。鳩とかカラスとか、そんなあたりの、ただの野鳥だ。――ただしドラゴンサイズの。
「なんでも巨大スケールなんだな」
「レベルも10倍換算のようですね」
モーリンに言われて、俺も鑑定してみた。
「大鶫。Lv37。――なるほど」
単なる野鳥で、強さはドラゴン級か。まあ、うちの娘たちは、ドラゴン程度でピーピー言うような鍛えかたはしていないが……。
魔大陸を卒業したから、ラストダンジョンに侵攻できるほどの強さになっている。
「あっ。人だ」
誰かが言った。
俺はそちらを見た。ぎょっとなった。
全身鎧の兵士っぽい巨人が、遠くを歩いている。
鑑定で出たステータスは――「巨神族兵士、Lv372」となっていた。
野生の獣もなにもかも、すべての基礎レベルが高いから、それを狩る巨人たちも必然的に高いレベルになるのだろうが……。
「なあ……、あれ雑魚だと思う? 将軍クラスだと思う?」
俺はモーリンに聞いた。
「将軍クラスが護衛もなく単独というのは考えにくいですね」
「ねーねー……? あれって、巡回の下っ端とかなんじゃないの?」
「だよなー」
俺はアレイダにうなずいた。
暗黒大陸を卒業するほどに鍛え上げた娘たちではあるものの――。
Lv372っていうのは、ちょお~っと、荷が勝ちすぎる。
そのレベルだと、俺とモーリンが出ていかなければならないレベルだ。
「あ。こっち気づいた」
巨人がこっちを向いた。どすどすと、こちらに向けて歩いてくる。
「なんだ? なんで気づかれた?」
「あたしたち、いま島に乗ってるからでしょ。岩の塊がぷかぷか浮かんでいたら、そりゃ、来るでしょ」
「だよなー」
俺はアレイダにうなずいた。
「高度を取れ」
巨人が近づいてくる前に、俺は瞑想するアイラにそう言った。
『これで精一杯です』
アイラの声は本人からではなく、室内音声を使って聞こえてきた。
「この高度じゃやつの手が届く。もっと上がれ!」
『やって……、みます……』
動力源の飛行石――じゃなくて、精霊石がうなりを上げる。
上昇がはじまる。だがその速度は、ひどくのろい。
もともと浮遊大陸に迫るために、かなり無理をして超高空にあがってきているのだ。
だがこれではまるで高度が足りない。
巨人からしてみれば、腰ぐらいの高さをふわふわ漂っていたところから、頭ぐらいの高さに上がった程度だ。
「おいおいおい。手が手が手が!」
「ぎゃあーっ! 手が手が手が!」
俺とアレイダは、同時におなじことを叫んでいた。
肩を抱きあっていたり――なんてしていない。ない。駄犬はともかく、この俺がビビったりなんてすることは――。
巨人兵士は、手を伸ばしてくる。自分の背の高さぐらいのところに、岩塊がぷかぷかと浮いているわけだ。とりあえず触ってこようとするだろう。
衝撃がやってきた。
浮遊島は巨人の手に捕まってしまった。ただ手で掴まれただけというのに、こちらとしては、かなりの衝撃だ。
巨人はさらに、浮遊島をばしばしと叩きはじめた。
警告音が鳴り響き、真っ赤なワーニングメッセージがつぎつぎと古代文字で現れる。
「表面岩盤剥離。島の構造岩盤に亀裂。飛行石に深刻なダメージ」
あ――言っちゃった。いやいまはそれどころではないが。
巨人兵士の打撃が続く、もう手ではなくて、手にしていた槍の柄でもって、ばしばしばしばしと、バカみたいにぶっ叩いてきている。
「ちょっとちょっとちょっとおぉぉ――っ!!」
「おおおおお――っ!!」
岩盤が剥離する。亀裂がはいる。島は傾いたまま、斜めになって墜落していった。